第3話 阿修羅奔走

黒々とした岩盤の大地を空から見下ろせば、一筋の亀裂が深く刻まれている。

人間のスケールでは断崖絶壁が向かい合っているようにしか見えない大亀裂の根元には、石造りの歪な建物。


窓の数からして三階建ての建造物は外壁を囲むように足場が設けてある。

この建物は砦だ。


蝙蝠男は砦の屋上に降り立つと、見張り役の鬼に目配せで合図。

開口された天蓋の一部、深い縦穴へ舞を抱えたまま飛び降りた。


なお、その間も舞は魔族に抱えられたまま驚いたり悲鳴を上げたりしていたが、完全に無視されている。


石壁が延々続く縦穴の底に着地した蝙蝠男はようやく舞を解放。

まるで土嚢を投げるように乱雑に石畳へ転がされる舞。

「痛い!もうちょっと丁寧にしてくれたっていいじゃん!」


「おい、獲物だ。後は任せるぞ」

魔族は少女の抗議の声には耳を貸さず、蝙蝠の羽を広げ縦穴を昇っていった。


「オゥ、ニンゲンだァ。ありがたぁい」

薄闇の帳が降りた石造りの空間、その奥からややくぐもった声が聞こえる。

「だ、誰?」


緩慢な動きで暗闇から現れたのは、冗長な緑色の体躯。

額の比率が多い面長の頭部から二本の角が生えた鬼である。


「へへへ、ちっこいが精命力にあふれてるぅ」

「ここはどこ?どうして私を連れてきたの!?」

怯える気持ちを懸命に奮い立たせて舞が問う。


「ここはだァ。おれ、番をまかされてンだァ」

「しょくりょ……!」

薄闇に順応してきた舞の眼に、食料庫と呼ばれた牢獄の全貌が捉えられる。


岩をくりぬいたように歪な、巨大な甕の底のように広く何もない空間。

石畳の床には、無数の人型をした『何か』が横たえられていた。

獣の耳や尾の生えた小人のような亜人と呼ぶべき者も数多いが、その中に明らかに人間と判る者も混じっている。

その事実を目の当たりにし、理解した瞬間、舞の瞳の奥から反射的に涙がこみ上げた。


「おれ最近、園芸にこっててよーォ」

怯え驚愕した様子の舞を見て、牢番の鬼は弛緩した笑みを顔面に貼り付ける。

腰に提げたズタ袋から、黒ずんだ苦瓜のような何かを取り出して言った。

「ニンゲンは苗床にちょうど良いんだァ」


「その黒いの何?苗床って……?」

人面花じんめんか、なァ、実がウマいって仲間みんな喜んでなァ、また作れ、作れ、ってなーァ」


牢番の背後に、人間の遺体がずらりと並べられている。

それらは一様に穏やかなカタチをしていない。


胸や腹を突き破り、肉のような太い茎が屹立した先に赤子の手のような葉、さらに先端には人間の頭部がり、重みで茎をしならせる。

これが人面花。人間の精命力を吸って育つ地獄界の植物だ。

魔族が美味と称える人頭の実がなす表情は、苗床とされた者達のそれと同じく一様に苦悶していた。


「さてと、かー」

「や、やだ……!」

黒光りする人面花の種を握りにじり寄る鬼。

後ずさる舞の足は知らずのうちに竦み、ごつごつした石畳に尻餅をつく。


「お前はだなァ。メスの場合はァ、植えるが決まってるんだーァ」

鬼の言葉に促され、否応なく魔果の苗床となった人間の遺骸を見る。

舞は堪えきれず薄闇の空間に悲鳴を響かせた。


幾人もある人間の骸。無造作に並べられたうち、比較的新しい女性の苗床。

下腹部を突き破って芽吹いたばかりの人面花が、彼女の脚の間から退化した根をはみ出させていた。


「やめて!やだやだ!」

「へへへへへ、おれは収穫も楽しみだけども楽しいんだなァ」

少女の悲鳴を聴く者は誰も居ない。ただ無数の亡骸が苦悶の表情で薄闇の帳を見上げるばかりだ。

スカートから延びる舞の素脚に、粗雑な造作の鬼の手がかかる。


