幻の餃子

トファナ水

幻の餃子

「確かに旨いが、何か違うかのう……」


 シャンデリアが吊され、窓から湖が見える豪奢な洋室で、齢九十五になる老人は昼食を食べ終えた感想を漏らす。


「また、違う店を当たってみてくれんかね」

「承知致しました」


 僕は一礼し、食べ終えた食器を乗せたワゴンを押して退室した。


 ここは静岡県浜松市にある、富裕層向けの高級老人ホームだ。

 元はバブル末期に建てられたリゾートマンションで、入居者がないままに不動産会社が倒産。債権者の管理物件として長らく放置されていたのを、十年程前に格安で入手した福祉系企業が改装。高級老人ホームとなって現在に至る。

 多額の入居費を必要とする代わり、高級ホテル並の快適な環境と医療サービスが備えられている。

 入居者は残り少ない人生の潤いの為ならば、全く出費を惜しまない。首尾良く要望をかなえる事が出来れば、多額の祝儀を個人的に渡される事もある。

 職員は介護施設の職員というより、ホテルマン、もしくは富豪に雇われた召使いの様に入居者の要望に従う。

 そして、僕もそんな従業員の一人であり、担当する老人の我が儘に振り回されていた。

 我が儘と言っても、今回は大した事ではない。終戦直後に食べた、思い出の味を死ぬ前にもう一度味わいたいというのだ。

 思い出の味とは、闇市で売られていた餃子である。

 ここ浜松は餃子が名物であり、まずは地元の店の物を全て試してもらったが、どれもが違うという。

 宇都宮等、餃子で有名な他の地域にも足を運んで取り寄せてみたが、やはり老人にはお気に召さない様だ。

 中国の餃子は日本のそれとは異なるそうで、まずは写真を見せてみると「こういう物ではない」と返事が返って来た。

 何とか手がかりがない物か。

 老人は戦地から引き揚げて来た折、上陸した舞鶴港の闇市でそれを食べたという。

 そこで、現地で老人と同年代の人達に覚えがないか当たってみる事にした。



*  *  *


 早速、出張の申請をして現地へと向かう事にした。

 都合のいい事に舞鶴市にも、うちの福祉企業の傘下にある老人ホームがあるので、そこの入居者を当たってみる事にした。

 僕の勤務しているここと違い、比較的廉価(それでも入居に一千万は必要だが)な処で、定年で帰郷してきた人を含めて地元民が多い。聞き込みには都合が良かった。

 幸い、入居者の中に当時の闇市の状況を覚えていた人を首尾良く見つける事が出来た。闇市でも餃子の店はただ一つだったそうだ。

 餃子という料理は、満州引き揚げ者が現地から持ち込んで日本に広めた物で、終戦当時の日本ではあまり馴染みがなかったという。


「あの頃は肉っけが乏しかったからねえ。旨かったよ、あれは」

「その餃子屋さん、状況が落ち着いた時分にお店を構えるなりしたんでしょうか?」

「ああ、それなら…… 今は孫の代だよ。今は、どこでも食べられる様な物だけどねえ」

「本当ですか!」


 足を運んだ甲斐があったという物だ。

 僕は喜び勇んで、教えられた餃子店へと足を運んだ。



*  *  *



