5-2


 おにぎりと魚を食べて、お茶をときどき飲んで、最後にスイカを食べて。そうしながら、良一は食べ物や景色をスマホで撮った。素早く明日実がサポートに入る。どこからともなくタオルを取り出して、良一のお手拭きにしたり、撮影を代わってあげたり。

 明日実は良一のサポートだけじゃなく、あたしや和弘のほうもちゃんと見ていた。お茶を入れてスイカを出して、何だかんだと動き続けている。動くことが楽しいみたいに、ニコニコしながら。

 あたしは思わず言った。

「よく働くね」

「うち? そうかな?」

「あたしはそんなに気が回らない」

「こういう役割は、得意な人、負担に感じん人がやればよかと思うよ。うちはけっこう、マネージャーんごた仕事、好きやもん。結羽は、マネージャーが付く側の、ステージの上の人たい」

 急に核心に切り込んでこられて、あたしは息を呑んだ。ステージの上。その響きを噛み締めて、詰まった息を吐き出す。

「まだ、あたしは何者でもない」

 明日実はかぶりを振った。

「結羽、手ば見せて」

「手? 何で?」

 あたしはためらいながら、差し出された明日実の右手の上に、自分の左手を載せた。明日実の汗ばんだ小さな手は柔らかい。ぬくもりに刺されて、あたしは体がこわばる。手がビクリと震えそうになるのを、どうにか抑え込む。

 明日実の指が、あたしの指先に触れた。

「ギターば弾くけん、皮が硬くなっちょっとでしょ。初めてギターにさわった小学生のころは、指先が痛そうに赤くなりよったよね」

「手、冬場はけっこう荒れるよ。ギターのネックでこすれるところとか」

「じゃあ、ハンドクリームって、使う? 今、学校の総合的な学習で、オリジナルの特産品ば考えようっていうとがあって、ツバキ油のスキンケアグッズはどうやろかって。もし試作品ができたら、結羽に送ってもよか?」

 あたしが答えるより先に、良一が身を乗り出してきた。

「ツバキ油のスキンケアグッズか。それはおれも興味がある。なつかしいな、ツバキ油。山のヤブツバキの実を採ってきて、一からツバキ油を作るっていう授業、あったよな。教頭先生が作り方を知っててさ」

「そう、うちが今、学校で提案しよるツバキ油も、自分で精製できるけん、やろうって言えると。買ったら、ざまん高かもん」

「商品化できるなら、それこそ、高く売れるからいいんじゃないかな。おれも使ってみたい」

「よかよ。送るね。試作品の完成は、秋ごろになると思う。結羽も、送ってよか?」

「う、うん」

 あたしは手を引っ込めた。良一は、肌荒れなんか無縁そうな頬のあたりを、するっと撫でた。

「でも、明日実たち、すごいな。授業で特産品を考えたりするんだ。商業科とかじゃなくて、普通科だよな?」

「普通科けど、島やけん、特別。和弘たちは、先輩がやりよったプロジェクトの引き継ぎで、ドローンば島の産業に使えんかなって、考えよる。ね?」

 話を振られた和弘は、皮だけになったスイカをポイとビニール袋に放り込んだ。しかめっ面だ。

「例えば、畑や田んぼで作物がちゃんと育ちよるか、ドローンば使えば、人が見に行くより早かやろ。そんな感じ。あとは、海に流れ着くゴミのチェックとか。ドローンプロジェクトば始めた先輩たちがすごすぎて、プレッシャー、すごかっぞ」

 明日実や和弘の視線につかまる前に、あたしは海のほうを向いた。じくじくと、胸の奥にイヤな感情が湧いてくる。どうせあたしは、と思う。フツーに学校生活を楽しむことすらできない、落ちこぼれみたいなものなんだから。

 明日実があたしの名を呼んだ。

「ねえ、結羽。hoodiekidって、動画、上げるだけ? オーディションとか、受けんと?」

「受けるよ。楽器店が主催するやつ。来週、県予選があって、次が地方予選。九月半ばに全国大会がある。去年は地方予選まで行けたから、今年は支店での予選が免除で、いきなり県のに出られるの。今年は絶対、全国に行きたい」

 参加資格が二十歳未満のオーディションだ。インディーズで活躍する大人を相手にする大会より、ずっとチャンスが大きい。全国大会で賞を獲ったり注目を集めたりして、スポンサーが付けば、メジャーデビューが約束される。

