15 虐殺者は再び

『先ほどの行動の真意を聞かせてください』


 西の“宵闇の礼拝堂”に向かうウィルは、自身に憑依しているリーゼにこう言い寄られていた。その声色に少しのいらだちを感じたウィルだが、すでに腹を決めたウィルに動揺はない。


「先程お伝えしたとおりです。あの青年……エミリオの助力を得ることが得策だと判断しました。そしてそのためには、こちらのことを包み隠さず伝える必要がある。……そう判断したまでです」

『あの者に憑依しているのは得体の知れないもの……私の復活を妨げようという意思を持つものであるということは伝えたはずです』

「確かにそうです。だが、あの時点であなたの封印の確認をしなければならないという目的は合致していたはずだ。破られたという目の封印はもちろん、“宵闇の礼拝堂”にあると言われる心臓の封印も確認せねばならない……であれば手を組んでも良いはずだ」

『ウィル……どうしたのですか? 今のあなたはまるでわがままを言って母親を困らせる幼児のようではないですか』

「私はあなたの復活のために行動している。その点は揺るぎないことは誤解しないでいただきたい」


 ウィルは今、あの青年……まっすぐな眼差しで『街を取り返す』と言ったエミリオ以外の何者をも信用出来ない状況だった。ただし、これは精神的な揺さぶりを受けての混乱ではない。エミリオに自身の行動目的の矛盾を突かれ、ウィルはこの事件が始まってはじめて、自分の意思を決めた。


「リーゼ、あなたに問いただしたい。あなたは“古き赤黒い獣”を再び封印するため、自分が復活する必要があると言った」

『そうです』

「“古き赤黒い獣”は、あなたの力によって封印されている」

『その通りです』

「ではあなたを復活させると、“古き赤黒い獣”は自由を取り戻してしまうのではないですか?」

『……』

「このままでは“古き赤黒い獣”は復活してしまう……しかしあなたが復活してしまえば、やはり“古き赤黒い獣”は復活してしまう。この矛盾はどう説明するのですか?」

『……』


 この矛盾が解決されない限り、このリーゼの言葉を信用することはない……ウィルは括弧たる意思を持って質問している。聖女リーゼの言葉と信じて今までは盲目的に従っていたが、今後はそうはいかない。この聖女リーゼの言葉には矛盾が多く、その所業も聖女というよりは忌まわしき魔女に近い。自身の頭に声を届けるこの正体不明の女性の正体を見極める必要が、自分にはある。


 こうして、周囲には分からない意識下での攻防を続けるウィルとリーゼだったが、日没後の暗闇の中に宵闇の礼拝堂”の姿が見えてきた時、二人の会話は止まった。


『ウィル』

「ええ」

『静か過ぎます』


 暗闇の中でぼうっとした明かりを灯した“宵闇の礼拝堂”は、静寂の中にあった。そこにあるはずの、聖騎士団と“人の使徒”との間で繰り広げられているはずの喧騒はなかった。


「……時間通りに突入が開始されたとすれば、あれからもうだいぶ時間が経過している。あるいは戦闘は終了しているのかもしれない」

『もしくは、衝突そのものが無かったということでしょうか』

「分かりません。どちらにせよ、今は言い争いをしている場合ではなさそうだ」

『そのようです』


 ウィルは背中にかついだソーンメイスを構え、敷地に入った。髪の物語を口ずさみ、法術“叫喚の折檻”を発動させる。光り輝くソーンメイスで周囲を照らしながら、“宵闇の礼拝堂”の中心……礼拝堂の扉を開いた。


「な……」

『これは……』


 扉を開いた瞬間、室内から漏れ出す濃厚な血の匂い。むせ返るほどに濃厚な匂いはウィルの鼻腔に無理矢理にまとわりつき、腹部に不快な感覚を残していった。


『……酷いですね』

「ああ……」


 何があったのかを確かめるため、ウィルは礼拝堂に足を踏み入れた。床は乾燥してにかわのようになった大量の血で染め上げられていた。


 仲間と、そして『人の使徒』の構成員と思われる人間の遺体をソーンメイスで照らす。遺体の損小具合は様々で、五体が切断されている者、身体をなで斬りにされている者、刺突傷が全身にある者……様々な死因で亡くなっていたが、いずれも共通していることがあった。


「刃物による傷だ」

『これがですか?』

「ええ。どの遺体も刃物によって殺傷されています。『人の使徒』の構成員も刃物で殺されている」

『それが何か?』

「ご存知の通り聖騎士団は、刃物を利用した戦闘は禁忌です。故に聖騎士団は、剣などの刃物の類の武器は携帯しません」

『……彼らは、聖騎士団との戦闘で亡くなったのではないのですね?』

「ですね。恐らくは……」


 刃物による凄惨な殺害現場……この遺体の山に刃物の痕跡を見つけたその瞬間から、ウィルにはこの現場を作り上げた張本人……屈強な聖騎士団と“人の使徒”の構成員を血祭りに上げた人物に心当たりがある。核心に近いと言っていい。