 港の側にあるその餃子店は、そこそこ賑わっていた。

 外観も内装も、どこにでもある大衆向きの店といった感じで、あえて言えば客には海運関係者が多いのが特徴だろうか。

 昼時だというのに大ジョッキをつけて注文する客が多いのも、場所柄の内だろう。

 自分もそれにならい、空いていたカウンター席に座り、餃子を二人前と中ジョッキを頼む。


「へい、御待ち!」


 食べてみると、ニンニクがよく効いていて食が進む。ビールのつまみには丁度いい。

 昼の閉店まで三十分を切りラストオーダーを締め切った処で、手が空いて来たのを見計らって、店主に話しかけてみた。


「この店、随分長いと聞いたんですけど。その辺、詳しく聞かせてもらえませんか?」

「ええ、ずっとここでやってますけどね。うちは、雑誌掲載とかは御断りしてるんですよ」


 店主はそっけなく答える。取材と勘違いされた様だ。


「ああ、いえ。僕は素人で……」

「ブログとかに書くのも、なるべく御遠慮頂きたいんですけどねえ。そういうの見て、人がわさわさ来ても困るし」


 宣伝しなくても客が見込める様な、労働者の胃袋を満たす為の店なので、メインの客層以外にむやみに知られるのはありがた迷惑という事なのだろう。

 はっきりと事情を話してみる事にした。


「いえ、終戦直後に、お爺さんが舞鶴の闇市で食べた餃子を、死ぬ前にもう一度食べたいと言ってて。この店がそうじゃないかと思ったんですが」


 ”お爺さん”と言ったのは、他の客もいるこの場で、込み入った説明をしたくなかったからだ。老人という意味で使ったのであって、僕の祖父という意味ではない。

 僕の説明に店主は手を止め、じっと僕の顔を見て来た。


「休憩時間に、もう一度来て下さい」

「わかりました…… ご馳走様です」


 僕は勘定を払い、とりあえず店を出た。



*  *  *


 昼の閉店後、午後三時を廻った頃に、僕は再び店を訪れた。


「最初に言っておきますが、当時の餃子をお出しする事はもう出来ません」


 店内に通された僕に、店主から出たのは断りの言葉だった。


「当時の、というと、作り方が違うのですか?」

「ええ。特に材料です。当時は真っ当な肉なんて使えませんからね。そんな物でも御馳走だった訳ですよ」

「そうですか……」


 闇で食肉として出回っていた様な”真っ当でない肉”となると、犬やら猫やらネズミやらという辺りか。

 確かに客に出す様な代物ではないが、あえてという事であれば入手も容易だろう。


「戦後、食糧難の時代です。闇市は不足する配給を補う”必要悪”だった事はわかりますよね?」

「ええ、それは勿論」


 当時を生きた人の大半が、闇市で売られる食糧で命をつないだのだ。それに従事していた事を責める様な人は、今も昔も殆どいないだろう。

 闇市で出店していた経歴を明らかにしている著名人も多くいる位である。今更、恥じる様な事ではないと思うのだが、その辺りは人それぞれだ。むしろ、自分が直接関わっていない分、店のルーツが非合法の商売という事を隠したいと思うかも知れない。


