第6話 初めての思い出
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愛の証でするのなら、それは気持ちいいはず。
そんな思い込みは幸せと願いと呪いで出来ている。
雪野千愛(ゆきのちあ)はまだ、いったことがない。
端的に言えば、コウとするたび思う。
痛い。慣れそうにないって。
真夏のコンビニに並ぶ特集号を見ても、ネットで調べてもSNSで聞いても答えは見つからない。
なんでも病気のせいにするのはよくないけど、もしかして……と思って聞いたらね。
「ないない。関係ないよ。それより経過順調だから、通院のペースを緩めましょう。次は三ヶ月後に」
「喉は?」
「手術跡のかさぶが一緒に出ちゃったとか? とにかく診断の結果、快方に向かってます」
出来る人なんだけど、説明がいまいち嘘っぽい。
「……ほんとにだいじょうぶなの?」
「医者を疑う? 悲劇のヒロインぶりたいお年頃よね。覚えがあるわ、あれは確か――そう、千愛ちゃんと同い年だったかなー?」
「ほんと、先生のそういうとこ嫌い」
「奇遇ね、意見の一致を見たわ」
半笑いで流した先生(綺麗だけどいけすかないお姉さん。手術もこの人がしてくれた)がスケジュールを入れてきた。
「あたし本気で悩んでるんですけど」
「なあに? そりゃあ女子にも性欲があると認める派閥の人間だけど。ただし個人差があります、なんて但し書きのあるフォローしか出来ないわよ? それ以外する気がないから」
関心なんて最早ゼロ。電子カルテを映すモニターしか見ていない。
「マジで……先生のそういうとこ、あたし嫌い」
「あはは! ざぁんねん! 振られちゃった、てへ!」
たいして残念そうじゃないところが腹立つ。
「まあまじな話、そういう悩みを抱えられるようになったんだから、病気とか意識せずに彼氏とご相談ください」
「挙げ句の適当なフォロー……もういいよ」
「はいはい。とにかくこれなら、遠出とかしても大丈夫ね。夏休みはまだまだあるんだから、どうぞ楽しんで」
手をひらひらと振ってくる先生に舌を出して、診察室から出た。
なにを先生に相談しているんだか、と呆れて笑うお母さんの運転で家に帰る。明日は天気が荒れるらしい。だからその前に、ということなのだろうか。コウは今日、友達とプールに行っている。
いいなあ、プール。
羨ましいし、ねたましい。
コウが少しでも浮気しないようにお父さんのサングラスを渡しておいた。日焼けしてなかったら、あいつはあたしを裏切ったことになる。パンダさん状態でくればいい。
……ひねてるなあ。八つ当たりのようなものだ。コウに構ってもらえないから、嫌がらせ。ほんと、我ながら幼すぎていやになる。
床の上をごろごろ転がっていたら、呼び鈴が鳴った。しばらくして「お邪魔します」と聞き慣れた友達の声。
階段をのぼって部屋に入ってきたのは、
「よっ」
幼なじみの女友達、ノンちゃんだった。
◆
「コミケはもういいの?」
あたしの質問に、ノンちゃんは飾り気のない笑顔を向けて言う。
「ん、終わってひと息ついたから、あんたの様子みにきた」
「同人、だっけ。どれくらい?」
「描き始めて? それとも通い始めて?」
「描いてからだよ」
「三年かな」
そう言ってノンちゃんは自分が描いた同人誌をカバンから出して渡してくれた。
コウほど熱心に画像を見ているわけじゃないけど友達の絵は同い年なんて感じさせないくらいすごく上手。
「どうぞ、献本でござる」
「ははーっ」
ありがたく頂戴してぱらぱらめくる。ノンちゃんオススメの乙女ゲームの主人公とイケメンが少しだけえっちなことをする同人誌だ。
あまあまで、えっち。
……うわ。うわあ。これもう、ほとんど……
「千愛?」
「はっ」
「まじまじと読んでくれるの嬉しいけど、どうした」
「……いや、その」
言葉に詰まって、視線のやり場にも困ったあたしは、
「こ、コミケどうだった?」
縋るように聞いた。幸い、ノンちゃんは大して気にしたそぶりもなく、
「中学受験の時のかてきょのにーさんのおかげでまあ、そこそこ。部数刷らなかったし、厳つい見た目のにーさんのおかげで変なのにも絡まれなかったし、何よりね!」
いそいそとカバンから何冊もの同人誌を取り出す。愛おしげに抱き締めて、頬ずりまでし始めたぞ。
