3. 老獪な暗躍 -A Secret Maneuver for Square Princess-(3)

 独房に入れられて二日が経っていた。房の中を見渡しても粗末なベッドとトイレがあるだけだ。金属製の格子はとても頑丈そうだった。触ってその性能を確かめる気にもならない。食事はもっと粗末なものを覚悟していたが、それほど酷くはなかった。ただ保存食ばかりなのには閉口していた。

 学院の地下にこんなフロアがあるとは知らなかった。まだ陽は落ちていないはずだが薄暗く、酷くカビ臭かった。魔術に対する結界を張ってあるらしく、魔力がまったく感じられない。発動体の有無に関わらず魔法は使えそうもない。魔術師を監禁するために作られた部屋と考えて間違いないようだった。

 時折廊下の奧から音がしていることにフィルは気が付いていた。レティシアも同じように収監されたのだろう。学院長の親戚だからといって特別扱いなどはされていないようだ。

 フィルは鉄格子の外を窺った。廊下から足音を響かせて歩いてきた看守が角を曲がるのが見えた。足音が止まり扉が開く音が聞こえる。恐らくそこが詰め所なのだろう。レティシアと話がしたかったが難しそうだ。さすがに看守が見逃してくれないだろう。

 フィルはベッドに腰かけた。尻に当たる感触からして、木製の台の上に布が敷かれているだけと言った方が適切だった。まだ森の中で野宿をした方がマシだ。村にいたときにはそういうことも無かったわけではない。しかしルサンに来てからは森や野原にはほとんど出ていない。妖魔討伐に出かけたくらいのものだ。街の方が住んでいて何かと便利ではあるものの、時折故郷が懐かしくなることもある。

 フィルは一度大きく頭を振った。石造りの頑丈そうな壁を見つめる。街の法律を犯せば学院ではなく警邏の牢に入れられるはずだ。つまり世俗の基準ではなく、象牙の塔のルールでのみ裁かれた者だけが入ることとなる部屋なのだろう。灰色の表面は埃で薄汚れていて何年も使われていなかったのが見て取れた。収監されるような違反を起こす魔術師などそうはいないようだ。

 学院長が研究室に来たときの事を思い出す。レティシアが必死に庇ってくれたのは正直嬉しかった。自分の行動が間違っていなかったと認められたように感じられる。彼女が自分から牢に入ると言ったときには、そこまでしなくても、と正直思った。しかしそれは彼女なりの筋を通した結果なのだろう。事件の当事者として、また学院長の姪孫として。

 牢の中で彼女は何をしているのだろう。この牢は外からは丸見えになっている。若い女性に対して配慮があるような環境だとはとても思えない。看守も人格者の様には見えなかった。辛い思いをしていないと良いが、とフィルは半ば祈るように思った。

 軽い足音がする。誰かが階段を下りてきたようだ。石造りの地下室は遮蔽物が少ない所為か、音が良く響く。

「誰だ?」

 看守が誰何する声がする。しかし返事は無く、代わりに聞こえてきたのは激しい足音と争う音。そしてくぐもった呻き声だった。ややあってまた複数の足音。フィルは身構えてそれを出迎える。しかし対策を取ろうにも何も出来なかった。魔術は使えないし武器になりそうなものもない。そうこうしているうちに廊下の角から魔術師のローブが覗く。

「よう」

 廊下の角から覗いたのは、唇を吊り上げた幼なじみの顔だった。

「フォクツ!」

「元気そうだな。良かった」

 フォクツの後ろからまた一人顔を出す。黒鴉の民の女性だった。腰に剣を二本佩いている。一本は長剣で、もう一本はやや短い小剣だった。その顔に見覚えがあることにフィルは気が付いた。

「あ、ロイク様のお屋敷の……」

「ええ。先日はお世話になりました」

 そう言って彼女は優雅に微笑んだ。今日は使用人の服装ではなく皮鎧を身に纏っている。髪も後ろ頭で簡単に縛っているだけだ。

「伝言はお伝え頂けなかったようですけど」

「あ……」その事をすっかり忘れていたことにフィルは気が付いた。「すいません……」

「いえ、こうして会えましたから」

 彼女がフォクツにちらりと視線を向ける。するとフォクツは露骨に目を逸らした。

「フローレンス・タヴァーニアと申します。以後、お見知りおきを」

 そう言って彼女は状況にそぐわない、慇懃な一礼をした。

「タヴァーニア?」

「はい」

 彼女はさらりと頷いた。

 フィルでも聞き覚えのある名家だった。はじまりの七家の一つ、黒鴉の民の伝説的英雄の一族だ。ルサンの建国伝説は幼い頃から何度も聞かされてきた。黒鴉の部族の場合、その主役を努めているのがタヴァーニアだった。彼は稀代の剣士だったと言われ、剣聖とも呼ばれている。

