第4話 彼は踏み出し、やがて駆ける

嵐剣皇の躯体が受けたダメージは、搭乗者ナビゲーターの精命力をも大きく消耗。


亜空間の穴を抜けると同時に全身を包んでいた炎は鎮火したものの、そのまま異世界の沼地らしき場所へ埋没した所で夕の意識も途切れた。

嵐剣皇が再起動する音で目を覚ました夕は、こちらを見上げながら歩いてくる二人の男の姿に気付いた。


「嵐剣皇、二人、近づいてくるわ。人間……の姿をしている」

ここは地獄界。魔族とは、姿形に惑わされてはならぬ相手。


「夕、すまない」


開口一番謝ってきた嵐剣皇に疑問符を浮かべる夕。

彼女が乗るロボットは、謝罪の意味を説明し始めた。


「物理的な衝撃と異世界の順応処理が重なって、動作を開始するのに時間を要する」

「動けないってことね。ぎりぎりまで様子を見るから、急いで」

「心得た」

嵐剣皇は現在、沼のほとりで地中から上半身だけを出した格好である。

襲撃されればひとたまりもない無防備の体だ。


沼のほとりを散歩するような足取りでやってくる男達。

固唾を呑んで彼らの動向を見守る夕。


彼女の視界に、タンポポの綿毛を丸く固めたような何かがちらついてきた。

疲労による幻視などではない。

明らかな実体として、綿毛の玉が数個、空中を漂っている。


否応なしに目に付く綿毛は、よく見ると二つの黒い眼のような器官を備えた生物らしい。


「なにかしら……これも魔族?」

折りよく暗転していたサブモニターが点灯し、精命力センサーが検出した微弱反応を報告する。

「退魔士の戦闘記録メモリーにも該当するものが無い。魔族の中でもかなり力の弱い者のようだ」


「無害な奴らだから気にしないでやってくれ」


急に聞こえてきた声に、腰がシートから浮きそうになる。

見れば、いつの間にか嵐剣皇のすぐそばまでやって来た黒服黒髪の青年が、紅い装甲に手を当て呼びかけてきていた。

彼の端正な口は動いていない。

何らかの方法で装甲に当てた腕から直接、音声を伝播させているらしい。


「彼らは空気や土中の僅かな精命力だけで生きているのさ」

「……その無害な彼らはいいとして、あなたは何者?」

未だ身動きの取れない嵐剣皇。

幸いにも会話する意思を見せた謎の黒服男との問答を少しでも長引かせるべきだ。


「僕は泥魔ディマ。後ろで腕を組んでいる彼は、審也」

曇天の空にどす黒い土、紫の水が溜まる沼という毒気ある風景には似つかわしくない穏やかさで話すディマ。

審也は一歩引いた位置から腕組みをして黙っている。


墨色の長髪男・審也から只ならぬ気配を直感的に察した夕は警戒心を強めた。

そこへまたしても不意を打って、舌足らずな声が耳に入ってくる。


「ディマさま、微鬼もしょうかいしてよぅ!」

ディマの懐から頭を出した小人を見て、夕の眉が反射的に動く。

「え……な、なに」


「微鬼。この方は驚いているようだ。順番に、ね」

「はーい」


小人の少女が笑顔で頭を下げてくるのが、モニター越しに見える。

夕は、現在処理落ち中な嵐剣皇の心地が理解できたような気がしていた。


ふと周囲の風景に目をやる。

先ほどから空を漂う毛玉の親子だけでなく、巨大な嵐剣皇を見物しに猫耳の小人も数人、あるいは数匹集まってきた。

更には彼らの足下、沼のほとりでは花々が茎をくねらせて踊っている。しかも、何故かサングラスをかけている。


これまで戦ってきた魔族と、いま目の前に居る者達はどうしてもイコールで結べない。

夕は、自分が今放り込まれているのは違和感のみで構成された空間であることを悟った。


「……なにココ」


「地獄界だよ」


思わず口をついて出た言葉に、現地人からの無情な答えが返ってきた。



「彼らのような存在が生きていられるのはこの一帯くらいさ」

毒気を抜かれた夕は、未だ動作のままならない嵐剣皇を降りてディマの棲家へと赴いていた。

明らかに只ならぬ気配を放つディマと審也に対し、抵抗は無為と判断したこともある。

有事に備え『端末』は持ち出しているものの、嵐剣皇のシステム復旧まではさしたる用は為すまい。


「僕の手と目が届く範囲はせいぜいそのくらいだからね」

ディマの黒鉄の義手がテーブル上で鈍く輝く。