「隠しておきたい過去という事でしたら、触れ回る様な事は決してしないと御約束します。私は、先が短いお爺さんに、思い出の味を食べさせてあげたい。それだけなのです」

「ああ、そういう事ではなくて…… ”特殊肉”というのを御存知ですか?」

「一応は。でも、そういった物なら、今でも手に入るのではないでしょうか?」


 特殊肉とは、日本では食習慣が乏しく、業務用としてわずかに流通する肉の事である。

 例えば鳩、ウサギ、ダチョウ等々。

 海外では普通に食べられているのだが、手に入れるのは難しい為、専門に扱う流通ルートがある。うちの施設の厨房でも、入居者の要望でその様な肉を扱う事があるのだ。

 そういう物で、当時の日本でも比較的ありそうな物だとすると、ウサギ辺りだろうか。

 農家が副業でアンゴラウサギを飼っていたというし。あれは毛を取る為の品種だから、寿命で死んだ物が食肉として闇市に流れてもおかしくはない。

 今でも出回っている様な物であれば、老人の食卓に供するにも問題ない。


「少々高くても、お金さえ払えば手に入るのですよね?」

「ええ、まあ…… でも、真っ当な業者さんではない物で……」

「え?」


 店主は口を濁す。

 真っ当ではないとなると、合法的には扱えない物。つまり、天然記念物、絶滅危惧種等の密猟品だろう。

 富裕層の好事家が、その様な物を密かに買って食べているというのは、都市伝説の類ではなかった様だ。


「親父の代までは、祖父の頃の味を懐かしむ昔馴染みの常連さんがいましたので、裏メニューとしてやってましたが。私の代ではやっていないという訳です」

「そうですか……」

「そちらの事情が事情ですから御話ししましたが、そういう訳ですので御引き取り願えませんか。私は、そっちの筋と関わりたくないのです」

「ではせめて、レシピと肉の入手先だけでも教えて頂けませんか」


 店主は少し考え込むと、厨房の奥から古びたノートを持って来て、僕に差し出した。


「これは?」

「初代が書いていたレシピです。その中に、当時の餃子の作り方と、肉の仕入れ先が書いてあります」

「有り難うございます!」


 僕は店主の好意に頭を下げたが、彼は深く溜息をついて迷惑顔をした。

 非合法な裏メニューの事は、知られたくない過去だったのだろう。あえて話してくれたのは、過去の清算か、それとも闇市時代の味を懐かしむ老人に対する、最後のサービスなのか。


「私に代が変わって十年以上、先方さんとは関わってない物で、今はどうか解りませんよ。そちらは差し上げますから、うちには以後、関わり無い様に御願いします」


 僕は、店主に追い出される様に店を後にした。



*  *  *



 浜松に戻り、寮の自室でノートを読んでみる。そこには餃子のレシピと、名古屋のとある雑居ビルの住所が書かれていた。

 レシピの方を見ると、特に変わった作り方ではない様に思う。

 ただ、皮の材料は米国から個人輸入していた様だ。闇市では米軍横流しの小麦粉を使っていたのを、同じ味にする為にわざわざそうしていたらしい。

 最近の米国は、栽培する小麦の品種が、遺伝子組み換えされた物に変わってしまっていると聞いた事がある。当時と同じ品種を使った小麦粉を探す必要があるだろうが、そちらはそれ程難しくはない様に思う。

 肝心な肉は、種類を表すと思われる符丁で書かれている。これだと何の事か解らないので、件の業者に尋ねるしかない。

 パソコンを開き、インターネットで店名を検索しても該当がない。ノートに書かれていた電話番号も不通になっている。

 とりあえず翌日、東名高速を使って車で名古屋へ行ってみる事にした。



*  *  *



 カーナビの指示を頼りに名古屋の現地へ向かう。

 この辺りは昭和二十年代半ばから三十年代の復興期に建てられた、低層のビルが多い。

 たどり着いて見ると、精肉卸の看板が掲げられた四階建のビルがあったが、シャッターは閉まったままだ。何か張り紙がしてある。

 僕は店の前に車を止めて降り、張り紙を確かめてみた。

 そこには、件の精肉店が倒産した事、建物が金融業者の占有物件となっている事が、弁護士と金融業者の連名で書かれた張り紙がある。日付を見ると、二年程前だ。


「手がかりが消えたか……」


 この債権者に問い合わせても、恐らく何も解らないだろう。

 全くの行き詰まりだ。

 僕は途方に暮れたがどうしようもなく、とりあえずは戻る他に無かった。再び車へと乗り込む。

 丁度、浜松インターを降りた辺りでスマートフォンが鳴る。番号は非通知だ。

 とりあえず出ると、しばらくぶりの悪友だった。


「久しぶりだな」

「何だ、お前。出て来たのかよ」


 こいつは中学の元同級生で、当時はよくつるんで悪さをした物だ。

 僕は高校へと進んだのだが、あいつの家は進学する金がなかったとかで、地元の餃子店で働き始めた。

 僕も時々行ったが、安くて旨い店だった。

 だが、何分にも中卒の見習い店員なんて薄給なので、あいつは副業で競艇のノミ行為を働いていた。店の常連だったヤクザに持ちかけられたのである。

 競艇場も近く、インターネット投票もある御時世にノミ屋なんて成立するのかと思われるかも知れない。だが、ノミ屋は正規の舟券よりもオッズが良く、ツケも効く為に根強い需要がある。勿論、ツケが払えなければ厳しい取り立てが待っているのだが。