 しかしタヴァーニア家はすでに族長を務めてはいない。三代前の族長がデルディヨク家に禅譲したと以前私塾で習った。しかし黒鴉の民からは依然として尊敬を集めており影響力はとても強い。出席はしないが議会にも席があるし、公的な行事には必ず招かれる。

「今、お開けしますね」

 フローレンスはそう言って手に持った鍵を錠に差し込んだ。カチャリと音がしてあっさりと鍵が回る。金属が擦れる鈍い音を立てながら扉はゆっくりと開いた。

「どこかにティア……レティシアも居るはずなんです! 彼女も捕まって……」

「ええ。解っていますよ」

 そのおっとりとした様子にフィルは少し苛立った。檻を飛び出してフロアの奧に向かって駆け出す。房の中に居たときに何度も音が聞こえて来た方向だ。走りながら大声で呼びかける。

「ティア!」

「フィル!?」

 声が聞こえた鉄格子にフィルは飛びついた。部屋の中に望んだ少女の姿があった。フィルの姿を認めてその顔が輝く。鉄棒を握ったフィルの手を、レティシアの手が包み込むように被さる。細身の身体を包む魔術師のローブは薄汚れていた。しかし銀色の髪はその輝きを少しも損なってはいなかった。追いついたフローレンスが鍵を開ける。

 鉄格子に体当たりするようにしてレティシアが房から飛び出してくる。そのままの勢いで彼女はフィルに飛びついた。まったく予期していなかったフィルは踏鞴を踏んだ。両腕が背中にまで巻き付いてくる。フィルはローブに包まれた身体をしっかりと抱き止めた。

 銀色の髪が鼻をくすぐる。その肩の細さと柔らかさにフィルは少し驚いた。自信に溢れ胸を張る銀狼の姫はここにはいない。か弱く震える仔狼だけが必死にしがみついていた。

「無事で良かった……!」

 レティシアは最後にぎゅっと抱きしめた後、身体を離した。靴の踵が高い音を立てた。

「ティア様。大丈夫ですか?」

「フロウ様!」

 フローレンスが声をかけるとレティシアは目を丸くした。愛称で呼んでいるところを見ると、かなり親しい間柄のようだ。

「お久しぶりですね。貴女が学院に合格したときのパーティー以来でしょうか」

「どうしてフロウ様がここに?」

「フローレンス様。話は後で。とりあえず外に出ましょう」

 フォクツが促すと二人は素直に頷いた。先に立ったフォクツの後を小走りで追いかける。その途中で囁くようにフローレンスが言った。

「フォクツ様はもうフロウと呼んで下さらないのですか?」

 フォクツは何も答えなかった。渋い表情をしているのが隣を走るフィルからは見えた。過去に何かがあったのは朧気に理解出来たが中身は想像もつかなかった。女好きのフォクツだが、タヴァーニアほどの名家の娘に手を出すとは思えない。

 廊下の角を曲がり階段へと向かう。その手前にある部屋を覗くと、中に男が数人転がされていた。どうやら気を失っているようで、全員後ろ手に縛られていた。

 一体誰がどうやったのだろう。階段を上りながらフィルは疑問に思った。このフロアでは魔術が使えない。もっと直截的な力の行使が必要だが、看守だって素人ではあるまい。生半可な腕でこの人数を相手に出来るとは思えなかった。しかも物音が聞こえてきたのはかなりの短時間だった。

 階段を駆け上ると学院の裏庭に出た。空は宵闇に包まれていて少し肌寒い。大気の中に魔力が感じられる。あの牢は実験棟の地下に位置していたが構造的に塔の内部とは繋がっていないようだ。安全上の配慮だろうか。

