第3話

 * * *


 知らないからって諦めて、知ろうとしないのは間違っていると思う。あたしは、知らなければいけないんだ。まだまだ知らない、恭ちゃんの一面を。そしてそれを受け止めて、その上で愛してあげるんだ。ずっとだいすきだった恭ちゃんだもの。あたしには、それができるのだ。

 あたしは一階に降りて、お母さんにおはようを言った。お母さんが朝食を準備している。もう焼けているトーストを掴むと、ジャムもつけずに頬張った。


「あんたは、もう! はしたない!」

「はしひゃなくてひひもーん」


 もぐもぐとパンを食べながら、ネクタイをつけ忘れたことに気づいた。せっかく降りてきたのに! あたしはのそのそと二階に上がって、自分の部屋の扉を開けた。


──あ、そういえば。

 あたしは床に目をやって、ハッとした。あたしってば、うっかりしてた。部屋の電気をつけて、しゃがみこむ。


「昨日から何も食べてないよね、ごめんね──恭ちゃん」


 慌てて、寝転がってる恭ちゃんを起き上がらせた。両手両足は縛ってあるので、食べさせてあげないといけない。口を縛っていたタオルを外してあげて、持っていたパンを食べさせてあげる。咀嚼して、飲み込んで、怯えた目であたしを見る。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい許してください許してください許してください」

「やだな、恭ちゃん。許すも何も怒ってないよ?」


 あたしは恭ちゃんに目線を合わせてしゃがみこんで、にっこり笑った。


「だから、今日もたぁくさん、坂下さんがどんな人で、どんなところを好きになったのか、全部全部教えてね?」


 恭ちゃんの怯えた顔。こんな顔も、今まで知らなかった。今、あたし、すっごくわくわくしてる。全部全部知ってると思ってた恭ちゃんの、新たな一面が知れちゃって。


「じゃ、行ってくるね」


 恭ちゃんに手を振って、部屋のドアを閉めた。鍵だって、しっかり閉める。階段を降りていると、朝のニュースの音がここまで届いた。お母さんがご飯食べながら見ているんだ。


《──さんは先日から行方が分からなくなっていて、警察では捜索にあたる人数を増やす方針です──》

「行方不明だって。誘拐かなぁ、怖いねぇ」

「んー? そーだねー」


 歯磨きして、家を出る準備をしなきゃ。お母さんに適当に相槌を打ちながら洗面所に向かう。準備ができてリビングに戻っても、さっきのニュースについてやっていた。今度は芸能人がコメントし合っている。


「じゃ、いってきま……」

「そういえば、お隣の恭ちゃんー、昨日からうちに帰ってないみたいなんだけどー! あんた何か聞いてないー!?」


 思い出したように、お母さんがリビングから声を張り上げた。遅れて玄関に顔をのぞかせる。

 あたしは、お母さんに向かって、にっこり笑った。


「……知らないよ?」


 みんなは知らなくてもいいの。

 恭ちゃんの好きな食べ物も、嫌いな食べ物も。寝起き悪いとこも、恥ずかしいホクロも。恭ちゃんの好きな子も、恭ちゃんの居場所でさえ。


 全部全部、ぜーんぶ。

 あたしだけが、知っている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あたしだけが知っている。 天乃 彗 @sui_so_saku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