第6話 遺志

夕を責め苛んでいた触手の戒めが不意にするりと解かれ、持ち上げられていた体がゆっくりと地面に下ろされた。


(なにか……で何かがあったの?)


依然暗闇の中、自由になった両手で触手に乱された着衣を整える。

シャツのボタンは所々千切れ、袖は破れ抜けていた。

めくり上げられたスカートの裾を伸ばし、穴だらけになったタイツを隠す。


「何なのこれ……分からないよ……」

落ち着ける暇が、かえって不安を増大させる。

しかしその暇もすぐに新たな異変によってかき消される。


夕の囚われている暗闇の空間、巨人の体内が脈打つような鳴動を始めたのだ。


巨大なスピーカーに囲まれたかのような重低音が、身体の芯まで浸透してくる。

同時に棺のような暗闇の箱はその形を変える。

先ほどは触手の根元であった床の部分が盛り上がり始め、たちまち足元から背後にかけて椅子のような形状が出現。

夕はそのまま出来たばかりのシートに腰掛ける格好となった。


「えっ、何々!?今度はどうしたのよォ!?」

視界を覆っていた闇が晴れる。ちょうど人ひとりが収まるような空間に、夕は座っていた。

周りを囲む淡く透き通るような銀白色の壁には、所々に黒い線が折れ曲がりながら描かれている。

暗闇から一転した眩い光景に目が慣れる頃、前方の壁面がガラスのように完全に透き通り、向こう側に土の中のような風景が映し出された。


「気がついたみたいだね」


状況がまったく飲み込めず呆然とする夕に、声が語りかけてくる。


「明彦さん!?」

ようやく慣れ親しんだ声が耳に入り、安堵した夕の表情が明るくなる。


「明彦さん、どこから話しかけてるの?ねえ、ここはどこなのかわかる?」

次々と口をついて言葉が出そうになるのを、努めて整理しながら話す夕。


彼女の問いかけに、恋人の声はやや心苦しそうに答えた。

「君が今座っているのは、私の体内だ」

「たい、ない?何、言ってるの?あなたは明彦さん……じゃない……?」

「私は嵐剣皇。国主明彦は、その身を捧げ私の自我の礎となった」


*


嵐剣皇と名乗った紅い巨人は、先刻脱出した廃屋の地下から更に深く掘り進んだ後、現場から出来る限り離れるべく地中を掘り進んでいた。


「どういうこと、身を捧げた、って……明彦さんはどうなったの?あなたは一体何者!?」

「私はドリルロボ。超物質DRLによって造り上げられた『兵器』だ」

「DRL……兵器?」

「私自身のことを知らされてインプットいる限り伝えよう。私はロボットでありながら、生命体の持つ精命力オーラを扱えるよう設計された。しかし、人為的なプログラムだけではそのような機構の構築が不可能であった為に――私を造った組織の者達は人間そのものを機構として利用することを考えた」


息を呑む夕に、嵐剣皇が更に続ける。

「私のとして――この採掘都市に住む者の中から、精命力の素養が高い者が選ばれた。夕、君のことだ」

「私――!?」

「ああ。組織の者達は君を拉致し、私に組み込もうとした。その時に彼が…国主明彦が現れた」


「明彦さんが……それで、どうなったの…?」

「君の精命力経絡サーキットを肉体ごと取り込むことで、私は起動する計画だった。しかし、その寸前に国主明彦が君の身代わりとなったのだ」


その言葉に、夕は頭を思い切り打たれたような心地がした。

「一度に多くのことを話しすぎてしまったか。辛ければ、追々伝えよう」

「いえ、今わかってることは全部聞いておきたい」

血の気が引き、肌が粟立つのを感じながらも、夕は真実を知っておかなくてはならないと直感し嵐剣皇に話の続きを促した。


「彼の精命力は並の人間を遥かに凌駕していた。その高密度な精命力に影響された私の中枢機構は、取り込みの対象を君から彼に変更したのだ。そして、もう一つ、イレギュラーな事象が