その時、岩石で固められた牢獄の床が破裂した。



間欠泉のように巻き上げられた岩の破片に紛れ、人影が飛び出す。数は一つ。


巻き上げられた土煙の中、現れた何者かが少女の脚に手をかけていた鬼のわき腹に蹴りを入れる。

動作だけでなく思考も緩慢な牢番の鬼は、情けない悲鳴を上げて石床に倒れた。


「よう。ブッ飛ばしに来たぜ」


鬼に言い放たれた声は若い男のものである。

は鬼の取り落とした人面花の種を、鉛色に輝く靴の踵で踏み砕いた。


「ああっ!おれの種がぁ」

「大事なモンだったか?喜べ、同じ目に遭わせてやる」


土煙が晴れると、四肢を鉛色の装甲に包んだ精悍な体躯の青年が仁王立ちしていた。

左眼を閉じる代わりに爛と見開かれた右の眼で魔族を見下ろす。


石床でのたうつ鬼は、実のところ弱者をいたぶることしか能のない駄鬼である。

爪の先ほどに残されていた闘争本能が冗長な図体を立ち上がらせるが、見る者を苛立たせる緩慢さは変わらない。

「どうした、早く立てよ……手伝ってやるからよォ!」


青年が鈍く輝く左のつま先で鬼の顎を蹴り上げる。

精悍な逞しさを備えるとはいえ一般的な成人男性と変わらぬ体躯からは想像もつかない力で、緑色の巨体がのけぞった。


「うううう……うおお!」

二度に渡り足蹴にされた鬼が、口端と鼻から紫色の血液を撒き散らしながら破れかぶれの突進。

標的たる青年は悠然と腰を落とし、右腕を弓に番えた矢の如く引き矯めた。


両脚と同じく鉛色に鈍く輝く右前腕が、力任せに振り下ろされる鬼の右腕を迎撃。

男の右拳は鋭く捻り込まれながら突き出される。


コークスクリュー・ブローではない。ドリルだ。

男の拳は捻りを超えた螺旋回転を始め、瞬時に円錐状の削撃刃に変化した。


青年のドリルが鬼の右腕を末端の拳から根元に至るまで粉砕。

駄鬼は苦痛に耐えられず叫ぶが、右腕をドリルに変じた男はその様を気にも留めない。


「ああっ、あっ!お、おま、おまえ!『鉛色の牙』、かぁっ!?」

耳に突き刺さるような高音と共に回転し続ける男のドリルを見て、緑の鬼が言う。


男は答えず、金属的な足音を石牢に響かせて間合いを詰める。

鬼のわめきに一切構わず、醜態を晒す間延びした頭蓋をドリルで一撃。


地獄の外道へ報いるのに、かける慈悲など存在しないのだ。



「おい大丈夫か?」

脳漿も骨も区別のつかぬ有様となって倒れた鬼に背を向け、青年は呆然と自身を見る舞に声をかけた。

無愛想であるがどこか親しみの込められた声は、先ほどまでの様相を思うと違和感すら覚える。


「腕がドリルになった……!」

少女の視線は、今は鉛色のへと戻った青年の右片方に注がれていた。


「お前、ドリル知ってんのか」

「う、うん。夕さんや彰吾さんが使ってるし」

「彰吾!?もしかして宇頭芽彰吾か!あいつも此処へ来てんのか!?」


「ひゃい!?」

急に隻眼を見開き身を乗り出した青年の声にまたもや少女は悲鳴を上げる。

「……悪ィ、後でゆっくり聞かせてくれねえか」


「はい、あとで……はい」

「今はここをズラかるのが先だな」

青年はごく自然に舞の手を取り石畳から立たせる。

見た目と同じく冷たく硬い感触に、舞は少し緊張した。


男はといえば、少女の些細な気持ちの移ろいなど知る由もなく目つきを鋭くして後ろを振り返る。

「ここに居る連中を全員からだけどな!」


薄闇の向こうからいくつもの足音が聴こえてきた。

犬歯を剥き出し猛獣が敵を威嚇するかのような形相を、まだ見ぬ敵に叩き付ける。

閉じられていた左眼が開かれ、四肢と同じ鉛色を紅く染めたような金属の瞳がぎらりと輝いた。


