先の話

第40話 二日後、折野春風、外区

「眠い……」

 戦部さんはいまだにぼやけた顔をして欠伸あくびをする。

 時刻は午前十時。外区にしては、早い朝。

「ごめんね、朝早くに呼び出して」

「んーん、いいよお。帰ったらご飯奢ってね」

「はは……はい」

 力なく答える僕を太陽が照らす。今日も空は快晴だ。

 戦部さんと二人だけで歩く外区の道は、いつもより広く感じられた。

 先日の激動が噓の様な静けさが充満しているが、最近が異常であっただけで、外区の本来の姿はこれだ。

 向かうのは先日、イビリアの人間と交戦した場所。

 分断作戦の際に戦闘地域となったのであろうその場所は、荒廃した街の中でも際立った不気味さを放っている。

 崩れたれきと崩落した建物が、繰り広げたのであろう戦闘の様子をのこそうと、不快に存在している。

「春ちゃん、私これ以上無理。きつい」

 まだ新しい戦闘跡の残る建物の前まで来ると、戦部さんは鼻をつまんで言った。

 しかめた顔から発せられる鼻声はこつけいだったけれど、別段それには何も言わず、待っててとだけ告げて建物に入った。

 僕にも直ぐ分かる。乾いた血の匂いが鼻孔に張り付く。夏でないだけましだが、陽の光を遮る建造物の中から、暗闇に潜んだ腐敗臭が漏れ出している。

 持ち込んだハンドライトをけて、道を進む。瓦礫の音だけがむなしく響く中で、瞬きの回数が増えていく。この目の感じは近い。

 進んだ場所に、三体の遺体が転がる。

 僕の記憶にないから、戦部さんか驤一先輩がやったものだろう。

 倒れた遺体をけて進む。突如起き上がっても直ぐに反応出来る様に警戒は解かない。

 今は、そんな映画みたいな出来事、平気で起こり得るのだから。

 単独で進む暗闇の中で、時折崩壊した壁から差す陽の光に目を痛めながら進む。結局、先日の鉄火場には、変わった様子はなかった。

 沢山の死んだ人間だけが、転がっていた。

「ただいま」

 いんうつな空気の漂う建物を出て陽射しを浴びると、何かが浄化される気がした。

 そんな僕の思いとは裏腹に、少し離れた場所に腰を下ろした戦部さんのもとに行くと、顔を顰められた。

「春ちゃん臭い」

「ええ!? ごめんね。場所が場所だったから」

「何でこんな所来るのー? それに私まで連れて。一人でやってよ!」

「いや、戦部さんも必要なの!」

 そう言って、周囲を見渡す。がらんどうの街に、動きそうな物が幾つか見える。

 戦部さんは、必要不可欠だ。

 万が一、奴等とかち合ってしまったら、僕だけでは対抗出来ない。

「それじゃあ、今度はこの間金国の連中と戦った所に行くよ。その後、一昨日おとといの倉庫」

「ええー!? まだ行くの! 嫌だよ私! 遠いよおー!」

 西を指差す僕を見て、戦部さんは地団太を踏んでごねる。

 まるで子供。衛学生とは思えない所作だ。

 ただ、そういうところが特別な部分だ。

「戦部さん、安心して!」

 なだめる様に言うと、近くに止めてあったそれを拝借する。

 かぎが挿しっ放しで乗り捨てられたそれらは、この場所では珍しくない。

 普通の生活を送っていた中で、突然の戦闘行為が展開されたのだ。鍵を抜いている暇などない。そういう人が居ても、何ら不思議ではない。

 当たりを付けていた二台を戦部さんの前に引っ張って来る。

 鍵が挿しっ放しの電気バイク。移動の手間が、大いに省かれる。

「え? いいの!? 悪くない?」

「この中で悪いも何もないでしょ。戦部さんこの間言ってたじゃないか」

「そうだけど、春ちゃんがこんな事するの新鮮ー! 春ちゃんどうしたの? 風邪?」

「んー」

 別に、正義漢ぶっている訳じゃない。

 ただ、当たり前に悪い事をしたくないだけだ。けれど、今はもう、そんな事を言っていられる状況ではない。

 大きな悪の前では、この程度の事、まつな問題だ。

「大丈夫大丈夫、行こう行こう!」

 笑って戦部さんに言う。

「でも、音とかでバレちゃわない? この間ジョー先輩に言われたばかりだし」

「でも、僕と戦部さんだよ? 仮に先手を取られたとして、負けるかな?」

「あー……成程。今日は、〝足手まとい〟が居ない!」

「戦部さんひどいよ」

 少し悲しい気持ちになる。だが、この場に居ない驤一先輩をあわれんでいる暇はない。

「あ、でも春ちゃん。両方とも電力切れだよ? こっち側に電気通ってないから、電気スタンドも意味ないし」

「平気だよ」

 言って、バックパックを降ろす。

 中から取り出したのは、市販の簡易バッテリー。急な電力切れの際、電気バイクに電気を補給する専用のもの。どのタイプの電気バイクにも対応出来る高性能な物を買ったのだが、値段が高く、サイズと重量がある事が短所だ。

