8 虐殺者

 始業の教会で聖女リーゼの舌を司るペンダントを奪取したウィルは、そのまま自身が率いる第一師団を引き連れて南部修道院の目を奪取することに決めた。今はその南部修道院に進軍している最中である。ウィルは進軍中の師団の中央で馬に乗り、この進軍を指揮している。


――次は目を開放しましょう。南の教会に向かってください。


 距離的に近いという意味合いもあるが……自身に憑依し的確な助言を与えてくれる聖女リーゼの精神体にそう指示されたという部分も、南部修道院に向かうことに決めた理由の一つだ。ユリアンニ教信者であるウィルにとって、聖女リーゼの助言は的確で絶対的に正しい。


 だが。


『何か心配事でもあるのですか?』


 ウィルの疑問を敏感に感じ取ったのだろうか。リーゼがウィルの頭に語りかけてきた。


「いえ特には」


 反射的にウィルはそう答える。その言葉には嘘が混じっている。


『そうですか。余計な心配だったようですね』

「いえ……」


 心配事……と問われれば、実は無いわけではない。ユリアンニ教を信仰するウィルにとって、聖女リーゼの言葉は絶対的であるといえる。自分を含め上層部全員に対し直接語りかけるその強大な奇跡の力は、まさしく聖女リーゼの証明といえよう。疑う余地はない。


 だが……戦闘の犠牲者の遺体によってフレッシュゴーレムを作り出し、それをリーゼ大聖堂と始業の教会に配置するという酷い行いには疑問を抱かずにはいられなかった。フレッシュゴーレムを生み出せるのは、その力がまさに神にも等しい強大さを誇るからこそであろう。そのような酷い方法でリーゼ大聖堂と始業の教会に戦力を置くことも、それだけ聖女リーゼの必死さの表れなのかもしれない。今自分が聖女に導かれ完遂せんとしていることは、それだけ重要なことなのかもしれない。


 だがウィルには、伝説にある神のごとき慈愛を持った心優しい聖女の姿と、今自分に語りかける聖女リーゼの所業がどうしても重ならなかった。流行病の子供を抱きしめ治療を行う聖女と、遺体を寄せ集め術で仮初の命を吹き込んだ聖女の姿を、同一視することが出来なかった。


 これではまるで魔女……神への反逆を謀り不信心者の業とも言えるおぞましき魔術を駆使して善良な人々の平和な生活を脅かす忌むべき存在……これではまるで魔女ではないか。


 無論、聖女リーゼのことを疑っているわけではない。疑っているわけではないのだが……気を抜くとその疑問が自身の頭を埋め尽くし、今自身に憑依している聖女リーゼに伝わってしまうのではないかという恐怖を抱かずにはいられないウィルだった。


『ウィル』

「ハッ」


 不意に聖女リーゼに声をかけられた。声からは彼女の緊張感が伝わり、何か異常事態が発生したことをウィルに伝えた。


『何者かが接近しています』

「敵ですか?」

『敵意は感じられません。ですが殺気は感じられます』

「不思議な追跡者ですね」

『強いて言えば、遊戯を楽しむ子供のような、無邪気な殺気です』


 聖女リーゼの言わんとしている感覚がウィルにも伝わった。今ウィルたちは城塞に沿うように南部に進軍しているが、その城塞のはるか上から、まるで邪気のない……春の晴天に吹く心地良い春風のような、さわやかな殺気が感じられた。


「全員に伝令。このまま南部修道院まで進軍して陣を張れ。私はここで正体不明の敵の足を止めた後に合流する」

「ハッ!」


 ウィルは自分のすぐそばにいた伝令にそう伝えると、馬の足を止め、馬上から降りた。事は一刻を争う。進軍を止めるわけにはいかない。だが城塞の上から感じる不気味なほどに無邪気な殺気も気にかかる。これだけの殺気を発する人間であれば、その実力はどうあれ恐らくは相当な危険人物のはずだ。ならば第一師団の中でもっとも実力に秀でた自分がこの場に残り、正体不明の相手を足止めするのが得策といえる。これ以上余計な犠牲を生むと作戦行動に支障も出る。


 進軍は止まらない。その場にウィルを残し、南部修道院に向けて足を止めず進軍し続けている。ウィルはただ静かに城塞の上部を睨みながら師団が過ぎ去るのを待つ。相手が移動していないところを見ると、相手の狙いは自分のようだ。こちらの意図にうまくのってくれたのか……


