第十章

第34話 本当の心

 聞き慣れたアラームで目を覚ます。携帯電話が鳴らすのは、俺の好きなバンドのデビューシングル。三年はこの曲で体を起こしている。

 ソファーから体を起こすと、ベッドの上を見る。

 トーコは、初めての家で異性と一緒だというのに、穏やかな表情で寝息を立てる。彼女の今までの事を考えれば、こんな状況は何でもないのだろう。

 時計は十二時。ミラはお昼過ぎに来ると言っていたので、それを待とう。

 今日は十四時の三限から授業があるので、それまでにミラが来ればトーコを預けて衛学へ。そうでなければ、休もう。あんな事があって、昨日の今日だ。それくらいは許されて良い筈だ。

 洗面所で顔を洗う。見上げた鏡に映る表情は、昨日の疲れを残していない。

 冷蔵庫を開け、半分程減っている気の抜けた炭酸飲料を取り出して飲み干す。空のペットボトルを冷蔵庫脇のフックにくくりつけたビニール袋の中に詰め込んで、テレビをける。

 昼のバラエティー番組が始まって、タレントとモデルが東二番街のショップ紹介をしている。何でもない光景ではあるが、眠る前の事を思い出すと、昨日とはとらえ方が変わる。

 トーコにかかるほとんどの出来事は、俺達のそれとは意味合いが全く違っていた。

 食事や住居はおろか、勉強や、はしを持つ事ですら、彼女の意思とは無関係に結びつく。

 あの子が生きて来たこれまでの全ては、彼女の為のものではなかった。

 自分が当たり前に行ってきた所作の一つ一つに、目に見えない薄いものがまとわりついている様な実感がある。

 あまりにも違うお互いの当たり前に、驚いてばかりだった。

 結局、昨日はトーコに俺の核心を突かれ、情けなく声を荒らげる事しか出来なかった。

 年下の体の小さな女の子に内面を深層まで暴かれてしまった。

 俺はずっとずっと、死にたいだけだった。

 面白半分でミラと折野に付けられた死にたがりというあだ名は、二人の思惑とは別に、当を得ていた。俺は本当に死にたがっていた。

 そんな子供染みた意気地のない俺に、トーコは手を差し伸べた。

 小さな体躯とは思えない程、大きな手に見えたそれを、俺はつかまなかった。

 結局、昨日はあのままトーコの言葉に答える事なく電気を消した。黙ってトーコに背中を向けて、逃げる様に微睡まどろみに飛び込んだ。

 起きたらどんな顔をすればいいか分からない。テレビの音量は小さめだ。

 ほうけてテレビを見ていると、玄関チャイムが鳴った。テレビの右上の時刻は十二時十分。

 オートロックのチャイムが鳴らない時点で、誰が来たかは大方見当が付く。念の為に玄関のスコープをのぞくと、黒いニット帽をかぶったミラがこちらを覗いているのが見えた。

 こちらを覗く左目は、すっかりれいになっている。

 黙って扉を開ける。

「おっじゃましまーす!」

 声高に入室するミラは、俺に目もくれずにヒールを脱ぎ捨てると、羽織っていたライダースを手慣れた手付きで壁にかける。白いシャツには先日見たものとは違う間抜けな猫が鎮座しており、赤いミモレ丈スカートには、黒い猫が点々と散在していた。

