金魚鉢11 記憶~女狐回顧

「絶対、誰にも言うんじゃないぞ」

 威圧的いあつてきなオーアの声が室内しつないに響く。部屋の中央に立つフクスは、ソファに座るオーアにうなずくことしかできなかった。がばっとオーアは立ち上がり、フクスに笑みを向けてくる。

 びくりと、フクスは狐耳を震わせていた。

「言わないよな? フクスはミーオと違っていい子だもんなっ?」

 大股おおまたでフクスに近づきながら、オーアは弾んだ声をかけてくる。そんなオーアにフクスは何度も頷いてみせた。

「よーし、いい子だぁ。後でご褒美ほうびあげるからなぁっ!」

 オーアは豪快ごうかいにフクスの髪をででみせる。その感触がくすぐったくて、フクスは狐耳をせていた。

「あっ、ごめんな。やりすぎた」

 苦笑を浮かべ、オーアがすまなそうに黄土色の狐耳をたらしてくる。彼女は優しく眼を細め、フクスの頬に指をすべらせた。

「オーアさん……」

「表情、だいぶ柔らかくなったな。ここに来たばかりのころは、人のことをにらみつけることしかしなかったくせに……」

 そっとフクスの頬を撫で、オーアは笑みを浮かべる。彼女の言葉に、フクスは大きく眼を見開いていた。

「なぁ、フクス。ここはお前にとって苦界くかいか?」

 眼を伏せ、オーアがたずねてくる。彼女の言葉に、フクスは金魚鉢の風評を思い出していた。

 ――金魚鉢は、亜人少女たちの苦界。1度入ったら2度と出られず、美しい奴隷のまま一生を過ごす。

 けれど、フクスの考えは違っていた。

「そうとは、思えません……」

 自分の思いを口にしてみる。その言葉に自身が持てず、フクスはすがるようにオーアを見つめていた。オーアは困ったように狐耳を動かし、フクスに笑いかけてくる。

 そんなオーアを見つめながら、フクスは言葉を続ける。

「たしかに普通の人から見たら、ここは苦界なのかもしれない。私たちは奴隷なのかもしれない。でも、ミーオやオーアさんを見ていると、そんな風には思えないんです」

「私たちを見ていると……」

「みんな、戦ってる。そう、思えるんです」

 言葉を発しながら、フクスは眼を伏せていた。

 脳裏のうりに、暗い谷を眺めていたミーオの姿が蘇る。

 闇を見つめるだけの瑠璃色るりいろの眼を、フクスは忘れることができなかった。

 彼女が、ときおり同じ眼をフクスにみせるからだ。不安なったフクスが声をかけると、ミーオはいつも何でもないと笑顔を取りつくろってくる。

 その笑顔に、安堵あんどを覚えている自分がいる。

 ミーオはこの金魚鉢という苦界に呑み込まれまいと、必死になって戦っているのだ。

 それに――

「オーアさん……。兄さんからお金、とってませんよね……」

 フクスの言葉に、オーアの顔がぼっと赤くなる。

「なっ、なんでそれを……」

「兄がこっそり教えてくれました」

 動揺どうようするオーアにフクスは優しく笑みを浮かべていた。

「あの童貞……。教えるなって、あれほど言ったのに……」

 ぼりぼりと頭をきながら、オーアはうめく。赤くなった顔をフクスに向け、オーアは続けた。

「その……。お前たち見てるとな、昔の私と重なるっていうか……。その……」

「昔の、オーアさん?」

「私とラタバイ爺のことさ……」

 優しくそう言って、オーアは笑ってみせる。遠い昔に思いをせているのだろうか。彼女の眼は、なつかしげに遠くへ向けられていた。

「私の実家はリッター家ほどじゃないがそれなりに古い名家でね……。物心着いた頃から屋敷の地下牢に幽閉ゆうへいされていた私を連れ出して、この金魚鉢に連れてきてくれたのがラタバイ爺だった。このくるわはもともと爺の幼馴染だった人のものでね、爺はその人と本当は一緒になりたかったみたいなんだ」

「その人……」

「もちろん亜人だよ。でも亜人である以上に、人間らしいひとだった……」

 笑みを深め、オーアはフクスを抱きしめる。柔らかな彼女の感触に、思わずフクスは身を固くしていた。

「フクス、私はね、この金魚鉢を守りたいんだ。私たち亜人が、唯一人として戦えるこの場所を。ここがあったから、私は戦うことができている」

 そっとフクスを抱き寄せ、彼女は言葉を続ける。

「もし、この金魚鉢が盗られるぐらいなら、壊したほうがマシだ……」

 かすかに震える彼女の声に、フクスは身を固くする。そっとオーアの顔を覗き込むと、彼女はうるんだ眼を伏せているところだった。

 何かを思いつめたようなオーアの顔を見て、フクスは静かに彼女を抱きしめ返していた。

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