「城塞に隠れている者! 姿を見せよ!!」


 ウィルはそう啖呵をきり、自身のソーンメイスの柄で地面を叩いて重い金属音を周囲に響かせた。挑発にのってこい。姿を見せろ。正体を表わせ。


「……あなたは誰?」


 ウィルが相手を挑発してほどなく、城塞の上から女性の声が聞こえてきた。決して大声ではない。だがそのメゾソプラノのごとき美しい声は周囲によく通り、決して怒鳴ってはいないにも関わらずウィルの耳にまで届いた。だが相手は一向に姿は見せない。


「私は聖騎士団第一師団長ウィル・フェリック! お前は何者だ!?」

「へぇ……ウィル……聖騎士団最強の……」


 直後、周囲の空気が硬質になり、温度が若干下がったことをウィルは感じた。


「あなたなら……イけそうッ!!!」

『ウィル!』


 聖女リーゼの警告と、二本のサーベルを構えて城塞上部から人影が飛び降りたのはほぼ同時だった。


「!?」

「ァァアアアアア!!!」


 声から察するに、明らかに女性である。一人の女性が狂気をはらんだ叫びを上げながら、サーベルを交差で構えながらウィルに向かって落下してきた。


「ちいッ!!」

「ァァァァァァアアアアアアア!!!」


 ソーンメイスを持ち上げ、自身の背後に飛び退くウィル。その直後女性の持つサーベルがウィルが先程まで立っていた地面に襲いかかり、周囲にもくもくと砂埃を上げながら着地した。


「何者だッ!!」

「知ってるくせに……」


 砂埃の中から、女性がよろよろとした千鳥足で姿を表した。極東の様式で鍛造されたサーベルが両手に一本ずつ握られていて、そのサーベルにはすでに血糊がこびりついている。身に纏う衣服も極東の女性が好んで着ると言われる民族衣装の様式だが、ところどころが破れており、彼女のきめ細く美しい肌がところどころ露出していた。サーベルと同じく衣服にも血糊がこびりついており、つい先程どこかで誰かを惨殺してきたであろうことをウィルに伝えていた。


「それでも聞きたい? ハァー……ねぇ……私の名前、聞きたい?」

「貴様……“虐殺者”か……ッ!!」


 女性の息遣いが荒くなっていく。頬にほんのりと朱がさし、返り血がついた美しい顔に次第に恍惚の表情が浮かび上がってきた。シチュエーションさえ間違えなければ、この表情を見、その吐息を耳元で感じた男性は間違いなく劣情に身を委ねることになるだろう。それほどまでに扇情的な表情を浮かべ、女性はフラフラとウィルに近づいてくる。


『ウィル、この者は……』

「思い当たる者が一人おります」


 ウィルはこの女性に心当たりがあった。たくさんの兵士が命を落とす戦場や暴力の絶えないスラム街、時には警備の厳重な上流階級の貴族の屋敷などに突然現れ、たった一人で敵味方の区別なくその場にいる人間を惨殺していくその女性。ウィルのように戦闘を生業にするものにとって、その名は恐怖と憎悪の対象として知れ渡っている。


「貴様は虐殺者ユキか!」

「うん……ンフフフ……ンフフフフフフフフ」


 2年ほど前、とある戦場においてこの女性ユキは突如姿を表した。極東の民族衣装に身を包み両手に一振りずつの極東のサーベルを携え、扇情的な表情を浮かべながらフラフラと戦場に足を踏み入れたユキは、その場にいる兵士全員の目を釘付けにしたが……ユキは天使の歌声とも形容される美しい声で、こう言い放った。


――あたしも混ぜて あたしにも斬らせて あなた達を斬らせてぇえエエ!!


