6 『人の使徒』ユリウス

 このヴェリーゼ占拠事件の首謀者であるユリウスは 北のリーゼ大聖堂を占拠した後、聖女の右腕が祀られていた地下の聖骸安置室にて、一つの古めかしい書物を見つけた。


 その書物は、赤い液体で満たされた銀の水槽が置かれた台に寄り添うように横たわっていた遺体が、赤い宝石のペンダントと共に持っていたものだ。経年劣化と最悪の保存環境下で激しく傷んでいる上古い言語で記されていたが……博識なユリウスにとっては、記述されている内容を読破することはさして難しいことではない。ユリウスはこの貴重な書物が破損してしまわないよう、注意深く読み進めていった。


「なるほど……これは……」


 リーゼ大聖堂から距離が離れた建物の一室にて書物を読み進めるユリウスに、『人の使徒』の構成員が作戦の進行状況を伝えに来た。


「同志ユリウス、報告があります」

「なんだ?」

「東の『始業の教会』に駐留していたメンバーと連絡が取れなくなりました」

「北のリーゼ大聖堂に聖騎士団が侵攻してきた後だからな。その聖騎士団がそのまま始業の教会に移動し、鉢合わせになったか……」

「聖女リーゼの舌の奪取は絶望的かと……」

「そう見るのが妥当だ。今後は聖騎士団との争奪戦となるか」


 たとえ国家の武装集団ではないとはいえ、聖騎士団もれっきとした正規の軍だ。その軍隊相手にリーゼの争奪戦となると、一介の政治集団である人の使徒にとっては不利な状況と言わざるを得ない。


「聖騎士団の動きは?」

「リーゼ大聖堂と同じく始業の教会にフレッシュゴーレムを配置した後、そのまま目が祀られている南部修道院に向かったようです」

「フンッ……ためらいなくフレッシュゴーレムを置くか。神の折檻の代行者である聖騎士団が死者を冒涜するような行いをしでかすとは……神の尖兵とやらも節操がないな」


 構成員の報告を聞くなり、そう言ってニヤリと笑うユリウス。常日頃神の慈悲だの愛だのと言っている連中もこのような事態になれば平気で人の死を蹂躙することが、ある意味では腹立たしく、ある意味では滑稽で愉快な光景に写った。


 今回の占拠において『人の使徒』は開放の条件として、法王庁には『現法王の辞任』、議会に対しては『議会の解散』を要求しており、それ以上の狙いは『人の使徒』にもユリウスにもなかった。元より成功を確実視していたわけではない。現在の一部の特権階級に有利な政治と宗教によって民衆の生活が振り回される今の国家の有り様に、楔を撃つことができればそれでよかった。


 だがリーゼ大聖堂で見つけた一冊の書物で、法王庁への風向きが変わることをユリウスは予感していた。書物に書かれていることが本当だとすると、これは法王庁にとって一大スキャンダルとなるであろう。この都市の存在理由、聖女リーゼの物語……この書物の存在が明るみとなれば、あらゆる意味で法王庁は砂上の楼閣と成り果てる。書物の発見はユリウスにとってはうれしい誤算であった。


 ユリウスは裕福な家庭に生まれ、高等教育を受けて育ってきた。ユリウスが受けた教育には神学も含まれている。神の言葉が預言者ユリアンニを通して人々の元に伝えられ、それが後に『ユリアンニ教』として人々に浸透していったという歴史と預言者ユリアンニの伝説、そして聖女リーゼの奇跡の数々……そのような夢物語のような知識を身に着け、『神はどのような苦しみからもお救い下さる』という教えと信仰心を教示されていった若き日のユリウスは、ある一つの疑問を感じた。


『主教様、一つ質問があるのですが』

『何でしょうか?』

『昨日、屋敷に戻る途中に一人の男性が道端で倒れていました。聞けば彼は身寄りもなく、もう何日も水しか飲んでないとのこと。私は彼を屋敷に案内し、食べ物を分け与えました』

『ユリウス、君は素晴らしい行いをしましたね。神もお喜びになることでしょう』

『いえ、私の質問はこれからです。神は悩み苦しむ者には必ず救いの手を差し伸べると主教様はおっしゃいました。ならばなぜ神はその男を助けないのですか?』

『考えられる理由は二つ。一つは、その男性は神のお怒りにふれるような悪い行いをしたということ。もうひとつは、神はその男性に試練を与えているということです。乗り越えられる試練を与え、その男性をさらに高みへと導いているのです』

『それはきっとありえないでしょう』

『なぜそう言い切れるのですか?』

『その男性は、まだ年端も行かない三歳の子供だからです』

『……』

『三歳の子供が神の怒りを買うほどの悪事を行ったというのですか? 三歳の子供が、何日も水のみの生活に耐えられると主教様はお思いですか?』

『現にあなたがその幼子を助けたではないですか。それが神のみ業なのです』

『いちいち私に助けさせるなぞ回りくどいことをせずとも、直接救いの手を差し伸べればよいではないですか。何も知らぬ自身のしもべを意のままに操ることが神の慈愛なのですか?』


