6-4

 あたしが言葉を切ると、良一が口を開いた。

「結羽は、誤解されただけじゃん。いじめの首謀者なんかじゃないし、加担もしてないし、傍観者でもない。むしろ、やめろって言って、いじめを止めようとしたんだろ?」

「いじめの定義って知ってる?」

「定義?」

「それをされてる側がつらいと感じたら、いじめなんだよ。いじめられた子が、あたしをいじめの発端だと言った。それで十分にあたしの罪は成立する。あたしは直接手を下してないけど、いじめのリーダー格みたいなものだと、その子もその子の親も思ってた」

「理不尽だよ」

「あたしの立場で理不尽とか言って、誰が信用してくれる? あたしには影響力があった。クラスのカーストのトップほどじゃないとしても、あたしはカーストの外にいて、特別だった。あたしは、自分で自分を理不尽なところに立たせたんだ」

 ひどく痛々しそうな色をした良一の視線が、あたしの頬のあたりに刺さっている。あたしはまっすぐ前を向いて、じっと無表情を保った。

「でも、結羽のご両親は、結羽の言うこと、信用してくれただろ?」

「たぶんね」

「たぶんって」

「親として、娘であるあたしを信用してくれたとは思う。だけど、教育者として、あの席に呼び出されてどれだけ悲しかったか、あたしには想像もできない。いじめる側に立った子どもの保護者として、相手に頭を下げたんだよ。教育委員会の担当者がいる前で」

 罰当たりで親不孝な自分を、あたしは呪った。

 良一は大きな息をついた。自分の髪をくしゃくしゃに掻き回す。何かを言おうとして失敗する、みたいなのを何度も繰り返した。あー、と低くうめいて、それから、ため息交じりにようやく言った。

「だから、結羽は自分を傷付けたのか。眠らない、笑わないようになったのも、おれたちと連絡を取らなくなったのも、それが原因だったんだな」

「あたしなんかが人間らしくしてる価値もないって思ったら、体が壊れたの。ほんとは死にたかった」

「やめてくれよ」

「そのへんは警察に説得された。夜中に家出してギター弾いてたら、見回りの警察に見付かって、うちの中学のいじめ事件も知ってる人で。いろいろ話してるうちに、歌ってみろって言われて、警察署の中で真夜中のライヴ」

「マジで?」

「うん」

「すごいっていうか、熱い人がいるんだな」

「バカバカしい話だけど、大勢に拍手してもらった後で死ぬなとか言われて、何か納得しちゃった。夜、本当は出歩いちゃいけない時刻でも、どうしても家にいられないって言ったら、家からいちばん近い交番の隣の公園でなら弾いていいって許可も出た」

 良一は、力の抜けた笑い方をした。

「警察の人たちにお礼を言いたいよ。結羽をつかまえてくれて、よかった」

「つかまえるって、人聞き悪い。別に補導されたわけじゃない」

「わかってるよ。そういう意味じゃなくて、現実につなぎ止めてくれたっていうか。結羽が違う世界に行かないでくれて、ほんとによかった」

「違う世界? あの世ってこと?」

「いや、社会とのつながりを保っていられないくらい、めちゃくちゃな世界っていうのがあるから。おれの最初の家族がそうだけど、穴の底みたいな感じだった。そこまで行っちゃうと、まともな社会の人からは、穴の底の人の姿が見えなくなる」

「あたしも行きかけたと思う」

「結羽は、そっちの世界に行くようには生まれついてないよ。動画を観てて、そう思った。どうにかして、あがこうとして、努力できるんだから。穴に落ちても、無抵抗で底まで沈んでいかない。這い上がれる」

 良一の言いたいことは、わかるようでわからなかった。だって、あたしは、良一が思っているほど上等な人間じゃないんだ。

「あたしから見れば、良一こそ、違う世界の住人だよ。仕事やってて、自分の稼ぎがあって、将来の道筋もちゃんとしてて。うらやましい」

 良一がスッと立ち上がった。動きにつられて見上げたら、良一はあたしの真横に座り直した。空気越しに体温が感じられるくらい、近い。

 そっぽを向こうとしたら、邪魔された。良一の手があたしの頬を包んで、あたしの目を良一のほうへ向かせた。

「結羽も、おれのいる世界に来る? 自分のやりたいことを表現するってだけじゃないんだよ。実力主義の、競争ばっかりの世界だ。本音をぶつけ合って、ものを創る。それは欲望のぶつけ合いでもあって、ときどき、すごく汚い世界にもなる」

 眼鏡越しの大きな目は、静かに燃えるように、夜の光を映してきらめいている。

 試されているように感じた。視線をそらしたら、負けだ。あたしは、にらみつけるみたいに、両目に力を込めた。

「行く。競争ばっかりでも、絶対、負けない。歌いたい唄は尽きないの。もう歌うことに疲れたなんて思う日が来るとすれば、それは、生きることをやめるとき。あたしは、死なないって決めた以上は、あがき続けてやる。歌いたいから」

 いい子のあたしには戻れない。新しい自分にたどり着きたい。

 両親にたくさん迷惑をかけたぶんを、必ず挽回したい。両親が胸を張ってくれるような唄を、大きな場所で歌いたい。

 良一はまぶしそうに目を細めた。笑ったのとは少し違った。

「やっと、結羽と目を合わせられた」

「無理やり自分のほう向かせといて、そういうこと言う?」

「強引なのは承知の上だよ。無理やりやらなきゃ結羽には通用しないんだって、この二日間で、よくわかったから」

 良一が、空いた手で眼鏡を外してたたんで、つるをTシャツの襟に引っ掛けた。ゆっくりと、まばたきをする。伏せられた視線。呼吸の音。

 うつむき加減の長いまつげを上げて、良一は、まっすぐにあたしを見た。

「結羽、今も、ドキドキしてない?」

「別に」

「心っていうか感性っていうか、ものを感じるための場所、わざと閉ざしてるよね? それ、開けてよ」

「やだ」

「どうして? おれが相手じゃダメ?」

「開けるのは、歌うためだけ。歌うときと、唄を作るとき。それ以外は閉じてないと、あたしは傷付きすぎるの。何でもない刺激で傷付く自分に、情けなくなる。いちいちそんなふうじゃ、やってられない。だから開けない」

 良一の唇がかすかに動いて、息を吸って吐くのが聞こえた。

 次の瞬間、何も見えなくなった。近すぎて焦点が合わない。

 唇に、柔らかいものが触れている。

 甘いような香ばしいような、不思議な匂いがする。良一の肌の匂いだ、と気付いた。

 焦点が合った。あたしは良一の長いまつげを見つめている。良一は目を閉じている。鼻の頭がこすれ合っている。唇に触れる柔らかいものは、良一の唇だ。

 キスしているんだという状況が、唐突に理解できた。心臓が跳ねた。息が止まった。驚きすぎた体が動いてくれない。頭が真っ白だ。ただ、全身に急速に広がる熱だけを、ハッキリと感じる。

 時間の感覚が飛んでいた。何秒間のできごとだったのか、全然、数えられなかった。

 良一の唇が、そっと離れた。かすれ声がつぶやく。

「ヤバ……苦しい。息、できなかった」

 良一が手を引っ込めた。あたしの頬が置き去りにされる。夜風が肌に触れると、ほてっているのがよくわかった。

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