?日目

どうしてその男を兄と見間違えたのか、それは年々重たくなっていく罪の気持ちがどこかに救いを求めていたせいなのか。


『兄さん』


無意識に零れた言葉を拾ったのが相手だけだったのは幸か不幸か。


もしその場に誰かがいれば、彼らを結ぶ奇妙な糸はそこで断たれていたのかもしれない。しかし、その場には2人しかいなかった。


言われた相手はいつもの無表情で相手を見たが、相手の感情の中に何かを感じ取ったのだろう。奇妙に口元を歪める。


『ごめんな…兄さん。母さんのせいで……』


そうとは知らず、弟は兄に対し今までいう事すら叶わなかった罪の告白をした。


自分が生まれて来てしまったから死ななければいけなかったこと。


ずっと兄に謝りたかったこと。


ずっと…1人が寂しかったこと。


『ごめんな…俺のせいで』


『お前のせいじゃない』


そこでもう一方が声を発する。声色は平坦なものだったのかもしれないし、優しいものだったのかもしれない。


『兄さん……』


『これからはずっと一緒だ』


どちらにせよその一言で救われ、道を誤ってしまったことだけは確かだった。


そして道を誤ったことを唯一知る男は、相手から事情を聞きながらにんまりと笑って見せた。


ここにふさわしい、『贄』がいると。


それを自らの主に…いや正確に言えば主の忠実な『駒』の1つに言えば、相変わらず何を考えているのかわからない笑みを浮かべたまま。


『あなたの好きにしたらいい。けれど忘れないでください。王の怒りだけは買わないように』


それだけ気を付ければ後は黙認する。実に主はこのゲームをよくわかっている。


男は奇妙な笑みを隠せないままでいた。

最初は檻の中で贄を探していたが、それもすぐにつまらないものだと感じてしまった。


ここは完全な王が2人いて、それ以外は単なる働き蜂であり、蟻である。


下の1匹を戯れに壊したとしても、他の者が騒ぎ立てるような事は決してしない。

そして、王達の忠実な手足に噛みつきでもしたら、あっという間に自らが贄にされる。

それをここにいる全員がわかっているから、ここは完璧なバランスが保たれる。


この世界で最も危険で、最も秩序が保たれた場所、それが『crimson cage』であるのだから。


男は獰猛であったが、狡猾でもあった。


しばらくは自分を戒めて我慢していたが、自分の手元に自分の思い通りに動いてくれる駒を手に入れてしまったせいなのか、いつもなら我慢出来ていたはずの衝動が強く襲い掛かる。


そしてある日、鳥は檻の外へ抜け出した。


『母さんの墓参りに行きたいんだ。頼む』


そう言えば、絶対に断られない事は今までの会話の流れからわかっていた。

案の定悲しそうな目をしていた奴は、ぐっと涙をこらえるようにして大きくうなずく。


『俺の分まで…お願いな』


『ああ』


なんて愚かだ。


悲しい奴だと思ったのかどうかまではわからない。結果として男は檻から抜け出し、女王はそれを黙認し、悲しい事件が起こった。


次の日それをニュースで知った弟はすぐに兄の犯行だと見抜き、詰め寄った。


『どうして!何でなんだよ!!』


『……』


ここでこの哀れな男を殺すことは造作もないことだったが、今すぐに死なれては自分にとって不都合が生じる。


何より檻の外は気持ちがよかった。もうどれ位檻の中にいたのかはっきりとした年月もわからなくなる程あそこにいた。

あの場所以外の風景は新鮮で、輝いていて、そしてそこに住む人間達ははるかに脆く弱く、自分が支配する側に回れるという自尊心を存分に満たしてくれる。


『…女が……お前の母親に見えて…憎かったんだ』


言葉に男がはっとする。


『衝動を…抑えきれなかった』


『お前が大事なのに、同じ位あいつが憎いんだ』


男はしばらく黙っていたが、何かを諦めるようにそっと息を吐く。


『兄さんは百舌鳥なんだね』


だから殺したんだ、衝動に逆らい切れず百舌鳥と同じように殺してしまった。


『それなら…仕方ないよ』


男は知らなかった。無残な殺害方法が、ただの衝動に突き動かされるようにしただけであったことを。

男は聞かされていた。兄とその母親が殺された方法が強盗による刺殺であったことを。


だから男はそれを認めてしまった。

認められた男は得難い理解者が出来たことでさらに衝動に歯止めがかからなくなってしまった。


そして2件目の事件が起こったとき、今まで動かなかった王が女王の庭で騒がしくしている蜂を煩わしく思い始め、動き始めた。


悲しい事件はそうして起こり、そうして終わった。

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