米騒動~小さな事から大きな事件へ~(日本史・大正時代)

 さて、米騒動についてのお話に移りますが。

「シベリア出兵が原因で米相場の暴騰が起こり、米騒動に発展した」と言うイメージがありますが、ちょっと違います。

 そもそも、この事件は様々な要素が原因となってあの騒動になっています。

 では、細かい部分について触れておきましょう。


 折しも、日本は世界大戦の長期化から、欧州から注文が増加。

 好景気に沸いていました。(大戦景気)

 特に、武器などの運送を行う海運業・造船業が発展。船成金ふななりきんが登場しています。

(暗くて靴が見えない所にお札で火をつけて「どうだ、明るくなっただろう?」と言っている絵は有名ですね)


 結果、資本主義経済が加速。

 農村からは人が流出して米農家は人手不足へ(供給減少)


 大戦景気のお陰で工業が発達すれば賃金、そして物価が上昇します。

 収入の増加で、農家もあわひえなどから米を食べるようになります。(需要の増加)


 需要が高まり、供給が減れば価格が上がる。これは市場経済の原則ですね。


 さらに、価格が上がれば儲けが増えるので、商人はもっと儲けようと買占め、地主は売り惜しみます。

 価格を上がるだけ上げた所で売る。

 需要があるので高額でも売れます。オークションの原理ですね。


 大阪堂島の記録によると、米相場はこんな推移です。

【1918年(大正7年)1石あたりの価格】

 1月……15円

 6月……20円超

 7月17日……30円超

 8月7日……1升50銭(=1石50円)


 ※1000合=100升=10斗=1石(約180リットル)


 半年で2倍、7か月で3倍以上に跳ね上がっています。

 当然、賃金がそのペースで上がることは有り得ません。


 当時の一般社会人の月収が18円 ~ 25円。

 小学校教員なら12円~20円。

 大卒の銀行員なら40円程度だったそうです。


 ちなみに、当時の肉体労働者はかなり激務と言う事もあり、一日1升は食べていたそうです。

 つまり30升(30日分)=15円程度。

 ひと月分の米が月収に匹敵する価格と言えば異常さがよくわかるかと思います。


 事態を重く見た政府も前年(1917年)から「暴利取締令」を出し、買占めを規制しましたが、効果はなかったそうです。

(ちなみに、「ぼる」「ぼられる」「ぼったくる」(暴る、暴られる、暴ったくる)は、この「暴利取締令」の「暴利」に由来するとのことです)



 慢性的な米不足+需要の増加による米価の暴騰。

 当然人々の暮らしは悪くなっていきます。


 その最悪のタイミングにシベリア出兵が重なったわけです。


 シベリア出兵は大量の兵員を派遣します。

 当然、その維持のために兵糧(米)が必要となります。

 軍に米が持って行かれますので、国内の米は不足します。

 そうなれば商人も売り惜しみします。


 となれば、結果はこうなります。


 好景気(経済力上昇)から物価上昇

 +農家の主食の米化(需要増加=物価上昇)

 +需要増加により商人が米を買い占める(物価上昇)

 +シベリア出兵で品不足(物価上昇)

 +商人の売り惜しみ(物価上昇)


 物価上昇の要素しかありませんね(汗)

 これに対して、好景気による賃金の上昇はあっても、物価の上昇の速度がはるかに上回っています。


 さて、米の暴騰が止まらない1918年の夏、富山では生活の苦しさから人々が役所や港にお願いに訪れておりました。

 米が高くなる原因に「富山で採れた米を北海道に出荷しているから」と考えたようです。

 七月ごろからあちこちで同じようなことが起きており、この時は警察に説得されて帰っています。


 しかし、この動きは徐々に人数を増やして行き、八月には数百、千人とどんどん増えていきました。

 生活が苦しい人々が多数集まり、不満を募らせていけばどうなるか……と言う事ですよね。


 当初集団でのお願い行動だったのに、人数が膨れ上がったために実力行使に出始めます。

 高騰する米を安値で売らせることに成功します。

 騒ぎが大きくなればマスコミも書き立てます。つまり、全国にこの話が広がるわけです。


 そうなれば、富山で「実力行使で値下げさせた」と言う前例ができたため、全国で同じような行動に出る者が出てきます。

 後は情報が流れれば人々は勝手に行動します。

 



 そう、例え「デマ」であっても。




 8月12日。大阪朝日新聞が「鈴木商店は米の買い占めをしている悪徳業者である」と捏造記事を書き、それを信じた民衆によって焼き打ちの被害に遭っています。


 この騒動は50日間に及び、1道3府37県369ヵ所で発生し、参加者の規模は数百万人。

 これを鎮圧するのは警察ではもはや不可能。

 その為、遂に軍隊まで出動する大騒動に発展してしまいました。


 炭鉱にも飛び火しており、賃上げ要求から暴動に発展。

 派遣された軍隊にもダイナマイトを投げるなどして抵抗していたようです。(この点については、大阪朝日新聞が陸軍の広報を鵜呑みにして書いたでっち上げの可能性が指摘されているとのご指摘がありましたので付記しておきます)


 結局、検挙人数は25000人以上。

 刑事処分は8000人以上。

 死刑2名、無期懲役12名、10年以上の有期刑59名という史上まれに見る事件となりました。


 ちょうどこの時期に開催が予定されていた全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)も代表校が選出されていたにもかかわらず治安悪化により、中止。

 甲子園大会の歴史上、大会が中止になったのは戦争以外ではこれが唯一です。


 さて、政界ではこれによって当時の内閣、寺内正毅内閣が総辞職。

 体調不良もありましたが、世論からも退陣論が出ていたので最早政権運営は不可能でしょう。

 その後、初の本格的な政党内閣である原敬はらたかし内閣が成立。

 彼は爵位もなく、内閣のメンバーも外務大臣と軍部大臣以外は立憲政友会の党員で構成されていたため、国民からは「平民宰相」と呼ばれ、歓迎されました。



 しかし、元々ただの人々の請願だったものがマスコミによって大規模なものに拡大した点はメディアの恐ろしさと情報を扱うものの責任感について考えさせられる点でしょうね。


 今回はこの辺りで。

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