首縊りの縄

南枯添一

第1話

 後に石堂家縊死事件いしどうけいしじけんとして知られることとなる、いささか薄気味の悪い出来事が起きたのは、夕刻にはまだ少し間のある午後遅くのことだった。

 そのとき、石堂家当主の義一郎ぎいちろう氏は、庭にいた手伝いや清掃会社の社員と挨拶を交わしてほこらに入っていった。

 祠というのは、石堂家代々の守り神を祀ったやしろのことで、床は高床式で、屋根は合掌造り、真四角の箱のような建物だから、お祭りの御輿を想像した方がイメージが湧く。床は先も述べたように正方形で一辺が2メートルに満たない小さなものだった。

 中は空っぽで清潔だった。既にご神体やその他諸々、あるいは神域を物置と間違えてるんじゃないかと思えるガラクタの類いは全て運び出された後だった。更に清掃会社の人間が、プロの技術で持って、煤を払い、汚れを落として、磨きを掛けたばかりだったのである。

 義一郎氏はそのとき、某ファストファッション謹製のTシャツにステテコ姿だったと言う。旧家の当主としてはあんまりな格好だが、元から氏は小柄でやせっぽちの、かなり貧相な容貌の主で、妙に力んだ着流し姿なんかより、よほど似合っていたそうだ。

 立ち話を終えた氏は、小さな階段を上がって祠に入り、一つしかない扉を内側から固く閉ざした。そうして、二度と出てこなかったのである。

 祠の上空にはほぼ中央を過ぎるようにして、一本だけの梁が走っていた。〝名探偵〟はそれを見上げて、

「あれに縄を掛けて首を吊っていたと言うんだね」

「そのとおり」と僕は答えた。「まあ、首を吊りたくなるのも解るさ。この祠を見てごらん。これは取り壊しの準備なんだ」

「取り壊す?この祠をかい?」

「そうさ。神様というのは色々と面倒でね。ここ神様は元々石堂家の守り神だったそうだが、そんな神様でも、社を壊すとなると、まず引っ越しをしてもらわないとならない。その上で、あちらの役所に認可をもらい、こちらの団体に申し出るといった具合さ」

「そうまでして取り壊すのは経済的な事情なんだね」

「石堂家は神君家康公程度は遙かに通り越して、平清盛がどうしたこうしたとか言う旧家なんだが、昭和が終わる頃からずっと不景気でね。殊に義一郎氏が当主になってからは完全に左前になった。固定資産税のこともあるから、こんなだたっ広い庭なんか持ってられない。切り売りしかないと言うんで、まずは邪魔な神様に引っ越してもらうことになったのさ。もっとも、買ってくれる誰かはこれから探すみたいだが」

「なるほど。首を吊りたくなるわけだ。で、何が不可解なんだね」

「縄だよ」

「縄?」

「義一郎氏がどうやって首つりの縄をここに持ち込んだかが、分からないんだ」僕は床の中央を指差して、「義一郎氏が遺体で発見されたとき、この祠にあった家具らしきものと言えば、氏が踏み台に使った脚立だけでね。縄なんてものがなかったことは徹底的な掃除を終えたばかりだった清掃会社の社員が揃って証言している」

 名探偵は腕を組んで、「縄というのは?」

「直径2センチほどのコットン製でね、長さはおよそ3メートル。登山に使うザイルとは違うが、強度は似たようなものだ。かなり固くて、思うよりずっと嵩張る」

「義一郎さんは軽装だったそうだね」

「うん。手荷物もなかったから、隠せるところなんてない。ロープだから細く伸ばして、腹に巻き付けて、その上から羽織ったシャツで隠していた可能性は理屈の上では残る。ただ、事実上は不可能だろう。Tシャツ一枚のことだからね。立ち話をした数人がロープに気付かないなんて、あり得ない。付け加えるなら、素肌に太い縄なんかを巻いたなら、確実に痕が残るはずだ。遺体にそんなものはなかった」

「仮にそうだったとしても、今度はなぜそんなことをしなければならなかったのか、に疑問が移るだけだね」と名探偵はつぶやき、「義一郎さんは、取り壊しに反対だったとか?」

「いや。言い出したのが彼なんだ。そうでなくても、神秘的に死んでみせることで、この祠を守ろうなんて言うレベルの思い入れが、義一郎氏にあったとは考えにくい」

 名探偵は梁を見上げて、

「この家の守り神だそうだね。何か、謂われでもあるのかい?」

「古い家柄だからね。真摯に願うなら、それがどんな願い事でも、生涯に一度だけは叶えて下さる、有り難い神様なんだそうだ」

「なるほど」と名探偵はつぶやき、「そういうことか」

「ん?」

「わかったよ」と名探偵は腰をポンと叩いた。「これさ」

「これ?」

「ステテコだよ。君は巻き付け説を唱えて、自分で反論して見せた。けれど、君の反論は巻き付けた位置が腹でなく腰だったなら機能しない。ステテコは元からダボダボに着るもので、その下の状態が分かりづらい。しかも、シャツの裾で二重に隠される。更に、ロープが巻かれるのはブリーフの上からだ。素肌じゃないから痕が残っていなくても不思議じゃないだろう」

「うーん」と僕。「では、君が言った、なぜ、義一郎氏はそんなことをしなければならなかったかは?」

「裏の裏で、実は義一郎さんはすごくこの祠に思い入れがあったでいいんじゃないか」名探偵はニヤリと笑った。「あるいはここを掘り返したら何か出てくるとか」

 その笑顔にピンときた僕は、

「おい。何かあるな。隠すなんてひどいぞ」

「実はこの祠の謂われを聞いて、一つ、僕も真摯に願ってみたんだ。この事件の真相をお教え下さいって」

「……」

「その途端、パッと閃いたのさ。義一郎さんは首を吊るためのロープが欲しいと願ったんじゃないかとね」

「そうしたら縄が出てきたと。バカバカしい」

「そうかな」

「第一、そんな奇跡がこの祠に起こせるんなら、どうして死ななくちゃならない」

「生涯一度って君は言ったぜ。人生の窮地にあって、一度ッきりの願いをそんなものに使ってしまったのなら、首くらい吊りたくなると思わないか」

「それはそうだが…」

「疑うんなら、君も試してみたらいい。ただ、言っておくが一度きりだからね」

「……」

「僕は〝名探偵〟の自分に結構満足してるから、願いと言っても、面白い事件くらいでね。これを願うのはさすがに不謹慎だろう。だから、無駄にしてしまったようだが、別に後悔はないよ。けれど、君なら何を願う?」

 そう言って彼は行ってしまった。残された僕は天井を眺めた。

 え?生涯一度ッきりの願い?

 なあ、君たち、君たちなら何を願う?

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