「ああ、お久しぶりです」


 その一言に。その仕草に。

 私は、全てを知りました。


 断鋏さん、断鋏さん。

 どうぞお越し下さい。

 私と彼の縁を切って下さい。

 それがきっと、彼のためになるから。




よーちゃん!」

 わたしは三ヶ月ぶりに見たその顔に、笑いかけた。

「久し振り! 今回は長かったねぇ」

「先輩、それは言わんでくださいよ」

 もしゃもしゃの髪の毛はわたしの頭一つ上のところでぱさぱさしている。へにゃんと笑って、洋ちゃんは首を傾げるようにした。

「本当に学校来るの、遅かったねぇ。なんかあったの?」

「あー、ちょっと入院してたんです」

「入院?! 大丈夫なのそれ?!」

「大丈夫大丈夫」

 洋ちゃんはわたしの可愛い後輩だ。山野 洋という名のれっきとした男の子なのだが、洋ちゃんが入部した時に「ニックネームをつけよう」という事になって、つけたあだ名が「洋ちゃん」だった。

 無理に笑顔を作って、わたしは洋ちゃんの背中をぽんぽんと二回叩いた。

 洋ちゃんはほっとしたように笑う。

 それはあまりにも残酷に、わたしの目に映った。

 悲しい。悲しいね。

 わたしは悲しくなった。

 悲しい。悲しいね。

 悲しくなったのは、わたしだけ。




「いいんですか?」

「え?」

「折角人の姿になれたのに」

 黒い法衣を纏う彼は、わたしに優しく微笑みかけた。わたしもそれに応えるように、優しく笑う。

「いいんです、それが」


 ここはとても綺麗な世界だ。

 沢山の色が、優しくわたしを包む。

 糸や、布や、様々な×が、そこにある。

 美しい。美しいね。

 流れて過ぎていく、それがわたしの望みだから。

 流れてなくなる、それがわたしの××方だから。

「ねえ、断鋏さん」

「はい?」

「×するって、難しい事ですね」

 わたしは優しい流れる色とりどりの光と糸の河を見て、そう言った。断鋏さんは、変わらない笑顔で

「そうですね」

 ––––––その細い鋏を掲げた。

 薄桃の色をした、透き通るその布を

「––––––とう」




「あれ?」


 俺は辺りを見回した。

「洋、誰か探してるの?」

 在校生代表で卒業式に出た俺たち二年生は、最後、花道に並んで卒業生を見送る伝統に則り、グラウンド大きくを斜めに区切った二本の白線の外側に立って、次々にやってくる卒業生に拍手を送っていた。

 隣で佐奈が俺の顔を不安げに見る。

 先輩がいない。

 おかしいな、あんなによく話していた、あの先輩がいないなんて。

 見逃したのかと思って、先生に声をかける。

「あの、文芸部の先輩がいないのですが––––––」

「え? そんなはずないでしょ。誰先輩?」

「それは––––––」

 あれ?

 あれは––––––あの先輩の名前は、何だった?


 顔は?


 髪の色は?


 肌の色は?


 名前、は?


「せん ぱ い………?」


 それ、

 誰だっ け?


「あの、すみません」


 後ろからかけられた声に、思わず勢いよく振り向いた。

 黒い法衣。笠。禅僧、だ。

「なんですか?」

 卒業生のご家族だろうか。それにしても、みんななぜこの卒業式に似つかわしくない服装の人間に気を取られていないのだろう。

 ぐるぐる。

 犬の鳴き声みたいな声がしたと思えば、なんと禅僧の足元に、狐がいる。

 なおさら不審者だ。

 禅僧は、その少し高い声で、俺にこう言った。


「《ありがとう》––––––だそうです」


「は?」

 ぱちくり、と、瞬きをすれば。

 その場所には、誰もいなくなっていた。


「洋? 探してた人、見つかった?」

 佐奈が俺のそばに来る。

 俺は顔を強張らせたまま、ゆるゆると首を横に振った。

「……………いい、や、」


 佐奈は俺の手に、控えめに自分の手を重ねる。

 俺はそれを握り返す。


 ぐるぐるぐるぐる。


 あの鳴き声が、懐かしいと。

 ほんの少し思った。

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