「覚悟しろ鉛色の牙ァ!ここがテメーの墓場だ!」

「調子に乗るのもここまでだぜ!」

「ガキともども頭から喰らってやる!」


上階から降りてきた鬼達が、棍棒や蛮刀を手にして口々に怒声を浴びせてくる。

『鉛色の牙』と呼ぶ青年の乱入を察知しやってきたその数、およそ二十。


「わわわわわ!いっぱい!いっぱい居るよ!?」

「そうだな、いっぱい居るな。一匹ずつ潰してちゃ、メンドくせーな!」


「ぶっ殺せーッ!」


鬼達が怒声そのままに青年めがけ駆けてくる。

その迫力に怯えた舞は、無意識のうちに見ず知らずの青年に抱きついていた。


「出番だぜ!」


青年の狂暴かつ嬉々とした声に呼応し、再び地面が弾ける。

戦闘を駆けていた数匹の鬼は突然の強烈な地震に吹き飛ばされるようにして転倒した。


粗雑な石畳の真ん中に大穴を開け現れたのは背中に四つの螺旋がそびえる橙色の機械巨人である。

青年はちょうど抱きついていた舞を抱きかかえ、跳躍。

開かれた巨人の胸部――コクピットへと乗り込む。


「グオアアアアア!!」

巨人の、上下に鋭く生え揃った牙の間から咆哮が轟いた。



橙色の巨人が行ったのは一方的な殺戮である。


全高7メートルに及ぶ巨体で足元にまとわりつく鬼を文字通り蹴散らし、踏み潰した。

頭部やコクピットを狙い跳躍してきた鬼は、変形させた腕のドリルで塵芥に帰した。

戦意を失い背を向けた鬼も、射出した円柱状の兵器から炸裂したマグマで焼き溶かした。


コクピットの蓮華座に招き入れられた舞は、正面のモニターにひたすら映し出される惨状と、淡々とした青年の横顔をただ見比べることしかできなかった。


足下に生きた鬼が見えなくなった頃、巨人と同じ高さで光る眸が一対現れた。

「よくも部下をやりやがったな『黄金の爪』ェ!」

肩や胴体の一部を棘のついた鎧で覆い、分厚い鉄の手斧で武装した巨鬼である。


「さしずめこのボロ家の親分ってとこか」

「死ねやぁぁぁぁ!」

一拍の呼吸で踏み込み振り下ろされた斧を、巨人は右へつと体を捌き紙一重でかわす。

石畳が粉砕され、岩石が飛び散った。


鬼が床に食い込んだ手斧を抜くのに要した時間は一瞬である。

その一瞬は、巨人が反撃を加えるには大きすぎる隙だ。

黒鉄色の右拳が鬼の頬を打ち、壁際まで吹っ飛ばす。


「とっとと切り上げるぜ!」

蓮華座に座した青年が巨人に呼びかけ、やおら立ち上がる。


声に応えたコクピットの壁が隆起し、同じ色をした青年の腕と融合。

同時に両脚も蓮華座に根を張るが如く“繋がった”。


「ウオアアアアアア!」「グオアアアアアア!!」

コクピットの中を、地下牢の薄闇を、青年と巨人の咆哮が充たす。

舞は両耳を押さえながら青年の足元で何らかを叫んでいたが、声は完全にかき消されていた。


叫びと共に巨人の体が変化を開始。

両腕が変じたドリルと背中に生えたドリルが際限なく回転数を上げ、ドリルもまた吼える。

シンクロした三位さんみの声が一体となった時、四柱の背面ドリルがたちまち伸長し四本の腕へと変化した。


六本の腕にそれぞれ六柱のドリルを具えた威容。


――『阿修羅』だ。


その姿も、業も、阿修羅を体現している。


「この姿を見て生きていたバケモンは居ない!!」

六つのドリルを回転させ、巨人が鬼へと踊りかかる。

螺旋の主が全身から発する気迫に圧倒された巨鬼が、闘争者の本能をも忘れ立ち竦む。

「どっちがバケモンだ……!」


右肩、左肩、右大腿、左腰、鳩尾、頭。

体中を同時に貫き引き裂かれ、巨鬼はただの一言を遺しバラバラの肉塊と成り果てた。