―― だから楽しみに待っててね


 虐殺者ユキ。あの女しかいない。戦場にふらりと姿を表しては、その場にいる兵士の全員を極東の様式のサーベルで惨殺していく虐殺者。すべてを殺し尽くすとまたふらりといなくなり、次の戦場に向かう……この事態を引き起こしたのは、ヤツしかいない。


 ここに来て、ユキの行動に異常性が増した。ウィルは先の戦闘で、ユキからのヘイトが自分に向けられたことを実感し、確信している。順当にいけば、今後ユキは自分だけを狙うはずだった。故にウィルは、ユキの存在をそれほど重要視していなかった。


 あのような直情的な異常者は、以外と自分が課したルールには従順であることが多い。ユキは、ウィルを次の標的に定めていた。故にウィルは、次にユキが襲撃してくるのは、戦場にいる自分であると確信していた。


 ところが、実際にはユキはウィルの元には現れず……この“宵闇の礼拝堂”を訪れ、そこで戦いを繰り広げていた聖騎士団と“人の使徒”構成員を存分に斬った後、この場を去ったようだ。


 ソーンメイスの柄を握るウィルの右拳に力が込もる。今日一日で、自分が率いる聖騎士団第一師団は全滅だ。


 すべては、自身の甘い決断……もっといえば、この頭の中に響くリーゼを盲信していたがゆえの思考停止状態だったおろかな自分が招いた結果である。それはウィル自身、痛いほど承知している。


 だが、それでもユキは許さない。次に会った時……次に自分を襲ってきた時は、ソーンメイスで容赦なく圧殺する。それが今のウィルに出来る、自分の仲間だった第一師団の皆に約束できる、せめてもの餞だ。仇は必ず取る。


『ウィル、封印を確認しましょう』

「ハッ」


 リーゼのこの提案には素直に従う。状況が飲み込めれば、次は必要な確認だ。ウィルはこの礼拝堂の地下、リーゼの心臓が祀られた小部屋に向かった。


 ソーンメイスの明かりを頼りに、礼拝堂の地下通路を進む。一応ユキが隠れていることも考えて警戒しながら進むが、恐らくすでにあの女は別の場所に移動していることだろう。根拠はないが、なぜか確信に近いものがあった。


 小部屋の前に到着した。小部屋は“始業の教会”と同じく分厚い鉄の扉で入り口が閉じられており、頑丈な鍵で幾重にも施錠されていた。鍵がまだ施錠されているところを見ると、どうやらここの封印はまだ破られてはないようだ。


『あの女性の狙いは私の封印ではないのですね……』

「だとしたら本当に殺人が目的なのか……つくづく異常な女だ」


 強化されたソーンメイスで、扉の封印を破る。強烈な衝撃を受けた扉はあっさりと白旗を上げ、ウィルとリーゼの前にその小部屋への入り口を開いた。小部屋の中から漏れだした空気が“始業の教会”の封印の間の空気と同質のものであることに気付いたウィルは、この部屋が間違いなく施錠されていたことを確信した。


『ウィル、確認を』

「分かっております」


 目の前の祭壇に置かれた銀の水槽の中に手を入れる。しばらくの間水槽内を調べ、そこに赤い宝石がついたペンダントがあることに気付いた。


「ありました。確保します」

『お願いします』


 ペンダントを水槽から取り出し、自分のマントでペンダントの表面の液体を拭き取る。舌のペンダントと同じく、その赤い宝石は血のように赤黒く光り輝いていた。


『これですべての準備は整いましたね』

「この水槽から出すだけでですか?」

『そうです。あとはすべてのペンダントを、村の中央にある私の血液が祀られた祭壇に持って行き、その水槽に入れれば私は復活します』

「……」

『まだ迷っているのですか?』

「迷っているのではなく、疑っているのです。先ほどの回答を私はまだあなたから聞いてない」

『……』

「答えていただけませんか?」


 沈黙が二人の間に流れる。仲の良い者同士の心地いい沈黙ではない。例えるなら、刃を向けた者同士の間に流れる、互いの意識だけの攻防に近しい緊迫した沈黙が、ウィルとリーゼを包んでいた。


『先ほど私は、あなたに“水槽からペンダントを出すだけでいい”といいましたね?』

「確かにそうおっしゃいましたね」

『そして右腕を司るペンダントですが……私があなたたちに助けを求めたその時には、すでに水槽から出された状態でした』

「?」

『今回の事件が発生してから今まで、右腕のペンダントは封印の一角としての働きを成してなかったということです』

「……つまり?」

『つまり、この事件が発生してからずっと、“古き赤黒い獣”の封印は不完全な状態だったということです。いつ封印を破って復活しても、おかしくない状況でした』

「……」


 なるほど確かに筋は通る。恐らく右腕を水槽から出したのは“人の使徒”のユリウスだろう。どういう理由があってなのかは知らないが、ユリウスがリーゼの“右腕”を奪取した結果“古き赤黒い獣”の封印は不完全なものとなり、いつ復活してもおかしくない状況だった。リーゼはその危険性を察知して、ウィルたち法王庁に助けを求めた……リーゼはこう言いたいらしい。


