7. 英雄と為政者 -A Prologue of Heroinic Tale-

 民衆は熱狂していた。

 議会の前の広場だった。様々な種族の民衆で埋め尽くされている。銀狼の民だけでなく、黒鴉の民や金獅子、栗山猫、赤狐など、ルサン中の人が集まっているかのようだった。

 学院で起きた爆発事件は学院長の凶行によるものだと発表された。その悪辣な企みを未然に防いだのが一人の天才導師と数人の学院生たちであることも。

 レティシアとフローレンスがテラスの中央から民衆に手を振っている。やはりはじまりの七家の直系である二人は人気が高いようだ。彼女たちの名前を叫ぶ声が圧倒的に多い。

 フローレンスはふんわりとした黒いドレスに身を包んでいた。傷はまだ癒えていないため、極力露出が少ない服装にしている。腰には一本しか剣を佩いていない。

 一方、レティシアは学院生のローブを身にまとっていた。彼女に外傷はないが、今日はブリューゲル家の娘ではなく一人の学院生として出席しているのでこちらが正装だった。慣れたもので笑顔を作って手を振る。その中指には赤い宝石の填った指輪があった。

 その隣でフィルとウィニフレッドは困惑していた。大衆の前に立つどころかこんな人数が集まるのを見たことすら初めてだった。どう振る舞ったら良いのか判らない。フィルはレティシアと同じく魔術師のローブを着込んでいる。ゆったりとした服装なので目立たないが、腹にはまだ包帯が巻かれている。

 ウィニフレッドは警邏の制服を身にまとっていた。折れた足は添え木で固定し、杖をついている。しかしそれが名誉の負傷として支持に繋がっているようだった。先ほどまで、警邏の上司に褒められたと嬉しそうに言っていた。

 リルムとアスコットも怪我が癒えていない。アスコットの後ろ足は骨に届くまでの深い傷だったしリルムも右の翼を骨折していた。二匹とも当分動き回ることは出来そうもない。

 フォクツは火傷が酷く、今日は欠席していた。今は学院の寮ではなく、ロイクの屋敷に運び込まれて治療を受けている。防護魔法を付与した服を着込んでいたおかげで、九死に一生を得たが、完治にはしばらくかかるだろう。髪が焼け焦げたため短く刈る羽目になったことが本人には一番ショックだったようだ。

「救国の英雄が、こんなところで油を売っていて良いのか?」

「銀狼の族長」

 テラスから中に入った部屋の中、話しかけたベルントにアリステアは視線をやった。

「英雄なら、そこにいるでしょう」

 そう言って、アリステアはテラスの方に視線を向けた。その先にはレティシアが笑顔で手を振っている。

「英雄という幻想は一種の機能です。必要なのは個人としての能力ではなく、皆の信頼を集め希望を抱かせること。彼女以上の適役はいない」

「ふん……」

 ベルントは鼻を鳴らした。しかしその顔は満更でも無さそうだった。

「本人にはその意志も自覚もないようですけれども」

「優しすぎるのだ、あれは。家族や使用人に気を許し遠慮している。独りでも立ち続け、躊躇せず切り捨てる強さを持たねばならぬ」

 アリステアは何も答えなかった。それをどう受け取ったのか、ベルントは肩を竦めた。その隣に眷属の銀狼が寄り添う。非常に大きくアリステアと頭の位置が変わらない。

「ご子息を亡くされて寝込んでいたそうですが、お元気そうで何よりです」

「……何が言いたい」

 アリステアは熱狂する民衆を見つめた。新たな若き英雄の誕生に、国中が沸き立っているようだった。

「非業の死を遂げた父。悲しみの中で老いさらばえた族長に代わり、気丈にも葬儀も取り仕切って見せた次代を担う姫。そして今、父の敵を討ち果たし街に平和を取り戻した。まさに民衆が求める英雄譚の始まりに相応しい」

「ふん……」

 ベルントは鼻を鳴らした。

「時を創る、だったな。貴女の信条は」

「ええ」

「遠い未来を夢想し見据えるのも良いだろう、若き天才よ。たしかにそれができる者は限られている。しかし、百年後、この国が存在するという保証はどこにもない。百年、この国を守り続けなければならぬのだ」

「そのためになら、息子や孫を弑することも厭わないと?」

 アリステアが低い声で言う。しかし老獪な族長は顔色一つ変えなかった。

「為政者とはそれ自体が一つのシステムなのだ。そこに個人の意志や血統などは存在しない。かつて黒鴉の民が禅譲したように、銀狼の民も最善の道を選択せねばならぬ。エムレは立派に役割を果たした」

 民衆の歓声が一際大きくなる。英雄たちが踵を返し、テラスから降りようとしていた。

「貴方の言葉は、理解しかできない」

 諦めたようにアリステアは言った。

「若き天才よ。貴女にも見えていないものがある」

「ええ」栗色の魔女は微笑んだ。「私とて、すべてに通じているわけではありません。例えば、妖魔聖戦の本当の結末もはじまりの七家が残された理由も存じ上げません」

 ベルントははぴたりと動きを止めた。アリステアは続けた。

「老獪なる狼の長よ。貴方もいずれ気がつくだろう。気が違うほどの信頼を何が作り出すのか。英雄という幻想を生み出す源はどこに培われるのか」

 アリステアはローブを翻して歩き出した。これからパーティーが予定されている。しかし彼女は一足先に学院に戻るつもりだった。

 アリステアが音も立てずに部屋から出て行く。入れ替わりに軽やかな足音が聞こえてくる。ベルントが目を向けると、レティシアが光溢れるテラスから戻ってくるところだった。華やかな笑顔を浮かべている。その隣には黒鴉の民の若い魔術師が寄り添っていた。

「……ふん」

 ベルントはまた鼻を鳴らす。ポケットにはまだ、キャンセレーションの魔法が込められたマジックアイテムが入っていた。

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