第7話 赤鼠 

 聞き慣れない、甲高い笛の音がして、桃源楼の外が急に騒がしくなる。

「御用だ、御用だ」

 意外かもしれないけれど、吉原での捕りものは珍しい。しかも、岡っ引きや同心があんなにたくさん押し寄せてくる捕りものは、あたしは今まで、見たことがなかった。

 何処の捕りものかはわからないけど、たくさんの岡っ引きや同心達は、一軒一軒の遊郭を丁寧に訪ね……何人かの、裸の男達が吉原の街道に引きずり出された。

「……あーあ、可哀相……」

 それを見て、りさが呟く。

「あれ、あたしを探しに来たのよ」

 りさは幾分呆れたように、そしてなにかを諦めたように溜息を吐き、そしてぬしさまを見上げた。

「テツジさん、逃げなよ。それで、明日、奉行所に自首しにおいでよ」

 なにもかもわかったような、そんなりさに、あたしは首をかしげ、ぬしさまは驚いた表情でりさを見つめる。

の頭目……テツジさんだとは思わなかった」

 赤鼠。

 金持ち達から品物や金子を盗んで、貧しい人達に分け与える……そんな盗賊・赤鼠の噂は、吉原にも届いている。

「りさ……お前、いつから知って……」

「貴方のお仲間のゴウさん……あたしを嫁にしたいって、求婚してくれたのよ。そのときに、これをくれた」

 りさはそう言って、ぬしさまに一本の黒真珠のかんざしを見せる。

 確かに高価そうだけど、まだ二十歳にもならない未婚の女の子が付けるようなかんざしじゃない。三十、四十と時を経てこそ、似合う髪飾り。

「これは赤鼠に盗まれた、あたしのおっかちゃんの形見なの」

 その黒真珠のかんざしに、見覚えがあったんだろう……ぬしさまは、「ああ」と呟いて、肩の力を抜いた。

「そのときに……貴方やゴウさん、バクさんが赤鼠なんだって、気づいた」

「そうか、すまなかったな。お前の手元に返ってくるとは……」

 りさの髪にそのかんざしを挿し返すぬしさまの胸に、りさの小さな身体がぴったりとくっついた。

「好きな人がお縄頂戴するところなんて……見たくないよ。さち香さんは、あたしがお奉行所に連れていく。今日、井口屋さんを襲ったのは赤鼠じゃないし、あたしやさち香さんを拐かしたのも、テツジさんじゃない。ちゃんと、そう言うから」

「りさ」

「お縄をかけられるなら、あたしの見てないところでやって頂戴」

 ぬしさまはりさを抱きしめ、顎を持ち上げて、顔をじっと見つめた。

 やめて。

 やめて。

 やめて。

 心の中で、何度も、何度も叫ぶ。

 だけど……。ぬしさまは、りさと唇を重ねる。

 心底、りさのことが愛おしそうに、その頬や唇に手を触れて何度も撫でて……そして、空に浮かぶ満月を見上げてから……あたしを、見つめた。

「ごめん、今日は満月だった……」

 それだけ言って、ぬしさまは布団部屋の窓に足を引っかける。

「りさ! さち香のこと、頼む!」

 りさにそれだけ言って、ぬしさまは布団部屋の窓から飛び降りた。


 群青色の空にぽっかりと浮かぶ、黄色い満月。

 その満月の光を浴びて、毎夜輝く吉原の街に、ぴいぴいと……。

 赤鼠を探す、笛の音だけがあたしの耳にこだました。

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