第7話 新年

 年が明けて、新吉は十七になった。


 大黒屋で年越し蕎麦を食べながら、除夜の鐘を聞き、新年の挨拶をしてから、おせちをいただく。

 遊郭とは言え、一つの御店おたなの跡取り息子である新吉は毎年、遊女や妓夫ぎうにお年玉をあげる側だったが、大黒屋の新吉の他の手代や丁稚達は、旦那様からいただくくお屠蘇やお年玉の餅を楽しみにしていた。もらった紅白のお年玉は、その日のうちに焼いて食べた。それから、一緒にもらった小さな袋には、五文銭が十個入っていた。これで我が子にお年玉がやれると大人の手代達が喜んでいる。


 お年玉とおせちをいただいて、昼前に大黒屋の従業員はそれぞれ、正月休みになる。「六日が始業日」と、大旦那の潮五郎が伝えると、みんなが頭を下げ、ちりぢりに里に帰っていった。


 りさと哲治郎の夫婦は、解散の号令と共にいの一番に幼い息子と娘を抱きかかえ、初詣にでも出かけるようなおめかしでどこかに出かけていった。

 潮五郎が、まるで台風のようにばたばたと出ていった娘夫婦を見て、あきれ顔で溜息をつく。


 新吉も気は進まないながら、荷物をまとめて桃源楼に帰る支度をする。

 新吉が玄関で草履を履いていた時に、華と龍之介がなにか楽しそうに話しながら、勝手口から出て行くのが見えた。

 女中頭のお多江が、お華にりさの振袖を着付けるのだと朝から張り切っていたが、桃色の可愛らしい振袖を着付けてもらったようだ。それに合わせて結い上げられた日本髪に、これでもかと言うほどに挿された簪の小さな桃色の水晶細工が小さく可愛く揺れていて、華やかで美しい。

 そんなお華を遠くで見つめて、新吉は自分の鼓動が早くなるのを感じていた。

「ほんまに大丈夫か? 初詣、旦さんに内緒なんやろ。人混みでしんどなったりせんか?」

「そのために龍ちゃんがいるんでしょ?」

「まあ、そうやねんけどさあ」

 龍之介が困ったように首の後ろをポリポリと引っ掻く。

「一度食べてみたいのよね。あのお寺の振る舞い汁粉。お姉ちゃんが絶品だ絶品だって言うんだもの」

 龍之介に笑いかけて、お華は縁側で草履を履いている新吉に気付いた。

「あら、新吉さん。ご実家にお帰り?」

 お華に声をかけられて、新吉は一瞬、顔がぼっと赤くなったのが自分でも分かった。そして、ブンブンと首を縦に振る。

「そう。そういえば……新吉さんって、ご実家はどちら?」

「吉原……」

 と、言いかけて、新吉は言葉を止めた。

「よ、よ、よ、代々木村で……」 

 と、思わず違う名前が口を突く。

「まあ。代々木村。あそこは武家屋敷が多いでしょう? 兄の友達も、あそこに何人か住んでるそうよ。新吉さんは、老舗しにせ御店おたなの若旦那だって兄から聞いてるけど……。どんなお店なの?」

「え。その、あのう。……くるわ……」

「くるま?」

「車。そう、大八車を作って売ってるんです」

 都合良くお華が聞き間違えたのをこれ幸いと、新吉が大きく叫んだ。龍之介がぽかんとした顔で新吉を見るが、敢えてそれは無視する。

「へえ。大八車。そうそう、大八車と言えば、小石川の療養所でね。怪我した患者さんを、大八車に乗せてくるお商売を始めたお爺さんがいてね。車が揺れて、患者さんの容体が余計に悪くなるから辞めてくれって、先生たちがいっつも怒ってるの」

「あ、知ってるそいつ。馬喰町のタツ爺やろ」

「正解」

龍之介が答えると、お華はその長い振袖で口元を隠し、小さく笑った。

「新吉さん。わたくしたち、今から小伝馬のお寺まで、初詣に行くの。ご一緒にいかがと思ったんだけど……代々木村じゃあ、いくら新吉さんでも今から歩いて帰っても着くのは夕刻かしら。寄り道させちゃ悪いわよね……」

「あ……ああ、そ、そうやな。反対方向やし……」

 小伝馬のお寺など、日本橋の大黒屋から歩いて四半刻もかからない。ゆっくりとしか歩けないお華を連れていても、半刻もあれば充分に着ける。それを分かっている龍之介がお華に同調するので、新吉は少々むっとした表情を隠さないまま、

「実家の仕事が待っておりますので。失礼」

 と、お華にぺこりと頭を下げて、大黒屋の裏口から大通りに出て行った。

「わたくし、新吉さんを怒らせてしまったかしら」

 最後の新吉のむっとした表情に、お華が少したじろぎ、裏口から出て行った新吉を追いかけたが、足の速い新吉の姿はもう見えなかった。

「どうしよう、龍ちゃん。新吉さんが帰ってきたら謝らなきゃ」

「えと……いや、怒らせたん多分俺やから。お華ちゃんは気にせんでええんよ」

 龍之介が、お華の肩をぽんと叩く。

「さ、行こか」

 新吉を怒らせた言葉を考え続けるお華に、龍之介が笑いかける。

「はよ行かな、旦さん帰ってきたら止められるで」

 龍之介は自分の唇に人差し指を当てた。そんな龍之介の愛嬌のある微笑みに、お華も思わず微笑み返して、頷いた。

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