 その後、神学担当の主教は何かよくわからないことを必死にユリウスに伝えようとしていたが、その言葉のすべてがユリウスの耳には届かなかった。


 その日以降、ユリウスは信仰を捨てた。その三歳の子供を『理由のない理不尽な苦しみ』から救い出したのは、神ではなく自分だった。神という不確実なものではない。隣人には優しくし、困っている者は助けようという、人として当たり前の感情である『優しさ』というものでなければならない。人を救うのは断じて神ではない。人を救済するのは、同じく人の優しさなのだという考えにユリウスは至った。


 その運命の日から数年後、ユリウスは資産家である父の死とともにすべての遺産を相続したが、その屋敷はおろか財産のすべてを投げ打って身寄りのない人々の世話をする福祉施設を建立する。一人の富豪がすべての私財を使って不幸にあえぐ人々を助ける……そのような偉業を成し遂げたユリウスを、法王庁が黙ってみているはずがない。法王庁はその偉業をたたえ、彼に対しリーゼと同じく聖人の称号を贈呈しようとしたが、ユリウスは公衆の面前で法王庁の使いに対し、平然とこう言い放った。


――信仰を持たぬ私ですら出来た弱者救済を、なぜ神は直接やらぬのか。

  私が教えてやろう。無能だからだ。

  もう一度、ハッキリと断言してやる。

  神は無能だ。だから自分では人を救うことが出来ぬのだ。


 その後、ユリウスは国家という枠組みすら『戦争という不平和を生み出す元凶』と考え、『国家と宗教からの人々の救済』を目的とする政治集団『人の使徒』を組織した。元々が資産家の一人にして人望にも恵まれていたユリウスだったため賛同者も多く、民衆の支持も決して低くはない。近年民衆の間で法王庁と議会への不審が高まっているのは、この『人の使徒』の活動によるところが大きい。


 今回の教会都市ヴェリーゼ占拠のように、時には暴力的手段に出る場合もある。だが設立者ユリウスの心の奥に眠る気持ちは、常に弱者に寄り添っている。すべての弱き人々を救い、皆が安心して笑顔で暮らせる世界を作りたい……それが、今もユリウスを突き動かす原動力となっている。


「今後はいかがいたしますか? 自警団は全滅させましたが、今度は聖騎士団です。自警団より厄介な相手だ」

「正規の騎士団が相手ではな……確かに今後は動きにくくなる」

「次の聖騎士団の狙いはどこでしょうか?」

「距離的に考えると都市中央の鐘塔『聖女の賛美歌』だが……聖騎士団の目的が私の予想通りなら、次に狙うのは恐らく南部修道院だ」

「ならばこちらが先に南部修道院の目を奪取しますか? 距離的にはこちらの方が近い」

「いや、お前たちは西の『宵闇の礼拝堂』を先に落とせ。衝突に躍起になった結果、目はおろか心臓すら聖騎士団にくれてやるような事態は避けるべきだ」

「あなたはどうします?」

「さてどうするか……宵闇の礼拝堂に向かうか、それとも南部修道院にちょっかいを出しに行くか……」


 ユリウスはページを開いて手に持っていた件の書物をパタンと閉じた。書物はホコリまみれのため、ページを閉じた衝撃で書物から埃が舞い上がり、それが日の光に照らされて黄色い雲のようにユリウスには見えた。


「ぁあ、そういえばもうひとつ報告があります。“始業の教会”での戦闘が終わった後、自警団の生き残りと思われる男が一人、フレッシュゴーレムが巣食う礼拝堂に入っていったと」

「自警団に生き残りがいたか。とはいえフレッシュゴーレム相手に生きていられるとは思えん。それがどうかしたか?」

「その男ですが、礼拝堂に入る前に怪しい術を駆使して自分の剣を光らせていたとのことです。なんでも聖騎士団が扱う法術のようなものだったとか」

「ほう」


 法術とは、聖騎士団が神の奇跡を模倣するために扱う術式だ。本来法術は聖騎士団をはじめとした法王庁の関係者にしか扱うことが出来ない秘匿された秘技であり、外部のものが法術を扱うことは不可能である。


 秘匿された法術を扱う自警団の生き残り……ユリウスの好奇心を刺激するには充分過ぎる人間だ。法術の出処なぞどうでもいいが、その人物に興味が湧いた。信用に足る人物であり有能であるのなら、『人の使徒』に迎え入れてもいい。


 当初は南部修道院に行くか、それとも皆と同じく宵闇の礼拝堂の心臓を確保するか迷ったのだが……気が変わった。少しでも距離が近い南部修道院に向かう。その自警団の生き残りがもしもフレッシュゴーレムとの戦闘で生き残ることができたのなら、恐らくは次の目的地は南部修道院。聖騎士団と自分、そしてイレギュラーなゲスト。三対が相対するわけだ。ユリウスの胸がうずく。好物を前にした少年のように気が逸っていることをユリウスは自覚した。


「南部修道院に来い。私に顔を見せろ」

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