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 本土の港から、フェリーで西へ三時間。あたしは大近島おおちかじまへ向かっている。

 クーラーの風は苦手。興味のないテレビがついているのも嫌い。知らない人と相席するのは疲れる。知っている人とは会いたくない。背負ったギターに注目されるのもイヤだ。

 だから、あたしは甲板に出て、紺碧の波を見下ろしながら、風に吹かれている。海上は南の風がやや強く、波の高さは二.五メートル。夏場のこのコンディションなら、フェリーはあまり揺れない。

 ぺたぺたと肌に貼り付く潮。フェリーの巨大なエンジン音。船体の機械油とさびの匂い。

 フェリーが蹴散らす白いしぶきに交じって、羽を広げたトビウオが低く長く滑空する。アゴって呼ぶんだ。トビウオのことを、島の言葉では。

 晴れている。キラキラまばゆい銀色の水平線に、船の影が一つ、二つ。

 子どものころには、幾度となくこの景色を眺めた。あたしは島で育ったから。週末にはときどき、両親と一緒に、本土でたっぷり買い物をするために、この古びたフェリーに乗って遠出をしたんだ。

 島で育った、と言っても、一つの島に定住していたわけじゃない。二年か三年おきに、別の島へと引っ越す必要があった。

 この近海には、百五十個くらいの島が点在して、そのあちこちに小さな学校が置かれている。あたしの両親は学校の先生で、数年おきに転勤がある。そのたびに引っ越しだ。あたしは今までに五回、引っ越しを経験している。

 かつて住んだ島の中で、いちばん好きだったのは、真節小学校のある小近島おちかじまだった。小さくて、本当に人の少ない島だった。便利なものは何もなかった。なのに、いちばん好きだった。

 それなのにね。終わってしまうんだよね。どんなに大切なものでも、時の流れには逆らえなくて、目の前で消えていってしまう。ものごとは全部、ずっと続くものなんてなくて。あたしは最初から、あの島に住むのは二年だけってわかっていたし。

 パーカーのポケットからスマホを取り出す。画面をタップすると、通知がいくつか入っていた。昨日アップした動画にコメントが付いたらしい。

 あたしは、夜、公園で歌うときの動画を撮って、ネットに上げている。著作権がどうのこうのっていうのが面倒だから、カバーはやらない。オリジナルの音源ばっか。その割には、まあまあフォロワーが付いているほう、かもしれない。

 hoodiekid《フーディーキッド》っていうハンドルネームは、いつもパーカーを着てフードを深くかぶって歌うから。フーディーっていうのは、パーカーの英語だ。ストリートで歌い始めたころ、通りすがりの外国人から、投げ銭と一緒にこの名前をもらった。

 あたしの動画は、視聴者の数の割にコメントが少ない。あたしが丁寧にコメント返しをするタイプじゃないから、配信者と絡むのを楽しみたい人っていうのは、どっか行っちゃうんだ。黙って音楽を聴きたいだけの人が、ポツポツ残ってくれている。

 二回以上コメントを入れてくれた人のハンドルネームは、全部覚えている。この人、初めて来たなっていうのも、もちろん見分けられる。

 昨日アップした動画に付いたコメントの一つは、初めて来た人からのものだった。

〈no name|このパーカーの人、生で見たことあるわ。ケーサツに見張られてたw〉

 最悪。もちろん、同じ高校の人とか同じ中学だった人とかが、あたしの動画を観る可能性があるって、そんなことくらいわかっているけれど。

 ほかに、見知ったハンドルネームからのコメント。三人から、一言ずつ。

〈いむさ|やっぱり声きれいやね!〉

〈KzH|いつも後ろに猫いるw なつかれてるっていうか、猫同士かw〉

〈lostman|新曲まだ途中なのか。いつフルで公開する?〉

 返信すればいいんだろうか。会話をしちゃっていいんだろうか。彼らは、あたしと話したいんだろうか。

 チラッと、そんなことを考える。でも、あたしは誰とも話さない。

 疲れたんだよ。あたしの言葉は、うたを紡ぐためだけにある。そう割り切ってしまったほうがいい。生き続けるための手段として、割り切ろうと決めたんだ。

 歌うのも話すのも全部うまくやろうだなんて、そんなくたびれること続けていたら、あたしはまたバラバラに壊れてしまう。

 あたしはフードをかぶった。視界が半分、暗くなる。吹き付ける潮風が、フードをはじき飛ばそうとする。あたしはうつむいて、フードの端っこをギュッとつまんで、潮風と太陽の光に抵抗した。

 唄を口ずさむ。取り留めもなく作りかけの、まだタイトルもない、出口の見えない唄を。



night night night

また始まってしまう今日

まだ飛び立てない my blue nights


落ち着く場所は夜の中

いつの間にか闇がトモダチ

深くかぶったフードの下

滅びてしまえ 全部 全部


キライ キライ キライ

僕の内側にいる宇宙

僕の外側にある世界

クライ クライ クライ

目を開けて見る夢の途中

目を閉ざした痛いリアル


精一杯 ネジを巻いて

歌う喉が 走る足が

止まらないように

まだ終わっちゃダメなんだろう?

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