第4話 赤鼠

 江戸で三番目だか四番目だかに大きな御店おたな、布団屋の田村屋が賊に襲われた……という話が江戸のあちこちで持ち上がったのは、それから十日も経った頃だった。


 その手口は実に鮮やかで、家人が蔵の鍵を開けようと南京錠を外そうとしたところ、鍵が壊れていて、蔵がすでに開いている。これはどうしたことかと蔵を開けてみても、何も盗まれた形跡がない。丁稚が蔵の鍵を壊してそのままにしたのかと、丁稚を叱ってみたのだが、蔵にはもう四日も立ち入っていないという。では何が盗まれたというのだと、首をかしげていたのだが……。


 店の手代がよく買うという夜鷹の女が、やたらと美しい身なりをして、こどもを連れ、昼の町を歩いていたという。馴染みの手代が呼び止めて、女を買おうと話しかけたが、女は「金が出来たのでもう夜鷹はやらぬ。居酒屋に奉公先が見つかったので、そちらで住み込みで働く」と返してきた。

 その手代は三人、四人の夜鷹と馴染みだったが、そのすべてが同じように返してくる。ついには、貧乏長屋に住んでいた一家までもが、「家の前に小判が一枚、おいてあった。これだけあればこの長屋とおさらばして、違う長屋に引っ越せる」などと言って、小さな手ぬぐいに家財とも呼べないような、椀と箸を詰め込みはじめたので、その手代はもう一度、御店の蔵を調べた。

 そこでやっと、蔵の、奥の、奥にしまった家宝の紅玉で出来たネズミの置物がなくなっていたことを知る。それどころか、女将の真珠玉の簪が三つほど、無くなっていた。


 それが、賊に入られてから六日目のこと。

 七日目の朝早くに北町の奉行所にやっと届け出たものだから、田村屋の亭主は北町奉行名代、澤山忠直に頭ごなしに怒鳴りつけられた。

 いくらお奉行様とはいえ、還暦をとおに超え、古希を迎えようかという年になって、二十歳そこそこの若者に頭ごなしに怒鳴りつけられ、田村屋ははらわたも煮えくりかえる気持ちで奉行所を後にする。


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 そうして田村屋が自宅の蔵の盗難にあったと被害届を出した五日後……紺の作務衣に覆面姿の哲治郎が、里のお伝を訪ねた。

「……お伝」

「おや、川男かわおとこ

 川男と呼びかけられた哲治郎は、困ったようにお伝に微笑みかけて、辺りを見回す。

「お伝、ひとりかい?」

「みんな、子を連れて里を去った。赤鼠あかねずみさまのおかげじゃ」

 お伝はそういうなり、懐から小判を一枚取り出して、「なんまんだぶ」を何度も唱える。

赤鼠あかねずみとは、なんだ?」

 哲治郎が、お伝に訊ねる。

「知らぬのか。巷を騒がす義賊、……一番最初に盗みに入った御店で、紅玉のネズミの置物が奪われたそうでな。それで、街の者はその盗人を赤鼠……とよんでおるそうだ」

「なるほど」

 自分から訊ねておいて、哲治郎はもうすでに盗賊・赤鼠への興味を失った。

「お伝は外の街には行かないのか」

 だが、ふと川の土手を見ると、小さな赤ん坊を抱いた年若い女が一人、疲れ果てた様子でこちらを見ている。

 お伝はただ、「」と呟くのみ。

「……お伝は、外の世界には出られそうにないな」

 哲治郎が、クスッと笑ってお伝を見つめた。

「でんでら……」

 新しく里を訪ねて来た女が抱いた赤ん坊を抱き寄せて、お伝がそう、呟く。

「川男、お主こそが本当のでんでらじゃあないのか」

 陸馬と同じことを、お伝が訊ねた。

「そうかな……そうかもしれぬ」

 哲治郎は微笑むと、お伝に「もう、二度と来ぬ」と言い残して、里を後にした。



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 それから……四年の月日が、流れようとしている。

 お伝の里には赤いネズミの絵と共に、ひとつきおきに1枚ずつ、小判が届いていたのだが、ある日を境にそれもとんとなくなった。

 お伝は相も変わらず、里で子守をして暮らしている。

 吉原から……それを眺める男がいた。

「旦さん、何してはりますねん」

 赤い髪の毛をした、ソバカスだらけの少年が、男に声をかける。

「いや……なんでも……ああ、龍。悪いがあのおばばに、この小判、届けてくれねえか」

 男はそう言って、懐の財布から小判を取り出し……ふと、何か思い立って、その小判を包んだ懐紙に、「でんでら」と書き添えた。

「なんやねん、でんでらて」

 少年は笑いながら小判を受け取り、川縁かわべりの里へと降りていく。


 お伝は突然現れた赤い髪の少年に驚き、戸惑いながら……少年が差しだした包み紙を、恭しく受け取る。

 そして、包み紙の文字を見て……土手の上を見上げた。

 背の高い男が、そこに居る。

「でんでら!」

 お伝が土手の上の男に声をかけたが、赤い髪の少年が男に近づくと、男はお伝の声など耳にも届かないかのように、踵を返して立ち去ってしまった。


「おでん、それ、なんじゃ」

 四歳になる辰吉が、お伝がもつキラキラ光る小判に目を輝かせた。

「でんでら様のお恵みじゃ」

 お伝はそうとだけ言って、「今晩の飯は豪勢じゃ」と、辰吉の頭をその枯れた手でくしゃっと撫でる。



――お大尽様方はあんな良い料亭で、毎夜毎夜飲み明かす金があるんだ……ちったあそのお金、こんな子ども達に分けたって……罰は当たんねえんじゃねえんですかねえ……


 翌月から再びお伝の里に、一ヶ月ひとつきごとに一枚ずつ、小判が届くようになった。 

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