13 手記(前)

『古き赤黒い獣って何ですか?』


 エミリオは我が耳を疑った。今まさに詳しい話を聞こうとしていた張本人である自称リーゼの口から、こちらの意思を根本から否定する一言が出たからだ。


「え……ごめんもう一回。聞き間違いしたかも」

『だから、さっきの話に出てた“古き赤黒い獣”って何です?』

「……マジで分からないの?」

『はい』


 この少女が、本当にあの聖女リーゼなのかどうかはまだ分からない。なんといっても、あくまで本人がそう名乗っているだけだからだ。だがエミリオにとって、今のこの状況で最も信頼にたる相手であることは確かである。


 加えて、この少女は出会ってから今まで聖女の力としか思えない数々の奇跡をエミリオに見せた。エミリオの頭に直接語りかけ、目の前でサーベルを“魔女の憤慨”に変質させ、南部修道院侵入の際には、その法術で手助けしてくれた。


 だからエミリオは、彼女がリーゼであるということを疑ってはいない。だからこそ、彼女のその一言には衝撃を受け、戸惑った。彼女は聖女リーゼ。“古き赤黒い獣”という化物の存在に最も近しい存在であるはずの彼女が、そのようなセリフを吐くはずがない。


「……」

『あのー……』

「ああ……ごめん。それ本気で聞いてる?」

『本気……ですけど……』

「……」

『? エミリオさーん? もしもーし?』


 だが彼女がウソをついているとも思えない。すべてが仮定の話になるが、もし彼女が本当に聖女リーゼで、もし彼女が本当に“古き赤黒い獣”のことを知らないとなれば……


「ごめん。それ答える前に、俺の話を聞いてくれる?」

『いいですよ?』

「キミは聖女リーゼだよね?」

『これだけ一緒に行動してきたのにまだ信じてないんですかっ!』

「いや、疑ってはないけど……で、ここからが質問なんだけど、キミはなぜ封印されたの?」


 そうだ。もし今の自称リーゼの言葉がすべて本当だとすれば、彼女がなぜ封印されたのか疑問が残る。伝承では聖女リーゼは、“古き赤黒い獣”をこの街に繋ぎ止め、封じ込めるために自らの命を絶ち、この地に祀られた。


 もしそれらがすべてウソだとしたら、なぜ彼女はこの街に祀られたのか。本人がいるのだ。直接聞いてみるのが一番早い。


『んー……』

「……」

『……あまり話したくないです』

「大切なことなんだ。教えて欲しい」

『えー……』

「頼む」


 自称リーゼの、こんなに歯切れの悪い反応を聞いたのははじめてだ。今までは煩わしいほどに元気で俗っぽかったというのに……エミリオはそんな感想を抱きながら、自称リーゼの返答を待った。


『えーと……生きてた頃の私の話、知ってます?』

「うん。聖女リーゼの物語は今ではお伽話になってるよ。枯れ草を撫でたらそれが小麦になったり、大岩を杖で突いたら水が湧き出たり……」

『そうなんです。自分で言うのも何なんですけど、生きてた頃の私って信じられないほどの力を持ってて。そのおかげなのか、それとも人助けにその力を使ってたからなのかはよく分からないですけど、“聖女様”なんて言われるようになって』

「……」

『でもある日、教会の人たちとこの村に訪れた時……』

「……」

『そこで毒を飲まされました』


 その後自称リーゼは、自身が知っている“聖女様”の話をかいつまんで、しかしわかりやすくエミリオに語ってくれた。


 リーゼは、ある山奥で暮らす一人の研究者の家に生まれた。父にあたるその研究者の名前はハインツ。古今の技術を研究し、人間の精神力の有効活用に関する研究を行っていた。母はリーゼが生まれた際に他界。不治の病を患っていた母はリーゼ出産とともに他界したという。


 リーゼは父ハインツ、そしてその助手の女性オズの三人で静かに暮らしていた。教会から派遣された聖職者が頻繁に父の講義を受けに来訪してくる以外は、いたってごく普通の家庭だった。


 父ハインツの講義を聴講するために訪れた聖職者たちは、リーゼに神の物語を聞かせてくれた。神の言葉を伝えながら無辜たる不幸な人々を助け、世界中を放浪した預言者ユリアンニの無私の精神に感銘を受けた少女リーゼが、ユリアンニ教の信者となることは自然なことであった。


