4 聖騎士団第一師団長ウィル

 ウィルはひと塊の肉塊となった敵から自身のソーンメイスを抜き取り、勢い良く振って血をソーンメイスから弾き飛ばした。その後背中にソーンメイスを担ぎ上げ、そばに来た部下に今しがた起こった戦闘の戦果の確認を行った。


「状況はどうだ?」

「思った以上に手強い相手のようです。損失は団員の約半分です」

「そうか」


 ウィル率いる聖騎士団の第一師団がこの教会都市ヴェリーゼに到着したのは、正午過ぎの時間帯だった。第一師団は到着して一度北の大聖堂に赴いた後、すみやかに『始業の教会』に侵攻し、そこを占拠していた『人の使徒』構成員との戦闘に突入。師団の半分近い犠牲を払いながらも、なんとかこの教会の奪還に成功した。


「残存した兵士たちはそのまま周囲を見まわった後、“始業の教会”に移動する。『人の使徒』のやつらが残っていたら神の名の下に殲滅しろ」

「ハッ。団長はいかがなさいますか?」

「私は封印の間に向かう。すべては聖女リーゼの仰せのとおりに」


 ウィルはそう言うと、地下にある礼拝堂のそばにある封印の間へと向かった。


『ウィル、封印の間に入ったことはありますか?』

「ありません。封印の間へと続く扉は鍵を失った錠で幾重にも施錠されており、何人をも拒絶する聖域となっています。ここ数百年、足を踏み入れたものはいないでしょう」

『わかりました。聖女リーゼの名において、あなたの聖域への入室を許可します』

「感謝いたします」


 ヴェリーゼが『人の使徒』によって占拠された日のことである。占拠の報が届くのと前後して、法王庁上層部に異変が起こった。法王、枢機卿、異端審問官、祭司長といった各上層部の頭に直接、ある女性の声が届いた。その声はもちろん、法王庁聖騎士団最強の騎士、ウィルの頭の中にも届いていた。


『私の声が聞こえますか? 教会の方々、聞こえていたらどうかお返事を……私の声に応えてください』


 そのような声が、ウィルをはじめとした上層部の面々全員の頭の中に響く。法王を中心とした会議が円卓の間で開かれ、全員を代表して法王がその声の主との意思疎通を試みることとなった。ウィルたち聖騎士団も見守る中、前代未聞の事態を引き起こした女性との意思疎通が始まる。


「聞こえております」

『ああ……聞こえているのですね? 神よ。この奇跡に感謝いたします。教会の方々と再び会話ができる幸運に感謝いたします』

「ここにいる者、すべてがあなたの声が聞こえる物です。その上でお伺いしたい。あなたの名前は?」

『私はリーゼ。かつてあなたたちに聖女として崇められたリーゼです』


 声の主が名乗った“リーゼ”という名前を聞いて、上層部に動揺が走った。お伽話といっても過言ではない古い時代を生き、今は教会都市ヴェリーゼに体の部位が祀られている聖女リーゼが今、人知を超えた方法で自分たちと意思疎通を行っているのである


 これが一人の頭の中でのみ聞こえた声であれば、本人の気のせいか、あるいは気が触れたとでも思われるであろう。事実、『聖女の声が聞こえる』と教会を訪れた自称預言者はそれこそ星の数ほどいた。だがその者達はいずれも例外なく、ハッタリやウソといった者達であった。


 だが今回は違う。この声の主は敬虔な法王庁上層部全員の頭の中に直接語りかける程の力を持つ。このような奇跡を起こすことのできる人物……それはかつて強大な力を誇り、神に匹敵する優しさをたたえた聖女リーゼ以外に考えられようか。


「なんと……聖女リーゼ……あなたが……なんという奇跡か……」

『そうです。信じていただけたあなたたちの信仰心に感謝します』

「なんともったいなきお言葉……」

『この度、私はあなたたちにおすがりしなければならないことがあり、こうして呼びかけております』

「聖女リーゼ……なんなりと私どもにお任せください」

『今、あなたたちがヴェリーゼと呼ぶ村に危機が迫っています』


 その直後、教会の扉が開き息を切らせた伝令が一人慌てて入室しようとした。扉の番をしていた衛兵二人に短槍で遮られ、室内に入ることはできなかったが、それでもなお伝令は部屋全体に響き渡るほどの大声を張り上げた。


