第5章:麗

夢飼い

「たまには外食しようか」


 そんなことを、おにいちゃんが急に言い出した。あたしの様子がおかしいせいよね。夜勤続きで疲れてるくせに、今日は昼寝もしなかったみたい。


 おにいちゃんの母校、響告大学のキャンパスのすぐそばに「ドリームキーパー」というお店がある。定食メニューがたくさんあるお店だ。BGMは、二十一世紀の初めに人気があったっていうレトロなロック。


「大学時代にサークルのアフターで利用してたんだ。学食より遅くまで営業してるし、そこそこお手頃な値段だしね」


 初めてあたしをこの店に連れてきたとき、おにいちゃんはそう紹介した。それと、この定食屋が「夢飼い」って呼ばれることも。


 おにいちゃんが大学時代に入ってたのは、ゲームを創作するサークルで、おにいちゃんははサークル内の便利屋だったらしい。


 工学部のおにいちゃんは、プログラミング全般をわかってた。絵を描くことも好きで、CG製作も得意だった。高校時代は演劇部だったから、キャラボイスも引き受けてた。ボイスチェンジャーを駆使して、老若男女いろいろ演じた。


 うらやましい。ゲームを創るサークル活動なら、あたしもやってみたい。


「さて、何を食おうかな?」


 おにいちゃんは、水のグラスと一緒に運ばれてきたメニューを開いた。メニューをわざわざあたしに向けてくれる。あたし、全部覚えてるから、眺める必要ないんだけど。


 夢飼いの料理は野菜たっぷりで、盛り付けもカラフルだ。味は天然素材のスパイスが効いてて、かなり好き。

 あたしはポークジンジャー定食、おにいちゃんはチキン照り焼き定食を選んだ。


 おにいちゃんがちょっと身を乗り出した。


「麗、もうすぐ体育祭だろ? 確か来月の……」

「来なくていい」

「え? でも」

「去年と同じよ。おもしろくもなんともないし、来なくていいから」

「あー、えっと……そっか」

「親たちにも伝えといて」


 あたしが表舞台に立つことはないんだし。

 おにいちゃんはお人好しな笑顔で肩をすくめた。


「わかったよ。話が変わるんだけど、食事の後、友達との約束が入ったんだ。麗を家まで送ったら、また外出する。いいかな?」

「友達? まさか女?」


 おにいちゃんは慌てずに、パタパタと手を振った。

 シロね。もしおにいちゃんに好きな女ができたら、あたしは一発で見抜ける。おにいちゃんの表情は、ちゃんとわかる。


 おにいちゃんは、癖っぽい前髪を掻き上げた。


「野郎どうしでゲームに興じるんだよ。大学時代のサークル仲間なんだ。その後、夜勤に直行する。夜に麗を一人にするのは、本当は避けたいんだけどさ。なんてね。夜勤ばっかりやってるぼくには、それを言う資格なんてないか」


 おにいちゃんの口元が、ちょっと引き締まる。


 夜勤明けのまま、ひげをそってないみたい。まったく。妹と外食するのよ? ひげくらい、キッチリそっときなさいよね。


「関係ないわ、別に。あたし、ゲームやるときは一人になりたいし」

「ゲームって、ピアズのこと?」

「そうよ。最近は完全にピアズ一本なの」

「ずいぶん気に入ってるみたいだな」

「けっこう馬の合うピアと組んでるから、飽きないのよ。ああいう人間が、こっちの世界にも現れればいいのに」


 おにいちゃんの表情が笑顔の奥で動いた。あたしはその変化を読みそこねた。今の表情、なんなの? おにいちゃんはメガネを直しながら、偶然なのかわざとなのか、手で顔を隠した。