 その直後すさまじい速さで戦場を駆け抜けたユキは、その両手のサーベルで一人また一人と、陣営の区別なく兵士たちを惨殺していった。突然のことでうろたえ身動きの取れない兵士の腹にサーベルをつきたて、ユキに立ち向かった兵士の両手両足を切り落とし、息を合わせて同時に襲いかかった3人の兵士をなで斬りにし、鎧に身を包んだ騎士のアーメットヘルムごと、頭にサーベルを突き立てた。


 かろうじて命をとりとめた兵士の話によると、ユキがその姿を現して数十分後、その場にはおびただしい数の死体が転がっていた。ユキはまだ息のある兵士を探しだしてはその身体をサーベルでなます斬りにし、やがて動くものがなくなったのを確認すると、恍惚の表情を浮かべながらフラフラとその場を立ち去っていったという。生き残った兵士はただ一人。他の兵士の死体に紛れ必死に死んだふりをすることで、ユキの目を欺いてなんとか生還したのだった。


 その後、ユキは時折戦場に代表されるたくさんの人の生死が関わる場に現れては、その場にいる者を平等に惨殺していった。戦場だけでなく今回のようなテロが発生した場合の現場や、時には上流階級の貴族の屋敷……ユキはあらゆる場に姿を見せ、その場にいる人間の大多数を惨殺して惨殺して惨殺した。


 そうしていつしかユキの名は、『虐殺者』として知れ渡るようになった。ユキに仲間を殺された者は憎悪を込めて、それ以外の兵士からは畏怖の念を込めて、ウィルのように兵士たちを束ねる者達からはやっかいな不安要素としてユキの名を呼ぶ。


『そのような神をも恐れぬ者がいるのですか……』

「相手は恐るべき速度で斬撃を繰り出す虐殺者です。私がこの場に残って正解だった」


 ウィルは静かにソーンメイスを構え、それをユキに向けて戦闘態勢に入る。相手は神の威光や説教の通用しない最上級の危険人物。即座に叩き潰さなければ自分の身も危うい。


 ユキが瞳孔が開いた眼差しでウィルを見つめた。鼻をすんすんとならし、ウィルの身体から漂う匂いを自身の鼻腔に集める。その異様な光景は、血まみれの服装も相まって、ウィルに対する威嚇の効果をもたらした。


「……あなた、誰と一緒?」


 ウィルは答えない。静かに神の物語を口ずさみ“叫喚の折檻”を発動してソーンメイスの威力を倍加させる。


「ズルいなぁ……楽しそう。あたしも混ぜてほしいなぁ……ンフフ」

「……」

「そう……混ぜて……あたしも混ぜて……楽しそう……ンフフハハ……アハァ……混ぜて……」

「断る」

「……だったら……斬らせて……斬らせてぇぇええエエエ!!!」


 足元が爆発してその爆風で吹き飛ばされたかのように、ユキは猛スピードでウィルに突進してきた。二本のサーベルを交差状に構え、ウィルとの間合いを一気に詰めて斬りかかってくるユキ。


「ォォォォオオオオオオアアアアアアア!!!」


 まるでオペラ歌手のファルセットを思わせる美しい叫び声を上げながらユキは突進してくるが、ウィルはタイミングを合わせユキに対しソーンメイスを振り下ろした。


「おおッ!!」

「んっ!!?」


 ウィルの強烈な一撃を、交差していた二本のサーベルで受け止めるユキ。直後、ユキの両足に接する地面にヒビが入った。それほどまでに今のウィルの一撃は強烈だ。


「虐殺者ユキ……!! これが神の折檻だ……!!」

「ンフフフフフ……ハァー……ハァー……」

「我々は先を急いでいる……お前が引くなら命は取らん……おとなしく引け……!!」

「イヤだ……斬りたい……ハァー……あなたが斬りたいィィイイイイイイ!!」


 受け止めていたサーベルでソーンメイスを自身の右にいなしたユキは瞬時に刀を逆手に持ち替え、自身の身を翻した。舞踏にも似たユキの華麗な動きはその刃をウィルに何度も撫で付ける。いなされたソーンメイスを巧みに使って身を守っていなければ、今の回転によってウィルの身体はなます切りにされていたことだろう。


「あれ……斬れてない……肉の手応えがない……?」

「神の拳の模倣たるソーンメイス……貴様のような不信心者の刃ごときで斬れはしないッ!」

「あたたかくない……斬れてない……嫌がらないで……素直に斬られてぇえエエエ!!!」


 ユキは美しい顔を狂気をはらんだ笑顔で歪ませながら、ウィルの頭上に対して二本のサーベルを振り下ろした。とっさにソーンメイスの柄で自身の頭を防御するウィル。ガギンという金属同士がぶつかる音が周囲に鳴り響き、ユキの斬撃には並々ならぬ力が込められていることが伝わった。