「あっ! 出てきた!」

「ウィニフ!?」

 物陰から姿を現したのはウィニフレッドだった。小走りに駆け寄ってくる。アスコットとリルムも姿を見せた。

「大丈夫? 怪我してない? ご飯ちゃんと食べられた?」

「うん。身体は平気。食事もそこまで不味くはなかったよ」

 心配そうに覗き込んでくるウィニフレッドに、フィルは微笑んで見せた。それをみて彼女は胸をなで下ろした。

「良かった! 心配してたんだよ!」

 ウィニフレッドはそう言ってフィルを労るようにぎゅっと抱きしめた。それから頭をぽんぽんと叩かれる。よくウィニフレッドの母親がしていた仕草だった。

「こほん」

 レティシアが一つ咳をした。寒いところに出てきて少し冷えたのかも知れない。

「はい、これ」

 ウィニフレッドが杖を渡してくれる。使いなれた樫の枝は、フィルの手にしっくりと馴染んだ。

「レティシアさんも大丈夫でしたか?」

「え、ええ……」

 ウィニフレッドはレティシアの発動体も預かっていたようだ。背負い袋から布に包まれた指輪を取り出す。心配そうに訊いたウィニフレッドに、レティシアは指輪を填めながら少し眉を落とした。

「酷い目には遭いませんでした」

「良かった! でも大変でしたね! フィルと違って女の子だし……」

 ウィニフレッドは心を痛めているようだった。レティシアの手をぎゅっと握りしめる。レティシアはそれを聞いて沈んだ顔になった。やはり何か辛いことがあったのかも知れない。フィルも少し心配になった。

「ところで」

 レティシアは誤魔化すようにフローレンスの方を向いた。

「何故フロウ様がこちらへ?」

「ロイク様よりお沙汰を頂きました。ティア様とフィラルド様が学院の牢に囚われている、と」

「ロイク様が私を……?」

 レティシアが訝しげな顔になる。黒鴉の民の若長が銀狼の族長の孫娘を助けるために人を寄越す理由は見当たらない。しかしフローレンスは何も答えなかった。彼女が事情を知っているかどうか、表情からはまったく読み取れなかった。

「とりあえず人目につかないところに行きましょう」

 フローレンスの言葉にフォクツが頷いた。その先導に従って一行は裏口から食堂に入った。厨房の方に入ると簡単な倉庫になっていた。五人でも十分に入れるスペースがあった。フィルは手近にあった木箱に腰かけた。てっきりすぐに学院の外に向かうと思っていたのだが、フォクツには何か考えがあるようだった。

 フィルは疑問に思った。もう夕飯の時間が近い。魔術師には生活リズムに頓着しない者が多いとは言え、食堂が一番混み合う時間帯だ。それなのにテーブルには誰もついておらず、厨房で料理をしている気配すらなかった。今思い返してみれば、裏庭からここにたどり着くまで、誰ともすれ違っていない。普段なら考えられないことだった。

「フォクツ、何があったの?」

「二人が牢に入っている間に、状況が急変したんだ」

 フォクツが重々しく話しだした。

「二日前に学院長が議会に出席したんだ。そして一方的に宣言した」

 フィルは隣に腰掛けたレティシアの横顔を窺った。色白の顔がさらに青ざめている。

「内容は主に三つ。一つは学院に課せられていた奉仕義務の完全撤廃。二つ目は議会から学院に流れている補助金の大幅増額」

「……そんなことが受け入れられる訳がありません」

 レティシアがぼそりと言う。その声は酷く掠れていた。

「待て。終わりまで聞け。最後の要求。議会を解散しルサンの統治を魔術学院に一任する。能力的に優れている魔術師が国を支配し管理することがもっとも自然で効率的であり、ルサンという国の永続的な繁栄に必要なことだ、とのことだ」

 驚くというより唖然とした。先の二つはまだ理解の範疇にある。受け入れられるとは到底思えないものの、学院が希望することに疑問は無い。アリステアが言っていたとおり学院は研究の場だ。予算と時間が潤沢に与えられればもっと研究の効率は上がるだろう。同じ魔術師としてその事情は理解出来る。

 しかし最後の一つはあまりにも現状とかけ離れていた。魔術学院は政治組織ではない。学院に所属している魔術師の中に国の支配を望む者がどれだけいるのだろう。仮に実現したとしても、面倒事が増えただけだと感じる魔術師の方が余程多い。

