3-1

 翌日も暑かった。校舎内の自販機はどこも盛況で、ミネラルウォーター以外のほとんどの飲料水が売り切れだった。放課後にはミネラルウォーターも売り切れになっていた。

 今日も荒田の家へと向かう。電車に乗って二駅、降りて自然公園を進む。が、風見の意識はもはや勉強会にはなさそうだった。おれも荒田も桐谷も、ずんずんと先を行く風見についていく。

 問題の、小さな池の近くの遊歩道で風見がとまる。しゃがみこんだそこには未来の死体がある。

「昨日は暗くてよく見えなかったから、今日はじっくり見られるわ」

 風見夜子の、死体見聞がはじまる。

 おれと桐谷が一歩ひいてそれを見つめる。荒田だけが風見に近づいていた。手にはメモ帳とペンを持っている。風見の報告をメモする気なのだとわかった。荒田がおれの視線に気づき、

「言っただろ。僕はまだ、この立ち位置を諦めたわけじゃない」

 不適に笑う。

 そうこうしている間に風見も観察を終える。いつものごとく、立ちあがった拍子にふらついた。それを支えたのは荒田だった。

「昨日と比べても、そんなに収穫はないわ。白髪まじりの男性。ランニングウェア。太ももにバンドをしていて、大きな水筒を身につけている。うつぶせに倒れていて、ほかに、目立った傷はない」

 左の太ももにバンドと水筒。特徴といえるならその部分だろうか。それにしても気になるのは、目立った傷がないというところだ。

「本当に傷が何もないのか?」おれが訊く。

「死体にはまだ触れないし、よく見てみないとわからないけど。いまのところは見当たらない」

「まだ触れないということは、あらわれたばかり?」

「ちょうど昨日だったみたい。だからタイムリミットは、来週の月曜日か、それ以降」

「月曜日?」

 来週の月曜日。

 その日は確か。

 と、口を開こうとしたところで、荒田が言ってきた。

「外傷がないということは、そのひとの死因は内側からのものかもしれないね」

「内側?」

「簡単にいえば病気か何かってことだよ。ちなみにランナーに多い死因は、心筋梗塞だ。あとは脱水症状とかかな。重病なら死にもつながる」

 ありえない話ではないかもしれない。春や夏になり、ランナーにとっても走りやすい季節が続く。心疾患が原因で亡くなるような、こういうランナーの死体がでてきてもおかしくはない。が、その場合、おれたちにできることはなんだろうか。走りをやめるように説得をする? 走りを趣味にしている人間に? 考えて、その困難さに笑えてくる。

「そもそもこのひとはいったい、どういう人間なんだろうね。サラリーマンかな? 白髪混じり、ということは、年齢的には定年退職もしていないみたいだし。そうやって考えれば、ランニングをする時間は夕方以降、もしくは夜ということにも」

 荒田の推理におれも参加する。

「自営業の人間なら、その気になればどの時間帯にだって走れる」

「早朝に走っている可能性も忘れてはいけないね。時間帯をしぼりこむ手がかりか何かつかめるかと思ったけど、もう一歩というところかな」

「なら直接聞けばいいじゃない」そう言ったのは、桐谷だった。

 彼女の指差した先、遊歩道の向こうから走ってくる男性がいた。

 見た目は四十代。白髪混じりで、体型はがっしりとしている。おそらくランニング以外でも何かスポーツをしているか、していたのだろう。そして何より、左のももにバンドと、水筒。風見が言っていた未来の死体の人物と合致していた。

 男に気づいた風見が、まずスタートダッシュをきった。まるでおれたちのなかで、誰が一番に男と接触できるか競争するかのような走り方だった。とりあえずふざけるな。

 風見が立ちふさがったことにより、男がとまる。

「きみはなんだ?」

「あなた死ぬふぁ……」

 すんでのところでおれが追いつき、風見の口をおさえ、後ろに後退させる。いつもの常識をショートカットした決め台詞は言わせない。おれたちが退くと同時、すぐさま荒田と桐谷が交代して立った。コンビネーションだ。

 桐谷が男に対応する。

「失礼しました。私たち、明清高校、学校新聞部のものです」

「学校新聞部?」

「はい。今回ですね、健康促進をテーマに新聞の記事を書こうと思っているのですが、いま一般の方から取材を申し込んでいるところでして」

「それでランニングをしている、おれのところに?」

「察しが良くて助かります。ここら辺で取材を依頼しているんですが、みなさんなかなか取り合ってくれないんですよ……」

「大人はきみたちが思っているほど暇ではない。取材をうけるのはかまわないが、おれの運動を取材しても、それは生徒たちにとって有益な情報になるのか?」

「ターゲットは生徒じゃないんですよ。教師の方々への記事なんです」

「なるほど。きみたちは、少しはしっかりしているみたいだ」

 お手本のような懐柔だった。桐谷が嘘とは思わせない説得力のある言葉で切りこみ、そして落ちついてそばにいる荒田の存在も、男を信頼させる材料のひとつになっている。こういう接触の仕方が、本当は理想なのだ。おれも学ばなければいけない。

