第35話 sideミラ 本当の心

「お、お邪魔します」

「どうぞ〜」

 東二番街での買い物を終え、私はトーコを連れて自宅に戻った。

 荷物は一つを除き全て郵送でジョー先輩の家へ。勿論、着払いだ。

 トーコの服に、しばらくの生活用品。数がそれなりになってしまったので、仕方のない事だ。本当はトーコを私の家にかくまえれば良かったのだけれど、そうはいかない今、私がこうしてトーコを支えなければいけない。

 だから、私の服を結構買ってしまったのも、サポート料として仕方のない事だ。

 座椅子にトーコを座らせると、冷蔵庫から適当に缶ジュースを取り出してテーブルに置く。

「はい、今日の買い物お疲れ様かんぱーい」

「え、あ、乾杯!」

 片手で缶を持ち上げながら、指先でプルタブを開ける。そのまま、トーコが両手で持つ缶にぶつけると、渇いたのどにジュースを押し込む。トーコは一口だけ口を付けると、私の部屋をじろじろと見渡す。

「どうしたの? 何か変?」

「あ、え、いや……ほら、ミラの部屋だから、ナイフとかいっぱい飾ってあるのかなあとか思ってて」

「何それ!? 殺人鬼みたいじゃん!」

 今日の収穫と言えば、トーコが私を呼び捨てで呼んでくれる様になった事。そして、沢山トーコの事を知れた事だ。

 知りたい事も、知りたくない事も、全部。

 とても許容できる様なものではないトーコの出生も、研究所の事も。

 そして、彼女達、〝被験体〟の事も。

 多分それはトーコも一緒で、今日だけで何度皇都の街が彼女に驚きの声を上げさせたか分からない。当面の目的である、トーコを少しでも皇都に慣れさせる事と、私に慣れさせる事は出来たと思う。

 これから先、どうなるかは分からないけれど、信頼関係を築いておく事に損はない。と、春ちゃんに言われた。

「殺人鬼みたいって……だって、そうじゃん。ジョー君も折野さんも言ってたよ?」

 昨日の夜、私達の事をトーコに話す際、私は痛みでどうにかなりそうだったので、事のあらましは二人が伝えた。なので、私の事も二人が話した為、そういう誤解を生んでいる。

「あのね、私、殺人鬼なんかじゃないから。二人はそう言うけど、全然違う」

「違うの?」

「違うよ! 二人とも私が人を殺したくてうずうずしてるとか言うけど、そういう訳じゃないの!」

 大きな誤解だ。

 ただ、結果としてそうなっている為、反論もしづらい。だから甘んじてその忌々しい名を受け入れているけれど、女の子に対して吐いて良い言葉ではないと思う。

「私ね、結構昔から何でも出来ちゃったんだ。自慢になるけど。あ、勉強以外ね。施設で育って、皆で遊んだりするんだけど、かけっこも一番。靴飛ばしも一番。棒登りも一番。年上の男の子とけんしても、いっつも泣かしちゃう」

 思い返してみて、一度も、自分のこうしたいという意思に反した出来事がない。

 やろうと思えば、何でもやれた。

「それで、パパ……えーと、堂島さん知ってるんだよね? で、堂島さんに出会って、BCUを勧められて。そこでも成績は一番良かった。衛学入学間近の子達にも、何一つ引けを取らなかった。そのままずっと過ごして、確か、衛学に入学する直前だったかな? たまたま、外区に行けたの」

 ジョー先輩は、先客の後を追ったと言っていた。詳しくは聞いた事がないけれど、先客の後を付けて外区に行く今の道を見つけた、と。

 私は違う。

「BCUの演習で、西番外地南七番に向かっている時にね、路線が地下を通る場所があるんだけど、そこで落盤事故に巻き込まれちゃって。取りえず外に出なきゃって、閉じ込められた路線を只管ひたすらに歩いた。そしたら、外区の南側に着いたの。その日はやばい! と思って直ぐ戻って、助けてもらった後も黙ってたんだけど、やっぱり気になっちゃって、また外区に行ったんだ」

「え、でも、そこって工事していたんじゃないの?」

「うん、だから、頑張って隙をついて! 的な? それで、今年の夏に道が封鎖されちゃう前に、何回か外区に行けて、そこでジョー先輩と春ちゃんに出会ったんだけど、その前にね、さっきちょっと話したすっごい強い人と出会って」