「イレギュラー?」

「単なるロボット兵器として完成する筈だった私に高度な自律性が備わった。こうして君と話をすることなど、本来ならば有り得ない」

「どういうこと?」

「……私には、国主明彦の人格と記憶の殆どがコピーされているんだ」


そこまで話し終えると、嵐剣皇は移動を一時中断し人気の無い採掘現場跡の地表に出た。


「人格と記憶が……じゃあ、あなたは明彦さん?」

「私の自己同一性はあくまでも嵐剣皇として認識されている。残念ながら、彼はもう、この世に居ない」

「そんな……そんなこと!そんなこと、って……!」


悲鳴にも似た夕の声が銀白色の壁面に響く。

その悲痛な叫びを体内に受け止めながら、嵐剣皇が宣言する。

「彼は取り込まれる瞬間、限りなく強い『意志』を私に刻んだ。最期に遺したその意志が私の総てだ――薙瀬夕、これから先は私が君を守る」


だが、巨人の誓いの言葉に夕はかぶりを振った。

「私を守るって言ってくれたのは『あの人』よ……『あなた』じゃない!明彦さんを返して!返してよ……!」


「――――すまない――」

嵐剣皇にそれ以上紡げる言葉は無かった。


「やめてよ……その声で、そんな風に話すのはやめて……」

今の夕にとって、明彦と変らぬ嵐剣皇の穏やかな声は責苦の鞭に等しい。

せめて、本当にロボットのように淡々と事実を告げられたなら、なりふり構わず喚き散らすことだって出来たかもしれないのに。


「……

不意に夕が呟く。

「国主の家に伝わる言葉か。何かの詩か呪文の一片ではないか、と考えられているらしい」


嵐剣皇がその言葉の意味に全く思い至っていないことを確認し、添い遂げることを誓った者が本当にこの世から消え去ってしまったことを理解した。


「明彦さん……ずっと一緒って、約束、したじゃない……」

夕は銀のシートの上で膝を抱え顔を伏せ、体ごとふさぎこむ様にして嗚咽した。


*


夕の嗚咽が漸く落ち着き始めた頃、突如大地が揺れる。

揺さぶられた地表が弾け、四つ足の巨体が紅の巨人の眼前に飛び出した。


丸みを帯びたシルエットには跳躍するための太い後肢。

体表に黒い斑点の浮かぶ蝦蟇のような胴体には、三叉に分かれたドリルが放射状に並ぶ。


ドリル獣である。


「なにあれ……」

嵐剣皇の視界は、夕が居る体内のコクピットにも映し出されている。


「狙いは私。あるいは、か」

ドリル獣の巨体が少し低く沈むのを見て、嵐剣皇は真横へ体を捌く。

次の瞬間、ドリル獣の巨体が嵐剣皇の居た場所を猛スピードで通過した。


初撃の体当たりをかわされたドリル獣は角度を変えて3度小さく跳躍し、嵐剣皇に向き直る。

頭部の三叉ドリルを無機質に回転させ、再びの跳躍。

嵐剣皇は上体を捻りこれを回避。


それしか知らぬのであろうか、猛スピードの体当たりを飽きることなく繰り返す。

最小限の動きでそのすべてを回避する嵐剣皇を中心にして、巨獣が竜巻の如く跳び交う。


「単調な動きだ。知性はほぼないようだな」

冷静に対手を分析する嵐剣皇。

国主明彦の記憶と共に、その超人的な体術も受け継いでいるのだ。


一方、夕は目を回しながら体内のモニターを見守っていた。

そして、彼女は気付く。

「嵐剣皇、反撃はしないの?」


嵐剣皇は自らをして『ロボット兵器』と言った。

兵器とは、戦う為に存在する。その名を冠するからには、目の前に迫る自身と同規模の脅威を排除し得ないことの方が不自然なことであった。


「夕。私はどうやら単独では性能を発揮し切れないように造られているようだ」

なおも続く体当たりを回避し続けながら、嵐剣皇は申し訳なさそうに打ち明けた。


「ど、どういうことよそれ!それじゃあ」

「……見たところ、敵もDRL躯体。動力源にのエネルギー機関を用いていないところを見ると、私と同じく精命経絡を備えているらしい」

「わかるように言ってよ」

「奴は、破壊されない限りは半永久的に稼働し続けるだろう」

「じゃあジリ貧じゃない!」

夕の非難を甘んじて受ける嵐剣皇。


不意にドリル獣が跳躍を止め、地表にぴたりとうずくまる。

「あれ?あいつ、もしかして疲れたんじゃない?」

希望的観測を口にする夕だが、すぐに否定される。


ドリル獣の三叉の頭部が、それぞれ異なるタイミングで飛び出してきた。

頭部ドリルの根元は胴体と繋がっており、カメレオンの舌のような柔軟さと俊敏さで獲物を狙う。


「いかん……!」

体を捌こうとした嵐剣皇がたたらを踏む。

幾度も繰り返された巨体の跳躍により、周囲の地表が不規則に歪んでいたのだ。

凹凸する地面で、体当たりよりも更に高速で飛来するドリルを回避することは至難。


「ぬぅ!」

咄嗟に体を捻り、胸部を穿たんとするドリルを肩の装甲で受け流す。

直撃は免れたものの、左の肩口は深く抉られた。