 ある日、リーゼは自身の体の中に眠る神秘的な力の存在と、その制御方法に自ら気付く。そして、その力を見た聖職者たちは、リーゼの力を『これぞ神の奇跡』と讃えた。


 聖職者たちはリーゼに告げた。


――あなたには、たくさんの不幸な人々を救う力がある。

  あなたこそ預言者ユリアンニに次ぐ聖女だ。

  あなたには、その奇跡の力を使って人々を救う義務がある。


 すでにユリアンニ教の熱心な信者であったリーゼが、聖職者たちとともに弱者救済の旅に出ることを決心したのは自然な成り行きだった。彼女は数多くの聖職者、そして父の助手オズと共に全国を渡り歩き、行く先々で数々の奇跡を見せた。


『余談ですけど、オズさんってすごくおっぱいが大きかったんですよ』

「そんな話はいいから早く先に進めて」


 やがて“聖女リーゼ”の話は国内に響き渡り、リーゼは訪れた先々で賞賛と歓迎を持って迎え入れられた。神の奇跡は実在すること、その強大な力を行使するのが心優しき少女であったこと、その少女が強大な神の奇跡を使いこなし、献身的に不幸な人々を助けていったこと……すべてが民衆の心をつかんで離さなかった。


 そしてある日……腐った空気が発生して崩壊寸前となっていた村ドレスロー……後の教会都市ヴェリーゼを訪れたリーゼはその日の夜、同行していた聖職者の一人に勧められたコップ一杯のぶどうの絞り汁を飲み干し、その数分後に命を落とした。


『聖職者の方々にどこかに連れて行かれて、変な台みたいなとこに寝かされたところで意識が途絶えました。……これが、私がこの地に封印されるまでのことです』

「……最後の旅にそのオズさんって人はついて来なかったの?」

『はい』

「なんで?」

『その頃になると私も旅に慣れてきてましたし。お付の方もとてもたくさんいましたので』

「お付の方って?」

『教会の方たちです。結局それがダメだったんですけど……』

「……」


 エミリオが知っている聖女リーゼのお伽話とはかなりの差異がある話だ。第一、この話の中には“古き赤黒い獣”がまったく出てこない。もしこの話が本当だとすれば、自称リーゼが『“古き赤黒い獣”とは何か』という質問を投げかけてくるのも当然だ。


 だが、ここでエミリオに新たな疑問が生まれる。なぜ聖女リーゼは殺害されたのか。そしてなぜ殺害した後、この街に封印されたのか。……自称リーゼの話に出てきた聖職者たちというのは、今で言う法王庁の人間なのだろう。初めてエミリオが法王庁の話題を自称リーゼに振った時、彼女が妙な反応を示していたことをエミリオは覚えている。彼女はこの件で聖職者たちに一種の不信感を抱いているようだ。


 気持ちは分かる。自称リーゼをユリアンニ教の信者に仕立てあげ、その奇跡の力を祭り上げた張本人である聖職者たちの手で命を奪われたのだ。彼女の不信感は当然だ。


「ちなみに封印されてからの記憶はあるの?」

『ありますよ? 次に気がついた時は真っ赤な空間の中でした』


 自称リーゼの意識が再び目覚めた場所……それは、身動きが取れない真紅の結晶体の中だった。自称リーゼは、今までは何の苦労もなく扱えたはずの強力な力が使えないことに疑問を感じつつ、自身が何の中にいるのかを冷静に観察した結果、自分が真っ赤な宝石の中に閉じ込められていることを悟った。


 その後、どのような手段を講じてもその宝石から脱出することが出来なかった自称リーゼは、やがて脱出を放棄することにする。静かに時の流れに身を委ねることを決心した。


『それから長い間、私は他の場所に封印されているであろう“心臓”とのかすかな繋がりを感じながら、その場に静かに留まっていたんですけど……』


 つい先日……時間にして、ちょうど“人の使徒”がリーゼ大聖堂を襲撃した時、心臓とのゆるやかな繋がりが途絶えた。その直後、自称リーゼの意識は宝石を飛び出し、“始業の教会”の地下礼拝堂に飛ばされていた。そしてそのしばらく後、エミリオと出会ったという話だ。


『これが、エミリオさんと出会うまでです』

「封印されている間は外界のことは感じていたの?」

『ほんのりとは。自分が銀の水槽に沈められてて、小部屋みたいなところにいるんだなぁということぐらいでしょうか』


 ここまで聞いても何も解決しない。いや新たな疑問が出てきただけだ。もし彼女の話が本当だとすれば、お伽話に出てくる“古き赤黒い獣”は存在しなかった。彼女は自ら命を断ったのではなく、聖職者たちによって殺されたのだ。それはなぜだ? なぜ彼女は殺されなければならなかった?


