第6話 月夜の使者

 藤吉郎と鶴松が寺子屋で刀傷を負ったゴロツキが神田川を流れていた……という噂を聞いてきたのは、お信乃と若様のあいだに義太郎よしたろうが生まれてからまもなくのことだった。

 神田川にはよく遊びに行くから、寺子屋の仲間と二人、藤吉郎は震え上がったが、お奉行所の見立てではゴロツキ同士のケンカの末の殺傷事件……と言うことのようだったし、事件があったのは真夜中のこと。昼間しか遊び歩かない藤吉郎や鶴松には、それほど大事件だという実感はわかなかった。


 二度目に話を聞いたのは、それから2ヶ月も経たない頃。

 今度は、路地裏に刀傷を負った男がうち捨てられていたという。

 今度もやっぱりゴロツキで、奉行所もそいつを追っていたと言うほどの悪党だったから、「もしやこれは、正義の味方が悪党を懲らしめているのでは」と、思った。


 三度目は、二度目の事件から1ヶ月もあかない頃。ついに、大通りで刀傷を負った男の死体が発見された。

 こいつも、やはり奉行所が追っていた男だったから、これで町の人間は皆、「正義の使者が奉行所も追い切れていない悪党を懲らしめるために立ち上がった」と噂した。

 斬った方は謎の人でも、斬られた方は江戸では悪名だかい悪党。そんな噂を聞きつけたどこかの講釈師が「月夜の使者」などという名前を付けて面白おかしく語るものだから、「月夜の使者」は江戸の町でずいぶん、有名な正義の味方になってしまった。

 

 寺子屋で「月夜の使者」の話ばかり聞くので、藤吉郎も鶴松も、「月夜の使者」は正義の味方だと信じて疑わなかった。

 一枚一文(約32円)の姿絵を買い込んだり、「月夜の使者」の歌を歌ったり。寺子屋で使わなくなった半紙をたくさんもらってきて棒を作り、庭で剣術のまねごとをして夕餉の時間まで一生懸命遊んだ。

 お信乃は「そんな物騒な人のマネなどするな」と二人を叱りつけたのだが、若様が「まあまあ」とお信乃をなだめる。

「男の子が力の強いものに憧れるのは仕方ないこと。よその子に暴力を振るっちゃいけませんが、兄弟の中で遊ぶくらい、いいじゃないですか」

 

 若様がそういうので、お信乃も子どもたちを叱ることをしなくなったのだが、そんな中で、また、月夜の使者が現れた。

 ところが、今度は、被害者は生きていた。

「……よ、夜の町を歩いていたら……突然、襲われたんだ」

 息絶え絶えになりながら、切りつけられたゴロツキの矢七がそう言う。

 矢七は確かにゴロツキだが、奉行所にお世話になるような、重い罪を犯したことはない。

「それでは『月夜の使者』ではなく、違う辻斬りが出たのではないか?」

 誰かがそんなことを言ったものだから、江戸の町では悪者を襲う「月夜の使者」と、「月夜の使者」の模倣犯、辻斬りは二人居るという噂で持ちきりになった。

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