 あたしはチャンスをつかみたい。デビューして胸を張りたい。自信を持って名乗れる自分になりたい。自立して生きていきたい。両親にとっての厄介者じゃなくなりたい。ほら、生きていてよかったじゃないかって、死にたかった自分に言いたい。

 良一が急に言った。

「結羽、そのまま。海のほう見てて」

 その瞬間、スマホのカメラのシャッター音。

「何? 何で撮るの?」

「いや、すごくいい表情だったし、いい絵だなと思ったし。ほら、見てよ。キマってる。このままCDのジャケットになりそう」

 あたしは、スマホの画面を見せようとする良一から、体ごとそっぽを向いた。

「撮られるのは好きじゃないんだけど」

「慣れときなよ。何なら、撮られるコツ、いくつか教えるよ」

「撮られる立場になることも決まってないのに、余計なとこに気を回さなくていい」

 良一は笑った。

「素直じゃないな。まあ、結羽は普通に絵になるから、自然体でもいいけどね」

 あたしは横目で良一をにらんだ。

「からかわないで。あんたは仕事柄、カメラがそばにあっても気にならないんだろうけど、あたしは違うんだから。校舎の探検のときだって」

 ふと、良一は表情を引き締めた。声のトーンもまじめそうに低く落ち着く。

「勝手に撮影を押し通したのは、確かに、よくなかった。でも、結羽だって記録は残すつもりだっただろ。動画、おれたちだけの保存用とおれのチャンネルで配信するバージョンと、二つ用意するから、勝手にカメラを回し続けたこと、許してくれないか?」

「許すとか、別に」

「ずっと怒ってるっていうか、機嫌悪いよな、結羽。おれが何か気に障ることしてる?」

 自分の中に台風を飼っているような気分だ。良一に近付くと、台風がぐるぐる、激しく暴れ出すのを感じる。

「あたしがイライラするときは、人の行動の理由や意味がわからないとき。真節小の取り壊しのことを動画で流して、何になるの? あんたが主人公のストーリーに欠かせない絵だから撮ったの?」

 良一は即答しなかった。逆に、あたしに訊いた。

「結羽だって、自分が主人公のストーリーを生きてるだろ? 自分にしか表現できないものを探して、表現するための手段や場所を勝ち取ろうとして、生きてる。自分の世界を、自分が中心に立って回してるんじゃなきゃ、こういう生き方はできないだろ?」

「そうかもしれない」

「真節小のことを、結羽はきっと唄にする。それは、おれがあの校舎の中で動画や写真を撮ることと、そんなに違いがあることかな?」

 表現する方法が違うだけで、表現したいものはあたしと良一で同じだと、良一は言いたいんだろうか。

 和弘が言葉を挟んだ。

「おれは、最後の学校探検、良ちゃんが記録に残してくれて、嬉しかったよ。全国、全世界に、真節小の姿ば見せてやってほしか。真節小が良ちゃんの母校やったおかげで、取り壊されても、ずっと映像が残ってくれるなら、おれは嬉しかよ」

 良一が、まじめなトーンの声を少し震わせた。

「でも、和弘、おれはきれいごとを言ってみせてるけど、結局これは、おれの売名行為だよ。真節小っていう、大きなストーリーを持った存在を、おれのストーリーを語るために利用しようとしてる。本当にこれでいい?」

 明日実が笑顔でサムズアップした。

「全然、大丈夫。良ちゃん、そげん言い方せんで、もっと胸ば張って! うちら、小近島のみんなは、良ちゃんのこと、応援しちょっとやもん。協力できることは何でもする。きっと真節小もね、卒業生の応援ができて、喜んじょっと思うよ」

 見開かれた良一の目から、あっけなく、涙がこぼれた。良一は、つばが邪魔になるのかハットを外して、手の甲を目元に押し当てた。

「きれいごとばっかり言うみたいだけど、恩返しがしたいって思ってた。小近島にも、真節小にも。この大好きな場所のために何かしたいって思うんだよ。おれは、小近島で出会ったすべてのものに感謝してるから」

 良一が静かな涙を流すのを、明日実と和弘が両側からトントン背中を叩いてやって、見守っている。

 あたしは、いつの間にか良一の手から放り出されていたスマホを拾った。あたしのスマホと同じ機種だ。ロックを解除しなくても、カメラを起動させられる。あたしは黙って写真を撮った。シャッター音に気付いた良一が顔を上げた。

「結羽……」

「撮るんでしょ。全部。あんたが主人公のストーリーを物語るための、この島にある全部」

 良一が、涙に濡れた頬で笑った。

「ありがとう」

 あたしはまたシャッターを切った。良一の泣き顔は美しかった。

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