金魚鉢17 終章~闇色金魚

 それは、金魚鉢に囚われた亜人たちの総意そういだった。

 拡大する金魚鉢の影響力を恐れた政府が、金魚鉢を潰しにかかったのだ。売春および風俗業の全てを政府が管理し、一任する。表向きは未成年の売春や人身売買などを問題視する先進国や国連の勧告かんこくを受けての法改正。

 実際には金魚鉢を始め、各地の花街はなまちで影響力を強める亜人の力をぐためのもの。亜人たちを保護している亜人経営の売春宿及および風俗の解体と、そこで育まれていた亜人たちの団結力だんけつりょくを奪うことを目的とした法律の改悪。

 法律は改正され、自治を勝ち取ってきた金魚鉢も政府の管理下に置かれることとなった。

 そして、金魚鉢の亜人たちは決意したのだ。

 金魚鉢を壊すと。

 自らがきずき上げてきたものを壊すことにより、島を治める総督府そうとくふの横暴と亜人たちの現状を世界に知らせようと、彼女たちは立ちあがる。

 そして法律が改正され、政府公認の管理人たちが金魚たちにやってくる日に、計画は実行に移された。

 


 外では、多くの船が行き交っていた。金魚鉢には人があふれ、遊郭の飾窓かざりまどからはみやびな音楽が流れている。

 金魚鉢には水路が交差する大広場がある。円状の形をした大広場の中央には舞台がもうけられ、その上でフクスとミーオが舞っていた。

 政府関係者に贈られる、歓迎かんがいの舞。月光にかかげた手を振りかざし、2人は優美に舞をおどる。

 フクスとミーオは幾重いくえにも薄布が重なる衣をひるがえし、手と手を絡み合わせる。月光が艶やかに彼女たちを照らし、船に乗る人々が羨望せんぼうの眼差しを送ってくる。フクスとミーオは頬を付き合せながら、客たちにすずやかな眼差しを送り返した。

 今日は、フクスがキンギョになる日だ。

 復讐ふくしゅう賛同さんどうしてから、フクスは見習いを卒業し客を取るようになった。西洋人の血を引く持ち前の美貌びぼうと、世にも珍しい赤狐であるということがフクスの人気に火をつけた。