「これで全部――いや、妙な気配においがしやがる」

巨人と青年の同調リンクした感覚が、周辺に魔族の気配を察知。

血の臭いを嗅ぎ付ける獣のように捉えた気配を追っていくと自然、上空を仰ぎ見ることになった。


吹き抜けの天蓋。

一見して何もないかのような曇天に、一陣の黒いもやが漂っている。


「あーッ!すみません、ちょっとここ開けて!」

「どうしたんだ?ホラ、足元気ィつけろよ」

唐突に声を上げた少女に今度は青年がたじろぎ、言われるがままに巨人の胸部ハッチを開放した。


「やっぱり!あいつ、魔族なの!ほらほら、あそこに私の『指輪』持ってる!!」

上空へ遠ざかっていく靄を指差し、舞はぶり返してきた怒りと共にまくしたてる。

蝙蝠男の化けた黒い靄の中には、礼座光の欠片が宿った『指輪』が紛れ込んでいたのだ。


「お前、あんな遠くまで視えるのか」

少女の瞳には鮮明に映るその光景は、巨人のカメラをもってしても捉えられなかったものである。

「視力には自信あります!それに、あの指輪はとっても大事なものだから……!」


勢いに任せて喋っていた舞は不意に何か思い至り、青年の隻眼を覗き込んだ。

「あの、助けてくれてありがとう。それで、ええと、お願いします!『指輪』を取り返すの手伝ってください!」


思い切り頭を下げた反動で前のめりに転びそうになる少女の体を支えながら、青年が微笑む。

「いいぜ」

「え、いいの!?」

まさか即答されるとは思っていなかったのか、きょとんとした顔で青年を見返す舞。


「頼んだのはお前だろうが」

「ありがとうございますっ!えと……牙さんと爪さん?」


鬼達の言っていた通りに名を呼んでみたものの違和感を覚え首をかしげる。

青年は頭を掻き、二転三転と表情を変える少女に苦笑。


「旭だ」

「へ?」

「牙だの爪だのは連中が勝手に呼んでるだけだ。俺は天原旭。こいつは虎珠皇。よろしくな」


名乗った青年――旭はそのまま黙って少女を見る。

意図に気付いた舞は、慌てて口を開いた。


「ええと、あ、はい!鍔作舞!舞です!!」

「ん。それじゃ行こうか、舞。色々聞きたい事もあるしな…いや」


軽くため息をついた旭が、地底を発った時より幾分か伸びた自分の髪に手をやる。

「話をしたい――と会えたの、久しぶりなんだ」

そして、少々照れ臭そうに訂正した。



「そっか、彰吾と……あの嵐剣皇の姉ちゃんも一緒にこっちへ来てんのか」

「うん。でも、夕さんとは離れ離れになっちゃってるんだよね」


砦から逃げた敵を追って地底を進む虎珠皇のコクピット内で、旭と舞は横並びに座っている。

地上から地獄界へ至るまでの道のりをひとしきり語り終えた舞は、反芻した不安を顔いっぱいに滲ませた。


「あいつらはそう簡単にくたばらねえよ。心配すんな」

心底からそう言っているらしい旭の、胡坐を支える両手を見て舞が尋ねる。

「ねえ、旭さん。旭さんって、元々なの?」


言葉だけ聴いて首を傾げる旭だったが、舞の瞳に映る鉛色の腕に気付き合点。

「こうなっちまったのは、此処へ着てからだ。舞は色々教えてくれたからな、今度は俺が話す番だな」


地中穿行の規則的な振動を感じながら、旭は隣に座る少女にゆっくりと語り始めた。


*


「破導ドリルの作り出したに吸い込まれた俺は、妙な空間を通ってこの世界に落っこちたんだ」

先刻の舞の話から、ドリルによって地獄界へ通ずる亜空間が発生したことは旭にも理解できた。


「虎珠皇は衝撃でダメージを受けて眠っちまった。機能停止フリーズってやつだ。で、コクピットから降りて周りを調べてた」


そして出会ったのは、逃げ惑う猫人を狩猟感覚で追う鬼。

