第6話 りさ

 年が明けて弥生には、あたしは桃源楼の二番花魁になることが決まった。

 ぬしさまと「恋人」で居られるのも、もう、あと少ししかない。


 ぬしさまが、佐平くらい金持ちだったら……そんなことを、時折考える。

 ぬしさまがあたしを身請みうけして、あたしと、ぬしさまと、ぬしさまの娘の三人で、江戸の街で暮らす。ぬしさまの娘は年があんまり離れてないあたしのことを最初は嫌うだろうけど……多分、弟か妹が生まれれば、きっと可愛がってくれるだろう。


 だけど……

「次の満月にな」

 そう言ったぬしさまは、次の満月には……来なかった。


 代わりに、可愛い女の子が、来た。

 いつもぬしさまと逢う布団部屋で、あたしはかがに木の棒で打たれていた。

 見てしまった、あの薬の中身……。

 かがが、あの薬を開けて、煙管に入れて吸うところを、見てしまった。

 あからさまに顔つきが変わっていくかがが恐ろしくて、思わず声を上げた。


 いつから、変わったんだろう?

 初めて姐さんに渡したのは喉と胸の薬だった。姐さんがあたしの目の前で飲んだから、きっと間違いない。

 いつ? いつから??

 かが水に引き摺られながら、あたしは心の中で必死で、ぬしさまを呼ぶ。

 助けて、助けて、助けて……!

 

 がつんと大きな音がして、打たれるのが、止まった。


 驚いて上を見上げると、あたしを打ち据えていたかが水が、立ったまま白目を剥いている。

 やがてゆらり、ゆぅらりと、かが水のやせてギスギスしているからだがゆれて、あたしの足元にどさりと倒れ込んだ。

 おもわず、大声を上げそうになったあたしの口を、女の子が塞ぐ。

「驚かないで、叫ばないで。ここに居るの、バレちゃう」

 女の子はそう言って、月明かりが差し込む窓を見上げる。

「どちらさんでありんす?」

 その女の子は……あたしと同い年くらい。多分、振袖新造だ。女のあたしですら見惚れてしまうくらいに、綺麗な顔をしている。だけど、桃源楼では見たこともない。

 それなのに……その子は、あたしの着物を着ていた。

「あたしは、

 女の子は、短く、名前だけ告げる。

「ねえ、あなたもしかして……さち香さん?」

 女の子の質問に、あたしはちょっと驚いて……だけど、「さいざんす」と頷いた。

「今までどこに居たのよ! あなたのせいであたし、テツジさんにかどわかされてこんな着物着せられて……もうちょっとで、井口屋のデブ親父に口づけされるところだったんだから!!」

 矢継ぎ早に責められても、あたしにはなんのことか、わからない。

 興奮して、言葉も途切れ途切れなりさの話を総合した結果、あたしはかが水にとらわれて、桃源楼では神隠しに遭ったことになっていた。

 一方で、りさと【テツジさん】は、の痕跡を追っていた。そして、この桃源楼にその手がかりがあると知る。桃源楼では、あたしが居なくて困っていた。それで、そのの手がかりとやらと引き替えに、りさがあたしの代わりに新造としてお座敷に出ることを【テツジさん】が親父様と勝手に契約してきた……。

 ザックリと言えば、こういうことらしかった。

「あたしの着物返して! お気に入りなの」

 着物を返してと言われても、いま、りさが着ているのはあたしの着物で、「返して」と言いたいのはこっちの方だ。

 それよりも……。

「テツジさん……って……覆面の?」

「知ってる? 覆面のテツジ。あたしの恋人なの」

 りさが、照れもせずにそう言う。

「……恋人って……」

「いきなり、あなたの代わりに新造になれって言われたのはビックリだったけど、ほら、恋人のお願いは聞いてあげたいし……『りさは必ず、俺が守る』って言うからぁ」

 