「火急の知らせです! お聞きください!! 何卒!!」

「控えろ! 聖女リーゼの御前である!」

『かまいません。どうか彼の言葉を聞いてください』

「聖女リーゼ……落ち着いて話せ」

「ハッ……も、申し上げます! 教会都市ヴェリーゼが陥落いたしました!!」


 聖女リーゼの突然の出現。そしてその声が伝えたことが真実であるかのごとく届いたヴェリーゼ陥落の報。法王庁上層部に動揺が走るには十分すぎることが立て続けに起こった。


「ヴェリーゼの自警団はどうした?」

「抵抗むなしく、ほぼ壊滅したとのことです!」

「首謀者はわかっているのか?」

「占拠と同時に政治団体『人の使徒』が開放の条件として、法王の辞任と議会の解散を要求しております。恐らくは『人の使徒』が占拠したものかと……」

「聖女リーゼ……あなたが我々に伝えたかったことはこれか?」


 法王が聖女リーゼにこう問うた。聖女の声は、落ち着いた静かな……それこそ冷酷なほどに落ち着いた声で、法王の質問に答えた。


『これは始まりに過ぎません』

「始まりとは? どのようなことの?」

『混乱に乗じ、私が繋ぎ止めた古き赤黒い獣が目を覚まそうとしています』

「なんと……」

『村を襲った者の狙いはおそらく、赤黒い獣の復活。すでに復活は止められないでしょう。一刻も早い対応が必要です』

「その対応は? どうすればよろしいのですか聖女リーゼ」

『村の各地に散らばった私の身体を集め、再度私をこの世に復活させてください。私の全霊を持って、赤黒い獣を再び繋ぎ止めましょう』


 聖女リーゼのその言葉を受け、法王庁は正騎士団の派遣を決めた。派遣されるのは、正騎士団最強の騎士ウィル・フェリック率いる第一師団。聖女リーゼの言葉を信用するのなら、相手は教会都市ヴェリーゼを陥落させるほどの兵力を持った武装集団と、聖女リーゼが全力で繋ぎ止めたほどの強さを誇る伝説の魔物。こちらも相応の戦力で応じなければ、聖女リーゼの復活はできないであろう。


 さらに言えば、今回『人の使徒』は思想面だけでなく、法王庁に対し聖地を攻撃するという実害を加えてきた。それまでは国是である思想・信教の自由に則り『人の使徒』の活動を静観してきたが、法王庁に実害を加え神を冒涜するのであれば、ユリアンニ教を守護する法王庁としては鉄槌を下さざるを得ない。


「ウィル・フェリック」

「ハッ!」

「聞いての通りだ。神の尖兵としてヴェリーゼに趣き、聖女リーゼを復活させ、敵である古き赤黒い獣と、教会都市ヴェリーゼを襲った憎むべき不信心者共を粉砕せよ」

「ハッ」

「失敗は許されん。神の物語たる法術、神の怒りの拳たるソーンメイスの使用を許可する。立ちふさがる者には説教をし、なお強情な者はなぎ払い、圧殺し、容赦なく殲滅せよ」

「かしこまりました」

『微力ながら私もお手伝いいたします。神の尖兵たるウィル、どうかよろしくお願いいたします』

「心強きご助力、感謝いたします」


 そうして法王庁を出発したウィルと第一師団は、正午過ぎに教会都市ヴェリーゼに到着。はじめは右腕が祀られた北のリーゼ大聖堂へと向かったが、すでに大聖堂はおびただしい死体の山以外に人影はなく、リーゼの右腕は奪取されていた。


『私の右腕を持ち去ったのは、恐らくはこの村を占拠した者たちでしょう。いずれ取り返すとして、まずは他の部位を集めてください』


 ウィルに憑依している聖女リーゼのこの助言の元、ウィルたちはそのまま都市の東に位置するこの『始業の教会』にやってきた。リーゼの身体の一部分であるリーゼの舌を確保するためである。


 聖女リーゼの許しを得たウィルは、法王より使用許可が降りたソーンメイスを振りかざし、それを構えた。今ウィルの目の前にあるのは、封印の間への入り口の扉。この扉は分厚い鉄でできており、頑丈な鍵で幾重にも施錠されている。その鍵は、すでに失われて久しい。故にこの扉が開かれたことは無い。


 ソーンメイスを前方の扉に向けたまま、ウィルが神の物語の一遍を静かに語る。ソーンメイスが次第に白く光り、無数に生えた刺の一つ一つまでが光を浴びる水晶のように輝き始めた。


『ウィル、この法術は?』


 聖女リーゼが不思議そうに尋ねた。恐らくこの法術は、リーゼかこの地で祀られた後に編み出された法術の一つであり、だからこそリーゼは知らぬのであろうとウィルは解釈した。