 ノミ屋に手を染めたあいつの収入は倍増し、分不相応に振りが良くなった。

 当然、餃子店の店主にもばれる訳だが、あろう事かノミ屋の客として抱き込んでしまう事で難を逃れたのだ。

 だが悪い事は続かない。とうとう客共々に警察に摘発され、あいつは懲役。店主も摘発対象となった為に、餃子店も閉店となってしまった。

 裏にいた暴力団には手が廻らなかった。あいつはいざという時の「トカゲの尻尾」として、主犯として罪を被る為に雇われていたのである。


「悪いけど、浜松駅まで迎えに来て欲しいんだわ」

「わかった」


 餃子店の店員だったのだし、末端でも裏社会の人間である。

 なにか聞けるかも……

 僕は淡い期待を抱きながら、車を浜松駅へと向けた。



*  *  *



 浜松駅の南口ロータリーに行くと、坊主頭にアロハシャツの、いかにもチンピラ風の三十男がこちらの車をみつけ、缶を握った手を振ってきた。

 

「よっこらしょっと」


 悪友は車に乗り込んで来ると、額の汗を拭って缶の残った中身を飲み干す。

 ビールである。


「昼からビールか?」

「いいじゃねえか、二年振りのシャバだもんよお」

「んで、どこ行く?」


 こいつの両親は既に他界しており、収監される際に住んでいた公営住宅も引き払った。

 拘置所に面会に行った時に頼まれ、退去の手続きやら荷物の処分は僕がする羽目になったのだ。

 職場も潰れており、彼には行く場所がないのである。


「荷物、とっとけと言われた物は貸倉庫に入れてあるけど、これからはそこに寝るのか?」

「馬鹿言えよ。とりあえず、ウイークリーのワンルームでも契約して、後の事はゆっくり考えるわ」

「金あるの? ノミの売り上げって、お上に没収されたんだろ?」

「ああ。けど、組が”手切れ金”って百万くれたわ」


 とかげの尻尾なだけあって、正規の構成員と違って足抜けもあっさりした物である。その百万が、諸々の口止め料である事は言うまでもない。

 差し当たり、当座の生活費はある様だ。


「鰻でも食う? 出所祝いに奢るけど」

「いいねえ!」


 僕は悪友を飯へと誘い、行きつけの鰻屋へと車を向けた。



*  *  *



 最近は餃子が有名だが、鰻も浜松の名物である。

 近年は養殖業者が大分減ってしまい、近隣の愛知県一色の方にお株を奪われつつあるが、それでも市内にはまだまだ鰻屋が多い。

 人と食事をしながら込み入った話をする時、座敷のある鰻屋は便利なので、高級老人ホームの従業員として僕もそういった店を心得ている。

 入居相談や、入居者、特に認知症が出ている人の家族への状況報告。要は施設内で話しにくい”商談”の場として使う訳だ。


 二階の奥座敷に通されると、僕は特上の鰻重を二人前頼んだ。


「うわっ、景気いい!」

「経費だよ、経費。領収書は取るさ」

「職権濫用だなあ」


 とりあえずは、とりとめもない雑談に花が咲く。

 三十分程で出て来た鰻重に舌鼓を打ちながら、僕は話を切り出した。


「んで、これから仕事とかどうする訳? 調理師免許があるんだから、そっちに戻るとか」

「前科持ち雇う店なんて、そうそうねえよ」

「……何とか、なるかも知れないけど」

「お、口がある訳? 聞かせて?」


 うちの施設では丁度、調理担当が近く退職する事になっていて、後任がまだ決まっていない。あの老人に出す餃子をこいつに造らせて、気に入ってもらえれば、後任に推す事も可能だろう。