「あなたが、あの魔族たちを守っているということ?」


「微鬼もみはりをやってるのよ!」

ミニチュアサイズのカップから口をはなした微鬼が声を張り上げた。

得意げに胸をはる小人の姿に、夕は笑みをこぼす。


「……改めて聞くだに、変わり者だ」


壁にもたれかかっていた墨色の男・審也が呟く。

目線だけで相槌を打ったディマが、夕に向き直り問うた。

「君もそう思う?」


「……地獄界ここの常識は知りません」

「夕はここへきたばかりなのよね!」

「ええ、そうよ微鬼ちゃん。その上で、ですけど。ディマさんのような考え方をする人だって居るだろうと私は思います」


夕は二人の黒尽くめの男に向け順番に目を合わせて言った後、ディマの用意した茶をすすった。


「そう……だから、人族にんげんって、いいんだ」

満足げなディマの視線は夕の薬指に向けられている。


「それ、その指輪。退魔士ゆかりの物だよね」

「……ええ」

「それを見ていると懐かしくて嬉しくてね。僕と微鬼は、かつて君たちの仲間……先祖かな?に世話になったことがあるのさ」


言って自らの左腕――武装義手を掲げる。

腕の下では微鬼も金髪の巻き毛をかき上げ、金属製の尖った耳を夕に見せた。

に、魔族と人族の間で大きな争いがあってね。色々あって僕は片腕を失い、微鬼も瀕死の重傷をおった」

「退魔士がからだをなおして、たすけてくれたの!」


「僕はかつて魔族の斥候役をやっていた。スパイとして彼女達に近付き人族を――人類種を監視していたんだ。だけど、そうして時を過ごすうちに人類に惹かれていった」

「命を助けられた恩義か?」


壁の影のようだった審也がディマに問う。

「微鬼はねえ、おんがえしよ!それにディマさまもにんげんをたすけるっていったから!」

割って入った微鬼の声を受け、お前はどうだ、と視線で促す。

「人類は変化する。そこに惹かれた」


「変化?」

回答の意図を掴みかねた夕が言葉を繰り返す。


「魔族と人族は敵同士。それが太古さいしょから決まっている関係だ。魔族は永遠に闘争を続ける種として人族の天敵となってきた」

「種族としての宿命、か」

「その通りだよ。だけどね、僕があの時出遭った退魔士達は、その関係を変えようとしていたんだ」


そこまで聞いて、夕はなお首を傾げる。

「ねえ、それってそんなに特別なことかしら?魔族も人族も、こうして言葉の通じる同士でしょう。争い続けることに虚しさを感じる人が出てきたっておかしくないと思うわ」

夕の疑問を聞くディマは満足げに頷いた。


「そんな風に言える人類きみたちが、僕には輝いて見えたんだ」



「ねえ、ディマさん。魔族って一体何者なの?人類の天敵って、どういうこと?」


「魔族という集団には、人類を間引く本能がある」

紫色の瞳を一切動揺させることなく、魔族の青年は淡々と言い切った。


「間引きって……」

「これまで繰り返されてきた事象を観察してきた僕が出した結論さ。魔族は人族の数を減らす役割を持たされている」


夕も、深中審也も、黙ってディマの説明に聞き入る。

「魔族は精命力を糧にする。普段は魔族同士で共食いをしているんだけど、嗜好としては人族の精命力をより好むんだ」

審也は、地獄界で最初に見た鬼が猫人を喰らう光景を思い出した。

「人族の数が増えると、溢れんばかりの精命力の気配は地獄界にまで伝わり、魔族を強烈に引き寄せる」


「人口が増えると魔族が攻めてくる…だから間引きが本能と?」

「そう。人類が繁栄の頂点に向かうとき、魔族は人間界に侵攻して絶滅寸前にまで追い込む。だけど、その度に力を振り絞った人類に撃退されているんだ」


自嘲気味に微笑んで語るディマは、やはり魔族の一員でもあるのだろう。


「そのサイクルが狂い始めている。夕、君と君の仲間たちは、地上に上位魔族が現れたからこちらへやってきたんだよね」

「ええ」

「今の人類は、上位魔族が“表”へ這い出すほど傷を癒しちゃいない。僕も異常事態だと思う。そして、その原因は目星がついていて…」

が関係しているんでしょう?」


夕が左手の薬指を、嵌められたDRLの指輪を見せる。

ディマは深く頷いた。

審也は僅かに顎を引き、目元をこわばらせた。