――この書物が気になるか?


 フとユリウスの言葉を思い出した。あの男は一冊の書物を持っていた。その書物に対しエミリオが興味を持つと、『この騒動に深く関わる以上、いずれ知ることになる』と言っていた。ひょっとすると、聖女リーゼに関することなのかもしれない。


 決心したエミリオは、急いで自分とユリウスがいた鐘塔に戻る。あの男は確か件の書物をここまで持ってきていた。そして自身がこの場から消え失せる際、足元に落としていったはずだ。もしその記憶が間違ってなければ、書物はまだ鐘塔にあるはず。エミリオは鐘塔を駆け上がり、自身が蹂躙される聖騎士団を見下ろしていた最上階に足を踏み入れた。


 あの書物は、ユリウスが立っていた場所に無造作に佇んでいた。かなり大きな代物で、ともすればエミリオの胴体がそのまますっぽりと収まるほどの大きさである。ボロボロの表紙はすでに書物から剥がれ落ちそうになっており、その書物が相当な年代を経てその場に存在しているのが見て取れた。


「これだ……」

『あのユリウスって人が持ってた書物ですね』

「俺が間違ってなければ、ここに聖女リーゼの話が載ってるはずだ」

『……あ』


 表紙を眺めるエミリオの頭に、自称リーゼの小さな声が響いた。その声は、懐かしい友に出会えた郷愁、そしてその友と会えない悲しみのような、複雑な感情をエミリオに伝えた。


『この字……オズさんの字だ……』

「オズさんって、キミのお父さんの助手だったって人?」

『はい……私の母親代わりみたいな人でした……』


 聞いているエミリオの目に涙が浮かびそうになるほど、自称リーゼの声には郷愁と悲しみがこもっていた。彼女は何度も『オズさん』と呼び、静かに懐かしさに身を委ねているようだった。


 表紙には古い言葉で“手記”とある。リーゼに最も親しい存在の一人であった、父親の助手の手記。そしてその手記はリーゼ大聖堂でリーゼの右腕と共に発見された。ならばこの書物こそ、今エミリオが抱える聖女リーゼに関する疑問のすべてを解決してくれるものであるはずだ。エミリオはそう確信し、書物の表紙を開いた。


「……一つ聞いていいかな」

『はい』

「これから俺は、キミの身に起こった本当のことを知ることになると思う。場合によっては、キミにとって辛い事実が判明するかもしれない。知らないほうが良かったことを知ることになるかもしれない」

『……』

「それでもいい? 俺は知る必要があると思う。キミの封印を守るため……この街を脅かす奴らから、この街を守るためにも」

『……私も知りたいです。自分の周囲に何があって、お父さんやオズさんがその後どうなったのか』

「分かった」


 エミリオは意を決し、表紙を開いて書物を読み進めていった。書物はいわゆる日記になっている。書いたのは研究者ハインツの助手にして聖女リーゼの母親代わりといえる女性、オズのようだった。


 オズという女性はとてもマメな性格だったようで、一言程度の日記はほぼ毎日つけられていた。書物が傷んで読めない部分や、明らかに日常のことが書いてある部分は読み飛ばし、要所要所をかいつまんで読み進めていく。