「ジョー先輩起きたばっかでしょ? おはよ」

「お前は色々とあれだな。一回エントランスでコールするとか、携帯に連絡するとかしねえんだな」

「えー! だって昨日、お昼頃に行くって言ったじゃん!」

 これからはこいつと適当な時間に待ち合わせするのはやめようと決心した。

「んん〜」

 俺のそんな決意にお構いなく、部屋を見渡すミラ。既に顔がニヤけている。

「これは……ほほう」

「何だよ、片付けでもしてくれんのか?」

「ジョー先輩の事だから、あれだね。俺がソファーで寝るからお前がベッドで寝ろってやつだね」

 別に言い当てられたところで恥ずかしくもなんともない事だが、こいつに図星を突かれているのが妙に腹立たしい。

 シカトしてソファーに戻ろうとする。

「そこで一緒に寝る選択肢が採れないのは、男として情けないね」

 堪忍袋の緒が切れたので、切り開いたであろう脇腹をたたいてやった。

「ぐえっ」

 うずくまるミラを置いてソファーに座る。

「ちょっとジョー先輩! 昨日切ったばかりなんだから! それにボルトも固定したばっかだし! 普通に痛いから!」

「痛がってもらわなきゃ困んだよ。苦しめたいんだから」

 ミラは俺を糾弾しながらシャツをまくり上げる。

 引き締まった体に付いていたはずあざは、皮下レーザーで綺麗にされており、メスを入れたであろう部分の傷も、一目では分からないものだった。

 本来なら、こうである筈だ。

 骨を折ったところで、高カルシウム剤を飲んで、溶解ボルトで固定してしまえば完治には一週間もかからない。その際の手術あとだって、夜が明ければこんな程度だ。

 また、嫌な気分が湧き上がる。

「んん……何……?」

 一連の騒ぎで目を覚ましたトーコが体を起こした。起き上がるトーコの頭はボサボサで、ミラはそれを見て笑っていた。

「ジョー君おはよう。それにミラさんも」

 トーコは明るい表情で俺を見るが、思わず目をらしてしまった。

「あは、あはは、何それトーコ。だっさ」

 腹を抱えるミラに、トーコの思考はまだ追い付かない様だった。

「トーコ、顔洗って髪の毛直しな」

「え、あ、はい」

 洗面所を指差すと、トーコはふらつく足で洗面所に入って行った。

「あは、めっちゃ爆発。あは」

「お前ツボあっさいな。ガキかよ」

「あは、まだ子供だもんあはは……はあ、面白かった。写真撮れば良かった」

 ミラは笑いすぎたのが響いたのか、脇腹を抱えてベッドに座る。

「いった……」

「馬鹿かよ。ほうかよ」

「笑いは不可抗力でしょ? くしゃみでろつこつ折る人だって居るんだから……てか、ジョー先輩、何今の」

「何って?」

 ミラを見ると、また口角をり上げていた。

 ロクな予感はしない。

「ジョー君、だって。何? 昨日は驤一さんじゃなかった? ん?」

 ズバリ、面倒くせえ。

 こいつはどうして次から次へとネタを見つけるのだろうか。犯人を取調室で追い込む専用の刑事に向いてそうな気がする。

「呼び方くらいどうでもいいだろ。驤一さんって堅苦しいんだよ」

「ふうん」

 ニヤけるミラの追求が面倒だなと思ったが、直ぐに回避策を思い付く。

 別の餌を与えてやればいい。単純なこいつは、新しい話題に食いつく筈だ。

 取って置きのものがある。昨日、俺を追い込みかけた出来事は、今は形を変えて逃走経路へとへんぼうする。

「呼び方で思い出した。そういえば、昨日堂島さんに会ったよ。たまたま

「え、パパ!?」

 ミラは目を見開いて腰を浮かす。

「仕事だっつって、高級料亭に入ってったよ。うらやましかった」

「えー、私はパパに会ったジョー先輩が羨ましいよ。いいなあ、全然会ってないや」

 もちろん、ミラの本当の父親ではない。ミラの両親は元々防衛庁に勤めていたが、殉職してしまった。その後、ミラは国の施設で育っている。

 施設の管理は医療技術庁保健局が行っており、堂島さんはそこで局長を務めていた事がある。その時にお世話になった事から、ミラは堂島さんを父親と慕っている。

 ちなみに、ミラに衛学を勧めたのは堂島さんだ。

 幼少期から運動能力の高かったミラを、自身の運営するBCU、防衛庁中央ユニオンで鍛えた。BCUは衛学入学を目指す人間を育成する施設であり、皇都に幾つかあるそういう施設の中でも指折りの充実した施設だ


 一見関わり合いのない様に見える俺とミラの人生であるが、出会う前からお互い堂島さんとは親交があった事になる。ひとえに堂島さんのひとしが成せる業だ。世界は狭い。

「偶には顔見せに行こうかなあ」

「止めとけ。お前過去にそれやってえらい事になっただろ。その呼び方ので」

 せいさんな事件だった。ぱっと見、皇都人でないと分かる人間が家を訪ねて、自分のだんをパパと呼ぶのだ。年の頃も納得がいく。となれば、その嫁さんが考える事は一つだけだ


「い、今は奥さんも事情知ってるから大丈夫だよ」

「絶対お前良く思われてねえから」

 チャンネルを変えながらミラを責める。

「今日は二人で出かけんのか? 俺この後学校行くけど」

「うん、春ちゃん用事があるって言ってたから、トーコ連れて二人で買い物。どうせ昨日下着しか買ってないんでしょ?」

「他に何買えってんだよ」

「だめだねジョー先輩。女の子には色々あるんだよ。それじゃあモテないよ? と、言う訳で」

 ミラは手をぽんと叩くと、俺のベッドの引き出しを開ける。

 三人で稼いだこの世に在らざる紙幣。口座に入れる事のかなわない、裏金。

「おい、人んの金庫勝手に開ける馬鹿が居るか」

「私達のお金じゃん! 別にいいでしょ? 必要経費貰うね〜」

 そう言うと、ミラは両手でごそっと紙幣をわしづかむと、整えて封筒に入れ、自分のミニボストンバッグに仕舞った。

「そんなに必要か?」

「女の子には色々あるの」

 ミラは普段の買い物を鑑みても行き過ぎだと思う金額を忍ばせた。せんさくしても、泥沼に引き込まれる気がしたので流す事にする。元より、貯めこんでいる金額もどんぶり勘定であるし。