「こっちで電気バイク乗るの初めてです。舗装されていない道では気を付けないと」

「そうだねー! 私に任せて! 結構慣れてるから!」

 前科持ちの戦部さんは、笑顔でこぶしを握った。

<p class="◇ 見出し">◇

「さてと……」

 まだ日の沈まぬ内に、マージス工業の倉庫まで辿たどり着いた。

 途中で寄った金国の部隊と戦闘になった場所には、イビリアの連中より腐敗した彼等のなきがらが転がっていた。

 その上で、今日最後の場所にやって来た。

「バイク速い! もう私戻れない! 多分戻れないよ春ちゃん!」

 戦部さんはうれしそうな声色で、誰のものかも分からない電気バイクを大切そうにでている。

「戦部さん、周囲の索敵をして欲しいのだけれど」

「してるしてるー聞いてる聞いてるー誰も居なーい!」

 謎のリズムに乗せて答える戦部さんはやたら上機嫌だ。

 次回、驤一先輩と外区に来た時にどうなるかが心配だ。

「行くよ戦部さん」

 バイクにすがり付く戦部さんをがすと、道路に面したマージス工業のビルの横を抜けて、奥にある倉庫に向かう。

 その途中から広がる白いコンリートの上に、戦部さんが奇襲した五人の死体が変わらず倒れている。

 はずだった。

「あれ、あれれ?」

 戦部さんが異変に気付いて現場に駆け寄る。

 先日倒した筈の五人が居た場所には、おびただしい量のけつこんだけが残っていた。

 死体は、こつぜんと姿を消している。

「春ちゃん……これ」

 不安そうな表情の戦部さんに目配せだけして、先を進む。

 倉庫の中は後回しにして、シャッターの前。

 外区の夜に燃え上がった、あの死体。

 五メートルはあろうかという、人外が居た場所。

 早々に現場を離れた為に、その火が消え入るその時を目撃していないが、あの巨体全てを消し炭に変える業火には程遠かった。

 だが、僕の予想に反して。

 いや、僕の予想通りに。

 シャッターの前で息を引き取った焼死体は、コンクリートを焦がした跡だけを残して、消え去っていた。

 倉庫の中も、のぞくまでもない。

「春ちゃん、どういう事?」

 首を傾げる戦部さんに、僕は困惑した表情を返す。

 想像はしていたけれど、それだけだ。

「戦部さん、一つだけ聞かせて」

 姿は、何も見えない。

「過去に戦った敵について、たまに〝やる奴〟が居たよね。そういう人は、戦部さんが殺したと思っていたのに殺し損ねたりした? 腕が長かったりした? 体が大きかったりした? 電気を発したりした?」

 答えは、分かっている。

 戦部さんは、快晴の空を仰いで思考を回してから、口を開く。

「んーん。居なかったよ。今まで戦った強い人達は、ただ強いだけだった。もしそうじゃなかったら、私言うよ」

「そうだよね。その通りだ」

 だから、何だと言うのだ。

 死体のない犯行現場で、僕は立ち尽くす。ただ只管ひたすらに積み重なる要素は、一向にその全容を見せない。

「死体、どうしたんだろうね。もしかして、まだ生きていたとか?」

「それはないだろうね。戦部さんにバラバラにされた奴もいる事だし、持ち去られたと考えるのが妥当かな」

「誰に?」

「んー、研究所、かな? 普通に考えたら、人造人間を造る様な人達だもの。その死体も回収したいんじゃないかな? 研究とやらに必要だーとか言って」

「あー漫画とかで見た事ある!」

 古今東西、マッドサイエンティストの考えそうな事といえば、それだ。

「でも、どうしてそうじゃない死体も回収したんだろう?」

「そうじゃない?」

「人造人間じゃないって事。倉庫での戦闘では、普通の人間も沢山居たじゃないか。皇都の言葉が分からない、出身不明の彼等さ。そんな死体まで持って帰るのは手間な筈だ。僕がそういう立場だったら、必要な分だけ持ち帰ろうとする」

「確かに! 私でもそうするかも! 重いもんね!」

「イビリアと金国の連中の死体が残っているのを見て、僕は倉庫でもそうなっていると予想した。人造人間とおぼしき連中の死体を除いて、後は打ち捨てられていると思った。けど、実際は違った。全てが、回収されている。ここの連中と、さっきまでの場所の連中の違いは? 国? 人造人間と一緒に居た事? 装備? 分からない……」

 思考が堂々巡りを始める。終わりの見えない思考の回遊に気がる。

 頭を抱える僕同様、戦部さんもまた苦しんでいる様子だ。

「んーんー、春ちゃんは、今日何を調べに来たの? いまいち言いたい事が分からないというか何というか!」

「ああ、ごめんごめん。実は明確な目的はないんだ。けれど、何かあるかもしれない。そう思って足を運んだ。そして実際、状況は動いていた」

「え? でも、何にも分かんなかったんだよね?」

「今は、ね。今はそれでいいんだ。今僕らは、大きなパズルを組み立てている状態。しかも、その四隅から徐々に徐々にピースをめて行く。確かに前進している事は分かるけれど、何が描かれているかは分からない。だけれど、重要な事なんだ。今はそういう時期……だと思う」

「千里の道もってやつだね、私知ってる! ことわざ!」

 戦部さんが自分の知識を全てひけらかさない時は、聞きかじったそれを全ておぼえていない時だ。

 ただ、それを責めたてるのは驤一先輩の役目なので、僕はすごいね、とだけつぶやいてきびすを返した。

「じゃあ帰ろうか」

「もういいの?」

「長居して彼等とかいこうしても困るしね。今日は引き上げよう」

 陽の落ちないうちに、僕達は帰路に就く。

 今日見た事は、いつか役に立つはずだ。そう信じて足を進める。

 その間も、戦部さんはうなり声を上げて腕組みをしていた。戦部さんなりに、状況を推察しているのだろう。

「犯人が二人とかなら簡単なのになー」

「え?」

 不意に戦部さんが吐いた言葉に、足を止める。

「どういう事?」

「ん、偶にミステリーであるじゃん。犯人が二人いて、現場が混乱する事。今もそんな感じだったら簡単なのになーって」

 戦部さんの言葉を受けて、陽が傾いていく西を見る。

 外区の、更に向こう側。

 ここよりも深い闇の中にある、大地世界。

 あの向こうは、一枚岩ではない?

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