「それで、どうなったの?」

「当然議会は拒否した。だけど……」

「だけど?」

「学院長は塔に戻って学院の全魔術師に通達を出した。自分と共に議会と戦うか学院を去るか、二つに一つだってな。導師、助手も含めてほとんどの魔術師には寝耳に水の事態だ。混乱が収まるまで学院は封鎖。多くの学生が閉め出された」

「それで、魔術師の反応は?」

「お前と同じだ。困惑している。当たり前だが議会と戦う気がある奴なんてほとんどいない。かといって学院を今すぐ辞める踏ん切りがつくわけでもない。大多数が態度を決めかねて様子見を続けている。学院長に対する不満の声も大きい」

「まあ、当然かな」

「ああ、誰が考えてもそうなる。それは学院長も判っていたはずだ。だからこそ不可解なんだ」

「不可解?」

 ずっと黙っていたウィニフレッドが口を挟んだ。彼女には縁遠い学院の話ばかりだったため退屈していたようだ。木箱に腰かけて足をぶらぶらさせている。フローレンスも同じく関係のない話のはずだが、彼女は黙って聞いていた。

「もし学院の魔術師が一丸となって議会に反旗を翻すのならまだ話は解る。しかし今現在立ち上がっているのは学院長と、その子飼いの導師と門下生くらいだ。学院全体で戦っても勝ち目なんてほとんど無いのに、この人数では自殺行為も良いところだ。あっという間に潰される」

「でも、まだ潰されていない」

「ああ。学院長が五体満足で学院に帰ってきていることだけでも異常だ。議会でそんなことを宣言しようものなら、その場で衛兵に取り押さえられるに決まってる」

「ええと、つまり……。どういうこと?」

 ウィニフレッドが首を捻る。状況が飲み込めていない所為か、その唇は尖っていた。

「少人数でも議会と、その下の軍や警邏と戦えるだけの切り札がある。そこまでいかなくても交渉に持ち込めるだけのカードを学院長が握っている、ということになるな。具体的にはそれが何なのか……」

 フォクツはそう言いながらフローレンスの方に眼を向けた。しかし彼女は申し訳なさそうに首を振った。

「私も存じ上げません。ロイク様も何も仰っておりませんでした。若長は議会にご出席されていたので、ご存じだと思うのですが……」

 それだけ重大な何かのようだ、とフィルは判断した。口にするのも憚られるようなレベルの何かを学院長は握っているに違いない。噂になれば街がパニックになるような事態なのだ。それ以外に若長が学院に潜入するフローレンスに明かさない理由が思い当たらない。

「判らないことばかりだね」

「そうだな。意図も不明。何を隠し持っているのかも窺い知れない」

「恐らく、かなり危険なものだと思います」レティシアが口を挟んだ。「大叔父様が議会に出てから既に二日も経っているのでしょう? 本当にそんな要求をしたのならば、とっくに兵を出して学院を占拠しているはずです。それをしていないということは、戦っても大きな被害が出る、と予測しているのでしょう」

 レティシアは静かな声でそう言った。

「そうかな……」

 フィルは思わずそう言った。レティシアがフィルの方を振り向く。その怜悧な顔を見て、フィルは声に出したことを後悔した。

「お祖父様なら必ずそうするはずです」

「でも学院長って族長の実の弟なんでしょ? そんな、兄弟相手にいきなり軍を送るなんて……」

 ウィニフレッドが口を挟む。レティシアは首を横に振った。

「肉親だからといってルサンに害なす者にお爺様が容赦するとは思えません。むしろ身内だからこそ厳粛に対応します。そういう方なのです」

 レティシアは口を閉じて天井を見遣った。フィルもその視線を追いかける。白く塗られた天井は魔法の光を鈍く反射していた。迷った素振りを見せたが、レティシアは続けた。

「それにお祖父様と大叔父様は犬猿の仲なのです。若い頃に跡目争いで一悶着あったそうで、今でもまともに目を合わせようとすらしません。個人的な好き嫌いで判断を変えたりすることはもちろんありませんが、肉親だからと言って手を緩めることは有り得ません」