 僕は、入居者の一人が、終戦直後に闇市で食べた餃子を懐かしがっている事を話した。


「餃子か。任せとけ、と言いたいところだが…… その辺の店の奴じゃ駄目なんだよな?」

「そう。問題は肉なんだよね……」


 闇市の餃子を再現する為には、得体の知れない肉を入手しなくてはならない。

 僕はこれまでの経緯を悪友に話した。


「何かさあ、手がかりとかない?」

「ああ、その業者なら知ってるぜ」

「本当に?」


 何でも言ってみる物である。僕は内心で万歳した。


「台湾の黒社会の筋でよ。虎とか、サイとか、オランウータンとか、まあそういう珍しい密猟の肉を扱って、中華料理屋に卸してた訳だわ」

「虎とかサイは漢方に使うとか聞いた事があるけど、オランウータン?」

「猩々(しょうじょう)って言ってな。あれも何か縁起いい動物なんだわ」


 暴力団絡みなら知っているんじゃないかと思って聞いてみたが、台湾の黒社会と来たか。

 それにしてもオランウータンまで食べるとは、中華民族恐るべしである。


「けどよ、闇市場なんていい加減なもんでな。品薄のブツに偽物を混ぜたのがばれちまった。経営難で夜逃げした事になってるが、怒らせた客が華僑の偉いさんだからよ。多分、今頃はコレモンって、ヤクザ筋の噂だぜ。あっち系は怖いよな、やっぱり」


 悪友は指を喉に当て、かき切る仕草をする。


「うわ…… 他の業者とか知らない?」

「止めた方がいいと思うけどな…… 裏筋の特殊肉なんて大概は中華料理の材料で、そっち系の業者ばっかだぜ?」

「そっかあ……」


 そっちというのは、台湾とか中国の黒社会絡みの業者という事だろう。

 悪友は珍しくも真顔で警告し、僕も今回の話は無理かと諦めかけた。


「とりあえず、そのレシピが書いてあるノートを見せてみ?」

「これか?」


 僕はカバンに入れて持って来ていたノートを取り出し、悪友に手渡す。

 彼はノートを開き、時折頷きながらじっと読んでいた。


「これなら何とかなるわ」

「え、肉とか大丈夫な訳?」

「これ、闇業者から買ったらえらくボラれる代物だぜ? 素人には何ともならんだろうけど、幸いツテがあるんだわ」

「それじゃ頼むよ! 肉の調達と、調理も。皮に使う小麦粉は、こっちで手配するから」


 僕は悪友の申し出に乗る事にした。



*  *  *



 僕は、当時の米軍物資に使われていた小麦粉がどの様な物か調べ、今でも入手可能か調べてみた。

 案の定、現在の米国では遺伝子組み替えされた品種の小麦がメインだったが、若干ながら規制が厳しい国への輸出や、国内でも遺伝子組み換えの作物を嫌う需要に応える為、ある程度は栽培されている様だ。