「宝物ゲット出来たし、言うことなしかなー!」
ヨダレ出ているようにも見えるんだけど、どうなんだろう。宝物とやらについちゃわないだろうか。
「千愛も知ってる元ネタのだけ持ってきた」
そんな宝物を受け取って読ませてもらうの恐れ多いんだけど、まあ本人がいいならいいや。ノンちゃんのことだから、余分に保存用とやらを買ってそうだし。
それにしても、どれも、これも。
「……年齢制限がありそうなのですが」
「にーさんに買わせた」
あっけらかんと言うノンちゃんの頭に、年齢制限という文字はないのだろうか。
それも気になるけど、もっと気になることがある。
「そ、そのにーさんとやらとは、どういうご関係で?」
「んー。中学卒業してから、こっそり付き合ってる……ってことになるんかな。親には勉強教えてもらってるっていう体だから、秘密の関係だね」
「今まさにばらされてますけど」
「だって千愛だし」
「何それ」
わかんない、と笑うノンちゃんに、思い切って尋ねてみる。
「……もう、その。本みたいなこと、したの?」
恐る恐るだったんだけど、そんなあたしの不安に対して友達は、
「まあ。そりゃあ、ねえ」
少し困ったように笑うくらいだった。どん引きされてもおかしくない質問だと思いつつ聞いたあたし、どうかしている。
「どしたの。千愛からそんなこと聞かれるなんて、初めてじゃん」
「いやそのえっと、ほら……気になる、というか」
「というか?」
まじまじと見られると困る。
「……本にあるみたいに、気持ちよくなれるもんなの?」
そう言うと、ノンちゃんは目を見開いて納得顔で何度か頷いた。
「ほう、ほう、ほう。前に話してた幼なじみくんとつきあい始めたな?」
「う」
「しかも、やることやってるとみた」
「うう」
「さらにあんまり気持ちよくないとみた」
「ううう」
たった一つの質問で悩みの半分を言い当てられました。
「……実はその通りで」
「そう言われてもなー。珍しく相談されたから、応えたいのは山々なんだけど。千愛にとって何がどうか、わかんないし。なんともいえない」
「そんなあ」
「ま、それじゃあんまりなんで」
そう言うとノンちゃんは立ち上がり、あたしの本棚を睨み始めた。数秒して、
「あった。これこれ……」
少女マンガの一冊を取り出してめくり、あたしにページを見せてくる。
「イケメン彼氏に抱き締められるけど、実はそいつに悩みがあって気がかりで。初めてはぐされた時は幸せいっぱいだったのに、今は全然幸せじゃない。ううん、むしろ気になってそれどころじゃない! みたいな」
彼女が説明したまんまのページが、彼女によってめくられる。
「だけどイケメン彼氏の悩みを解決して、お前のおかげだありがとうとか言われてはぐされた主人公は、どんな顔してる?」
次に見せられたページで、主人公の女の子は満ち足りた顔をしていた。
「きゅん?」
「まあ……細かくシチュを説明すればするほどフェチ丸出しになるし、それだと千愛の状況に合うかわかんないから。ぼかしていうけどさ」
ページを閉じて、あたしの向かい側に腰を下ろす。
「気がかりなことがある、とか。気が散ってそれどころじゃない、みたいなところが臭いと思う」
そう言われただけで、思い当たる節がいくつかある。
これまでのえっちでは隠していた、こないだ話したばかりの病気のこと。
コウがあたしの気持ちを認識してるかわからないとこ。
確かに、えっちどころじゃなかった。
「千愛の幼なじみくんって、あの……お母さんが、ってやつでしょ?」
頷くことしか出来なかった。
「別にするなって意味じゃないよ? ただ……それどころじゃないってさ。千愛がどっかで思ってるんじゃない?」
「……そう、かも」
確かに……そうだ。してもコウのことはどうにもならない、と思ってる。それじゃ、結局どこにもいけない、と思っている。
「そんなん、気持ちよくなるどころじゃなくない?」
「……ほんと、そうだね」
やっぱり、先延ばしにはできないんだなあ。
「人によって意見わかれるけど、あたしはえっちなんてツールの一つでしかないと思う。同人でぼかしつつも描くのだって、恋愛や人間性、二人の関係の象徴化でしかないというか」
「え、えと?」
「上手く使う方法があるって話。いいか悪いかは別としてもさ。振り回されるより、振り回す方が楽だよ」
コウのことだろうか。それともえっちの話?