「“叫喚の折檻”。この武器で与える衝撃を何倍にも増加させ、神の折檻を模倣します」

『なるほど。そのような名前なのですね』


 ソーンメイスの輝きが増し、その輝きで暗いはずの周囲がまばゆいほどに明るくなった。ウィルはその純白に輝くソーンメイスを振りかざし、全力を持って封印の間へと続く扉にたたきつける。


「ぉぉおおおおおッ!!!」


 金属と金属がぶつかった、出来の悪いシンバルにも似た不快な衝撃音が鳴り響いた。通常のソーンメイスの何倍もの衝撃を受けた扉はなすすべなく打ち破られ、封印の間はウィルとリーゼの前に大口を開ける。これだけの衝撃を扉に与えたにも関わらず、ソーンメイスから生えた刺は一本たりとも損傷していない。


「入室いたします」


 聖域というにはいささか濁り過ぎな空気が封印の間より流れでて、この場所が何百年も開放されていない部屋であることをウィルに伝えた。未だ輝き続けるソーンメイスの明かりで、ウィルは封印の間の室内を照らす。


『あれです』


 聖女リーゼがそう告げた。ウィルの視線の先にあるもの。それは、一辺が大人の腕ほどもある銀で出来た水槽だった。


『あの中に、私の舌が入っています』


 銀の水槽にウィルが近づく。水槽の上部は開いており、中は赤黒い液体で満たされていた。液体の中に自身の右腕を突っ込み、中をまさぐるウィル。やがてひとつの硬いものを見つけ、それを中から取り出した。


「これが……あなたの舌ですか?」


 ウィルが取り出したもの。それはひとつのペンダントだった。ペンダントには赤い宝石がひとつ取り付けられていた。


『そうです。私の体の部位は今、宝石に姿を変えて祀られています。残りは目、心臓、それから血液です』

「このペンダントはいかがいたしますか?」

『あなたが首から下げていてください。私はあなたに憑依しています。あなたが身に着けていれば、それは私が身に着けていることと同義です』

「ハッ」


 聖女リーゼの言葉を受け、今しがた赤黒い液体から取り出したペンダントの水分をマントで拭き取り首にかけるウィル。その直後、ペンダントの宝石がほんの少しだけ輝き、ウィルの身体全体にほんの少しだけ熱を感じさせた。


「聖女リーゼ。少しだけ身体が熱くなりました」

『あなたの身体が私の力の一端を感じているのです。私とあなたは今、一体なのだから』

「なんと名誉なことか。聖女リーゼ」


 ウィルは首にかけたリーゼの舌のペンダントを自身の服の中に入れ、外からは見えないようにした。このペンダントを見て、それがリーゼの舌であるということを看破する者など誰もいやしないだろう。だがそれでも、このペンダントは人目から避けるべきものである。聖女リーゼの復活まではこのペンダントは秘匿すべきだ。


『次は目を回収しましょう。その前に、この地に守護兵を置きます。リーゼ大聖堂の時と同じく』

「……仰せのとおりに」


 ウィルは敬虔豊かなユリアンニ教の信者である。彼は、人々の平和で豊かな生活のためには預言者ユリアンニの導きが不可欠だと考える男である。法王庁の敵……もっといえばユリアンニ教の敵に対しては容赦なく鉄槌を下し殲滅する男だが、その心の根本は、弱き者を助け、皆に平等に幸せになってもらいたいという、純粋でまっすぐな気持ちから来る正義と博愛の精神に溢れている。


 そのようなウィルだから、この聖女リーゼが作り上げる『守護兵』というものには嫌悪感を抱かずにはいられなかった。


 今、自身に憑依している精神体はおそらく聖女リーゼで間違いないだろう。法王庁の人間であり、経験なユリアンニ教信者であるウィルが、今更そのことに疑問を抱くはずがない。自身に憑依してと行動をともにした後も、大小さまざまな奇跡をまざまざと見せつけ、自称『聖女リーゼ』ということにさらなる説得力をもたせた。今更疑いはしない。


 だが、聖女リーゼの施術によって守護兵が作り出され、その“人ではない守護兵”が北の大聖堂を守護しているという現実に、ウィルの無意識はある種の嫌悪感を抱いていた。信じてはいる。敬愛もしている。疑いはしない。敬虔な信者として、最後まで聖女リーゼとともにあるつもりだ。


 だがそれでも、聖女リーゼがあのようなおぞましい方法で“守護兵”を作り上げ、そのようなモンスターが今もリーゼ大聖堂を守護し、この『始業の教会』をも守護することになるということに、信者としてはいささか不謹慎だとわかっていながらも、ウィルは嫌悪感を抱かずにはいられなかった。

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