3-1

 白埼先生はいたって清潔な格好だった。犯罪にも、ひとの死にも、汚いものなど一切触れたことがないという風な態度。

 妖艶で、つつましく。

 それでいて、たくましさもある。

 大人だけど、どこか守ってあげたいという気持ちにさせる。

 そんなクラスの担任教師が、目の前にいた。パズルのピースを、間違っているのに無理やりはめこんだかのような、違和感のある光景だった。少しでも視線を外せば、警戒をゆるめれば、彼女が爆弾魔であるという事実など忘れてしまいそうだった。そういえば今日は、学校で科学の再テストを受ける日でもあった。いまのいままで忘れていた。まさか先生は、それを告げるためにきたわけでもあるまい。

「白埼先生、どうして」おれが言った。

 風見が肩に触れてきた。

「そんなことはどうでもいいのよ、凪野くん。先生がどんな過去をもって、どれだけ複雑な感情を抱いて動機を生んだとしても。大事なのは、いますぐあのひとを制圧して、捕まえること。警察に差しだすことよ」

 おれと風見は、まっすぐ白埼視線を向ける。そらさない。反対に彼女はおれたちをいなすように、顔をそらした。

「風見さん、あなたのテストを改ざんするの、すごく大変だったんだから。すべての回答欄を埋めてくれたことは助かったけど、すべて間違ってたから、結局苦労したのよ」

「…………」

 白埼先生は続ける。

「それと聞いたわ。これから死ぬ運命にあるひとの死体が視えるのでしょう? ところで聞きたいのだけど、この遊園地では、何人視えた?」

 真横で風見が拳を握りしめたのが見えた。無表情のまま、一歩踏みだそうとしたので、それをおさえる。

「この遊園地での爆弾は、あなたをおびきよせるために用意されたものよ? あなたたちが来なかったらどうしようかと思っていた。迎えにいっていたかもしれない。修学旅行に引率する先生みたいに」

 白埼先生は軽く笑う。クスリ、とその声が教会内に響く。

「逆に言えばね風見さん、あなたがこなければ、今日ここに遊びにきたひとたちは死なずにすんだということよ」

 風見がおれを振り切り、前に進んだ。彼女には抜群の挑発だった。だけど白埼先生が用意したセリフには思えなかった。別の誰かが、白埼先生に教授したような、そんなつくりものめいた雰囲気を感じた。

 風見が進むと同時、白埼先生が察知して、ふところからあるものをだした。何かのリモコンで、起爆装置なのだとわかった。

「まだここの園内で爆破していないものがあるの。観覧車よ。これを倒したら、どうなるかしらね。そこで大人しく見ていなさい」

 片手でリモコンを握りつつ、次に白埼先生がだしてきたのは、真っ黒い塊。拳銃だった。拳銃。普通の教師が、拳銃を持っている。まっすぐと、なんの迷いもなく、生徒たちであるはずのおれたちに銃口を向けてくる。

 そしてもうひとり、迷いのないやつがいた。

 風見夜子。

 銃口を向けられたにもかかわらず、彼女は歩をとめなかった。通路を一直線に、白埼先生のもとへと向かう。おれが止めようと叫ぶが、その声が白埼先生にかき消される。

「とまりなさい! 撃つわよ、本当に!」

「撃ってみろ」

 一瞬、風見のものとは思えないような声がした。彼女は怒っていた。きっと、誰もが思っている以上に。

 いつ撃たれてもおかしくない。それでも彼女はひるまない。対応が遅れているのは明らかに白埼先生だった。彼女の想定していた未来を、風見は大きく外れている。未来を動かすことに関して、彼女の右にでるものはいなかった。

 プライドとプライドのぶつかり合い。爆弾魔、白埼先生にも譲れない何かがあったようだった。とまらない風見に、白埼先生は発砲した。発砲する直前、引き金を引こうと指が動いたのが見えた。

 パアアン、と音が教会内に反響する前に、ガラスの割れる音がかぶさってくる。弾丸が風見をかすめ、おれのすぐ近くのステンドグラスの窓を割った。

 銃声とガラスの割れる音に、おれは目を閉じてしまった。次に開いたときには、まさに風見が白埼先生を殴り飛ばしているところだった。床に何かがはじけ飛んで、転がっていく。白埼先生の離したリモコンだった。殴り飛ばしたあとの風見は冷静で、すぐにリモコンを見つけて拾いあげる。おれがそばにより、別の場所に落ちていた拳銃を拾った。