――娘と野菊以外の女は好きにはなれない。


 ぬしさまはそう言った。

 あたしを恋仲にしてくれたのだって、「花魁になるまで」、「満月の日だけ」という期限があったからだ。

 病気がちの娘が無事に嫁に行くその日まで、誰とも恋はしない……。

 ぬしさまは、そう言った。

 だから、あたしはキッとりさを睨み付ける。

「そんなわけがありんせん! テツジの旦那は、あちきの……」

 そのとき、大きな音がして、布団部屋のふすまが開いた。

 急に光が差し込んで明るくなった布団部屋に、大きな影が出来る。りさは慌ててあたしに覆い被さり、二人で息を止めた。大きな影が、ゆっくりとこちらにやってくる。

「誰だ!」

 大きな声がして、もう一つ、大きな影が布団部屋に現れた。

「ああ! まつり。俺だ、俺!」

 その声に、聞き覚えがあって、あたしとりさは顔を見合わせる。

 大きな影同士も、顔を見つめ合った。

「だれだ、知らん」

 大きな影の、幾分小さい方がそう言って、大きい方につかみかかって、投げ飛ばす。

「お、お、おい! まつりってば!」

 投げ飛ばされた男が、ちょうど、あたし達がいる布団の方に飛んできた。

 りさが、大きな悲鳴を上げる。

「……!」

 聞き覚えのある声は、ぬしさまだった。

 顔にいつもの布が、ない。

 綺麗な……本当に綺麗な顔。

「ぬしさま!」

 あたしは思わず、ぬしさまにすがりつく。

「え、さち香!? こんなところに居たのか!?」

 だけど、妓夫頭ぎうがしらのまつりがこっちに迫ってくる。

「ぬしさま、後ろ!」

 あたしが叫ぶと、ぬしさまはまつりとお互い、二の腕をつかみ合った。

「まつり……俺だ、テツジだって……言ってるだろう!」

 だけど、興奮したまつりは、ぬしさまの声など聞いてない。ぬしさまの背後に回って、ぬしさまの首をその太い腕で締め上げた。

「やめ、やめろ、まつり!」

 そう叫ぶぬしさまの息が詰まっていく。

「まつり、やめて、やめ……」

 そう言いかけたとき……ぬしさまのからだが、後ろに倒れた。

 ドスンと大きな音がして、まつりの頭が床に打ち付けられる。

 身体が大きい分、二人とも、身体の重さはそうとうなものだっただろう。大きな男の二人分の体重をもろに後頭部に受け、まつりは白目を剥いて失神していた。

「テツジさん!」

「ぬしさま!」

 二人同時に、手を伸ばす。

 だけど……ぬしさまが手を取ったのは……りさのほうだった。

「りさ、お前、なんでこんなところに居るんだ。探したんだぞ」

 空に浮いた自分の手を、あたしは眺める。

 りさを抱きしめる、ぬしさまを見つめた。

「こんな派手な着物じゃうちに帰れなくて……おとっちゃんが心配しちゃう。だから、着物を返して貰おうかと思って……」

 それから少し考えて、りさは「お姉ちゃんの着物、借りて帰ればよかった」と呟く。

「そうだな。正解。一人でよく考えました」

 ぬしさまは心底呆れたように、りさの頭を撫でた。

「だが、さち香を見つけてくれたんだな」

 ぬしさまがやっと、あたしに視線を戻す。

「あのおばさん、こんなのでさち香さんのこと叩いてたから……そのぅ……」

 そういって、りさはさっきかがから取り上げた木の棒を、ぬしさまに手渡した。ぬしさまはその棒と、意識を失ったかがを見つめた後、りさに微笑みかけた。

「そうか、さち香を助けてくれたんだな。ありがとう、りさ」

 その顔は、あたしに向ける顔とはまるで違う。

 野菊姐さんに向ける顔はいつも汚い頭巾で覆われていたけど、でも、りさを見つめるその優しい瞳は、野菊姐さんに向けるそれと、良く似ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る