 施設の食材仕入担当に、種類を指定して、輸入してもらう様に手配を依頼した。

 僕が小麦粉の調査と手配に動いている間、悪友は”特殊肉”の入手に動いていた。

 材料費として、百万を先払いした。高価とは思うが、闇の食材を仕入れるのだから仕方ない。

 五日程経った後、悪友から手に入った旨のメールが来た。

 調理にあたってうちの施設の厨房を使いたいが、一人で作業するので誰も入れて欲しくないという。

 他の入居者の食事に困るのだが、というと、その分も一緒に造るとの事だ。

 高級老人ホームという事もあり、現在の入居者は十五名と少ない。職員の賄いについてはは外食でも仕出しでもいい訳だし、何とかなりそうにも思えた。


「どうしてもそれが条件なら、その様にするけど。何でまた?」

「見ない方が、俺も含めてみんな幸せだからだわ。解るだろ?」


 扱う食材が食材なだけに、秘密にしておきたいのだろう。

 一人にしてくれという要望は、調理法を見せたくないという”料理人の希望”という事で表向きは通す事にした。



*  *  *



「これじゃ、この味じゃ!」


 出来上がった餃子を食べ、老人は大いに満足そうだ。


「君、良ければここにずっといてくれんかね? 何だったら儂の方から口添えをしてもいい!」

「済みません、色々と訳ありな身なもんで」


 食べ終わった老人は御満悦そうに悪友に申し出たが、意外にも彼は辞退した。


「そうか……」


 老人は気落ちした様子だったが、棚から小切手帳を取り出すと、金額を書き込んでサインした。


「儂の気持ちじゃよ」


 悪友は小切手を受け取ったが、その金額に仰天した。


「五千万って、え、ええんですか!?」

「どうせあの世には持っていけん。君、これで好きな処に店でも構えたまえよ」


 悪友は驚いたが、僕は平然としていた。

 死に際の入居者が、その程度の金額を職員に渡す事は珍しくない。遠慮無く受け取る様にというのが、この施設の方針だ。

 家族も、その事については承知している。自分達の相続するであろう取り分からすれば、微々たる物に過ぎない。そういった心付けで待遇がより良くなるなら、安い物である。


「御老は、喜んでいらっしゃいます。どうか御収め下さい」


 職員として受け取る様に促すと、悪友はそそくさとポケットに小切手をしまい込んだ。

 後で別室の担当者に聞いたら、同じ物を出した他の入居者も、やはり旨い、旨いと言って食べていたそうだ。

 単に”思い出の味”だからという訳でなく、本当に美味な物らしい。

 だが、訳ありの食材という事を知っている僕は、どうにも食べて見る気になれなかった。



*  *  *



 翌日。

 悪友は浜松を離れると言い出した。既に、契約していたウイークリーマンションも解約したという。


「もらう物もらったし、ここは地元だと言っても身内もおらん。別んとこでやり直すわ」

「そっか…… でも、あそこ、結構給料がいいんだけどな」

「あれと同じもんを造れと言われても困るんだわ。察してくれや」


 確かに、あれがそんなに美味なら、二度三度とリクエストがあるだろう。

 手に入れにくい闇の食材ではそれに答えにくいのではないか。


「そっか、元気でな」


 僕は微笑んで見送る事にした。



*  *  *



 悪友がどこへともなく旅だっていった数日後の朝。

 スマートフォンに電話が掛かってきた。

 着信名を見ると、悪友とは別の友人で、やはり中学時代の同級生だ。

 彼は開業の産婦人科医をしている。出産の為の入院設備は小さく、婦人科の診療と堕胎が業務の中心だ。医師なだけあって昔から成績優秀だった。

 中学時代、他校の生徒からカツアゲされているところを、悪友と僕の二人で助けてやった事がある。こちらとしては単に、余所者に縄張りを荒らされた事に腹が立っただけなのだが、こいつはそれを恩に着て、今でも割と仲がいい方である。