 ガスマスクの刀剣使い。

 今となっては素性を確かめる方法はないけれど、多分トーコと同じ類なんだろう。

 私が、勝てなかった相手。

「その人と戦った時、全然勝てなくて、全然自分の思った通りにならなくって、そしたら、それが楽しいって思っちゃって」

 自分の思い通りにいかない事が、こんなに楽しい事なのかと、初めて知った。

 自分が一番得意だと思っていた戦闘が、通用しない。そういう状況が、私の中の何かを引き出した。

「それから、外区に行くの楽しいなってなっちゃって、今に至る訳。向こうに居る人って結構強いからさ、楽しくなっちゃうんだよね。つまり、向上心がすごいの。人間のかがみ

「それって……自分で言う事……かなあ?」

 そうだと思っている。

 私は、私自身は思っている。

 そうだと、そう思いたいと願っている。

 別に自分の事が嫌いな訳じゃない。自分の事が怖い訳じゃない。

 けれど、かちりと脳みそにめ込まれる音が聞こえる気がする。がしゃりと視界が切り替わる音が聞こえる気がする。笑みがこぼれる。声が漏れる。

 さあ戦うぞと心に決めた時に、私は私じゃない気がしている。

 でも、あくまで気がしているだけで、私は明確に刃渡りが肉を切断する瞬間を焼き付けている。

 だから、やっぱり私は私だ。

 私のはずだ。

「結果として私は殺人鬼かもしれないけれど、別に殺すのが楽しい訳じゃない」

 人にとってはどうでも良い事かもしれないけれど、私の中ではそうなんだ。

 ちょっと違くて、ちょっと大事な事。

「うーん成程なあ……確かに、研究所にも戦うのが好きな人達が居たけど、雰囲気ミラに似てるんだよね」

「え!? 何それ結局殺人鬼って事!?」

「わ、私達の事そんな化け物みたいに言わないでよ!」

「いや、化け物じゃん」

「うう……そうだけど」

 トーコが別に自分の出生を気にしていないとはいえ、こんな冗談を言える様になったのは春ちゃんでも想像がつかないと思う。

 私とトーコは、意外と仲良くなれるタイプだった。

「でもさ、上手くいかない事が好きなら、勉強は何でだめなの?」

 トーコがかちりと私の地雷を踏む。

「勉強はだめ。だめなの。上手くいった事一度もないから、だから興味ないの」

「で、でも、それなら、やっぱりミラは戦ったりするのが好きなだけなんじゃ……」

「違うから。私は向上心が凄いの。向上心の塊。馬鹿じゃないの。分かる? 分かった? 分かって?」

「あ、はい……」

 トーコをにらみつけて首を縦に振らせる。

 時にはそういう事も人生では大事だ。自分を強く持つ。大事な事だ。

「そういえば、漫画読まなくていいの?」

「あ、読みたい読みたい!」

「そこの本棚の好きに読んでいいよ」

 私の家に招待しようと思ったきっかけはこれだ。

 トーコの趣味は読書で、研究所の中でいつも少女漫画を読んでいたらしい。話を聞くと、一昔前の、子供向けのものばかりだったので、私の蔵書を読ませる事にした。

 私も少女漫画が好きだ。人の恋愛事情が気になるタイプだ。

 ただ、トーコの読んでいたものよりは少し年齢層が高めのものばかりなので、その反応が楽しみである。

 それに、気になる。

 今日一日話しただけで、容易に気付く。

 私は、人の恋愛事情が気になるタイプだ。

「そ、そういえばさ、ミラ」

 トーコは本棚から一冊手に取ってページを開くと、それに目を落として私の事を気にしてない風を装って尋ねて来る。

「ミラ、ジョー君の家に来慣れてるみたいだったけど、結構行くの?」

 まさか自分から飛び込んでくれるとは思わなかった。手間が省ける。

「んー? いや、あんまり行かないよ。外で会う事がほとんどだし、私、遊ぶなら同性の友達との方が多いから」

「そ、そっか」

 何も知らないフリをしてトーコを安心させる言葉を選ぶ。

 今日トーコと話したのは主にお互いの事だけれど、その次に多かったのは、ジョー先輩の事だった。

 そういう一日を過ごして倉庫での事を思い出すと、ジョー先輩がトーコを助けた時、トーコの眼がハートだった気がしなくもない。

 かく、それは明らかだった。トーコは、白馬の王子様を待つタイプだ。

 今日一日話をして、トーコの価値観は、話に聞く研究所の中で形成されている事が分かった。

 それなら、出て来る漫画の話もそういう系が多かった事からも、恋愛観が読んでいた漫画で作られていても何の不思議もない。

 トーコは分かり易い。