……


…………


………………


5月12日

今日も先生の元に聖職者の方が来た。

近頃は聖職者の方が先生の講義を聴講しに訪れる事が多い。

先生が研究している『精神力を活用する技術』というものを学びたいそうだ。


6月25日

先生の長年の研究の一つが実を結んだ。

精神力による不思議な力で、声を発さずとも会話が出来る方法を先生は編み出した。

先生はその方法に『囁き』という名前をつけていた。


9月19日

『囁き』を編み出してからの先生は、本当に凄い。

精神力を有効活用する方法の基礎技術を確立したと先生は言っていた。

先生は、その技術に『魔術』という名前をつけていた。


10月2日

夕食の準備中、私が木の実の殻を割るのに苦労していた時のことだ。

その木の実はとても美味しいのだが、殻が固く、中々金槌で割ることが出来ない。

そうやって苦労しているところを先生に見られてしまった。

私が取り乱していると、先生が何か魔術を私の金槌にほどこしてくれた。

その後眩しく輝き始めた金槌は、硬い木の実の殻をやすやすと砕けるようになっていた。

『魔術で金槌を強化したんだよ』と先生は笑顔で語ってくれた。


11月23日

少しずつ寒くなってきたが、先生の魔術のおかげで言うほど苦労はしていない。

寒い時は先生が魔術で身体を温めてくれるし、

それでも寒い時はお互いに温め合えばいい。


12月1日

先生と2人で街に出た帰りに、アクシデントで家の鍵が外せなくなった。

ところが先生が魔術の力を私の右手に込めてくれ、その後鍵は何の問題もなく外れた。

『悪戯』という名前をつけた、と先生は語ってくれた。


12月15日

今日は珍しく、聖職者の方々が聴講に訪れることはなかった。


12月16日

聖職者のとても偉い方が訪れ、先生と話をして帰られた。

私はその場に同席することは出来なかったが、後ほど先生に伺ったところ、

『魔術の基本技術を聖職者にも教えてほしい』とのことだった。

聞けば、先生の技術を幸薄い人々を助けるために使いたい……とのことだった。

先生は秘密主義ではない。その話を快諾したとか。


12月22日

今まで以上に多くの聖職者の方が、先生の講義を聴講しに来た。

皆、魔術の話を興味深く、熱心に聞いていた。


1月12日

先生曰く、魔術には適正があるらしい。

先生の教えを受けた聖職者の方々の中でも、扱えるのはごくわずかとのことだ。

私も理論体系は知っているが、魔術を扱うことは出来ない。

『魔術には適正がある』という先生の説は正しいようだ。

そのことを、先生は悔しそうに語っていた。

先生は、魔術を『誰でも扱える技術』にしたいそうだ。


2月3日

昨晩は、先生は何か辛いことがあったようだ。一晩中先生を抱きしめていた。


2月4日

先生が古い書物を読み漁っていた。

何か成し遂げたいことがあるようで、古い技術に解決策を求めているようだ。


4月24日

昨晩、久々に先生が私を求めてくれた。

だがやはり最後まで愛しあうことは出来なかった。

そんな時の先生の背中は、いつもより縮こまって見える。

たとえ最後まで愛しあうことが出来なくても、私は先生を大切に思っているのに。


5月12日

先生が何を成し遂げたいのか、なんとなく分かってきた。

先生は、子供が欲しいのではないだろうか。

先生の身体は最後まで愛しあうことが出来ない身体だ。

故に先生は、過去の技術で自分と私の子供を作りたいのではないだろうか。


5月24日

先生が難しい話をしていた。

人間は本質的に4つの人格に分けられるらしい。


6月28日

次第に魔術を扱える聖職者の方が増えてきた。

先生の直系の弟子にあたる私でも扱えない技術なのに……


7月2日

聖職者の偉い人が来訪。

先生の魔術が人助けでかなりの役に立っていると言っていた。

その話を聞いた先生はとても喜んでいたが、

それが私ではないことがほんの少し悔しかった。


7月21日

新しい聴講者として、女性の聖職者が来られた。

彼女の名前はソフィさん。小柄で美しい、

銀髪のショートカットがよく似合う女性だ。

ソフィさん、これからよろしく。


10月1日

先生の指導と本人の努力の甲斐や才能もあり、

ソフィさんは次々と魔術を習得していった。

私が努力しても辿りつけない境地に、彼女はたどり着いていた。


10月13日

やはり私の予想は間違ってなかった。

