六月のおにぎり君

 今日は雨です。昨日も雨でした。きっと明日も雨でしょう。梅雨時なので仕方がありません。


 私は小雨のぱらつく通りを歩いていました。雨が降っているだけあって、人通りはまばらです。わざわざ雨の日に外出するのですから、皆、それなりの理由があって歩いているのでしょう。


「それにしても鳥まで飛ぶこともなかろうに」


 私は空を見上げてそうつぶやきました。この雨の中、鳥が空を飛んでいるのです。濡れるのを覚悟で雨の中を飛ぶ鳥、彼らもまたそれなりの理由があって、雨の日の空を飛んでいるのでしょう。


「彼……おにぎり君も飛んでいるのだろうか」


 またおにぎり君を思い出してしまいました。

 彼には伴侶を探すという明確な理由があります。雨の日くらい伴侶探しを怠けても良いのではないかと思うのですが、雪の日に雪だるまに求愛していた前例を考えると、雨の日にてるてる娘に求愛していたとしても不思議ではありません。きっとそのうちに何の前触れもなく姿を現すに違いない、そんなことを考えながら雨の通りを歩いていると、


「おや?」


 私は気付きました。前を歩いているのはスカートを履いたお姉さんで、児童用みたいな黄色い傘を差しています。その傘の上に何かが乗っているのです。黒くて白くて三角の何か……ま、まさか、


「おにぎり君っ!」


 本当に何の前触れもなく現われました。雨に濡れるのも厭わずに、おにぎり君はお姉さんの傘の上でゴロゴロしているのです。


「どうして傘の上なんかに……はっ、そうか、横から見れば丸くない傘も上から見れば丸い。もしや君は風船ちゃんの次は、この雨傘ちゃんを伴侶にしようとしているのかっ!」


 傘、確かに丸い形です。伴侶としては一応合格点と言えるでしょう。しかしこれまでのような美しい曲線とは言えません。骨と布を結合している露先がツンと尖っているからです。


「う~ん、おにぎり君の趣味はよく分からないな」


 と思っていると、おにぎり君の声が頭の中に聞こえてきました。


『黄色い雨傘ちゃん、単純な円じゃなくて、所々ツンツンしているのが堪らないなあ。きっとこれがツンデレって奴なんだね。もうサイコー!』


 ツンは分かるがいつデレたんだよ、とツッコミを入れたくなったのですが、私の知らない所でデレている可能性もあるのでやめておきました。


 黄色い傘を差したお姉さんは歩いて行きます。傘の上におにぎり君が乗っているのを知っているのかいないのか、柄を持ってぐるぐる回しています。当然傘も回り、おにぎり君も転がります。三角形の割には上手に転がっています。


「わあ~、今日はいつもより余計に回しているみたいだね」


 すれ違った小学生が傘の上で転がるおにぎり君を指差してそう言いました。どこかの曲芸師と勘違いしているようです。


 私はお姉さんの後を付いて行きました。この恋の行く末がどうなるのか非常に興味があったからです。そしてそれは呆気ないほど簡単に終わってしまいました。お姉さんが一直線に向かっているのは地下鉄の入り口だと分かったからです。


「おにぎり君、離れるんだっ!」


 私が叫ぶのとほぼ同時でした。お姉さんは差していた傘を閉じると入り口の階段を下り始めたのです。居場所を失ったおにぎり君は地下鉄の入り口付近で漂っていました。が、意を決したように地下への突入を開始しました。私もおにぎり君の後を追います。


「おにぎり君、あそこだっ!」


 畳んだ傘を持ったお姉さんはすぐに見つかりました。すぐさま畳まれた傘に寄り添うと、一緒に進んで行くおにぎり君。きっと二人で会話をしているのでしょう。


「おにぎり君、今、雨傘ちゃんはツンなのか、それともデレなのか、どっちなんだい」


 おにぎり君は私の質問を完全に無視して進んで行きます。きっとそれどころではないのでしょう。二人だけの蜜月の時間が終わる時は、もう間近に迫っているのですから。


 やがておにぎり君の進行が止まりました。お姉さんが改札を通って、やってきたばかりの電車に乗ってしまったからです。改札の外に取り残されたおにぎり君と私。


「おにぎり君……」


 なんと言って慰めてやればよいのか私には分かりませんでした。取り敢えず何か言おうと思ったのですが、先月は下らない駄洒落と川柳の合わせ技で大変恥ずかしい思いをしてしまったので、何も言わないことにしました。


 おにぎり君は向きを変えると出口に向かって進み始めました。すっかり元気を失くしているようです。そのやるせない想いが私の頭に聞こえてきました。畳まれた雨傘ちゃんはこう言ったそうです。


「短い間だったけど、おにぎり君と暮らすことができて私は幸せでした。でも私が丸くなれるのは雨が降った時だけ。人生のほとんどの時を畳まれた棒状の姿で過ごす私は、最初からおにぎり君には相応しくない女だったのよ。もしかしてデレを期待していた? お生憎様、私はツンデレじゃなくツンツンなの。そうよ、傘の先であなたのデブ腹をツンツンするのが私の夢だった。でも、それももう叶わない夢。これからも今まで通り、床をツンツンしながら生きていくわ」


 と。


 彼女の最後の言葉は私の胸を打ちました。黄色い雨傘……どんなに丸くても、おにぎり君と添い遂げるのは不可能な存在だったのです。


 おにぎり君の言葉を聞いているうちに、私たちは外へ出ていました。いつの間にか雨がやみ、雲の切れ間からは青空も見えています。


「おにぎり君、ご愁傷さま。でもね、世の中には丸い物は沢山ある。挫けずに頑張ろう。明日を信じて今日を生きよう、おにぎ……あっ、ど、どこへ」


 突然おにぎり君が空高く舞い上がりました。とんでもない勢いで飛んで行きます。もはや追いかけるのは不可能な速さです。


 遠ざかるおにぎり君に向かって私は叫びました。


「おにぎりくーん! 負けちゃ駄目だあー! それから、念のために言っておくけど、雨傘じゃなく日傘だったら、晴れていても差しているから、いいんじゃないかなあ、なんて思っちゃ駄目だからねえー! 夏が終わればほとんど使われなくなるんだよー!」


 私の叫びがおにぎり君に届いたかどうか、私には分かりませんでした。おにぎり君の姿が消えた、雨上がりの虹が掛かった空を見詰めながら、私はもう一度おにぎり君に会う時がきっと来るに違いないと感じていました。

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