金魚鉢14 告白~蒼猫悲話

「あの人が、フクスを取り戻そうとしてる……」

 寝台の天蓋てんがいに描かれた金魚を眺めていたフクスの狐耳きつねに、ミーオの声が届く。フクスはとなりに寝そべるミーオへと体を向けた。

 ミーオはあおい裸体に赤い絹布きぬぬのを巻きつけていた。彼女の瑠璃色るりいろの眼が、不安げにフクスを映し込んでいる。

 ミーオとフクスは、豪奢ごうしゃな天蓋付きの寝台に身を横たえていた。寝台は部屋の中央に置かれ、その周囲を薄いしゃの布が幾重いくえにも取り囲んでいる。寝台の横には唐草模様かさくらもようほどこされた鉄製の衝立ついたてとテーブルがあり、テーブルの上でジャスミンの香がかれていた。

 ミーオが客をまねく部屋だ。客人たちが帰ったあと、フクスはミーオに呼ばれこの部屋にやって来た。

 ミーオは激しくフクスを抱いた。嫌がるフクスの唇をふさいで、フクスの裸体にくちびを落としていった。

 フクスの体には、ミーオに口づけられたあとが無数に残っている。その跡をなぞりながら、ミーオが言葉を続ける。

「フクスを捨てたくせに、どうしてレーゲングスさんはフクスをまた欲しがるの? 私、あの人が分からないわ……」

「ミーオ」

 悲しげなミーオの頬に、フクスは唇を落とす。甘い息がミーオの唇から漏れ、フクスは体を震わせていた。

「嫌よ……。フクスは、フクスだけは私の側にいて……」

 ミーオはフクスを抱き寄せた。フクスもミーオの背中に腕を回す。

 ミーオの体は震えていた。怯えるように、彼女は眼をフクスに向けてくる。フクスは翠色の眼を優しく細め、ミーオの猫耳をでていた。

 ミーオから聴かされた話を思い出し、フクスは顔を曇らせる。

 兄がフクスの身請みうけけについて、ミーオに話を切り出したらしい。フクスを買い戻したいと懇願こんがんする兄と、ミーオは言い合いになったらしいのだ。

 その後、ミーオはフクスをこの部屋に呼びつけはげしく犯した。

 ――私だけを、見て……。

 そう涙声を発しながら、ミーオはフクスの体に涙をこぼしていくのだ。嫌がっていたフクスは、その涙を見てミーオの乱暴な愛撫あいぶを受け入れた。

 一瞬、レーゲングスのさみしげな眼が脳裏を過る。だが、フクスの心は決まっていた。ふっと笑顔を浮かべ、フクスはミーオに囁きかける。

「どこにもいかないわ。ずっと、あなたの側にいるよ……」

 あやす様にフクスはミーオの背中を叩く。ミーオは体を丸め、フクスの胸元に顔を押しつけた。

「私、あの人が嫌い。いつもフクスのことばかり見て、フクスを私から盗ろうとしているの。お父さんを私から奪った、金魚鉢みたいに……」

「お父さんを、奪った?」

 ミーオが顔をあげる。彼女は瑠璃色の眼を悲しげにゆがめていた。

 同じ色の眼を持つ男性をフクスは思い出す。フクスを遊郭まで連れてきたくれた船頭だ。

 ミーオの父親である彼は、娘のいる遊郭に客を運んでくる。娘であるミーオには会おうとさえしない。

 その代わり、彼は娘のために花火を打ち上げるのだ。ミーオが落ち込むことがあると、いつも夜空を花火が彩る。その花火を見上げるミーオは、悲しげな笑顔を浮かべる

 その原因が金魚鉢にあるとミーオは言っている。いぶかしげに眼を細め、フクスはミーオの言葉を待った。ミーオが、震える声で言葉を続けていく。

「蒼猫は、幸福の象徴……。蒼猫の娘を抱くと幸せになれるって迷信があるの……。だから村の男たちは、お父さんに私を売るようせまってた。お父さんはそんな私をかばって、お母さんは私を守るためにつきっきりで……。でも、そのせいでお母さんは……」

 彼女は、大粒の涙を零しながら両手で顔をおおった。

「たくさんの男たちに、私とお母さんは犯された。凄く痛くて、恐くて……。それでもね、お母さんは私の名前を必死になって呼ぶの。ミーオ。大丈夫よ、ミーオって。男たちがそれを笑って、お母さんをたくさん殴って……。お母さんは動かなくなって……」

 ミーオの体が震えている。その震えが、腕を通じて伝わってくる。フクスはぎゅっとミーオを抱き寄せていた。

「お父さんが助けに来たときには、男たちはいなかった。お母さんは冷たくなって、私はお母さんにしがみついて泣くことしか出来なくて……。父さんにお願いしたの。殺してくださいって……。でも、お父さんは私をたくさん叩いて、泣いて、抱きしめてくれた……。金魚鉢で戦えって言った……。誰にも負けないキンギョになって、お母さんを殺した奴らに復讐しようって……」

 ミーオが顔から両手を離す。涙に煌く眼を細め、彼女は艶然えんぜんと微笑んでみせたのだ。その微笑みにフクスは息を飲んだ。爛々らんらんと輝くミーオの眼が、恐ろしく思えたのだ。

「だから私、頑張ってキンギョになった。嫌な男たちの相手もたくさんした。お母さんを殺した豚どもを徹底的てっていてきに調べ上げて、お父さんとそいつらを追いつめていった。でも、でもね……。お父さんがここに来てくれないの……。昔みたいに、笑ってくれないの……。私、ここで独りぼっち。フクスがいなくなったら、私……」

 ミーオの微笑が、苦しげに歪む。彼女はフクスの胸元に顔を押しつけ、嗚咽おえつを漏らす。

 ミーオの告白を聞いて、フクスは自失していた。

 蒼色キンギョとして、金魚鉢で知らないものはいないミーオ。見習いフナの誰もが彼女に憧れ、ミーオ付きの自分をいじめていた。

 そんな彼女に、深い闇が隠されていた。その事実にフクスは衝撃を受けたのだ。

「お父さんに、会いたいよ……」

 ミーオの涙声がフクスの狐耳に突き刺さる。

「ミーオ……」

 フクスはミーオを呼んでいた。ミーオが顔をあげる。父親と同じ瑠璃色の眼が大きく見開かれている。

「会いに行こう……。お父さんも待ってるよ……」

 優しくミーオに微笑む。

「フクス……」

 彼女は笑顔を浮かべ、力強く頷いてくれた。



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