 トーコの中でさっきの質問は踏み込んだものだったのか、漫画を読みながらもちらちらと私を見て来る。悟られていないか心配なのだろう。

 ああ、だめだ。逆に突っつきたくなってしまう。

 私の性格は、自分の読んでいる漫画の登場人物で言えば、私が嫌いなタイプだ。

「ジョー先輩って、結構単純だよ?」

「え?」

 口元が緩むのが抑え付けられない。

「な、何でジョー君の話?」

「んー? 何でだろ。何となくかな?」

 トーコは目を泳がせながら、漫画を読んでいるフリをする。

「ジョ、ジョー君、単純かな……?」

「単純だよ」

 トーコから聞いた、昨日の話。

 ジョー先輩の、〝死にたがり〟の本当。

 話を聞いて驚くよりも、今までの行動について納得する部分の方が多かった。

 弱い癖に無茶なあの人の全部は、とても簡単な作りだった。

「トーコの話を聞いて、凄く単純なんだなって思った」

 昼間に投げかけられた、気味の悪い質問の意味も、今となってはよく分かる。

 あの人は本当は、生きていたいんだ。

「トーコめっちゃ押したじゃん。もうひと押し。多分、あの人はもうひと押しで変わるよ」

 だって、答えはもう出てる。

 今までの私達との関わりを最初から洗えば。そして、何より、トーコの事を助けたのが、全てだ。

 だから、トーコがもう一つ押してあげれば、きっと簡単な話だ。

 私でも、春ちゃんでもいいのだと思う。最後の一押しは、私達なら、誰でも。

 でも、きっとその役目は、トーコが一番適任だ。

「もう……一押し……」

 トーコは、目の前にゴールが迫ってきているというのに、表情を暗くして視線を落とす。

「私には……出来ないよ」

「何で? 昨日言ったんでしょ? 生きていて欲しいって」

 ジョー先輩が一番欲しい言葉を、この子は言ってのけた。

「でもさ、私は、ジョー君の気持ちも分かるから……私も、同じ気持ちだった事があるから、だから、これ以上わがままは言えないよ」

 私には到底理解出来ない感情だ。

 考えた事すらない、最悪の感情。

 それを知っていて、しかも克服していてなおそういう風に言えるこの子は、心底優しいんだなと思う。

〝時限爆弾〟を抱えながらもそうやって自分を自制出来るこの子は、心底優しいんだなと思う。

 あきれる程に。

「いいじゃん、我儘でも」

「え?」

「もう我儘言っちゃってんじゃん。一回も二回も変わらないって。それに、もしもトーコが本当にジョー先輩の事考えているんだったら、最初からそんな事言わないでしょ?」

「それは……」

「我儘っていうか、トーコの本心でしょ、それ。それこそ、今あきらめちゃうのは噓なんじゃないの?」

 トーコの背中を強引にでも押すのは、境遇を考えれば当然だ。

〝被験体〟としての、呪いでは生温い程の、運命。

「トーコに、迷っている時間はないんじゃない?」

 てつもなく残酷な言葉だけれど、それはどうしようもない事実だし、トーコはそれでも尚こうして生きている。

 そんな境遇の癖に、さいな事で笑う事が出来る。

 いや、だからこそ、笑っていられるのかも。

「そう……だね……そうなの、かもね」

「それに、私にした〝お願い〟、ジョー先輩にもするんでしょ? 丁度いいじゃん。まとめて言っちゃいなよ」

「でも、それこそ我儘じゃないかな……」

「いいのいいの。ジョー先輩、昨日トーコにまだ利用価値があるだなんてふざけた事言ってたんだから、トーコだって使っちゃえばいいんだよ! それに、我儘だっていいんだよ。女の子は、我儘なくらいでいいの」

 そう言って笑うと、トーコは軽くあいづちを打ちながら笑った。

 やっぱり、この子は笑うんだ。

「さあ、そうと決まったら、好きなだけ本を読んでいきなさい! 読みたいやつ借りてってもいいから!」

「うん! 楽しみ!」

 だから、今日はたっぷりと勉強して帰ると良い。ここにはトーコに知識を与える蔵書が沢山ある。

「それに、押す準備は万全だしね」

 そう言って、ジョー先輩の家に送らなかったショップバッグと、トーコを見る。

 まずは見た目からだ。

「な、何よ人の事ジロジロ見て」

「いや、可愛いなって思って」

 本当にそう思う。

 小さな体の、愛らしい仕草に、今日だけで何度ときめいたか。

 可愛い子だなあと、素直に思う。

 ただ、胸に関してだけは、恨めしいけれど。

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