 レティシアはフィルの方を向き直ってそう言った。祖父への絶対的な信頼と尊敬が感じられた。強い光を湛えた灰色の瞳がフィルを射貫く。

 フィルは少し考えた。レティシアは鍵となっている要素を見落としている。しかしそれを正直に告げて良いものかどうか判断は出来なかった。

 アリステアの言葉が思い出される。レティシアは気が付いていないのではない。目を背けようとしているだけなのだ。

「弟相手に軍を送ることなら有り得るかも知れない。でも最愛の孫娘にして次代族長の最有力候補が囚われている状況で攻撃出来るかは疑問だ。ましてや銀狼の部族は跡継ぎを喪ったばかりだから」

 レティシアは表情を変えなかった。

 ブリューゲル家での事件は何もかもがおかしかった。なぜ普段より警備が厚いパーティーの場で犯行を為したのか。誰にも気づかれずに屋敷に忍び込めるような手練れだ。暗殺するなら普通の日にこっそり入り込んで寝ている間に襲えば済む話だ。しかし彼はパーティーで事に及び、案の定逃走に失敗しその場で捕まっている。

 あの状況でブリューゲル家の屋敷の敷地に忍び込むのは至難の業だ。しかし内通者がいれば難易度は格段に下がる。傍系とはいえ、一族の一員である学院長が屋敷に入るのは簡単だったろう。彼が手引きをした可能性は大いにありうる。

 犯行が起きたのはパーティーの真っ最中だった。入念にボディチェックがされていたため、室内に武器を持った者は誰もいなかった。魔術の発動体も同様にチェックの対象になっている。その状況で武器を持った不審者が現れた。取り押さえるのは誰の役目か。

 侵入者に対抗できる者は一人しか居ない。発動体の指輪を付けることが許された唯一の魔術師。彼女だけが武器を持った犯人を取り押さえることが出来た。

 レティシアこそが犯人を退治する役目を担うはずだった。大勢の有力貴族が居る部屋の中で攻撃魔法を唱え、侵入者を排除する。彼女以外にそれが出来るものはいない。そして学院の規則に反したことを咎められ、独り牢へと囚われる。フィルが発動体も無しに魔術を行使しさえしなければ、そうなるはずだったのだ。

 思い返すまでもなく、フィルを捕らえに来たときの学院長の態度は不自然だった。フィルを牢に入れたところで得られるものなどなにもないのに、強硬に事を進めようとした。あの高圧的な態度は隣にいたレティシアを挑発したいがためだった。彼女の高潔さを鑑みれば、あの状況で口を出さないはずがない。あの不可解な言動は全て当初の計画が狂ったことから生じたことか。三日遅れてフィルはそう理解した。

 学院長の狙いは最初からレティシアの確保だった。そもそもフィル一人を連行するのに警備兵が四人も必要なわけがない。学院の規則に反した咎で彼女を幽閉し、その上で議会に宣戦布告する。そうすれば議会は動きが取りづらくなる。最大の部族である銀狼の民の跡継ぎを人質に取られているからだ。

 恐らく、レティシアが囚われていることは一部にしか知られていないのではないか、とフィルは想像した。もし本当に学院長が大きな力を持って脅したならば、レティシアの身の安全など二の次だ。すぐにでも学院に攻撃を開始しようとするだろう。しかし銀狼の民はそれを許すわけにはいかない。

 反応の鈍い銀狼の民に他の部族が不満と不審を抱くのは確実だ。議会が混乱すれば学院長には何かと有利に働くのは想像に難くない。その位の計算はありそうだった。

「えーと、つまりレティシアさんが人質だったってこと?」

「そうなるな」

 ウィニフレッドにフォクツは頷いてみせた。レティシアは何も言わなかった。彼女にとっては屈辱だったはずだ。経緯はどうあれ自分がルサンの民の足を引っ張っていることになる。