 何より、ミーオが毎夜抱いてくれた体が役になった。ミーオに作り替えられた体は、男たちに抱かれるたびにつやを増し、フクスを美しい娼婦しょうふへと仕立て上げていく。

 オーアの後押しもあり、フクスは短期間のうちにキンギョになることを許された。

 フクスはミーオを見つめる。

 微笑む彼女の眼に光が宿っていない。その感情を映さないミーオの眼が、フクスは怖かった。

 父親が殺されたあの夜から、ミーオは心の底から笑わなくなった。色のない眼をつねに周囲に向け、機械的に男に抱かれるミーオをフクスは見守ることしかできなかったのだ。

 フクスに眼に見つめられると、心の中に大きな不安が生じる。ミーオが父親を追って、あの谷に身を投げはしないかと背筋が寒くなる。

 そんな不安も、今日で終わるのだ。

 金魚鉢は壊れる。たくさんの栄光と暗闇と、亜人たちの悲しみで出来ていた硝子の鉢は世界に復讐するために壊されるのだ。

 今日は、政府の高官も法改正を祝ってたくさん金魚鉢にやって来ているのだ。絶好の復讐日和と言って良い。

「フクス……」

 ミーオが囁く。体をひねりながら、フクスはミーオを見つめた。彼女は微笑んでいる。笑の形に整えられた瑠璃色の眼は、嬉しそうに煌めいていた。

「もうすぐ、金魚鉢が壊れるよ……」

 小さく、弾んだ声をミーオが発する。喜色きしょくを眼ににじませ、彼女は両手を広げて舞を踊る。

 フクスは嬉しくて笑っていた。

 こんなに楽しそうなミーオを見るのは、久しぶりだ。ミーオが心の底から笑っている。

 金魚鉢が壊れることを望んでいる。

 爆音ばくおんが響く。フクスは舞いながら煙をあげる大広場の一角を見つめた。遊郭の建物が爆発により吹き飛び、赤い炎を吹き上げている。

 その上空を、翠色すいしょくの花火が彩っていた。

「兄さん……」

 兄の優しい眼差しをフクスは思い出していた。この美しい花火を、レーゲンスは見てくれているだろうか。

 フクスとミーオは微笑み合い、くるくるとお互いに体を回す。その舞に合わせ、爆音がメロディをかなでていく。

 人々の悲鳴が聞こえる。船が水中に設置された爆弾によって、吹き飛ばされていく。その度に水飛沫みずしぶきがあがって、月光にきらめく。色とりどりの闘魚とうぎょが、夜闇に投げ出される。

「フクスっ!」

 ミーオが微笑みながら手を差し伸べてくれる。フクスはミーオに微笑みを返し、その手を握った。

 舞台のはじに設置された通路を2人は駆ける。

舞台にひかえていた亜人の少女たちが、笑いながら水路へと落ちていく。落ちていく彼女たちを笑顔で見送りながら、2人は通路を駆け抜ける。爆発によって水は濁流だくりゅうとなり、おぼれる少女たちを呑み込んでいく。

 フクスとミーオは大広場の隅にある遊郭へと入っていった。

 遊郭の螺旋階段らせんかいだんを駆け上がり、頂上についた窓からアーケードの硝子天井がらすてんじょうへとおどり出る。硝子の中では、爆音に驚いた金魚たちが暴れまわっていた。

 2人のすぐ側で爆発が巻き起こり、暴れる金魚たちを空中へと投げ出していく。投げ出された金魚が月光に美しく煌めいて、落ちていく。

「花火みたい……」

 うっとりと、フクスが呟いた。夜空に閃光せんこうが走り、フクスとミーオは空を仰ぐ。

 爆音とともに、美しい大輪の花火が闇夜を明るく照らしていた。

 ミーオの父親が造った花火だ。この日のために、オーアは村に残されていた父親の花火工房はなびこうぼうを買い取った。そこに残っていたありったけの花火を、爆弾として利用することにしたのだ。

 あの夜見ることが叶わなかった花火をフクスたちは眺めている。

 硝子天井の下では男たちの悲鳴と、溺れる少女たちの嬌声きょうせいが美しく鳴り響いている。

「まるで、お祭りだわ……」

 ミーオが呟く。フクスはミーオを見た。ミーオは蒼猫耳を伏せ、気持ちよさそうに眼をつむっていた。周囲の音に耳をませているのか、猫耳についた飾り毛がときおりれる。

「行こう、ミーオ」

「うん」

 フクスはミーオに手を差し伸べていた。2人は手を繋ぎ、硝子天井を駆け抜ける。2人が駆けるたびに爆音が硝子を吹き飛ばし、金魚が巻き上げられ、人々の悲鳴が周囲をいろどった。

 夜空には色とりどりの花火が咲き誇る。月光が、壊れていく金魚鉢を優しく包み込む。

 ミーオとともに駆けるフクスの狐耳に、轟音が近づいてきた。大量の水が流れ落ちる音だ。

 フクスは、眼を細めていた。谷の大瀑布だいばくふが近づいてきている。復讐劇の終わりが、もうすぐ近づいているのだ。

 硝子天井が途切れる。瑠璃湖の水面が途切れ、その湖の水を呑み込む巨大な谷が姿を現した。谷は闇色に染まり、大瀑布の水を呑み込んでいく。

 握っているミーオの手が震えていることに、フクスは気がついた。

「ミーオ……」

「ごめん、お父さんのこと思い出しちゃって……」

 ミーオが泣いている。瑠璃色の眼に涙を溜め、彼女はフクスに笑ってみせる。そっとフクスは、ミーオを抱きしめていた。

「もうすぐ、いに行けるよ……」

 ミーオの猫耳に優しく囁く。ミーオは大きく眼を見開き、フクスを見つめた。

「私も、兄さんに会いたい……」

 眼が、熱を持つ。視界が潤んで、見つめているミーオの姿が歪む。フクスは涙をたえながら言葉を続けた。

「私たちで、お仕舞いにするの。世界は、変わらないかもしれない。でも、私たちみたいにさげすまれたり、犯されたり、大切な人を殺される子達が少しでも減るなら、これは意味のあることなんだよ」