「君と、あの紅色の特級退魔士と似たような存在が地獄界に

「似たような存在……私の仲間かしら」

「いや、違う。君たちが現れるよりも以前、もっと数多くの者達だ。しかもその者達は、地獄界に暗躍する意図を持っている」

「暗躍とは、どういうことだ」

「わからない。魔族軍のもとスパイをやっていた僕にさえ、ね。だから、と言ったんだ」


ディマの前髪の奥から赤い眼光が漏れる。

姿無き『勢力』の存在を示唆された夕が緊張に固唾を呑んだ。


一方で卓上の微鬼は、頭上で複雑な会話が始まった辺りから、夕のあげたキャンディを抱き枕代わりにして眠っている。


「ところが最近、彼らの動きが目に見えるようになってきた。魔族ではない何者かの集団を目撃したという者の数が格段に増えてきたんだ」

「貴様の言う暗躍とやら、準備だったのだろうな」

「準備、ですか?」


要領を得ない様子の夕に、審也は軽く鼻を鳴らした。

「決まっているだろう。侵攻の準備だ」


「僕も、審也と同じことを考えた。彼らは、いよいよ地獄界の一大勢力とぶつかるつもりだ」

冷めかけた茶を一口啜り、ディマは続ける。

「地獄王ド・ゲドーが率いる軍勢は、地獄界の各地に拠点を築いている。その中でも指折りの『邪蛇城』という所へ、ゲドー軍も、謎の勢力の気配も続々と集まっている」


「敵の数は」

深中審也は、ディマの口にした勢力を全て敵と断定した。

「ゲドー軍は千にのぼるだろうね。一方で、暗躍者は…よくわからないけれど数で言えば圧倒的に少ない。一割にも満たない筈だ」

「数で劣ろうが問題ないのだろうよ。連中の正体が、私の考えている通りならな」


話を聞き終えた審也がにわかに落ち着かない気配を帯びる。

「やっぱり、確かめに行くのかい?」

「愚問だな。確かめ、斃す。今度こそだ」


「夕、君はどうする?」

「私も向かいます。仲間達も、必ず混乱の中心へ向かっている筈ですし。何より、私はその為にここまで来たのだから」


「そうだ審也。旅は道連れと言うよ。彼女と行動を共にしてみてはどうかな」

ディマが事も無いように提案する。

先ほどまで気を張っていた夕は、口から思わず間の抜けた声が出そうになり慌てて飲み込んだ。


この魔界の青年の真意は今ひとつ汲みきれないものの、決して害意によるものではないと信じられる。

根拠は直観。薙瀬夕が今日に至るまで信じ助けられてきたものだ。

それゆえに、唐突な提案に頷いた。


「酔狂ついでだ」

墨色の男も相変わらずの仏頂面で提案を受け入れる。

彼もまた、ディマを信頼しているようであった。



「あの深中審也という男は何者なんだ、夕」


嵐剣皇は地中穿行する自らの頭上、地表を“併走”する男の気配を訝しむ。


「只者じゃないんでしょう。嵐剣皇、今あなたどれくらいの速度を出しているの?」

「巡航速度に達して30分以上経過している。少なくとも生身の人間が走り続けられる速度と距離ではない」

「それじゃ尚更、いま余計な波風を立てる訳にはいかないわね。“それ”、まだ時間かかるんでしょ?」


夕が指差したのは、地中の風景を映し出すメインモニターの傍らに展開したサブ・ウィンドーである。

黒色の小画面に、緑色のデジタル文字が目にも留まらぬ速さで羅列され行を積み重ね続けている。


「魔族・泥魔の言葉通りなら、私達の行き着く先は決戦の場だ。それまでに、何としてでもこのデータは解析し終える」

嵐剣皇が機体制御の傍ら処理を続けているのは、退魔士の里で譲り受けた戦闘記録メモリーである。


「特級退魔士たちの戦いの記憶を受け継ぐ。退魔士の記憶が、私の持てる最強の力だ」



岩盤が歪に入り組んだ迷路のような地中、炎をそのまま固めたような起伏の地表。

嵐剣皇と審也は過酷な地形をひたすら突き進み、やがて広々とした平野を見下ろせる丘の上へ至った。


彼らが一旦歩を止めたのは、肉眼と感覚器センサーが夥しい数の魔族と共に集結しつつある特異な反応を察知したからである。


前方の地中にひしめく反応は、他でもない超物質DRLのものであった。

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