「でもこうやって助けられたんだから、もう大丈夫だね!」

 ウィニフレッドが無邪気に言う。しかしレティシアはにこりともしなかった。厳しい表情で床に視線を落としている。何事か考えているようだった。

「レティシアさんには、一旦ロイク様の屋敷に身を寄せて貰えればと思うんだが」

 フォクツがそう提案する。しかしレティシアは眉を逆立てた。

「おかしいと思っていました」

 レティシアは鋭い目でフォクツのことを見据えた。

「それが黒鴉の民の目的なのですね」

「え? え?」

 いきなり剣呑な雰囲気になったので、ウィニフレッドが慌てる。短く切った髪を揺らしながら、フォクツとレティシアを交互に見る。それを無視してレティシアは続けた。

「私を確保することで銀狼の民に恩を売るつもりですね」

「そういうわけじゃ……」

「そうでしょう? 今や私は自由の身です。自分の家に戻るのが普通でしょう。それなのに、なぜここでロイク様の名前が出てくるのですか。あまりに見え透いています」

「ティア」

 フローレンスが静かに口を開いた。レティシアが口を噤む。フローレンスが相手に敬称をつけずに呼んだのを、フィルは初めて耳にした。

「落ち着きなさい。まずはフォクツ様の言うことに耳を傾けなさい」

「フロウ様までそんなことを!」

 しかしレティシアの反応は苛烈だった。高い声で叫ぶ。

「ずっと素晴らしい方だと尊敬していたのに。本当のお姉様だったら、と何度思ったことか……。それなのに、やっぱり自分の部族が大事なのですね!」

「ティア。お聞きなさい」

 宥めるようにフローレンスは言った。レティシアは涙目になりながら睨む。その視線を、フローレンスは優しく微笑んで真っ直ぐに受け止めた。

「私は貴女と違って政治の場に身を置いてはおりません。族長家としての責任も、部族の繁栄も私に課せられた使命ではありません。それでも今の貴女よりは状況が見えています。銀狼の部族が抱えている問題にも思い当たらないわけではありません」

 フローレンスは笑顔を消した。愁眉を浮かべ、硬い声で続ける。

「貴女を救い出したのが、銀狼の民であってはならないとベルント様は考えていらっしゃるはずです」

「……何故ですか?」

 たっぷり二秒は考えてからレティシアは問い返した。しかし答えたのはフォクツだった。

「君が帰ってきた直後に兵を出せば他の部族からも状況が見て取れてしまう。自分の孫娘の安全と引き替えに街を危険に晒したと非難されるのは確実だ。他の部族からの誹りは免れられないだろうな。それに立場としては議会の長と学院長の対立だが二人は元々同じ一族だ。そこに君が絡めば、ただのお家騒動にルサンの国を巻き込んだように見える」

 フォクツは目を細めてそう言った。レティシアは何も言わず唇を噛んだ。少し考えた後に彼女は息を吐く。下唇が少し朱くなっていた。

「それともう一つ。表向き、君は学院の内規を犯し囚われているだけなんだよ。議会の長が人を使ってそれを解放したとなれば、立派な内部干渉になる。明らかに学院への宣戦布告だ。議会が学院の内部に強硬に働きかけたとなれば、無事に解決したとしても大義が議会と学院のどちらにあったのかは不透明になる。それでは後々まで魔術師たちの心証が悪くなるのは確実だ」

 心苦しそうにフォクツは言った。それを聞いてレティシアが静かな声で言う。冷静さを取り戻しつつあるようだった。

「しかしそれは、黒鴉の民の主導でも同じ結果になるのでは?」

「君が思っているとおり、黒鴉の民に銀狼の姫を助ける理由はない。牢に侵入したのは、ただ同郷の後輩の扱いに心を痛めた一人の不良魔術師が為したこと。そのときたまたま隣の牢に入れられていた奴もついでに解放されただけだ」

「詭弁です!」

「ああ。詭弁だよ。でもたったそれだけのことで上手くいくんだ。だから助けに来たのが俺とウィニフなんだよ」

「フロウ様は?」

「フローレンス様は……。勝手についてきてしまっただけだ」

 フォクツが困った様に言う。しかしフローレンスは事も無げに返した。

「心配で堪らなかったものですから」

「フロウ様……。ありがとうございます」

「ええ。もちろん、ティア様のことも心配でした」

 少し会話が噛み合わなかった。しかしそれを追及する者はいなかった。

 フィルは考えた。学院長にとってレティシアの身柄は切り札のはずだ。彼女というカードが手元にあるからこそ、議会からの攻撃を受けずに済んでいる。

 その割には、牢の警備は緩かったように思える。衛兵がいただけで特に魔術師などは配置されていない。地下にはたった二人しか来ていないのに、簡単に身柄を奪い返されている。彼女が状況に与える影響の大きさを考えたら、それこそ手元においてでも奪い返されないようにするのではないだろうか。