だが、こうして信頼を得たいまだからこそ、男にとっては最初にいきなりあらわれた風見の存在も、浮き彫りになってしまう。

 男は風見を見てこう言った。

「最初、おれが死ぬとかどうとか言っていなかったか?」

 すかさず荒田がカバーした。手には、さっきまで風見の報告メモ用に使っていた手帳とペンも持っている。それらしい格好だ。

「健康のためのランニングは非常に有効だとは聞きますが、一方で心筋梗塞などの危険も伴うと本で読んだことがありまして、そこであなたの、ええと……」

「杉本だ。杉本幸一という」男が言った。

「失礼しました。杉本さんはそういった、万が一での対策をされているのかどうかというのが、本当の質問でした」

 杉本は自信ありげな笑みを見せる。ここまでの態度や口調から、彼のプライドの高さがうかがえる。さっき荒田と男の身分の話をしていたが、もしかしたら、ある程度は地位の高い人物なのかもしれない。

「それならおれの場合は心配していない。心筋梗塞を起こすほど、ハードなランニングはしないようにしているからな。そしてランニングにおけるもうひとつの危険は、脱水だ。その点もおれにとってはぬかりがない」

 杉本は左もものバンドから水筒を取り、いまの言葉を証明するように、口に運ぶ。ごくごくごく、とたっぷり十秒は飲んでいた。飲み過ぎているような気もした。

「友人が熱中症で倒れたことがあって、それ以来、おれも気をつけるようにしているんだ」

「参考になります」

 杉本が補足のように、ランニングについての知識を披露してくる。荒田はメモを取っていなかった。終わったあと、今度はおれが口を開いた。風見は横で大人しくしていたので、放っておいた。

「ランニングはいつもこの時間に?」

「朝と午後の2セット行っているが」

「失礼ですが、いまの時間帯に走られていて、お仕事は?」

 杉本はかすかに苦い顔をする。少しつっこみすぎたかもしれない。失敗かと思ったが、彼は答えてくれた。

「きみはこの新聞部の部員のひとりか?」

「え、あ、はい」

「なら部長は?」

「私です」と、素早く桐谷が答えた。

「新聞部がひとつの会社なら、おれの身分は彼女と同じだ。だから走る時間に対して拘束もされない。わかったか?」

「ええ」

 杉本幸一は会社の社長だ。信頼できる人間とそうでない人間を見抜き、初対面の相手には、自分の会社のことも簡単には明かさない警戒心を持っている。ここまでの杉本を見て、絶対的な自信とプライドを持っているというのが、彼の印象だった。同時に明らかになるのは、そんな彼をどう説得するかということである。

 雰囲気的にも取材(という嘘)が終わり、杉本がそろそろ去ろうというときだった。気づけば風見が前にでて、誰かがとめるまでもなく口を開いていた。

「あなた死ぬわよ」

「………………」

 空気が死んだ。

 絶対言わないといけないルールなのか、それ。

 荒田や桐谷も、現実から逃げるように目をつぶったり、顔をそらしていた。世の中には学ばない人間がいる。風見夜子だ。少し目を離したすきに、台無しだった。

「きみ、いまなんと?」杉本もきょとんとする。

「来週の月曜日。その日はここを走らないで。あなたは死ぬ」

「今度は礼義を身につけてからおれの前に立ってくれ。失礼する。ああ、今後はきみたちの取材も、断らせてもらう。おれはこのランニングコースを変えるつもりはない。だからきみたちがおれを避けるようにしてくれ」

 自分の怒りをしずめるように、杉本はまた水筒を取り、ごくごくと飲んでいく。バンドにしまい、去ろうと走りだす。

 その後ろを風見が追いだした。

「ついてくるな! なんなんだきみは!」

 杉本は風見を振り切ろうとスピードをあげる。風見もムキになり、そのあとを走って追う。おれたちは二人の背中が遠ざかるのを、黙って見つめていた。

 風見のおかげでめちゃくちゃになったが、不幸中の幸いで、めちゃくちゃになる前に、杉本に関する多くのことは聞けた。

「そういえばさ」と、荒田が口を開く。

「風見さんがタイムリミットだと言っていた、来週の月曜日って」

「……ああ」

 来週の月曜日からは、期末テストがはじまる。

 そして月曜日は、風見が本命にしている科学のテストの日でもある。

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