「あ、当たった!?」

「問題ない」

「問題ありでしょ!こんなの、いつまでも保たないわよ!?」

「……君だけはこの身に代えても守る」


その言葉が繰り返されるのを聞いた時、夕は頭に血が上るのが自分でもはっきり分かった。


「あなたロボットならもうちょっと考えなさい!!あなたが盾になったって、残された私ごと殺されるかもしれないでしょう!?出来もしないことを…軽々しく言わないで!」

巨人を一喝する夕が握り締めた左手で、指輪が鈍く輝いた。

光の反射ではなく、自ら発光したのである。


「……夕!?」

「何!?」

怒りを表わす夕は、その異変には気付かなかったが、嵐剣皇は体内で起きた異変を感じとることができた。


「君から強い精命力を感じる」

「意味がわからない!」

「君が搭乗者ナビゲーターとして力を貸してくれれば、私はすべての力を発揮することができるんだ」


ドリル獣の次撃、次々撃が迫る。即座に後ろを向き正中線を狙う攻撃を背中で受け止めながら、嵐剣皇が夕に請う。

「頼む、力を貸してくれ。君を為に!」


*


攻撃を受ける嵐剣皇が夕の乗っている部分をひたすら庇い続けていることは、コクピットに居る夕にも理解できた。

何故確信が持てるのかは不思議だが、嵐剣皇の想いが偽りでないことも本当は最初から解っていた。


「守るから力を貸せ、って……あなた矛盾してるわ、ロボットのくせに」

「君にとって私は仇も同然だ。償い切れるものは持ち合わせていない」

「そうね。私はあなたを絶対に許さない」

「夕……本当に、すまない……」


ドリル獣の連撃を受け続ける紅の甲冑が歪み、嵐剣皇は大地に膝をつく。

その姿は、懺悔し許しを乞うかのようでもあった。


「私、ロボットになんて全然興味なかったんだから。動かそうだなんて考えたこともないわ」

嵐剣皇が受ける衝撃は、コクピットの中の夕にも伝わってくる。

シートを通してその衝撃を感じながら、夕は瞑目して深く息を吐いた。

そして目を見開くと、静かな声音で巨人に告げる。


「本当に、無茶なことを引き受けさせてるってこと。覚えておきなさいよ?」


「夕……それは」

「搭乗者とやらになるって言ってるの。私の命は、明彦さんが自分の命と引き換えにして遺してくれた。どんなことをしてでも、私は生き延びる!」

「……感謝の極み。搭乗者ナビゲーター、これより反撃を開始する!」


座席の左右から、一対の結晶の柱が伸びる。

それが『操縦桿』であると直観的に理解し、夕は身を乗り出して握り締めた。


紅の面の奥に隠された双眸が輝き、異形の騎士が真の力を発揮する。


*


獲物が地に伏せたのを見たドリル獣が、三つのドリルを同時に回転させ身を屈める。

低く鋭い跳躍。三叉の螺旋が遂に紅の装甲に致命的な大穴を開ける。止めの一撃だ。


「……?」

標的からドリルを引き抜いた蝦蟇は当惑したように身じろぎする。

たった今串刺しにした筈の嵐剣皇の姿がどこにも見当たらず、目の前には三つの大穴が穿たれた巨岩が転がっていたからだ。

三叉の頭を左右に振り、周囲を確認するが影は無し。


「どこを見ている」


紅の甲冑が、蝦蟇の頭上で鈍い光を放っていた。

嵐剣皇は右前腕に折り畳まれていた細身のドリルを展開。

レイピアのように構えると不可視の速度でドリル獣の頭部の一角を刺し貫いた。


脅威を追い払おうと、残り二つのドリルを伸ばし頭上へ打ち付けるドリル獣。

嵐剣皇はそのまま跳躍し攻撃を回避。その高さは7mに及ぶ自身の身の丈の数倍だ。


空中に逃れた嵐剣皇を追撃しようと、ドリルを回転させ後肢に力を矯める蝦蟇であったが、跳躍の意志に反しその巨体は一向に動かない。

嵐剣皇の左腕から、細いドリルが竹のようにしなやかに伸び、ドリル獣の脚を地面に縫い付けているのだ。

右腕のドリルも如意に伸長させ、蝦蟇に残された二つのうち左側を穿つ。


左右のドリルを腕に収めた嵐剣皇は、声もなく苦悶するドリル獣の正面に着地する。

怒りの形相をつくる代わりに、蝦蟇は残された最後のドリルを高速回転させ、健在な三つの脚で大地を踏みしめる。


「これで、最後だ」


膝の下まで伸びる両腕を背に回し、対手から隠す。

大地を蹴ってドリル獣に迫る紅の疾風は、国主の一族より受け継いだ精妙な足捌きの業により、二手の影となる。


追い詰められ鋭敏になったドリル獣の感覚は、疾駆する嵐剣皇の動きを捉え、瞬速の一撃が左の影を貫く。


そして、何も無い宙を切った。


蝦蟇の舌先は体に巻き戻ることなく地に落ちる。

同時に崩れ落ちる胴体には細く深い孔が一つ。


急速に色褪せ石灰化する巨体の右後方。

嵐剣皇は打ち倒した追手に背を向けたまま、ドリルを右腕に納めた。

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