「斬らせてぇええ!! あたしをイかせてぇえええエエエエエ!!!」


 ウィルを殺害するという自分の願望が中々結実しないためか、ユキは美しくもおぞましい叫び声を上げ、ソーンメイスの柄に何度も何度も斬撃を叩き込んだ。


「ウワァァァアアアアアア!!!」

「クッ……!」


 怒りといらだちに身を任せたユキの斬撃を受け止めつつ冷静にユキを観察するウィルは、斬撃と斬撃の合間のとっさの隙に前蹴りを叩き込み、ユキを背後に突き飛ばした。重厚なソーンメイスを自在に扱うウィルの筋力は一般兵と比べて屈強だ。ユキ程度の人間なら蹴りで簡単に突き飛ばすことができる。とっさのことで防御が出来なかったユキはウィルの前蹴りを受けて後方に突き飛ばされ、その際に生じた砂埃にまみれた。


 ユキを蹴り飛ばし距離を取ることに成功したウィルは、改めてこの虐殺者ユキの恐ろしさを実感した。狂気をはらんだその表情にではない。狂ったように繰り返す斬撃にでもない。


「クソッ……不信心者め……ッ」

「んふふー……あなた……怖がりすぎ……カワイイ……」


 戦闘に快感を見出す狂人なぞ今まで何人も見てきた。そんな狂人が繰り出す狂った斬撃なぞ怖くない。


 だがこのユキは違う。狂ったように斬撃を叩き込んでくるが、しっかりと刃を立て、押し付けて引いて斬るという斬撃の基本がきっちりと守られている。ソーンメイスの柄を見る。この武器の鋼鉄製の柄は先ほどの斬撃で折れてしまうほどやわではない。だが鋼鉄製のはずの柄にサーベルの跡がついている。ユキの斬撃が鋼鉄の柄に食い込み、削り取っていった証拠だ。


 鋼にすら切り傷を刻みこんでいくほどの斬撃を繰り出す狂人。しかもその斬撃は基本に忠実かつ極限まで鍛えあげられている。この恐ろしさは、今までウィルが体験したことのないものだった。


『この者の命を奪うのですかウィル』

「でなければ私が殺されます」


 砂埃の中からユキが姿を表した。あいかわらず構えることもなく、フラフラと千鳥足で歩いている。瞳孔が開きっぱなしの目は焦点が合わず、ウィルを見ているのにウィルと目が合わない。恍惚の表情を浮かべているが、それが逆にユキが内包する狂気を演出していた。


 ウィルはソーンメイスを下段に構え、ユキの次の突進に備えた。たとえどのような攻撃を繰り出すのであれ、ユキはウィルに向かって前進しウィルとの距離を縮めなければならない。そして、間合いの勝負であれば長柄武器であるソーンメイスを持つウィルに分がある。


「んふふ……誰かと一緒なんでしょ? 匂いがする」

「知らん」

「んーふふふふ……照れてる? いいのに……隠さなくてもぉおおおオオオオ!!!」


 ユキがそのままの体勢で再度ウィルに向かって突進してきた。その突進に合わせウィルはソーンメイスを大きく振り上げる。


「ぉおおおおお!!」


 ソーンメイスがユキをかち上げるその寸前、ユキは関節のない軟体動物のような奇妙な動きで身を翻し、身体をぐにゃりと回転させた。ソーンメイスは空を切った。


「しまッ……!?」

「ぁぁああああアアアアア!!?」


 そのまま刃を立て、コマのように身体を回転させるユキ。ウィルは身体を強引にねじってユキの刃の間合いからほんの少しだけ自分の身体を遠ざける。ユキの二本の凶刃は間合いの中にウィルの身体を捉えきれず、肩に少し切り傷をつけただけで空を切った。


 斬られたウィルの肩から血が滲む。一方のユキの刀にはウィルの血は付着しておらず、ウィルが負った傷が浅いことを伝えていた。


 回転するユキはそのまま舞踏のように地面の上を数回に渡り回転しつづけた。ユキの足が地面で自身の回転にブレーキをかけているズザザザという音が周囲に鳴り響き、やがて砂埃を上げながら回転が止まる。回転が止まったユキの身体はウィルと正対し、肩で大きく息をしていた。よく見ると、ユキの右腕には大きな引っかき傷があり、血が滲んでいた。ソーンメイスの刺の一つがユキの身体に食い込んでいたようだ。


