第9話  その財布の移動方法は


「なあ、財布って歩くと思うか?」

「…………は?」


 昼休みの教室。

 昼食をとり終えた結弦が神妙に尋ねると、博樹は眉間にしわを寄せた。


「何言ってんだお前」

「いや真面目に訊いてるんだよ」

「真面目に訊いてるのが分かってるから言ってんだよ」


 考えすぎでおかしくなったかと、博樹は溜め息をつく。


「財布が歩くわけねえだろ」

「チカラを使ってもか?」


 結弦の質問に、博樹は失笑して、結弦の机をコツコツと叩いて言った。


「“財布を歩かせるチカラ”ってか?」

「何も財布に限った話じゃない。何か物体を自立歩行させるチカラかもしれないだろ」

「まあ、ない話ではないかもしれねぇが……」


 博樹は頬杖をついて、思考を巡らせる。

 そもそも、財布をひとりでに歩かせるチカラがあったとして、クラス全員分の財布を歩行させて食堂まで行かせた、という説はどう考えても無理がある。

 鞄やポケットから出ていく時に、絶対に誰かしらの目には留まるはずだからだ。それに限らず、廊下を財布が歩いているとなれば、食堂にたどり着く前に大騒ぎになるだろう。


 博樹が現実的なことを考えているのを見越してか、結弦は釘を刺すように言った。


「もちろん、財布が歩いて食堂に行った、なんて仮説を立ててるわけじゃないからな」

「なんだ、違うのか」

「馬鹿にするなよ」


 結弦が憤慨すると、博樹は自分のくせっ毛頭をぽりぽりと掻いて顔をしかめた。


「じゃあ、どういうつもりで訊いたんだよ」

「だからさ、過程の話なんだよ」


 結弦は身振り手振りを交えて少し熱っぽく語る。


「俺たちは最初から、財布がこの教室から食堂まで一気にワープしたって線で考えてただろ。なんのヒントがあったわけでもないのに、勝手にそう思い込んでた」

「まあ、確かにな……。気付かれずに食堂まで財布が移動するなんて、ワープくらいしか方法が思いつかん」


 こくりと頷いて、結弦は自分の鞄から筆箱とノートを取り出す。

 ノートを開き、白紙のページにシャープペンシルで線を引いてゆく。

 博樹がじっと見ていると、ノート上には校舎の簡易図が雑に描かれていった。


「俺たちの教室は、3階」


 トントン、とシャープペンシルの先で、自分の教室を指して、結弦が言う。


「それでもって、食堂は1階」


 続けて、食堂の位置を示すと、そこでようやく博樹の表情が変化した。


「そうか、この教室の真下か」

「間に1-Bの教室が挟まるけどな」


 結弦と博樹が属するクラス、1年F組と食堂の間に挟まる形になっている、2階の1年B組を結弦は丸印で囲んだ。


「でも、位置という意味ではこの教室の下に食堂があるってことだ」

「……まあ、だから何って話でもあるがな」


 博樹が水を差すと、結弦は口角を少しだけ上げて、言った。


「そうでもないかもしれない」


 結弦の言葉に、博樹は結弦をじっと見て、次の言葉を待った。

 早く続きを言え、と目が訴える。

 結弦はこくりと頷いて、言葉を続けた。


「財布は『ワープ』したんじゃなくて、『落ちた』のかもしれない」

「落ちた?」

「そう、ストンッてな」


 結弦が自分の手を上から下にスッと下ろすジェスチャーをする。

 博樹はそれを見てポカンとして、すぐに破顔した。


「いや、それはねえだろ。間に教室あるんだぞ」

「可能性の話だよ、あくまで」


 結弦も鼻を鳴らして、椅子に深々と座りなおした。


「つまり、いろいろな可能性を考える必要があるってこと」


 結弦は窓の外にふと視線をやって、遠くを見るように目を細めながら、言う。


「多分だけど……俺たちの『常識』でいくら考えても、この謎は解けないと思う」


 結弦の言葉に、博樹も返す言葉なく、床に視線を落とした。


「ありったけの過程を想像して、その過程を実現し得る“チカラ”を突き止める。それが、今僕たちにできる最善の方法だ」


 結弦が続けると、博樹は小さく頷いて、そのあとすぐに鼻を鳴らした。


「途方もねえな」

「途方もない」


 二人で肩をすくめる。


 真相はまだ遠い。

 しかし結弦には、考え方のヒントを得たことで少しだけ事態が前進したように思えた。


 その『ヒント』をどこで得たのか、結弦はもうすっかり忘れている。

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