五月のおにぎり君

 五月五日はこどもの日。お子様の健やかな成長を願う日です。


 ゴールデンウィークも終盤となったこの日、私は朝早くから「わんぱくパーク北国」に来ていました。広大な自然に囲まれたこのパークで、今日はこどもの日のイベントが開かれるのです。


 パークの中心にある芝生広場には鯉のぼりが何本も泳いでいます。それを見上げる子供たち、その親たち。開園直後だと言うのにパークは大変な人混みです。


「ふむ、やはりこどもの日と言えば柏餅と粽だな。実に美味そうだ」


 わんぱくパーク北国のレストランには「お子様Aランチ」や「腕白たくましく育てハム」や「子供ビール」などのメニューの他に、「こどもの日特別メニュー柏餅と粽のコンポ」なるものが売られているのでした。


「柏餅も粽も独特な丸みを帯びている。おにぎり君とお似合いではないか」


 ふとそんな考えが浮かんでしまいました。おにぎり君とはもう四回も会っています。そしてその度に、おにぎり君は丸い物との出会いと別れを繰り返しています。丸い物を見ておにぎり君を思い出すのは当然と言えるのではないでしょうか。


「これは恋……なわけない。一種の連想だな」


 私の脳の中では、丸い物とおにぎり君を直結する回路が生成されてしまっているようです。


 私は何も食べずにレストランを出ました。おにぎり君を思い出しているうちに、胃袋はすっかりおにぎり色に染まってしまい、レストランのメニューには食指がピクリとも動かなくなっていたからです。


 芝生広場に戻ってみると、沢山の風船が用意されていました。これから子供たちに配るようです。空中にプカプカ浮いているので、風船の中の気体はヘリウムと推測されました。


「さあさあ、みんな仲良く並んでね。順番だよ」


 係りのお姉さんが風船を配り始めました。子供たちは大喜びです。


「あ、新型のドローンだ!」


 どこかの子供が叫びました。見ると青空の向こうから何かが飛んできます。黒くて、白くて、三角な何か……ま、まさか、


「おにぎり君っ!」


 本日は飛行状態からの登場です。おにぎり君は猛烈な勢いで風船に接近していきます。


「どうして風船なんかを……はっ、そうか、球体ではないにしても風船も丸い。丸い物を伴侶にしたいというおにぎり君の希望にぴったりの相手。もしや君はくす玉ちゃんの次は、あの風船ちゃんを伴侶にしようとしているのかっ!」


 その時おにぎり君の声が私の頭の中に聞こえてきました。


『うひょー、丸くて可愛い風船ちゃんがこんなに沢山プカプカしているよ。これっていわゆるハーレムってやつじゃない。しかも浮いているから飛行可能な僕とも相性ピッタリ。まずはあの桃色風船ちゃんにアタックだ』


 ハーレムですか……おにぎり君はこんなに軽薄な男だったのかと少々幻滅してしまいました。もっと一人の女性を一途に愛する紳士だと思っていたんですけどね。男なんて所詮そんなもの、浮気は男の甲斐性、諦めましょう。


「うわーん! 割れちゃったよー!」


 突然、子供が泣き始めました。なんとおにぎり君がアタックした桃色風船ちゃんが割れてしまったのです。


「あー、ボクの風船がー!」

「いやーん、割れちゃった!」

「こら、新型ドローン、どっか行け!」


 あっちこっちから子供たちの悲鳴と泣き声と罵声が聞こえてきます。おにぎり君がアタックしている風船が次々に割れているのです。


「おかしい、何が起こっているんだ」


 私は自分の持てる眼力をフル動員して、風船の周りを飛び回るおにぎり君を凝視しました。黒い焼海苔、白い米粒……んっ、一粒だけ先端を外に向けている米があるぞ。そうか、原因はあれだ。


「おにぎり君、米粒だ。最近肌荒れがひどいんじゃないかい。君のささくれだった米粒が、風船を割っているんだ!」


 おにぎり君の米粒は乾燥し切っているので、胡桃の殻の如き硬度があるのです。風船に突き刺されば一瞬で割れてしまうのは当たり前なのでした。


 おにぎり君は私の言葉を理解してくれたようでした。ささくれだった米粒のある表側ではなく、裏側を向けて風船に近付いたのです。驚いて握っていた紐を放す子供。自由になって浮かび上がる真っ赤な風船。一緒に上昇するおにぎり君。