どうしようか迷って結局尋ねると、ノンちゃんは悪い笑顔で言うのだ。
「どっちもかな」
◆
野々花から電話で聞いた。
プールでコウに会ったって。何を話したのかまで、別にいいのに説明してくれて。
余計な真似した、ってすごい反省してる。だから気にしなくていいよって、お礼と一緒に伝えておいた。
それからしばらくして、お母さんが部屋に来た。お母さん曰く、コウのお父さんから家を留守にするためコウをお願いされたらしい。だから夕飯を多く作ったから、タイミングを見て呼びに行ってきてって。
ノンちゃんにもらった同人誌をぱらぱら読んでたら、コウがウチに来た。
まんまと予想通り、お願いを聞いてくれたコウの目元がサングラス焼けしていたので笑い過ぎちゃった。
そのせいで咳き込んでコウだけじゃなくお母さんにも心配されちゃったよ。
コウを見送って少しして思い出した。
夕飯に誘わなきゃいけないんだった。
そう思った時、コウの家の扉が閉まる音が聞こえた。
どこかに出かけちゃったら困ると思って、あわてて家にいったら……コウはいた。
泣きそうな顔でへたり込んでいた。
「だいじょうぶだよ」
気がついたらそう言っていた。抱きついてくるコウを受け止めて、頭を身体で包み込む。
距離を取って話しかけるのが精一杯だけど健気にそばで応援する、みたいな幼なじみだったなら。
手を引っ張って、彼の得意ゆえに遠のいたフィールドへ引きずりだすヒロインだったなら。
もっとちゃんと、前を向いてもらえるだけの何かが出来たのに。
身体を重ねたから、ぬくもりを知ってしまったからもうなかったことにできない。
「だいじょうぶだよ」
そう言わないと壊れてしまいそうなコウと、そう言わないと保てそうにない関係と……少しずつ元気になってきたあたし。
惰性でいたら、変わらない。しても変わらなかったんだから、もっとちゃんと……何かをしなきゃいけない。
コウに踏み出して欲しい一歩があって。あたしが踏み越えなきゃいけない一歩があって、今がある。
「……ねえ、コウ」
うちとは違う、埃の匂いのするおうちを見渡して。
「……旅行いかない?」
コウのお母さんがいた頃とはすっかり変わってしまった、真っ暗な玄関。
「ちゃんと、お話をしにいこう。お母さんと」
掃除、料理。
あたしなりに出来ることをしてきたけど、でも……元にはもう戻らない。
「あたしはコウのお母さんにはなれないよ」
ぬくもりを求める理由がもし、そこにあるのなら。無理だ。
お母さんの代わりにはなれない。なりたくない。
あたしが欲しい全部は、出来る全部はそこにはないんだ。
「へたくそだけど、へたくそ同士だけど……ちゃんと恋愛するために」
肩に置いた手で、そっと押して離す。
「旅行にいこう。ついていくよ。そばにいるよ」
だいじょうぶだよ、と呟いたあたしを見上げて、どれくらいの時間が過ぎたのかもわからなくなった頃。
「……ごめんな」
コウは「いくよ」と呟いた。
つづく。
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