「もしもし」

「おい、あいつ、どこへ行った?」

「ああ、2.3日前に、”余所へ行く”って言って出てったけど。何があった?」


「いや、さっき宅急便が来てさ。差出人も受取人もこっちの名前になってたんだよ。多分、あいつじゃないかと思って」

「何が入ってた?」

「諭吉の札束! それも十個!」

「お前、それ言ってよかったの?」

「アッーーーー!」


 僕の指摘に、通話の相手は大声を挙げた。迂闊に触れ回るべき事ではないだろう。


「別に、分け前くれとか言わないけどさ、何かあいつに頼まれたとか?」

「いや…… ただ、この前ふらっと来てさ。その時、結構経営が苦しいって愚痴こぼしたんだけど……」

「……お前、やばいもん渡さなかった? 麻薬とか」


 金に困って取引を持ちかけられたか。

 戦後、当時は違法ではなかった覚醒剤が、旧軍の物資から大量に放出されて流行した事がある。いわゆる「ヒロポン」だ。

 そういった物を、闇市で怪しげな肉の調味料代わりにしていた事は充分考えられる。

 そして現代で、その手の違法薬物を入手するなら、医師からの横流しが最も容易だ。


「冗談じゃない! こっちは只……」

「只?」

「い、いや、こっちの口からは言えない……」


 薬物ではないにしても、悪友が何か、”一般人が手にしにくいが、産婦人科で手に入る物”を調達したのは確かな様だ。

 恐らく、最初は前金の百万で買い取るつもりだったのが、予想外の収入を得たので追加を送りつけたのだろう。

 あいつらしいと言えなくもない。


「そっか、金、貰っちゃったしな…… 麻薬とかじゃないならいい。忘れる事にする」

「それで、あいつとは連絡つくのか?」

「行き先は何も言ってなかった。じゃ、切るぞ」


 調達したのは、やはり肉だ。そして産婦人科という事は……

 それが何か薄々は解るのだが、僕の理性がその特定の邪魔をする。

 証拠もなしに疑ってはいけない。

 証拠……

 うちの施設では、あちこちに防犯カメラが設置されており、厨房も例外ではない。

 録画の保管は十日間とされており、それを見れば、あるいは食材が何の肉かが解るかも知れない。解体を厨房の中で行ったなら、原型も解るだろう。

 録画を見るべきか、このまま保管期間が過ぎて消去されるに任せるべきか。

 僕は迷ったまま、施設へと出勤した。



*  *  *



 出勤するとすぐ、僕は支配人室に呼び出された。


「お早うございます、支配人」

「先日はご苦労さん。早速だが、君に見て欲しい物があるんだよ」


 支配人はそういって、壁際のテレビをつける。


 そこに映っていたのは、厨房で悪友が包丁を振るっている図だ。

 切っているのは、枕と同じ位の大きさで、ぬいぐるみの様に手足がある、赤い……

 僕は血の気が引いていくのを感じたが、声を挙げる事が出来なかった。

 僕の脳裏にあったのは驚きではなく、疑いについての確信だったからだ。


「これは、君が友人の調理師に依頼した、餃子の調理の様子だが。知っていたのかね?」

「い、いえ…… 僕は、僕はただ!」


 僕は、ノートを入手したものの食材の入手に困り、刑務所を出所したばかりの友人に出会って相談した顛末を隠さず話した。

 迂闊に隠す事は出来ないが、肉が何であるかは一切知らなかったと強調した。

 只、彼が食材を調達したであろう、産婦人科の友人の事だけは伏せておいた。僕がどうなるにせよ、彼を巻き込む事は出来ない。


「僕は、密猟した野生動物か何かの肉だとばかり……」


 支配人は僕の弁解に、あっさりと首を縦に振った。


「まあ、いいだろう。よもや、こんな物が使われているとは普通思わないだろうしねえ」

「……警察に通報するのですか?」

「いや、あれは言い方は悪いが”人間になりかかった物”だろう? 入所者の為にも、風評を落とす事は出来ないしね」

「は、はあ……」


 どうやら、支配人は事をもみ消すつもりの様だ。僕は内心で胸を撫で下ろした。

 確かに、あれは産婦人科で発生する”医療廃棄物”だ。決して死体ではない。


「あの調理師、連絡はつくのかね?」

「い、いえ。行き先を告げずに引き払いましたので……」

「そうか、惜しいなあ……」

「は?」


 支配人の言葉に、僕は思わず耳を疑った。だが、続く言葉によって、それが聞き違いでなかったと僕の頭にゴリ押しした。


「まあいい。材料は解っているし、調理法自体はありきたりの物だ。何とかなるだろう」

「何を言っているのです、支配人……」

「あれ、君の担当以外の入所者にもお出ししただろう。あれがすこぶる好評でね。幾ら出してもいいから、もう一度食べたいそうだよ」

「支配人、本気ですか!?」

「ああ。幸い、我々は福祉企業として、医療法人とも提携関係にある。あれの調達は容易だからね」


 淡々と、支配人は見通しを語る。

 確かに、病院と提携関係にあるうちの会社なら、あれは簡単に手に入る。

 人殺しという訳ではないし、割り切れるかだけの問題だ。

 だが、その様な冷徹な計算が出来る人だっただろうか。僕が知る支配人は、真面目に働き、報酬と引き替えに入居者へ満足を与える事に喜びを感じる、ありふれた小市民だった筈だ。


「まあ、利益だけではない。あの餃子、食べきれなかった入所者の残りを私もつまんでみてね。実に美味だった。あれは、いいものだ!」


 支配人の眼を改めて見ると、焦点が定まっていない。きっと、事の重大さと、見返りの大きさ、この双方の重圧から考える事を止めてしまったのだろう。


「君にはこれからもばんばん頑張ってもらうぞう! さあ、みんなで幸せになろう!」


 僕は只、自分がした事の結果に、呆然とする事しか出来なかった……

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