 とは言え学院長には味方が少ない。国を敵に回している上に、学院からの賛同も得られていない。レティシアの監視に人員が割けるほど、余裕のある状況では無い可能性がある。

「表向きはどうあれ、黒鴉の民に借りを作るのは避けられないようですね」

「それでも、全部族を敵に回すよりはマシだろう?」

「ええ」溜息混じりにレティシアは言った。「選択の余地はないようですね」

「ティア様」

 にっこりと笑ってフローレンスは言った。

「そう気に病むことはありません。借りを作ったと言っても、相手は所詮ロイク様です。大きな問題にはならないでしょう」

 さらりとフローレンスは言った。フォクツは無言で顔を覆った。

 どうにもこの女性のことは解らない、とフィルは思った。アリステアとは種類は異なるものの、得体の知れ無さでは良い勝負だった。

「……まずい」

 突然、ウィニフレッドがぼそりと言った。普段とは違い、低くて真剣な声だった。

「どうした?」

「囲まれてる。建物全部」

 ウィニフレッドが小声で言った。その言葉の意味に、フィルは首を捻った。フローレンスが木箱から立ち上がる。

 その瞬間、部屋の扉が蹴破られた。木製のドアが吹き飛んで床で弾む。そのまま木箱に当たって二つに割れた。

「なっ!?」

 荒々しく室内に侵入してきたのは大柄な妖魔だった。先日、近郊の村に討伐しに行ったときに見たのと同じ種のようだった。醜悪な顔が歪み舌なめずりをする。

 奇声を上げながら妖魔が大剣を振りかぶる。狙いは扉の近くにいたフォクツだった。鈍色の刃が勢いよく振り下ろされる。

「くっ!」

 不意を衝かれたフォクツは反応できない。腰を浮かせかけた体勢のまま固まっていた。どんな魔術も間に合わない。そうフィルは思った。思わずきつく目を瞑る。

 高い金属音が室内に響いた。フォクツを背に立っているのはフローレンスだった。彼女は長剣を抜いている。その長剣で振り下ろされた妖魔の刃を横から弾いたのだ、とフィルは遅れて認識した。発動体の杖を慌てて握り直す。

 妖魔が体勢を立て直し、再度刃を振り上げる。しかしそれが振り下ろされる前に、剣が手首ごと落ちた。即座に距離を詰めたフローレンスが右の手首を切り落としたのだ。彼女は続く突きで妖魔の胸を刺し貫き、そのまま胴を真横に切り裂く。どす黒い体液が激しく噴き出した。

 フローレンスはそのまま妖魔を一顧だにせずに扉の方に走る。

「皆様! 建物の外に出て下さい! この中では狭すぎます!」

 フローレンスの声にフィルは慌てて後に続いた。隣にいたレティシアの手を引く。フォクツとウィニフレッドも扉から外に飛び出す。

 しかし、扉から出たところでフローレンスは足を止めていた。建物の外には妖魔が四体も立っていた。討伐の時に見た、リーダー格の大柄な個体ばかりだ。その後ろには若い魔術師がいた。

 建物を背にするように陣形を取る。フローレンスとアスコットが前に並び、その後ろにウィニフレッドが小剣を構える。魔術師であるフォクツとフィル、そしてレティシアは最後尾だ。杖を構えて相手の様子を窺う。

 フィルは戦局を確認した。戦場を上から見下ろしているような気になる。思考が拡散し、全員の動きや思考が手に取るように判る。

「捕らえろ!」

 相対する妖魔の後ろ。フィルたちと同じように学院のローブを纏った男が声を上げる。その声に背を押されるように妖魔が襲いかかってくる。

 相手の魔術師に気を払いながら、フィルは素早く考えた。味方と敵の距離が近いので、広範囲に影響する魔術は使えない。またエナジィ・ボルトの様な直線的に飛んでいく呪文も味方に当たってしまう可能性がある。動きが止まっている状況ならともかく、激しく斬り合っているときには唱えたくない。タナップも考えたが、前回うまく効かなかったので候補から外した。