今日、先生は私に子供を作る事ができる過去の技術を見つけたと大喜びで語っていた。

先生が喜ぶ顔を見ることは嬉しいが、

私は今のまま静かに先生と暮らすだけでも充分なのだが……。


11月3日

聖職者の中で、ソフィさんが最も魔術で実績を上げているそうだ。

彼女はゆく先々で不幸な人々を救っていると聞いた。


11月17日

先生と喧嘩をした。

先生は私との子供を授かりたいと言ってくれたが、

私は無理に授からなくても、2人で静かに暮らしていきたいと告げた。

しばらく言い争いが続いた後、先生は『身勝手だった』と謝ってくれた。

その後久々に私を求めてくれたが、私ははじめて先生を拒否してしまった。


11月21日

あの日以来、険悪な日が続く。

先生は今日、聖職者の方に連れられ外出された。

私が床についても先生は帰ってこなかった。


11月22日

夕方ごろに先生が帰宅。ひどく酔っていた。

先生をなだめて寝かしつけ、静かに眠る先生の寝顔を眺めながら、

私は先生を愛していることを実感した。先生、愛してます。


11月23日

先生は気分が優れないということで、一日中床についていた。

どうも体調を崩しているらしく、様子がおかしい。

教会からソフィさんが来訪。先生の看病を手伝ってくれた。

彼女と話をしたところ、先生は誰よりも魔術の扱いが上手とのことだ。

聖職者の中で一番魔術を扱えるソフィさんがそう言うあたり、

先生の魔術は誰よりも質が高いのだろう。私も誇らしい。


11月24日

先生の体調が戻らない。暫くの間、魔術の講義は行わないことになった。

教会から正式にソフィさんが派遣された。

体調がすぐれない先生の身の回りの手助けをするとのことだ。

私は拒否したのだが、先生本人がソフィさんを迎え入れた。

今日からはソフィさんも同居する。


12月1日

一緒に生活してみて分かったのだが、

ソフィさんはとても優しく朗らかで、話をしていてとても楽しい人だった。

最初こそ警戒したけど、この人なら良い友人になれそう。

やたらと私の胸と自分の胸を見比べるのはどうかと思うが……


12月4日

ソフィさんが私の料理を褒めてくれた。

『修道院でこんなに美味しいお食事を食べたことがありません』と言っていた。

たくさん作ったその料理をソフィさんは大慌てで食べ、

喉にパンを詰まらせて窒息しそうになっていた。

慌てて飲んだ水は気管に入ったらしく、ひっきりなしにむせていた。

大人の女性にこういうことを言うのも何だけど、

なんだか彼女は小動物のようでとてもかわいらしい。


12月10日

『先生のことが好きなんですか?』とソフィさんから直球な質問をされた。

恥ずかしかったが素直に答えたところ、ソフィさんは目を輝かせていた。

修道院ではそういった話はご法度らしい。なんでも聖職者に恋愛は禁忌だとか。

しかしソフィさんは年頃の女の子らしく興味は尽きないようで、

私と先生のことを根掘り葉掘り質問してきた。

正直、少しうざったかった。


12月12日

昨日は先生の気分が久々に良いということで、

ソフィさんと先生と私の三人で語り合った。

その後ソフィさんが気を利かせてくれ、私と先生は久しぶりに一緒に眠った。

愛しあうことはなかったが、私はとてもうれしかった。


12月15日

深刻な表情をしたソフィさんに呼び止められ、相談を受ける。

『どうすればオズさんのように胸が大きくなるんですか?』とのことだった。

聞けば昨日、一緒に水浴びをした時に私の胸を見て愕然としたらしい。

『とりたてて何か特別なことをしたわけではない』と説明すると、

彼女は目に見えてしょんぼりしていた。

ソフィさんには悪いが思わず笑ってしまった。ごめんね。


12月20日

先生の治癒が遅い。そのことを不安に思っていると、

ソフィさんが私を抱きしめてくれた。

彼女の優しい言葉と声がとても心地よく、私は声を上げて泣いてしまった。

私の話をソフィさんはじっと聞いてくれた。ソフィさん、ありがとう。


12月21日

昨日のことをソフィさんに謝ると、

『友達だから当然です。でも私が困ったときは助けてくださいね』

と笑顔で言ってくれた。この人とはいい親友になれそうだと思った。


12月31日

先生がやっと全快し、講義を再開した。

最初の聴講生は私とソフィさん。久々でとても楽しかった。


1月12日

先生が回復したということで、ソフィさんは今日、教会に戻っていった。