 丁度そのタイミングでトーコがみだしなみを整え終え、洗面所から出て来た。

「よし、じゃあ行こうか」

「え、ミラさんお出かけですか?」

「トーコも行くの。あと、私の事ミラでいいって言ってるでしょ。行くよ」

 トーコはミラをかす様に手を叩く。

 今日のところはトーコをミラに預ける事にする。

 それに、昨日の今日だ。今日一日トーコと二人きりで部屋の中に居られる自信がない。

 何を話せばいいか、全く分からない。

「じゃ、トーコ借りるね。ばいばいジョー先輩」

「お前めっちゃ気を付けろよ。本来だったらトーコ外に出すのリスク高すぎるんだからな」

 この国の内部にトーコの事を知る人間が居ないとは限らない。街中でばったり会われでもしたら一巻の終わりだし、既に逃げ出している事も知られているかもしれない。

「大丈夫。それ春ちゃんに言われたから」

 そう言って、ミラはバッグからサングラスとニット帽を取り出した。

「変装といえば、これでしょ」

「逆に怪しくねえかそれ」

 この国の全貌が明らかにならない限り、トーコを連れて安息の瞬間はないだろう。

「あーでもね、それについてなんだけど、春ちゃんが、多分大丈夫だって」

「折野が?」

「うん。外に出かけてきなっていうのも、春ちゃんの提案なんだ。トーコは国の様子も分かっていないから、それを見せてある程度慣れさせておくとかなんとか」

 折野にしては纏まらない意図ではあるが、馬鹿ではない奴の言う事だ。多分、何か考えがあるのだろう。

「まあ、大丈夫か」

「大丈夫だよ!」

 不安はぬぐえないが、考えていても仕方がない。

「じゃあね!」

「おう」

 寝間着姿のままのトーコの手を引いて、ミラは扉を開ける。

「あの、ジョー君、行って来ます」

「行ってらっしゃい」

 結局、トーコと一度も目を合わさないまま見送った。

 昨日買ったカルボナーラをレンジに入れ、スイッチを押す。電子レンジがテレビにき消されまいと低い音を立てる。

 電子レンジの中が回る様に、俺の頭の中で、トーコに言われた台詞せりふが回転する。

「死にたがっている、か」

 あそこまで内情を引きり出されてしまうと、立つ瀬がない。

 それでも、今も変わらず、死にたいという気持ちは消えない。

 やはり、親父と母さんが死んだあの日に、俺は何もかもをあきらめたみたいだ。

「忘れ物ぉ!」

「うわ!」

 キッチンの前で棒立ちしていると、突然玄関の扉が開かれ思わず声を上げる。

「上着忘れた!」

 忘れ物を取りに戻って来たミラが、傍若無人に部屋の中に入る。

「お前、チャイムくらい鳴らせよ」

「え、ごめん。大丈夫かなと思って」

「トーコは?」

「下!」

「目離すなよ……」

 やはり、ミラに預けておくのが心配になって来た。

 ミラはそんな俺の心配をに、壁にかけていたライダースにそでを通す。

 トーコの名前を出して、ふと気になった。

 昨日の言葉がまだ頭をぐるぐるしているから、多分に気になったのだ。

「ミラさ」

「ん?」

「俺が死んだら、どうする?」

 唐突に、俺の真意を知らないミラに投げかけた。

 俺の質問に一瞬だけ手を止めたミラは、げんな顔をしながらライダースを羽織って答える。

「んー、ムカつくかな」

「ムカつく!?」

「うん。だって、多分ジョー先輩が死ぬとしたら、相手に突っ込んでとかでしょ? いっつも注意しているのに直さないから、もー! ってなると思う。多分、怒る」

「ああ……」

「いきなりどうしたの? 心理テスト? 構ってちゃん?」

「いや、何となく」

「ふーん」

 ミラらしいというか何というか。素直だな、と思った。

 自分だってどちらかといえばちよとつもうしんするタイプだが、俺とは技量に圧倒的な差がある。

 ミラのは性質で、俺のは無謀だ。

「再度行って来まーす」

「行ってらっしゃい」

 特に俺の言葉を気にも留めないミラは、同じ足取りで玄関を出て行く。

 電子レンジが、あたためを終えて高い音を鳴らした。

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