第44話

限界だった。渡された水筒の中身を一息に飲み干す。美味い。美味い。何と甘いのだ。ただの水がこんなにも甘いのか。口の中の不快感が一気に消え去った。不思議な水だ。


水と共に口の中の丸薬が胃に降りたのを感じた。胃袋が熱を帯びていく。じんわりと暖かい。丸薬を飲む。たったこれだけの作業なのにドッと疲れた。それなのに新たな力が湧いてくる。

力は抜けて、力が出てくる。何とも奇妙な感覚だ。手の甲の紋様がほんのりと光る。確かに効き目は抜群だ。出来るなら二度と食べたくないが。


「こう言っては何だが、あれを食べた人間など初めて見たのぅ。エルフ族には過去何人かいたが。さて、力は戻っただろうからこれを渡そう」


そう言って老人が大きな包みから取り出したものは……甲冑か?武者の装備しているような漆黒の鎧兜に良く似ている。それよりも流線的で、立派な一本角が付いている。いや鎧兜と言うよりも、カブトムシを模した結果の様な形をしている。


「これは森に住む甲虫達の亡骸を集めて加工したものじゃ。軽さと耐久力に関しては比類ないのぅ。更に魔力を消費する事により飛行が可能となっておる」


つまり蟲の甲冑か。しかも飛べるだと。むむ、かなり魅力的な、ようやく報酬らしい報酬が出てきたものだ。


「しかし、その魔力の消費量が膨大で、並の者では数分しか飛べんのじゃ。加えて寒い。かなり寒い。しかしお主の魔力なら問題はないであろう。それにお主のその外套、見た所あの怪鳥ホロウブロスのの物ではないか。これで魔力の問題も寒さの問題も無くなったのぅ」


(説明を忘れるなエラベサよ。そもそもお前が開発して以降、開発者である自身ですら操縦するのに数ヶ月かかったではないか。まずは適正を見ながら安全装置を……おい、貴様それを着けるのはもう少し説明を聞いてから……)


ダ・ブーンが何か言っているが、構わず装着を続ける。ポノラとメイが危機にさらされているのだ。

留め金をはめる。大きさは特に問題ないな。それに重厚な見た目の割に綿の様に軽い。

外套を羽織り兜の緒を締めると、兜の額の内側に何かあるのに気付いた。引っ張り出すと、丁度目を覆う様に透明な板がおりてきた。モコモコとした動物の毛らしき物で縁取られている。


「あー、それは目を保護する為のものだ。飛行中の目は乾くから、防止用でもある」


成る程、飛行眼鏡ゴーグルの代わりだな。口だけ多少露出してしまうが、そう贅沢も言ってられん。これ一式にしてみればこの世界最上級と言っても過言ではない装備だ。


装備を終えた俺を諦めた様な目で見る老人--エラベサと呼ばれていたな--は、自身の背中より何かを取り出し手渡してきた。


「勝手ながら気を失っている間に、持っていた武器に手を施させてもらったのぅ。焼の入れたアグノーの爪を研ぎ直し、世界樹マギナの落ち枝を柄にして長さを持たせた。堅牢でありながら柔軟性も併せ持つ世界樹マギナは、希少性故に例え落ち枝だろうと装飾武器では無く実武器として使う者などおらんのぅ」


世界樹マギナか。丸薬といい、まあそんなものがあるのだろうな。良くわからんが。


手に取って眺める。長さは俺の背よりも少し長いくらいか。爪の形状の為かまるで薙刀だ。

それにしてもこの柄、まるで長年使っていたかの様にしっかりと馴染む。爪はより鋭さを増し、まるで濡れているかの様な妖しさを醸し出している。俺に配られた軍刀とは大違いだ。


「素晴らしい。銘はあるか」


「そうじゃな。神話の時代、世界樹マギナの枝から作った木刀で不死なる龍を最果ての地へと追いやったバルクと言う英雄がいた。その英雄の名と、神獣アグノーに敬意を表し『アグノ・バルク』と呼ぼうではないかのぅ」


(やはり人間は変だ。何にでも名をつけたがる)


アグノ・バルクか。英雄の名を使うとは、中々縁起の良い名だ。


しかしこれ程のものを使ってまでの頼み事か。やはりあの蟲は相当に手強いのだな。気を引き締めなければ。


覚悟を決めていた時、ダ・ブーンが俺の肩に留まった。


(これで貴様の懸念は全て消えたぞ。後は飛ぶだけだが、適正がないと全く使えんのだ。魔法は想像力。夢の様なもの。空飛ぶ夢を見た事はあるのか)


「ふん、夢どころか飛ぶ事を生業なりわいとしていたぞ」


(ふん、向こうの世界の人間が飛んでいたなんて信じられるものか。だが心意気は買おう。良いか、飛んでる自分を思い描け、魔力を込めながらだ)


言われた通り魔力を込めた。魔力の込め方は知らんが、多分今まで通り気合いでなんとかなるだろう。


丹田に気を集中させる。すると先程胃で感じ取れた力が身体の中に行き渡っているのが分かる。

右手に意識を集中させる。手の甲の紋様に力が集まる。分かる。連動する様に背中の羽が開く。想像する。自分が飛行機になったかの様に。助走をつけろ。駆け抜けろ。体が浮き上がるはずだ。


気付いたら滑空していた。まだ速度は遅い。しかしまだまだ速度は出せるぞ。


その場で何度か旋回し、ふたたび地面に降り立った。心臓が激しく鳴っている。まさか、また空を飛べる日が来るなんて!


(まさか、本当に一度で飛べるとはな。貴様の運動能力なら数時間でと踏んでいたのだが。仕方ない。マレスティ・ブーンの元へ案内しよう)


目を白黒させているエラベサに対し、ダ・ブーンは冷静である様に思えた。

肩に留まったまま、力を放出しているのを感じ取れた。すると頭の中に森の俯瞰図ふかんずが浮かび上がった。精神感応テレパシーの応用か。


「ダ・ブーンよ。人間は飛ぶのだ。そして人間を飛ばす燃料など、いつだって情熱しかあり得ない」


飛行機乗りだと信じてくれなかった事に対する軽口を叩き、ポノラとメイの元へ急いだ。

二人とも待っていろよ!

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