久しぶりに先生と2人だけの生活。うれしいけれど、少しさみしい。


1月22日

教会の偉い方が来訪。奥の部屋で先生と話をしていた。

何の話をしていたのか、先生は教えてくれなかった。


1月31日

昨晩、あの日以来久しぶりに先生に求められた。

やはり最後までする事はできなかったが、

それでも先生に包まれて眠るのはとても安心する。


2月4日

教会の偉い方が、ソフィさんと共に再び来訪。

奥の部屋から『その話は断ったはずだ!!』という先生の怒号が聞こえた。

ソフィさんに事情を問いただしたところ、

伏し目がちに『私にも分かりません』と言っていた。


2月5日

先生は一日中外出していた。

帰宅された先生は、いつにも増して疲労しているように見えた。


2月6日

聴講に訪れたソフィさんと、先生の様子がどうもよそよそしい。

お互いがギクシャクしながら会話をしている。

2人が何かを意識しているようにも見えた。


2月10日

昨晩、先生が私を求めてきたが、

やはり最後まで愛しあう事はできなかった。

なぜか昨晩の先生は、いつもより落胆していた。


2月12日

最近は先生が私を求める頻度が多い気がする。

それはうれしいのだが、その後結局最後までは出来ず、

その後の落胆は以前よりもひどい。

何かあったのか問いただしてもはぐらかされる。

最後まで出来なくとも、私は先生を愛しているというのに。


3月1日

ソフィさんが最近姿を見せない。体調でも崩したのか。


3月10日

昨晩、また先生が私を求めてきた。

いつものように最後まで愛しあう事はできなかったのだが、

そのことを先生はひどく悔やみ、声を上げて泣いていた。

私は一晩中先生を抱きしめ、愛していることを伝えた。

先生は泣きながら何度も『すまない』と言い続けていた。


3月12日

先生は朝から外出していた。

お昼ごろから雨が降ってきたのだが、

庭に憔悴しきったソフィさんがいた。慌てて中に招き入れた。

ソフィさんにはいつもの元気や朗らかさがなく、げっそりとやせ細っていた。

何があったのか聞いても、『ごめんなさい』と言うだけだった。

そのままにしておくわけにもいかず、ソフィさんには泊まってもらうことにした。

私が弱っている時、彼女は私を助けてくれたのに……

ソフィさんを助けられない自分が歯がゆい。


3月13日

朝起きたらソフィさんの姿はなかった。

お昼前に先生が帰宅され、事の次第を説明。

話を聞いた先生は血相を変え、部屋を飛び出してソフィさんを探し回っていた。

私のときもそんな風に探してくれるだろうか……と少し思った。


3月20日

昨晩、先生が私を求めてくれた。


3月21日

昨晩も先生は私を求めてくれた。

それは素直に嬉しいのだが、先生は何か焦っているようにも見える。


3月24日

あの日以来、ソフィさんが顔を見せない。

先生もとても心配していた。久しぶりに会いたい。


3月30日

教会の偉い方が、大きな荷物を抱えて来訪。先生と奥の部屋で話をしていた。

教会の方にソフィさんのことを尋ねると、彼女は体調が優れないとのことだった。

看病に行きたいのだが、教会の偉い人に拒絶された。


3月31日

教会の偉い方が再び来訪。また大きな荷物を持っていた。

『オズさんにも関係あることだ』ということで、

先生は最後まで反対していたが……私も話を聞くことにした。

教会の方が持ってきた荷物の中身は、蓋が閉じられた大きなビーカーだった。

私の頭ほどの大きさのあるビーカーの中には、大量の赤い液体が入っていた。

それが何か問いただすと、教会の方が『ソフィの子供』だと教えてくれた。

ソフィさん本人はどうしているのかを聞いたところ、彼女は亡くなったと聞かされた。


4月1日

一日経って気持ちが落ち着いたところで、私は先生に話を聞いた。


先生は、自身が子供を作れない身体だということを知り、

過去の技術で子供を作る方法がないかをずっと調べていた。

その時に『生命を創造する禁忌』として、

男女の血液を混ぜあわせたものを20日間無菌フラスコで熟成させ、

出来た肉片に血液を一定量与え続けるという方法を見つけたらしい。

先生は私に拒絶され、その方法を諦めた。

だが、その子供の作り方に教会が興味を持ったそうだ。


教会は『神の奇跡』として魔術を自在に扱える人間を欲していたが、

ソフィさん以外にそのような聖職者は現れず、