旭の遭遇した状況は、奇しくも時命皇こと深中審也も直面したものとまったく同じである。


「あの鬼ってバケモンは、地獄界ここじゃあ姿こそ人間に一番近いが、一番のくそバケモンだな」

弱者が強者に嬲られ餌食となる、地獄界ではありふれた光景。

鬼に手足を千切られ頭から貪り喰われる猫人を目の当たりにした旭は、かつて自らが体験した――ドリル獣に惨殺された家族を幻視した。


「気がつけば、持ってた得物で突っ込んでた。図体が多少でかいだけで、彰吾に比べりゃてんで雑魚だ」


まずは携行DRL兵器『チェーンブレード』で斬りつけ、鬼の片耳を削いだ。

『食事』に気を取られていた鬼はそこでようやく旭の存在に気付き反撃に移るが、虎珠皇と共に修羅場をくぐってきた旭には鬼の剛腕が掠りもしない。


青黒い半裸の身体に幾条かの裂傷がつけられた頃、旭の攻勢はぱたりと止む。

「頭に血がのぼってた……のはいつもの事なんだが、不覚をとった。のは両腕だ」


旭は今でも、握った武器ごと切り落とされた自分の手首と、その向こうで両手の鎌をすり合わせてせせら笑う魔族・鎌鼬の姿とをはっきりと思いだせる。

まだら模様の葉が茂る草むらに潜んでいた魔族の不意打ちで、旭はまず両腕を失った。


「俺はいつだって肝心な所で虎珠皇に助けられてるんだよな」

形勢が転じ、丸腰で魔族の挟み撃ちを迎えた旭を救ったのは、地中から突き出された虎珠皇のドリルだ。


一瞬にして魔族を跡形もなく粉砕した虎珠皇は、相棒たる旭にだけ解る声で言ったという。

「なせばなる、ってよ。虎珠皇こいつは自分のドリルを俺に差し出した」


虎珠皇の意図はすぐに理解できた。


肘から先を欠損した両腕を、虎珠皇の差し出したドリルの切っ先と重ねる。

すると虎珠皇のドリルを形成する超物質DRLが切断面の傷口を覆い、瞬く間に失われた前腕の形を成したのだ。

義手ではない。DRLの腕は天原旭の肉体と完全に融合していた。


「DRLってそんな風にも使えるの!?」

「さあな。少なくとも、研究所に居た頃はそんな話聞いた事もねえ。だけどよ、不思議とは思わないんだ」

「どうして!?すっごく不思議だよ」

「……初めてじゃ無かったからさ」


自らの肉体がDRLとなる感覚は、既知のものであった。

思い出すだけで吐き気をもよおす、忌まわしい記憶だ。


九十九に捕らえられ、DRLの怪物ドリル獣に改造されたこと。

その時も虎珠皇に救出されはしたが、何らかの影響が彼の肉体に残っていたのであろう。


「ま、俺はバカだから難しいことは分かんねー。ただ、が出来るようになったお陰でこうして生き残れてる」

旭はしみじみと言いながら持ち上げた右腕をドリルに変形させ、ゆっくりと回転させて見せた。


それから先も、魔族との戦いは続いた。

あてどなく地獄界をさすらう人間を“獲物”と見なす魔族は多く、旭と虎珠皇はそれら全てと正面から争ったのだ。


戦いを重ねる度、生身の肉体はどこかが傷つき、欠けていった。

その度に虎珠皇から分け与えられたDRLを肉体に取り込み、今では全身の4割がDRLである。


「いつからか、くそバケモンどもは俺のことを『鉛色の牙』、虎珠皇を『黄金の爪』って呼び始めたよ」

「有名人になっちゃったの?」

「そんな所だろうな」


溜めた息を吐き出して、腕をドリルから五本指に戻し、拳を握る。


「地獄界にはいたる所に『ゲドー軍』とか言う調子付いた連中が居てな。そいつらを片っ端からブン殴って回ってるから目立つんだろうよ」


*


「不思議だなぁ」

旭の話を大きな瞳を見開き聞いていた舞が呟くように言った。


「何がだ?」

