「集団心理」

 ファンは「本命」と「にわか」に大別されるという話をした上で、次に書くべき事は「集団心理」でしょうか。人は割と他人の言動に振り回されるものなのですね。

 最初に「にわか」という人々が大衆の多数を占めるという話をしましたが、その補強です。


 たいていの人は、「本命」というべき夢中になれるナニカを一つや二つは必ず持っているものと思います。まぁ、本人が本命と言っていても周囲から見ればファッションだろう?と思われてしまう程度ののめり込みは除外としても。


 例題として、ソシャゲを挙げてみますと、曲りなり「本命」と言うからには課金はしてるもんだと思います。無課金ならばポリシーでそうしていて時間を桁外れに消費しているでしょう。そういう人は「本命」と誰しもが認めるところと思います。

 あるいは、微課金や時間はさほどでなかったとしても、滅多やたらとそのワールドに詳しく、そのゲーム関連のフォロー数が桁外れだったりするはずです。


 そうでない人が本命を騙れば「ファッション」呼ばわりされても致し方ない部分があるかなと思いますね。片方にそこまでのめり込んでいる人が居るのだから、その人たちが疑われることはないでしょうが、そこまで注ぎ込んでいないなら、愛を疑われても仕方ないのでヘタに自己アピールはしない方が賢明です。自己アピールするという行為が、宣伝に見えてしまうのですね。好きと言う証明が必要になってしまうわけです。


 で、大抵の人には本命があるという話をしましたが、読書をする人の全てが読書を本命の趣味とはしていないだろう、という点が挙がるわけです。


 これも、レベルを見ればその人にとって読書が本命かどうかは誰にでも判断が付くと思うのですね。作家芸人の又吉氏は伝え聞くエピソードだけでも本命で読書が好きなのだなと解かりますし、古今東西の古典を数多く話題に出してくる人はたいがい読書が本命ということでしょう。

 それだけ多くの時間を割くことが出来るというのが、本命たる由縁ですから、読書に限らずどの分野の趣味を持ってきても本命クラスのファンというのは数が少ないものなわけです。

 しかも、現代では趣味のジャンルも幅広くなりましたから、個々の本命ファンというのが減少するばかりなのは仕方ない話だと思います。


 モンハンが初めて登場した時、にわかとかファッションとか興味本位だけで始めた人が大多数だったわけですよ。それまでゲームに触ったこともないという人まで居ました。けれど、十年以上を経た今現在まで残っている人は残っていて、新シリーズが出るたびに「狩猟解禁!!」とか言って浮かれていて、こういう人たちは本命の趣味に近い位置にモンハンがあるわけです。


 だいたいの趣味にはビジネスが絡んできます。書籍にしたって、とにかく多く売れば良いわけです、ビジネス観点で見るならば。これは一面ではサービスの向上に繋がるのでいいわけですが、他方面を見れば弊害も多いものです。


 ひと口に顧客と言っても、その内訳は「本命ファン」が一握りと、あとは「興味本位のにわか」だからです。


 ここでまたモンハンに戻ると、本命ファンは歴戦の猛者どもですからゲームバランスは激辛辺りを求めたりします。けれど、にわかファンには初心者だって含まれますので激辛クエストなど絶望攻略でしょう。ましてファッションでやるだけのファンにしたら、出来るだけ簡単にしてほしいところでしょう、クリアした自慢が出来ませんもんね。


 すると、総数でいうと猛者どもは一部でしかないわけで、大半は「にわか」なのですよ、ここに合わせるとしかしゲームは衰退していくしかないのです。


 なぜか? 彼らが「にわか」だからです。どこか別のトコへ行ってしまうから。なぜ自慢になるかと言えば、それは猛者がその強さを見せ付けているからです。言うなれば虎の威を借る狐という状態です。初心者が来たのだって猛者が凄みを見せているから、その姿に憧れたわけです。


 現在と違い、当時はソシャゲに重課金をするというのは、褒められた行為ではありませんでした。自慢にならなかったんですよね、時代も変わったものですが。今は、重課金は一種のステイタスになりましたので、なおさらにファッションでやるような層には求心力があるようです。金だけで済む、という事でもあるので。(ここら辺にちょっとした内情の捩れがあるように見受けます)


 そうして、現在、モンハン(コンシューマ機)は衰退して、代わりにソシャゲが繁栄しています。モンハンに居たかなりの数の「にわか」がソシャゲへ移行したからです。


 かように、「にわか」というのは民族大移動を起こしますので、厄介です。そして、ファン自身の質を言うなら、にわかの人というのは本命の人に比べてだいぶ落ちるという事も言えるわけです。

 先に言いましたように、人は大抵で本命を持ってますから、それ以外の興味本位に対しては多少なり落ちるのは当たり前だというわけです。

 そして、その質の落ちた人々が構成割合の大部分を占めてしまうのが、「民衆」というものの内訳だったりするのが問題なのです。


 この状態で「多数決」で物事を決すれば、劣悪に落ちていくしかないのは自明です。そして、ジャンル全体の質が劣悪になれば、元が自慢目的の人々にとっては自慢にならなくなるわけで、そこへ別の何か自慢できそうな新規のものがくれば、あっというまに彼らは民族大移動を果たす、という事です。


 かつて、遊園地ブームとその悲惨な結末というのがありました。銀座やどこかの町も、都市計画で「にわか」に合わせたせいで失敗しました。いくらでも事例はありますんで、興味があれば調べてみるとネタが出来ていいかも知れません。


 そうそう、よく「行政は年寄りに合わせて若者に利便を図ってくれない」という話を聞きますが、この若者というのは、性質的にも「にわか」なのでここに合わせるとリスクが高すぎるので合わせないのですよね。誰しも歳を取りますし、公平だという理屈はまぁ合ってますかね。


 あまりにもフットワークの軽すぎる、この層を対象としたビジネスモデルは、そういうわけで『使い捨て』が一番相性がいいという事に落ち着いていきます。服でもアクセサリーでも、最近は住居までインスタントのポイ捨てであるレンタル事業が流行りだったりするのは、「大衆」の大部分である「にわか」に合わせたスタイルだから、というわけです。『安かろう、早かろう、不味かろう、』です。

 その想定年齢層はやっぱりで「若者」になってたりしますので、財界がどういう目で見てるかは言わずもがな、です。


『大衆に大人気!』とか『ランキング一位!』という時にはちょっと注意が必要だ、というのはこういう理屈が隠れているからですね。それは質を担保しないのです。


 ビジネスモデルとして、ポイ捨てスタイルが、もっともリスクの少ないものなのですね。他のスタイルもあるのは対象の客層を変えればすぐ出てきます。とにかく長期スパンの事業計画が成り立たない層なので、コストを掛けるのが危険なのです。

 だから、普通のビジネスだと大量生産ともう一つ作るんです。

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