「もしそれが、あなたが復活を急ぐ理由なのだとしたら……」

『?』


 だが、ウィルはまだ納得はしない。疑問点は全て解決したうえで、彼女の言葉が信用出来るかを決断する。盲目的に彼女のことを信用し、自分で考えない状況で失敗するのは、もうごめんだ。


「逆に今、“古き赤黒い獣”を繋ぎ止める封印は、血液以外の楔が無くなってかなり不安定な状況のはずだ。効力も弱くなっていることでしょう」

『そうですね』

「ではこの状況で、“古き赤黒い獣”が復活しない理由は? お伽話でしか存じ上げませんでしたが、あの獣は非常に狡猾でずる賢く、残虐だ。この機会をチャンスと見るのでは?」

『ずる賢いからこそ、今はまだあえて沈黙しているのかもしれません。私たちを油断させているのかも』

「……」

『ただこればかりは、獣本人に直接聞かない限りは正しい答えは分かりませんが……』

「……」


 確かに今、古き赤黒い獣が何を考えているのかは本人にしか分からない部分だが……腑に落ちない部分はあるが、一応これでウィルの質問に対しリーゼはすべて答えた。


『ウィル』

「はい」

『まったく違う話で申し訳ありませんが……』

「?」

『あなたは先ほど、この礼拝堂の遺体は、すべてがあの危険な女性の仕業だと踏んでいましたね?』

「それが何か?」


 唐突にリーゼが別の話を振ってきた。これは果たして気がかりだからなのか……それとも、追求されたくなくて話をはぐらかしているのか……


『その女性、ここにはすでに姿がありませんでした』

「ですね」

『身を隠している可能性もありますが……日中に遭遇したときの殺戮への執着から考えると、それは可能性としては低いと思います』

「私も同じ考えです」

『ならば今、彼女はどこにいるのでしょうか……?』


 この都市を占拠した“人の使徒”は、占拠の直後に住民や観光客といった一般人をすべて都市の外に避難させている。そして自分たち第一師団が到着した時、この都市に残っていたのは“人の使徒”構成員だけだった。


 第一師団は自分を残して全滅した。“人の使徒”の構成員は、この場にいた者は全滅。それ以外は素直に考えると鐘塔“聖女の賛美歌”を占拠して守っているに違いない。他にいるのは、“南部修道院”にいるはずのユリウスとエミリオ。ユリウスはあのまま“聖女の賛美歌”に移動するだろう。エミリオも目の確認が終われば、ユリウスを追って“聖女の賛美歌”に移動するはずだ。


 あの女は、人を惨殺することを何よりの愉悦としている女だ。人の多い場所を嗅ぎとり、そこにふらりと姿を見せる女だ。そんな女が今この時も、都市内を徘徊しているとしたら……


「……“聖女の賛美歌”に向かう?」

『あるいは。その可能性は高いのではないでしょうか……』


 まずい。あの危険な女が“聖女の賛美歌”に向かい、エミリオと鉢合わせにでもなったとしたら……確信を持って言える。エミリオではユキを退けることは不可能だ。エミリオはゴーレムを退治出来るだけの強さがあるが、それはあくまであの不可思議なサーベル故だ。見たところ、別段剣技が優れているわけでも、膂力が人並み以上にあるわけでもない。


 そうなると……あの異常者が繰り出す狂気をはらんだ熟練の剣技の前では成す術なくなで斬りにされてしまう。このままでは危険過ぎると判断したウィルは、リーゼとの問答を中断し、このまま“聖女の賛美歌”に向かう決心をした。


「リーゼ、まだあなたを完全に信用したわけではないが……確かにあなたの言う通りだ。“聖女の賛美歌”に向かわなければ、エミリオの命が危ない」

『わかりました』

「あなたを追求するのはまた後ほど」

『……わかりました。守護兵は……』

「そんなものを作っている暇はないし、作る必要もなければ作らせるわけにもいかない」

『……分かりました』


 リーゼとのやり取りを終えたウィルは踵を返し、急いで“聖女の賛美歌”に向かうべく小部屋を後にした。


 急がなければならない。今ではたった一人の味方になってしまった男……自分の目を開いてくれた恩人の命を守るために、急いで“聖女の賛美歌”に向かわねばならない。ウィルはリーゼへの追求はひとまず忘れ、ただひたすらに“聖女の賛美歌”を目指して駆けた。



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