少女を取り巻く状況は現在進行形で不思議の塊である。

何をもって不思議と言わしめるのかは一言ではまったく判らない。


「旭さん」

「俺か。自分でもそう思うけどな。人間、その気になれば何でもできるって事じゃねえか?」

「ううん、そうじゃなくて」


旭の理解に首を横に振った舞が自身の疑問を訥々と口にする。

「あのね、彰吾さんって最初はすっごく怖かったの。だけど旭さんはね……えっと、見た目は彰吾さんより怖いんだけどね、怖くないんだ」

「よくわかんねえ」

「うーん、なんだろう……あ、そうそう。旭さん、優しいもん。声の感じとか、全体的に。どうして?」


少女に見上げるように覗き込まれた旭は、視線をコクピットの天井へやり数秒考える。

やがて答えらしきものに思い至り、生身の隻眼を少女に向けた。


「妹が居たんだ。お前と同じくらいのな」

「妹さん」

「ああ。舞、お前は中学生だったよな。妹は高校に入ったばかりだった」

「じゃあ、私よりちょっとだけお姉さんなんだね。今は採掘都市に居るの?」

「……もう居ねー。殺されちまった。両親も一緒にな」


精悍な横顔が陰るのを見て、舞も俯く。

「……ごめんなさい」

「謝んなくていいよ。多分、無意識のうちに舞を妹と重ねてたんだろうな」


それから、自然とコクピット内に沈黙が生まれ、ドリルの振動音だけが規則的に流れていた。


「今度は助けられた、って思った」


正面のモニターを眺めたままの旭が、ぽつりと口に出した。

舞は黙って言葉の続きを待つ。


「お前をあそこで見つけたときに、な。何だろうな……ちょっとだけ、って感じだ。舞、ありがとよ」

青年の穏やかな微笑みに、舞は自分でも正体の判らない戸惑いを感じた。

だがそれと同時に、おそらくこの青年が鉛色の装甲の下に本来持つ暖かさは素直に受け容れることができる。


「私、何にもしてないよ」


微笑みを返す少女の目尻は、いつのまにかじわりと湿っていた。


*


「虎珠皇……バケモンのを見つけたのか」

サブモニター代わりの端末越しに、虎珠皇が捉えた魔族の気配を読み取る。

振動や熱だけでなく精命力をも検出する感覚器センサーは、進行方向の数キロ先に無数の生体反応を補足。


「私も見てみる。どこか高い所へ上れない?」

「おう、頼むぜ」


旭は虎珠皇を手近な丘へと“浮上”させ、コクピットハッチを開放した即席の足場に舞と並び立った。


「……うん、向こうの方にすごくたくさん鬼が居る。お城みたいなのも見えるよ」

退魔士の里で短期間ながら修練を積んだ舞の『千里眼』は、数回の実戦経験も相まって以前よりも研ぎ澄まされている。


その超視力が、はるか彼方の平野に陣を構えた魔族の軍勢を鮮明に捉えていた。


「へっ、暴れ甲斐がありそうだな」

「ねえねえ、ホントにすっごく沢山いるよ?原っぱにびっしり!どうするの?」

「どうするって?」

「作戦とか」

「作戦か。そうだな……」


コクピットに戻った旭は、再び虎珠皇を地中へ沈めて考えるようなポーズをとる。


。これで行こうぜ!」


DRLの左眼を見開いた旭に応え、虎珠皇が両腕のドリルの回転数を上げた。


「さっ、!?」

舞の思考は突然身体にかかった加速の圧力に制される。


黒色の土中を巨人のドリルが掻き分け、奔る。

身体の奥底から湧き上がる衝動のマグマは、総てに変換されていく。


目指すのは、地獄の平原を埋め尽くす『ゲドー軍』の本陣。


コクピットの壁面に据えられたインジケーターは、遂に300地中ノットをマークした。

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