第11話 天使のピテカントロプス



「そもそも今回の私の目的はあなたの勧誘です。

有力な契約者はどこの世界も求めています。国家、企業、宗教団体、それと犯罪組織。

私たちは契約者が愚かなしがらみに縛られて、そいつらの利権争いの道具にされているのが嫌なのです。

正義を掲げ、平和を声高に叫び、善意が人を殺す。そんなきれいなものから離れ自由に楽しく生きる仲間。

素晴らしいとは思いませんか?」

礼はジュピターの話を隣で聞いている。


「じゃあどうして警察署に攻撃を仕掛けてきたの。スカウトが目的ならそんなことする必要ないじゃない。

この子、礼が怪我するとか考えなかったの?」

豊島は銃口を向けていないが、拳銃は持ったままで質問した。


「最強の殺し屋を返り討ちにした人間がこの程度のことで怪我するはずはありません。ましてや死ぬなんて。

仲間になってもらう前に、私を信用してもらわねばなりません。国家なんて敵でない私の力を教えてさし上げたのです。

たとえどんな世界になろうとも、我々には仲間を守れるだけの力がある」

ジュピターは笑顔を崩さない。


「力の証明? そんなくだらない理由で!」

豊島にはその答えは納得のいかないものだった。

ちなみに、彼女が怒っている理由は部屋を吹っ飛ばされたというとても個人的なことだ。彼女はあまり正義感の強い人間ではない。


「悪魔と戦う組織の武力を見ましたか。言うことを聞かない契約者たちは、どんな末路をたどるのでしょう?

国家の犬は相手が子供だろうと、きっといつかその銃をあなたに向ける」

礼の心に問いかけるようにつぶやいた。ジュピターと名乗る彼女は過去にいったいどのような経験をしたのだろう。




「礼君、もう一度言います。私と来ませんか?」

パッと笑顔をつくると礼に向かって優しく手を差し伸べた。


「ユウが強いやつだから仲間にするの?」

礼はジュピターの目を見てそう聞いた。


「そうです。あなたの悪魔の能力は強い。

でも、それだけではありません。私はあなた個人にも興味があります」


「……もし、俺が断ったらどうするの?」


「私たちの思惑通りに動かないだけで殺すことはありません。

ただし、こちらの敵になるというのなら話は別ですが……」


「俺、あんたたちのことを全く知らないから、返事できない。

それとも、今すぐ決めないとダメかな?」


「急ぐ必要はありません。時間はたっぷりあります。よく考えて決めたらいい。


私たちは自由なのだから。


けれど、この世界に秘密はない。あるのは醜い人間と不幸の悪魔だけ。


我々の生き方は常に異形と共にある。一生悪魔を連れ歩かなければならない。

そこには人間として普通の人生は無い。


悪魔を連れて光と影の境界を歩いていた者が、悪魔を殺されその能力を奪われたらどうなると思う?


日向の世界に受け入れてもらえず、一人で陰の世界を生きていけるかしら?


私が問わずとも、君はいずれ選択を迫られる」


少年を脅すように冷たい目をしていたジュピターが表情を切り替えて笑いながら言った。


「まずは、私とお友達になりましょうか」


そう言うと、ジュピターは連絡先の書かれたメモを差し出した。


「いつでも連絡ください。迷った時は相談に乗りますよ」


地上の様子が騒がしくなってきた。ピテカントロプスの能力が解かれ、その支配から解放された警官たちが動き出したようだ。


「さよなら、また会いましょう」

そう言うと彼女は天使にお姫様抱っこされて、空を飛ぶ天使と共に夜の空へと消えた。




それからしばらく後に豊島の上司と同僚たちが屋上に駆けつけてきた。

「遅いよ~、もう」

豊島はそう文句を言いながら、コンクリートの床に座り込んで拳銃を下ろした。彼女の転属初日は散々だった。


礼は悪魔たちが去った明るくなり始めた空をフェンス越しに見ていた。




それから礼は改めて警察への協力をお願いされた。

でも今は警察署内が混乱状態のため、詳しい話は日を改めてすることになった。


見るからに疲れていた豊島を見た上司は、彼女に対して帰宅の命令を出した。

緊張の糸が緩んでどっと疲れの出た豊島は休めることに喜んで命令を受けた。


豊島は、せめて礼を玄関まで送ろうと一緒に歩いていてやっと気が付いた。

「ちょっと待って、私の家爆発してるじゃん!」

車もなく、金もほとんどない。


「うち来る?」

「……いく」


彼女の状況をすべて理解している少年の誘いを断れなかった。


「つかれた~」

玄関で革靴を脱ぎ散らかし、スーツの上着をバサッと床に落として、ベルトを緩めると、目の前にあったソファーに寝転んだ。

ちょうどいい具合の枕がわりのクッションに頭を載せると、ぐーぐーと眠ってしまった。

そんなダメな大人の姿を見た礼の中で、彼女に対する位置づけがとても残念なものに設定されてしまったことなど知らずに。


買い物の保冷バッグは途中でどこかに行ってしまった。

作ろうとしていたカレーは諦めるしかない。


礼は机の上にある夏休みの宿題を見た。

「寝る前に日記だけでも書いておくか」

日付の上ではもう昨日のことになる。


事件現場を偶然目撃してしまった。

犯人の男たちに追いかけられ、ユウと出会った。

最強の殺し屋とその悪魔に命を狙われた。

女刑事に協力させられ、天使の契約者と友達になった。


初日からたくさんの出来事があったのに、残念ながら日記に書けそうなことが一つもない。


「う~ん」



夏休みの初日から母が出張した。家に帰ってから宿題をして過ごした。

今日はとても暑い一日だった。

夏休みを無事に乗り切れるようにがんばる。



礼は日記の一ページ目にそう書いた。


「笑っているな」

そう書き終えた礼の顔を、ユウがじっと見て言った。


「そうかな?」

礼は怖い思いもしたけれど、自分の知らなかった世界に出会えたことを喜んでいた。

これから過ごす夏休みが、きっと楽しいものになるとわかるからだ。


礼の冒険はこれから始まるのだ。





TO BE CONTINUED...

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