第11話 倉

 相模屋の倉の前を、小さな影が横切る。

 影は、辺りを見回すとカギを開け、中に入っていった。

「母上」

 若様が、その影に声をかける。

「ひ!」

 小さく叫んで、影が振り返った。

「やはり、母上でございましたか……さ。その刀、返していただこう」

 若様が、母が抱えた太刀に手を伸ばす。

「いかぬ!」

「母上!」

「そなたに渡すわけには、いかぬ!」

 母の瞳孔は見開き、肩は小さく震えている。

「いかぬいかぬ。立ち去れ、この太刀はそなたに持たせるわけにはいかぬ」

 母は大きく首を振るのだが、力で息子に叶うわけない。

 あっさりと太刀を奪われ、その場にくずおれた。

「……月夜の使者……とは、そなたなのであろう?」

「……そうですよ?」

 あっさりと、若様は認めた。

「いいじゃないですか。どうせ奉行所に捕まれば、死罪か流罪の極悪人。あたしに斬られても、そう変わりは無いでしょう」

「なぜ、今まで母に申さなんだ?」

「なぜって……聞かれなかったからですよ」

 これもまた、若様はあっさりと言い放つ。

「それよりも母上……奉行所に名乗り出た下手人……母上がご用意なさったのですか?」

「いかにも」

 母は静かに頷いた。

「これで、『月夜の使者』は奉行所に召し出されたのだ。もう、江戸の町に出ることはあるまい」

「……酷いなあ……数ヶ月に一度の、楽しみだったのに……」

義太郎よしたろうのためと心得よ。そなたは心を入れ替え、相模屋の主として、義太郎に跡を引き継ぐのだ。藤吉郎などに、跡目を継がせてはならぬ。お信乃が死んでしまえば、藤吉郎はきっと、そなたとわらわをこの相模屋から追い出す!」

 お信乃より12歳も年上のお円が、お信乃が亡くなった後の自分の身の振り方を心配することに、若様は呆れた。

「わかりましたよ、母上。では、この刀は、この倉にしまっておきましょう。お信乃には刀に飽きたとでも、言っておきます」

 そんなことを言ってもまだ信じられぬと言う母の目の前で、若様は太刀をぐるぐる巻きにして見せた。

「さ。これで……信じられるでしょう?」

 そして、すぐには届かない高い棚の上に太刀を置く。

「母上。参りますよ?」

 若様は、お円を促して、倉の外に出……そして、カギをかけた。



 かくして、江戸の町に「月夜の使者」がでることは、もう……なくなった。

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