 涙が、頬を流れる。

 谷に落とされたレーゲングスの姿を思い出し、フクスは泣いていた。

 ――お前が亜人じゃなかったら、みんな幸せなのにな。

 そう、フクスに言った父ももうこの世にいない。兄が亡くなったことを知った父は、優しくフクスを抱きしめ泣きながら死んでいった。

 ――すまなかった。

 そう、フクスに言葉を残して。

 ここから落ちれば、父と兄のもとへとくことが出来るのだ。そして願う。自分と同じような目に合う少女が1人でも減れば良いと。

 金魚鉢が壊れた程度で、世界が変わるとは思えない。それでも、フクスはどこかで何かが変わることを望んでいた。

「オーア……」

 ミーオが呟く。フクスは彼女を見つめた。

 ミーオは大きく眼を見開き、硝子天井の下を見つめていた。

 船に乗ったオーアが、立ち上がりフクスたちに手を振っている。

 オーアの乗った船には、同じ遊郭で働いていた少女たちが乗っていた

 彼女たちは獣耳を立ち上げ、フクスたちに手を振る。みんな笑顔を浮かべ、その眼には涙が浮かんでいた。

 ――先に逝ってるね。

 オーアが、そう唇を動かす。オーアたちを乗せた船は、割れた硝子の壁を通り抜け、大瀑布へと呑まれていった。

「オーアさん……」

「逝こう、フクス……」

 ミーオに声をかけられ、フクスは顔をあげる。濡れた眼に笑顔を浮かべ、ミーオはフクスに手を差し伸べていた。フクスはゆっくりと頷き、ミーオの手を取る。

 手を繋いだ少女たちは、赤い衣をひるがえしながら谷へと身を投げた。

 上昇する風がフクスの衣をはためかせ、大瀑布の水を浴びせていく。フクスはミーオを見つめた。ミーオは怯えたように眼をゆらし、谷底の闇を見つめていた。

「ミーオ」

 ミーオに呼びかけ、フクスは彼女を引き寄せる。驚いた様子でミーオは猫耳を立ち上げた。彼女は笑顔を浮かべてフクスの胸元に飛び込んでくる。

 ぎゅっとフクスはミーオを力強く抱きしめた。

 まぶしい月光を感じ、空を仰ぐ。月が美しい翠色に輝いていた。

 まるで、レーゲンスが優しく自分たちを見守っているようだ。

 周囲を見つめる。衣と獣の耳を翻しながら、幾人もの亜人の少女が笑っていた。風にゆられながら夜闇に落ちていく彼女たちは、暗い水を泳ぐ金魚のようだ。

 フクスは、そっと眼を閉じていた。

 暗いまぶたの裏に、蒼い衣を翻すミーオの姿が蘇ってくる。この谷の底には、兄さんやミーオの父親がいる。彼らに再開したら、ミーオと一緒に舞を踊ろう。

 きっとミーオは喜びながら美しい舞を披露するに違いない。

 眼を開け、フクスはミーオに微笑みかけていた。ミーオは瑠璃色の眼を煌めかせ笑ってくれる。

 そっと2人は顔を近づけ、口づけを交わした。

 ゆらゆらと、金魚のひれのように2人の衣がゆれる。深い谷の闇が、赤い衣をまとうう少女たちをゆっくりと呑み込んでいった。

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金魚鉢  短編版 猫目 青 @namakemono

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