第7話 102号室

「チッ、あぁクソ、本当だ。お前の言うとおり俺のパーソナルデータでアクセスしてもサイトに繋げる事ができねぇ……あぁ、そうだよ。ババァの孫が『怪奇』で間違いねぇ。そして話した通り、花をこのハイツの『怪奇』にしちまったのは俺だ」


 忌々しげにパソコンのEnterキーを叩く音が室内に響く。


 ブッブー、とクイズの不正解時のような音が短く響き、天井を仰いだ裏野は、短く舌打ちをする。


「あの子は……彼岸花が好きでね、随分と前に私と花は、彼岸花のたくさん咲くこの『彼岸町』に越してきたのよ。元々は、この町の出身でね。ほら、名字も彼岸でしょ?『裏野ハイツ』が建つ前は、この場所には彼岸花の花畑があったの。見渡す限り一面の赤い彼岸花が咲くこの場所が花は大好きだった」


 菊が花の事を話始めると、思い出したのかのようにカタカタと再びキーボードの音が鳴り始める。

 頭を掻いた裏野のくわえ煙草から、灰が落ちる。


「どうやら、システムにエラーが出ているみたいだ。何をやってもアクセス拒否されちまう。……直接202号室でアクセスかけないと駄目みたいだな」


「そうですか」


 白雪は裏野の言葉に焦りを感じていた。


「心配するな。お前のお陰で、システムに異常があることが分かった。お前の友人の事も、花の事も、俺がどうにかしてやる」


「裏野さん。……ありがとうございます」


 最初は、無愛想で強面の裏野を信頼していいか白雪は迷っていた。だからこそ、保険として菊から接触を試みた。


「構わん。……それと、俺の呼び方は薫でいい。ババァ以外とあまり接しないから、名字で呼ばれるとなんだか変な感じがする。お前とは契約上パートナーだからな」


 40歳の独身男が17歳の女子高生を業務パートナーなと呼ぶのは、いささか変な気もする。

 だが、白雪に名前で呼べと言った裏野の目に優しい光が灯されているのを感じて、とりあえず今は裏野を信じようと自分に言い聞かせた。


「はい。では、私のこともフツーちゃんと……」


「呼ばねぇよ!40男にお前は何を言わせようとしているんだ。他の人間が俺がお前をフツーちゃんとか言っているのを聞いたらどう思う?」


「プッ、それは確かに面白いわね。確か、薫君も昔「花ちゃ~ん」とか言って家に遊びに来ていたのを思い出しちゃった。あの頃の薫君は可愛かったわね~♪」


「ババァ、余計な事を話してんじゃねぇ!」


 照れ隠しで大声を上げた裏野は不機嫌には見えない。


 ボサボサに伸ばされただらしの無い髪を掻き毟りながら、花の話を聞く裏野の表情は、目尻が少し緩められてどこか穏やかな表情を浮かべていた。


「あぁ、いつも花はお節介にも、俺に彼岸花の事を話してきた。花言葉は『情熱』『悲しい思い出』『あきらめ』だったけか?全然興味なんて無かったのに、30年経った今でも覚えてら」


「二人とも仲良かったものね」


「……昔の事だ。おい、202号室に行くぞ」


 202号室。『怪奇』と接触した夜、歌が流れる前に開いた扉。

 恐らく、今回の事件の核心となる物がそこにある。


「202号室に、何があるんですか?みんなと、『怪奇』に接触した夜。その部屋の扉が開いたんです。その後、通りゃんせの歌が流れて、白い歯の黒い靄がみんなを攫って行った」


「202号室にあるのは、マザーコンピューターだ。『ヒガンハナ』は、コンピューターで術式や複雑な計算式によって作り出されたシステム――『夢』の世界で生きている。裏野ハイツの各部屋が寒いのは冷却装置が常に働いているからだ」