「ぼくもピアズの雰囲気は好きだな。それに、中編小説のオムニバスみたいなスタイルだよね。ストーリーが終わらなくて、長く楽しめる」

「おにいちゃんもアカウント作れば? って言っても、家にいる時間がまちまちだから、ピアを組むのが難しいか」


「ぼくがピアズを始めたら、麗、一緒に旅してくれるのか?」

「面倒見てあげる。あたし、いま配信されてる中で、いちばん高いクラスにいるの。まずは、おにいちゃんに追いついてもらわなきゃ。上がってくるまでサポートするわ」

「それは心強いな」


 うん、おにいちゃんとの旅なら気楽だわ。絶対に楽しい。


 サラダと箸が運ばれてきた。


「ありがとう」


 おにいちゃんは、おさげ髪の店員に言った。店員は赤くなった。調子に乗ってる。

 そりゃね、おにいちゃんの笑顔は確かにカッコいい。左右対称な、キレイな笑い方をする。高校時代、演劇部のころに笑顔の練習をしたんだって。


 あたしも笑顔の練習をしようかなって、急に思った。ピアズ用のリップパッチは感度が高いけど、あたしの笑顔はうまく感知されない。シャリンは、いつも不機嫌そうな顔をしてる。


 ふと、訊いてみたくなった。


「おにいちゃん」

「ん?」

「なんでヘルパーの仕事してるの?」

「なんでって……まあ、縁というか」

「どうして? 昔は役者に憧れてたんでしょ。大学時代は工学部でプログラミングをやってたんでしょ。どうして今、ヘルパーなの?」


 答えを聞かせてほしいのは、あたしが自分自身のための答えを持ってないからだ。

 おにいちゃんはグラスの水をちょっと飲んだ。


「役者には、今でも憧れてるよ。アマチュアの劇団にでも入りたいなって思ってる。まあ、時間的に厳しいけど。高校時代にはね、大学に入ってやりたいことが三つあったんだ」

「三つって?」

「演劇、ゲーム作り、細胞の研究」


 初めの二つは、おにいちゃんが実際に大学時代に打ち込んだこと。三つ目は初めて聞いた。どうして、細胞の研究?


「麗、ジャマナカ細胞って知ってるだろ?」

「肉体のどの器官に移植しても、移植先の細胞と同化する。そして、もとの器官のダメージを補修する。そういう先端医療に役立つはずの人工細胞でしょ?」


 ジャマナカ細胞は、万能細胞と呼ばれるものの一種だ。


 普通、細胞は「体のどの器官の元になるか」が決まっている。つまり、役割が決まっている。でも、「体のすべての器官になりうる」細胞もある。それが万能細胞だ。


 二十世紀の終わりごろには、人間が万能細胞を作れるようになってた。薬の効きを試す実験では、万能細胞が有効に利用されている。


 でも、二〇五二年の今もまだ、医療現場での実用化には至っていない。もうすぐそれが可能になるって噂されて、十年以上たっているはず。


「響告大学の医学部は昔から、万能細胞の研究で世界的に有名だ。最近は、ジャマナカ細胞の養殖技術も完全に安定してるらしい。ぼくはあの研究に憧れてたんだ。きっかけは、子どものころに読んだ伝記マンガっていう、他愛もないものなんだけどさ」

「それなら、なんで工学部を選んだの?」


 おにいちゃんはあたしの質問に苦笑いした。


「工学部を選ばざるを得なかったからね。頭の良し悪しの問題でさ。天下の響告大医学部に通るほど、ぼくは頭がよくないよ。工学部でもギリギリだったんだ。万能細胞をやってる別の私大には落ちたし」


 やりたいことをあきらめる理由って、単純なのね。偏差値だけが問題だったなんて。

 おにいちゃんは笑顔を作り直した。


「でも、工学部でプログラミングを勉強できてよかったよ。ゲーム作りを満喫できたし、いい仲間にもめぐり会えた。なあ、麗」

「なに?」


「能力的に限界があるぼくと、麗は違う。麗はどんな道でも選び放題だ。やってみたいことや好きなことをしっかり見極めて、進みたいほうへ進むといい。ぼくは全力で応援するよ」

「選び放題? そうなのかな」


 じゃあ、どうしてあたしは今、憂鬱な場所から動けないの? 動いちゃいけないの? あたしはどうすればいいの?

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