教師たち [1636-] 1641

【帝の側近、もとイエズス会イルマン、ペドロの覚え書き。現在は1641年末。回顧は5年前にさかのぼる。】


わたしはイエズス会日本支部のイルマン(修道士)だった。 集団のひとりであって、とくに目立っていたわけではない。 担当していた仕事は、日本から本部への報告を書くことだった。 そのために、日本の資料を集めて読むことも、 本部から届いた文書を読んで西洋の動きを知ることも、仕事のうちだった。


1636年のある日、支部は副王からの依頼を受けた。 大坂城で、満12歳の帝 (Micado) に、西洋文明の基礎教育を与えること。 帝は異教徒だが、この教育の仕事は布教活動ではない。 キリスト教に親しむように誘導するのはよいが、 改宗をせまる圧力をかけてはいけない。 帝にはポルトガル語を習得してもらい、 それがうまくいけば、ポルトガル語で講義すればよい。 ただし、問答には日本語も必要になるだろう。 イエズス会は5人の会士が分担して引き受けることにした。 わたしはそのひとりとして、会の業務命令を受けてやってきた。 わたし以外のメンバーは、その仕事を苦役と感じていたようだった。 わたしには楽しい仕事だった。 それで、だんだんわたしの担当する割合がふえ、 3年めには、わたしが常勤になり、専門家が必要なときだけほかの人を呼ぶ形になった。


生徒は、帝と、副王の息子の Iago 公 (当時は「公」ではなかったが) と、 2人ということになっていた。 副王自身や副王庁の職員がいっしょに話を聞きにくることもあったが、散発的だった。 しかし、実は、もうひとり、いつも出席していた人がいた。 帝の幼いころから養育を担当し、ここでも日本の伝統的儀礼などを教えていた女官、 Xinoしの だった。 Xino はただ付き添っていたのではなく、興味をもってわたしの話を聞いていた。 帝のほうがポルトガル語の習得が早かったので、 講義のあいまには、帝が Xino に日本語で内容を補足説明することがよくあった。 帝にとって、それは苦労を伴う作業だったはずだが、 Xino と知識を共有する喜びが優先して、苦痛に感じなかったようだ。 期せずして、帝の教育は演習つきの講義となり、効果を高めたと思う。 Xino とわたしとは、帝の教育という目標を共有する同僚になった。 日本の歴史や文化を学ぶ日は、役割が変わって、 Xino が計画をたてて、専門家を呼んで日本語で講義をしてもらい、 帝が Iago 公とわたしにポルトガル語で解説してくださるのだった。 Xino は女性としても魅力的だった。 しかしわたしは独身を貫かなければならない修道士だった。


Xino は、伊賀の暫定宮殿で帝につかえる多数の女官のひとりだった。 女官の多くはもと京都にいた公家くげ貴族、一部は江戸の徳川幕府関係者の家から来ていたが、 Xino は伊賀の地方武士団長の子だった。 女官たちは、幼い帝をきびしくしつけていた。 女の帝は儀礼的な役割を果たすが政治にはかかわらないものと想定されていたから、 多くの女官たちは、帝を政治の話題から遠ざけようとした。 しかし Xino はちがっていた。 かるがるしく行動したり発言したりしないようにという点では同様にきびしかったのだが、 政治も含めた世界のものごとについての知識をもつことは積極的に勧めたのだった。


だから、副王が京都の仏教寺院を襲ったとき、 帝といっしょにつかまったのが Xino だったのは、偶然ではなかったのだ。 帝が、勉強のために宮殿を離れる際のつきそいとして、Xino を選んでいたのだ。


伊賀の地方武士団の情勢把握能力は高かったので、 Xino の頭には、起こりうるたくさんの可能性のひとつとして、 イスパニア・ポルトガル勢力と出会う可能性もはいっていたのだった。そして、帝の意向で最小限の人数にしぼりこんだ護衛のうちには同族の有能な兵士たちがいて、副王の包囲網をかいくぐって、伊賀の宮殿と大坂の町に住みこんでいた同郷人たちとに、帝のゆくえと、「副王を攻撃するな、しかし警戒せよ」という帝からの指令を伝えたのだった。


- - - - -

1641年、イスパニア・ポルトガル同君連合が解消したことが日本まで伝わってきた。 イエズス会は、イスパニア王国日本副王庁との関係を、わざと疎遠にした。 交渉の窓口は日本支部でなくマニラ支部とする、といういじわるをしたのだ。 しかし、帝の教育は、副王にかわって帝自身が日本支部と契約して、続けられた。 帝が自分の意志でした最初の契約だったと思う。


授業のほかに、わたしは帝の内密の相談にのることになった。 帝は Iago 公と結婚するかどうか迷っていた。 (帝はすでに Xino には相談していたのだけれど、Xino も判断に困っていたそうだ。) 女帝の結婚を禁止していたルールや、結婚あいてを公家貴族に限る伝統を、 帝自身が最高権威であるという理屈と、キリスト教諸国の前例によって、 打ち破ろうという決意はできていた。 帝の不安は、それまでとらわれの身にあって、 知り合う機会があった若い男は Iago 公ただひとりだったことだ。 わたしは、結婚を急ぐ必要はない、と言った。 だが、帝が、そばにいる相談あいてとして Iago 公を求めていることは明らかだったし、 そうすると、ふたりの感情が異性愛に発展するのも自然なことに思えた。 わたしは、ふたりそれぞれと、また両方と、何度も話をした。 結論は、結婚を進めることになった。


帝はわたしに、イエズス会からの派遣でなく、直属の側近となることを提案してきた。 わたしにとってそれは、すでに、名目を実質に合わせるだけのことだった。


承諾するとすぐに、帝は次の提案をしてきた。

「あなたは、聖職者をやめれば、結婚できますね。Xino と結婚しませんか?」

Xino 自身の意志を反映していることは明らかだった。 Xino も、とらわれの身で知り合った人に決めてよいのか、迷ったが、 「おもしろい話題をいろいろ提供してくれる人」と暮らしたいと思ったのだそうだ。 帝には、Xino とわたしに、それぞれ単独ではなくチームとして 助言にあたることを期待するところもあったにちがいない。


帝はキリスト教に入信したので、Iago 公との結婚はキリスト教の規範に従うものだった。 Xino は入信しなかったので、わたしとの結婚は異教徒間の世俗的なものだった。 宗教の規範による結婚と世俗の結婚の両方を認めることは、 帝の政策の基本方針のうちだったのだが、その法制度はまだなかった。 わたしは法制度づくりにもかかわることになってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る