 殴られることに慣れていなかったのか、うめきながら、ゆっくりと白埼先生は起きあがる。おれは風見をかばうように、背中によせる。今さらの対応だと、荒田に笑われるかもしれない。

 白埼先生は、恨めしそうに風見とおれを見上げてくる。

「あなた、正気なの?」

 それに風見が答える。

「先生の言うとおり、私には未来の死体が視える。そしてここには、私たちの未来の死体はない」

 なるほど。だから拳銃にも臆さなかった。撃たれた自分の未来の死体が、この教会内にはなかったから。

「リモコンを操作しない限りはもう残った爆弾も爆発しない。死傷者もこれ以上増やさせない。死はもう通り過ぎた。あなたの負けよ、先生」

 白埼先生は風見をまっすぐ見つめたあと、笑いだした。風見の勝利の宣言は早すぎだと言わんばかりの、余裕のある笑い方だった。その笑い声が、不快に響く。このときすでに、教室にいたときのような白埼先生の面影は、どこにもなかった。彼女はもう先生ではなかった。

「風見さん、確かにあなたは視ることには長けているようね。ひとには視えない、特別なものが視える。だけど聞くことに関してはどう? 何か大事なものを聞きのがしているんじゃない? そっと、静かに、耳をすませてみなさいな」

 その言葉を最後に、教会内が静まりかえる。おれも風見も耳をすませていた。その言葉の意味を探すように、慎重に、そっと、何かが聞こえるのではないかと身構えた。

 そして、聞こえた。

 ぴっ、ぴっ、ぴっ、という機械音。意識しなければ拾えなかった、ごく小さな音。

それはどこかで閉じ込められて、こもっているような音だった。

 おれと風見は、音が閉じ込められている場所を見る。白埼先生のすぐ背後、ひとがひとり分入るほどの、鉄の棺桶があった。教会のセットの一部だろう。おれたちが確かめられるように、白埼はそこをどく。

 急いで駆けより、棺桶の蓋を開けた。白埼の余裕の正体がそこにあった。

「……爆弾」

 ノートパソコンくらいの大きさ。ロールケーキを思わせる形。中身はクリームではなく、代わりにはいっているのは、たっぷりの火薬。

「ほかのものは遠隔操作で爆破するものだけど、これだけは時限爆弾にしてあるの」白埼が言った。

 爆弾の全体はプラスチックのケースでおおわれている。そして真ん中に、タイムリミットを知らせるためのものだろう、デジタルの時計がしこまれていた。

 数字が青く光り、まさにいま、05:00と示してきたところだった。五分を切ったのだ。

 全体のほとんどはプラスチックのケースにおおわれているが、一か所だけ、これ見よがしにケースが外れ、むき出しになっている導線があった。

 導線は二本あって、それぞれが赤と青色をしていた。ふざけた演出だった。人生で出くわすなんて、誰も思わない。

「ねえ、私の名前はなんだったかしら?」白埼先生が言った。

 おれと風見は彼女のほうを振り返る。白埼は、口元では笑みを浮かべながらも、静かにこちらを睨んでいた。

「学校で私にあだ名がついていたそうじゃない。それはなんという名前だったの?」

「先生、頼むから……」

「言え!」

 白埼の絶叫が響く。

 爆発まで五分を切っている。背後では一秒、また一秒と、死のカウントダウンを刻んでいる。それでもおれは雰囲気に圧され、答えてしまった。

「白ウサギ」

 白ウサギ先生。

 満足したように、白埼は笑った。風に吹かれたわけでもないのに、彼女の二つの長い束の髪が、ふわりと揺れた。

 白ウサギは言う。

「ウサギはね、さびしいと死んでしまう生き物よ。だから一緒に死にましょう。赤と青、どっちが正解への道か」

 さらにおれを見て、こう続けてきた。

「期末テストをさぼった凪野くん。これが再テストの問題よ」

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