第6話 ほたるさん、怒る


「えっと、なんで寝てないのかしら」

 猛烈なクマと充血した目で、あっさりバレた。

 優也は早朝から布団の上に正座させられていた。

 彼女も向き合うように正座している。

 彼女はいつものポーカーフェイスのようで、少し違う。よくよく見ると右の眉根がわずかに寄せられている。ご立腹であることがうかがわれた。

「あのね、山岸君」

ツン、と彼女は人指し指で優也の太ももをつつく。

「私はね、山岸君にね、安眠してもらうためにね、ここに泊まったわけなの」

ツン、ツン、ツン、ツンと一言ごとにつつくつつく。

「はい……よく存じております」

「うんうん。それで言ったわよね。困ったら、いつでも、起こしてって」

ツンツンツンツン。

「はい……うかがいました」

「じゃあ、なんで寝てないのか、なっ!」

ツン、ツン、ツンッ!

 ひときわ強く太ももをつつくと、そのままグリグリと指先をねじ込んでくる。爪が当たって結構痛い。彼女のポーカーフェイスが引きつっていた。普段怒らない人が怒ると恐ろしい。一見しただけだと笑顔なのがさらに恐ろしかった。

「ごめんなさい。その……緊張して」

 興奮して、とはさすがに言えなかった。

「そっかそっか。それは仕方ないねぇ」

 本気で仕方ないと思っている人は、そんなに口の端をピクピクさせない。

「あれ? あれあれ? そうすると昨日の夜、私は、一睡もできない山岸君の隣で、ぐーすか惰眠を、貪ってたことに、なっちゃうのかしら、ねっ!」

 ツン、ツン、ツンと一言ごとにつつく位置が腿から腹へ、腹から胸へと上がってくる。

 そして最後に、ツン、とほっぺをつつくと、またグリグリやり始めた。

 笑顔は完全に消え去り、もはや不機嫌を隠さないその表情をぐぐいと優也に近づける。

「寝られないなら、私を起こしてご相談なさいな」

 けっこうドスの効いた声だった。

「は、はい。ごめんなさい。すみません」

「もう……」

 ぶすーとした表情でしばらく睨みつけていたが、やがてもう責めても仕方ないと思ったのかフイと顔を背ける。そして最後に一言だけ、彼女は拗ねたように言い捨てるのだった。


「お弁当つくってあげない」



       ●        ●


 

 しかも結局作ってくれた。

 彼女はふてくされた顔をしながらも、テキパキと二人分の弁当を用意してしまった。もちろん朝食のトーストを優也に与えることも忘れない。実に恐ろしいまでの手際だった。

 お揃いで弁当袋をぶら下げて登校する途中、優也は改めて言った。

「君谷さんって、もしかしてスッゴイ人なの?」

 だがそれを聞いて、彼女は首をかしげた。

「どうかしら。すごく変な人とはよく言われるけど」

「いや、そういう噂も聞いてたけど、昨日今日で尊敬できるシーンが沢山あったから」

 だが優也の言葉に対して、彼女はじろりと半目で見返した。

「別におべっか使ってもダメよ」

「いや、別におべっかじゃないけど……」

「もう。結局一睡もしてないなんて、プロの泊まり屋としての沽券にかかわるわ」

 そしてまた不機嫌な顔になる。泊まり屋の業務は未だに不明瞭であったが、どうやら優也の徹夜は彼女のプライドを大いに傷つけたようであった。

 優也としては切ない試練に耐えた夜だったのだが。

「今晩は私、仕事の予約が入ってるの。君の家には行けないから」

 ぷい、と彼女はそっぽを向いたままで言う。

「え、あ、うん」

「まあ、私なんかが御一緒しても全然安眠できない様子ですから、構わないわね」

「え、いや、そんなことないけど……」

 とは言いつつ、彼女がいたら寝られないのも事実なので、強く否定しがたい。

「まあ、なにか今晩あったら電話くださいな。もっとも頼りない頼りない君谷さんなんかに相談してもどうにもならないかもしれませんけどね」

「あ、いや、君谷さんが頼りなくて眠れなかったわけじゃないんだけど……」

 ではなぜかと聞かれたら困ってしまうが。ともかく安心という意味では昨晩はすごく安心できていたのだ。と、そこまで考えて優也はあることに気づいた。

「そう言えば結局、昨日は『声』が一度もしなかったな。なんでだろう」

 その疑問を聞くと、彼女も真顔に戻って考え始めた。

「そう言えばそう、ね……。まあ、一番の可能性が高いとすれば、私がいたからかしら」

「そうなの?」

「もちろん向こうにしてみれば私の相手なんかしたくないもの。大人しくやり過ごそうとするでしょうね。そういう点では『強いことが常に最良とは限らない』よね、本当」

 相変わらず一点の曇りもない自信だった。

「ただ……」

 そう言って彼女は言葉を濁す。

「どうしたの?」

「一つ失敗があるとしたら、少しベラベラ話して情報を与えすぎたことね」

「話しすぎた……っていうと、納戸とかでの話?」

「ええ、そう。明日になれば非破壊検査車両が到着することは伏せておいたほうが良かったわね。今日のうちに逃げられたりしないといいけど」

 彼女はくるりと優也に向き直ると、

「山岸君」

「は、はいっ」

「もし今晩何かあったら。今度はちゃんと相談よ。ケータイ出れるようにしとくから」

「あ、うん。もちろん」

「今度相談してくれなかったら、次は本気で怒るから」

「……はい」

 もう十分怒っていた気がするが、そこは言わぬが花だろう。

 ただ優也としてはふと疑問。

「でも、君谷さん、今日は仕事で別のところ泊まるんでしょう。もし何かあってもさ」

「何言ってるの。山岸君にもし危機が迫ったら、仕事よりも優先に決まってるでしょう」

 彼女はまるで勇気づけるように、頼もしい笑顔を浮かべる。

「絶対に君を助けに行くわ」

「あ、ありがとう……」

 だが彼女の笑顔を見て、優也は少し言葉につまった。

「どうしたの、変な顔して」

「うん、あ、いや、もしかして君谷さん、逆に女の人にモテるタイプ?」

「え、いや、別に女性にももてないけど」

「いや……」

 本当に。

 ちょっと異常なぐらいかっこいいクラスメイトだった。


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