しかもソフィさんでは力が足りない。

そこで教会は件の禁忌の方法で魔術を自在に扱える人間を作り上げようとしたそうだ。


先生は当初この話を断ったそうなのだが、

教会は交換条件として、私と最後まで愛し合えるようになる薬を差し出してきた。

私との子供が欲しいと思っていた先生は、

教会に自身の血を提供することを渋々承諾したらしい。


先生の相手に選ばれたのは、聖職者の中で最も魔術を扱えるソフィさん。

先生とソフィさんは2人でビーカー一杯分の血液を抜き取られたそうだ。

その代償として先生は薬を手に入れたのだが、その薬に効果はなかった。


午後に再度教会の方が件のビーカーを持って来訪。

中の血液がいささか減ったそのビーカーを前に、

ソフィさんのその後を聞かせてくれた。

血液の熟成が終了してから、

ソフィさんは教会の指示で2日に一度、

自身の血液を大量にこのビーカーに注いでいたらしい。

末期の時はほとんど意識がない状態ではあったが、

それでも中身を『自分の子供』だと信じて血液を与えていたそうだ。

そうして彼女は先々日、息を引き取った。

その話を聞いて……なんとなくだが、

彼女も先生を愛していたのでは……と思った。

先生を愛していたからこそ、

どのような形であれ先生との子供が欲しかったのではないだろうか。

そして生まれた子供に自分の命を分け与えるように、

意識が無くなっても血を差し出していたのではないだろうか。


ビーカーの中を覗くと、

中には小指の先ほどの大きさの蠢く肉片が一欠片入っていた。

その肉片は人の形のようにも見えた。

先生に、この後どうすれば完成するのか聞いたところ、

出来た肉片を女性の体内に埋め込むことで、

人の子として生まれるという話だった。


教会の方はこのビーカーを置いて帰っていった。

先生にどうするか聞いたところ、『捨てておけ』と怒鳴られた。

その形相も恐ろしかったが、

私にはソフィさんが命をかけて育てた子供を捨てることなど考えられなかった。

確かにうごめく肉片だが、命なのだ。

それも、ソフィさんが命を捨ててまで守った命で、

先生とソフィさんの子供なのだ。


4月2日

先生に無断で、『子供』を女性に埋め込む方法を調べた。

その結果、『子供』を腹部に乗せればよいらしい。

あとはおヘソを通して子供は自然とお腹の中に入るそうだ。

私は、『子供』を育てる決心をした。


先生に知られたら反対されるに決まってる。

私は先生に知られないように、その『子供』をお腹に埋め込んだ。

おヘソを通して入ってくるときはひどい激痛を感じたが、

入ってしまえば違和感はなかった。


午後、先生はビーカーの中身を庭に掘った穴に流し込んでいた。

私が自分のお腹の中に『ソフィさんの子供』を埋め込んだと説明すると、

先生はひどく取り乱した後、泣きながら私を抱きしめた。

『すまない。私は取り返しの付かないことをした』と何度も謝っていた。


だが私の心は意外なことに満ちたりていることを伝えた。

先生と愛しあうことで出来た子供ではないが、

先生の子供をこの身に宿すことが出来たこと。

やっとソフィさんの力になれたこと。

2人の子供を私が生むことが出来ること。

そんな理由で、私は不思議と満足していることを伝えた。


7月10日

最近、食べ物の趣味が変わってきた。

匂いにも敏感になってきている。

少し前まで好きだった木の実の匂いが気持ち悪くて仕方がない。

だが不思議と先生の匂いは嫌いにならない。


8月12日

嗜好の変化が少しずつ治まってきた。

お腹を見ると、最近少し膨らんできた気がする。


10月24日

お腹がだいぶ目立つようになってきた。

時々お腹を内側から蹴っているのを感じる。

はじめこそ『ソフィさんと先生の子供』という意識だったが、

最近では自分の子供だと思えるようにもなってきた。

私のお腹の中にいる子供は、親が三人いるのだ。

最近は先生の態度もだいぶ軟化してきている。

今日は生まれてくる子供の名前を話し合った。

男の子なら『ヨハン』、

女の子なら『リーゼ』と名付けることに決めた。


12月24日

生まれた。先生とソフィさん、そして私の娘だ。

はじめまして。私たちのリーゼ。


『エミリオさん……』

「……」

『私、教会に無理矢理に作られた人間だったんだ……』

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