「システムの『夢』……。マザーコンピューター?ですか……」


「そうだ。お前でも驚く事があるんだな」


 予想外の単語に白雪は驚く。

 裏野ハイツの『怪奇』と言うくらいだから、もっと死体やオカルティックな物体が置かれているのかと勝手に想像していたからだ。


「マザーコンピューターに独自のシステム……では、二億では少し安すぎましたか?」


「ん、まぁな。だが、30年落ちのポンコツだ。相場としては妥当どころか、高すぎる位だと思うぜ。最も、金でどうこうしようと思ってた代物じゃねーからな」


「……分かりました。それと、疑問なんですが、30年前だとあなたはまだ10歳くらいの子供だったと思うのですが?」


 記録によれば、裏野ハイツの建築は1986年7月。

 築年数は30年。となると、当時の裏野の年齢を考えれば協力者がいる。


「鋭いわねフツーちゃん。その通りよ」


 控えめに手をちょこんと上げて、悪びれる様子も無く菊が答える。


「花ちゃんの魂を『怪奇』の世界に閉じ込めた術式や儀式は、私と薫君のお婆ちゃんが担当したの♪私と裏野華さんは大の仲良しで裏の世界ではちょっとした有名人アイドルだったのよ。難しい事はよく分からないけど、システムの殆どは薫君の担当ね。……その子、天才だから」


 裏野薫。幼少期を海外にいる両親の元で過ごし、その間に博士号まで取得している、紛うこと無き天才。

 両親が交通事故で急死したことにより、九歳のとき帰国して、祖母の裏野華に引き取られたと記録されている。


「その呼び方は止めろ、ババァ。今は引きこもっているだけの、ただの屑だ。……ウチの家系は代々陰陽道、ことに鬼道に長けていてな、俺の幼馴染みでババァの孫の花が病気で死んだ時、このシステムを思い付いた。『裏野ハイツ』は、夢の世界を維持するために作り上げたアパートって訳だ」


「それが『神隠し』の元凶ですか?それでは、101号室の雛月さん、103号室の化野あだしの夫妻の所も裏野ハイツの怪奇に噛んでいる、と?」


「お前……本当にどこまで調べ上げて来たんだよ?本当に『フツーちゃん』なんてよくもぬけぬけと言えるもんだぜ。だが、『神隠し』の事については、今回の件以外に俺は本当に知らない」


 白雪は、裏野の部屋に正座しながらセバスチャンの入れた紅茶を一口啜り、涼やかな笑顔を向ける。

 小汚いちゃぶ台に置かれた、持参された高そうなティーカップは、この部屋の小市民っぷりとはなんとも言えないミスマッチを感じさせた。


「あぁ、その通りだよ。ハードの開発に携わったのが101号室の雛月さんだ。化野夫妻は、雛月さんの親類でこの件には噛んでいねぇよ。越してきたのもワリと最近だ」


「そうですか。それでは、本題に入らせて頂きます。裏野さん……私を、システムの中へ送り込む事は可能ですか?……友人を、私の『普通』を取り戻すために私はここに来ました」


 裏野は、差し向けられた白雪の視線に、そこで初めて年相応の少女らしい熱を感じた。真っ直ぐ向けられた茶色混じりの双眸に、言葉通りの意思を感じさせられる。


「お前の知っての通り、三つのキーワードを順番で検索してやると裏野ハイツのサイトへと繋がる。本来『裏野ハイツ』のサイトに繋がっても『ヒガンハナ』と会話が出来るだけで、向こうの世界に連れていかれるなんて事は無いはずだ」


 歯切れの悪い裏野の言葉に嘘をついている様子は無い。

 ならば、今までの会話に見落としがあるか、裏野本人も知らないエラーがまだ何処かに潜んでいるはず。


「裏野ハイツへの検索ワードは覚えています。都市伝説、裏野ハイツ……そして、彼岸花ですね」


 静かに裏野は、頷いて菊に視線を送る。

 菊も、全てを話す事を承諾して懐かしむ様な微笑みを浮かべながら、裏野へ肯定の意で首を縦に振って見せた。


「これから調査に当たるが、お前の友人は1986年7月の彼岸町。俺と『ひがん』が一緒に遊んでいた頃、つまり、30年前の彼岸町にいる」


 202号室とテプラの貼られたプレートと、鈴が付いた鍵を握りしめると裏野は立ち上がる。


「それでは、花さんに会いにいきましょう」


 フツーちゃんは、拳を握りしめながら、オカルト部のみんなの事を思い出して、己を鼓舞しながら102号室の天井を見上げた。


 40歳の裏野ハイツの管理人と70歳になる怪奇の母、そして、執事を連れた17歳の女子高生の珍妙なパートナーは互いに頷き合って102号室をあとにした。

 舞台は裏野ハイツの『怪奇』を支えるシステムの中枢――202号室へと移る。

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