『やったあ。赤い風船ちゃんゲットだ。遂に僕は伴侶を手に入れたんだ!』


 嬉しそうなおにぎり君の声が頭の中に聞こえてきました。良かったです。本当に良かったです。この話は十二月まで続けるつもりでしたが、五月で最終回を迎えそうです。でも私には一片の悔いもありません。おにぎり君が幸せになれたのですからね。おにぎり君、おめでとう!




 などと甘い考えを抱いていたのは今から八時間ほど前のことです。こどもの日イベントが終わり、西の空が夕焼けに染まり、そろそろ帰ろうかとわんぱくパーク北国の竹林散策路を歩いていた時でした。道端に黒くて白くて三角形の物がうずくまっていたのです。


「お、おにぎり君っ! どうしてこんな所に」


 驚きました。てっきりあのまま空を飛んで新婚旅行にでも出掛けてしまったのだろうと思っていたからです。

 力なくうずくまるおにぎり君の傍にしゃがみ込んだ私。理由はすぐに分かりました。おにぎり君の横に、すっかりガスが抜けて、しわしわに萎びた赤い風船ちゃんが横たわっていたからです。


「そうか……ヘリウムの分子はゴムの分子よりも小さい。安物のゴム風船では数時間でガスが抜けてしまうのだ」


 恐らく一緒に飛んでいるうちに徐々にガスが抜け始め、とうとうここに不時着してしまったのでしょう。丸々としてツヤツヤとしていた赤い風船ちゃんの姿は、見る影もないほどに萎み切っています。


「おにぎり君……」


 なんと言って慰めてやればよいのか私には分かりませんでした。が、取り敢えず声を掛けました。


「バルーンちゃん、今日も頑張れ、ガンバルーン」


 余りにも下らない駄洒落と川柳の合わせ技に、言った私自身が赤面してしまいました。これなら何も言わない方が良かったと後悔しても後の祭りです。


 おにぎり君は依然としてうずくまっていました。すっかり意気消沈してしまったようです。その無念の想いが私の頭に聞こえてきました。すっかり萎びてしまった赤い風船ちゃんは最後にこう言ったそうです。


「短い間だったけど、おにぎり君と暮らすことができて私は幸せでした。所詮私は安物のゴム風船。こうなる事は分かっていたのです。ああ、見ないで。しわくちゃに萎びてしまったこんな醜い姿、あなたには見られたくないのよ。それから、最後にひとつだけお願いを聞いて。私は百%天然由来のゴムでできた風船。こうしていれば太陽の光とバクテリアによって分解されて土に還ることができるの。だから燃えるゴミとして廃棄するのだけはやめて。静かに土の上で朽ちて逝きたいの」


 と。


 彼女の最後の言葉は私の胸を打ちました。赤い風船……どんなに丸くても、おにぎり君と添い遂げるのは不可能な存在だったのです。


「おにぎり君、ご愁傷さま。でもね、世の中には丸い物は沢山ある。挫けずに頑張ろう。明日を信じて今日を生きよう、おにぎ……あっ、ど、どこへ」


 突然おにぎり君が空高く舞い上がりました。とんでもない勢いで飛んで行きます。もはや追いかけるのは不可能な速さです。


 遠ざかるおにぎり君に向かって私は叫びました。


「おにぎりくーん! 負けちゃ駄目だあー! それから、念のために言っておくけど、間違って熱気球なんかに近付いたら駄目だからねえー! あれは風船じゃないんだよー! 迂闊に近付いたらバーナーで焼きおにぎりになっちゃうよー!」


 私の叫びがおにぎり君に届いたかどうか、私には分かりませんでした。おにぎり君の姿が消えた、鯉のぼりが泳ぐ青空を見詰めながら、私はもう一度おにぎり君に会う時がきっと来るに違いないと感じていました。

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