「んー……カワイイ……斬られてくれない……」

「神の尖兵たるこのウィル・フェリック、そうやすやすと斬られはしないッ!」

「……ヤバい……斬りたい。あなた、カワイイね」

「……」


 ウィルの肌に感じる気温が、少し上がった。周囲の空気が柔らかくなり、ユキの身体から発せられていた殺気が途切れたことを感じた。さきほどまで焦点が合ってなかったユキの両目の焦点が合い、ウィルと視線が合った。


「……あなたまだ斬らない」

「……」

「あなた、かわいくて胸がドキドキする。だからもうちょっと待ってあげる」

「引くのか」

「あとでまた斬ってあげる。その時はざっくりいくから。だから楽しみに待っててね」

「その時は貴様も最期だ」

「んーふふ……楽しみ……」


 ユキが笑った。先程までの狂気をはらんだ醜い笑顔ではない。信頼している者にのみ向けるような、心からの朗らかな笑顔だった。


「……!?」

「?」


 不覚にもウィルはその笑顔を見たことで心が動きそうになり、その挙動を見たユキが見せる首を傾げる動作を見て胸が若干高鳴った。一切の殺気もない、ユキからのまっすぐな、年端もいかない幼女のような純粋な好意が向けられたことをウィルは感じた。そしてその好意の果てがユキの場合は惨殺であることも、その笑顔は如実にウィルに伝えていた。


 サーベルをぶらりと下げたまま、ユキはフラフラと千鳥足で砂埃の中に消えていった。ユキの姿が砂埃に紛れその砂埃が収まった時、ウィルの身体に疲労がドッと襲い掛かってくる。ソーンメイスで自身の身体を支えなければ立っていられないほどに体力を消耗していたようだ。それほどまでに神経を研ぎ澄まさねばならないほど、ユキは危険な相手だったということをウィルは実感した。


『大丈夫ですかウィル』

「なんとか……」

『あなたを癒やします』


 リーゼのその声とともに、ウィルの身体がうっすらと輝きを帯びた。次第に身体が熱くなり、それに伴って少しずつ身体の疲労が抜けていくことをウィルは感じ、次第にソーンメイスで支える身体に力が戻ってくることを実感した。この感覚は、寒い日に熱い湯に浸かって身体を温めたときの感覚に似ていた。


「ありがとう聖女リーゼ」

『今の私にはこれが精一杯です。……あの女性は追わないのですか?』

「追わずともいずれ相対することになるでしょう」


 あの眼差しは、このまま引き下がる眼差しではない……そのうち必ずもう一度襲い掛かってくる者の眼差しであることをウィルは知っていた。今まで見たその眼差しの中でもひときわ異彩で、それでいて安らぎと胸の高鳴りすら感じるほどの朗らかで屈託のない純粋な笑顔ではあったが……


 先ほどの虐殺者ユキとの戦闘によって研ぎ澄まされた感覚は、今もウィルの神経を過敏にさせ続けている。いくらリーゼが癒やしの法術を駆使したとはいえ、一度戦闘で研ぎ澄まされた感覚が平時のそれに戻るのには、それなりに時間がかかる。


 故に今ウィルの神経は過敏になっており、それが人の気配を感じた。先程はユキに気を取られてまったく気が付かなかったが、ここは地下道へと続く入り口がある場所だった。砂埃が落ち着いた今は、その地下道への入り口がこちらに向かってぽっかりと間抜けな大口を開けているのが見える。


「誰だ!」

『大丈夫。敵意は感じません』


 聖女リーゼの言葉を信じ、警戒を解くウィル。地下道入り口からは足音と声が聞こえてきた。


「怪しい者じゃない! 俺は自警団の者だ!!」

「自警団? 生き残りがいたのか?」


 地下道入り口から姿を表したのは、自警団の鎧ではなく身軽な服装をした一人の男だった。腰には刀身が長く妙な機械じかけが柄に組み込まれた見慣れないサーベルをぶら下げていた。


「……よかった。どうやらこの街を占拠した奴らではないらしい。自警団のエミリオ・ジャスターだ。あなたは?」


 その青年……エミリオは朗らかな口調でそう自己紹介した。どうやら含むものはなく、裏もない青年のようだ。聖女リーゼの言葉を疑うわけではないが、この男は少なくとも敵ではないらしい。


「私は聖騎士団第一師団長ウィル・フェリックだ。今回の事件の鎮圧のため、法王庁から派遣された」

「そうか……あなたが聖騎士団の……」


 その瞬間……ウィルから見てエミリオの表情が少しだけ曇ったように見えた。


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