昔話

第16話 四年前、折野春風、自宅

 父と出掛けた先で見舞われた、大地世界のテロ事件。

 当時、新興宗教としてその規模を拡大していた団体による突然の独立宣言は、武力を伴い、平和な皇都の街は戦火に見舞われた。

 父にしがみついて泣いている僕を助けてくれたのは、皇都防衛庁防衛局の局員だった。

 防衛局の組織力と、個々の局員の卓越した技量により、皇都と大地世界の分断は、皇都側の一般市民に一人の被害者も出す事なく終結した。

 それから、僕の夢は変わった。

 祖父の様に、父の様に、皇都中央庁に勤務して、この国の役に立ちたいと言い続けて来た。

 ただ、この日を境に、皇都防衛庁防衛局に入って、この国を守りたいという具体的なものに変わった。

 財務庁長官の祖父は、もっと努力しないとだめだと言った。財務庁金融局局長の父は、春風ならなれるさと笑っていた。

 だから、もっと頑張ろうと僕は決めた。

 環境が一変したのは、中学卒業を控え、進路を防衛庁付属学院に絞った時の事だった。

 祖父は、止めておけと僕をいちべつした。父は、春風には無理だと怒鳴った。

 二人のへんぼうには動揺したけれど、僕の夢が変わる事はなかった。

 あの日、僕を助けてくれた防衛局局員の様になりたいという気持ちは、一切変わらなかった。

 そうして家庭内でけんが絶えなくなったある日の事。

 深夜に目を覚まし、二階にある自室から一階へ降りた僕の耳に、怒鳴り声が響く。リビングのドア越しに中の様子をうかがうと、父と母が言い合いをしている様だった。

 内容は簡単な事だった。

 母は僕の進路に賛成していて、父を説得してくれていた。ただ、父はかたくなにそれを拒否していた。

 父も祖父も、頭の固い人物ではない。

 だめだと僕を叱る時は、きちんと理由を説明して諭してくれていた。

 ただ、僕の進路については、二人とも頭ごなしに否定するのだ。

 その夜も変わらず、父は頑として母の話を受け入れようとしなかった。

 我慢できずにドアノブに手をかけた瞬間、僕の体が止まった。

 中から聞こえて来た父の言葉に、全てが止まった。

「防衛庁では手を回せない。あそこは昔とは違うんだ。もしも防衛庁防衛局に入って外区の担当になど回されたらどうする? 化け物共のそうくつかもしれないんだぞ」

 聞き間違える程僕は馬鹿ではないし、聞き流せる程僕は頭が良くなかった。

 父の言葉は、多くの意味をはらんで僕の脳内に流入した。

「父さんを始め、多くの中央庁の人間がどれだけ走り回ったか……俺達があの場所を隠す為にどれだけ尽力したか……あんな場所に……あんな場所に春風を連れて行ったのが間違いだった……まさか、巻き込まれる事になるなんて」

 言葉の真相までは推察するしかなかったが、言葉の表面からだけでも、十二分に悪徳だという事だけは受け取れる。

「あの子は……春風は真っ直ぐに育て過ぎた……育ち過ぎた。きっとあの子は、この国も、外区も、全てを許容出来ない……だから、あそこだけはだめだ。防衛庁だけは、だめなんだ。春風を、あそこに近づかせる訳には、いかない」

 静かな落胆だった。

 驚く程冷静な、落胆だ。

 言葉の真意を全て読み取れる訳ではないけれど、どうしたって、その言葉が醜悪な国の構造を内包している事は間違いがなかった。

 真っ直ぐに育っていると分かっている僕が許容出来ないと言うのならば、それはつまり、真っ直ぐではないという事だ。

 ひどく、いびつじ曲がっているという事だ。

 つまりは、そう話す父も、話に上がる祖父も、きっと僕の考えていた様な人間ではなかった。

 それどころか、きっと僕が忌み嫌う様な、そんな人間だ。

 そして、そんな二人が中心に属するこの国も、きっとそうだ。

 僕の理想とする様な国では、ないのだ。

 唯一の救いは、言葉の端から読み取れた、『防衛庁は昔とは違う』という部分だけだ。

 僕のあこがれるあの場所だけは、この国の陰ではないかもしれない。

 きっとこの先、苦しい生き方になる。今、何も聞かなかった事にすれば、多分に幸せな人生を送れる。

 それを分かっていても許容出来ないから、脳髄が熱くなるのを感じた。

 今にもこんめいしそうな意識を気持ちで支えて、ドアノブから手を離した。

 その場で判断出来る事は、それだけだった。

 その夜、僕の夢が、また変わった。

 この国を、暴かなければと決意した。

 この国には、何かがあると確信した。

 あの場所は、あの壁の向こうは、真っ暗だ。

 夜を眠らぬ国と呼ばれるこの国の、壁の向こう。

 外区と呼ばれるあの場所は、しんえんなのだ。

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