「ティア、魔術師をお願い!」

 フィルは隣に声をかけてから詠唱を開始した。アクセラレーションを前衛の三人にかけて素早さを強化する。怪我などしてほしくないし、万が一前衛が抜かれたら魔術師ばかりのフィルたちには為す術が無いからだ。同じ事を考えたのか、フォクツは身を守る魔法、リパルションを唱えている。そして火力の大きいレティシアは相手の魔術師に直接攻撃魔法を撃ち込むことにしたようだ。得意の炎系の詠唱を開始している。

 フローレンスは立ち位置を少し変えて、二体の妖魔と相対した。向かい合った大柄な妖魔は横に並んでいる。試合の経験は豊富だが、実戦はあまり数をこなしていない。自分で仕掛けることはせずに様子を窺うことにする。しかし妖魔は中々斬りかかって来ない。じりじりと時間だけが過ぎていく。

 アスコットは向かってくる妖魔の一体を自分の獲物と定めた。大きな剣を構えた相手に地を這うように駆けて行く。迎え撃つ妖魔は右手に持った剣を薙ぎ払うように振るう。しかしその刃が届く直前に真横に跳躍した。剣が大きく空を切る。その振り切った腕の下の死角からアスコットは飛びかかった。牙が胴を切り裂く。妖魔が体勢を立て直している間に素早く距離をとる。妖魔の方が身体は大きいものの、敏捷性では自分の方が圧倒的だ、とアスコットは判断した。

「イヴァキュエイティッド・カッタ!」

 しかし敵の魔術師の声が響く。アスコットの周辺に真空の刃が現れ切り裂かれた。身体の数カ所に痛みが走る。自然と低いうなり声が漏れる。しかし素早く身を伏せたためあまり大きな怪我にはならなかった。すぐに体勢を構え直し相手を威嚇する。

 相対していた妖魔も無事ではなかった。範囲の広い魔法に巻き込まれ全身を切り刻まれていた。身体が大きい分被害も大きいようだ。しかし戦意は失われていないようで、咆吼を上げて剣を構え直す。

「く!」

 力任せに振るわれる妖魔の大剣を、ウィニフレッドは真新しい小剣で必死に受け流した。金属が触れあう度に高い音が耳を刺す。村で狩りをしたことはあったものの、遠くから矢で射かけるのが精々だった。警邏に入って訓練を受け始めたとは言え、実際に剣を交えるのは初めてだ。相手の斬撃を受ける度に手がしびれる。まともに受け止めると小剣が折れそうだった。それでも体勢を崩さないように重心を意識しながら立ち回る。

 半身で構え少しずつ後退しながら剣を振るい続ける。妖魔が一振りする度に体力と集中力が奪われていく。一度でも受け損なえば命はないだろう。そう考えてしまうと、どんどん身体が重くなり思うように動かなくなってくる。呼吸が荒く上手に息を吸うことが出来ない。それでも訓練で習ったとおり、重心を下げて相手の正面に立たないように位置を取る。幾度目かの斬撃を受け流しながら、妖魔の側面に回り込もうとした。

「うわっ!」

 しかしその動きは読まれていたようだ。続けざまの横薙ぎが飛んでくる。慌てて剣を合わせるが、体格の差は如何ともし難かった。体勢が大きく崩れてしまう。転びそうな身体を無理矢理に足を出して何とか踏みとどまった。慌てて妖魔の方を向き直る。

「え……」

 妖魔が大きく剣を振りかぶっていた。ウィニフレッドは棒立ちだった。受け流そうにも、真っ直ぐ落ちてくる斬撃を横に逃がすのには経験が足りなかった。かといって細い小剣と彼女の腕力では受け止めることなどとても出来ない。

「くっ!」

 それでもウィニフレッドは必死に小剣を出した。妖魔の大剣に小剣の刃を合わせずに腹を向けた。妖魔の剣の勢いに同調するように身体を沈み込ませる。衝撃が右手に伝わる。大剣を右にずらすと同時に左側に倒れ込んだ。金属同士がぶつかる高い音。思わず目を閉じる。

 小剣が折れたのが感触で判った。右の腕に灼け付くような痛み。目を見開く。大剣が地面にめり込んでいた。自分は尻餅をついている。

 妖魔が剣を引き抜こうと力を入れたのが見て取れた。慌てて地面を転がるように距離をとる。それくらいしか出来ることは無かった。気合いの声と共に剣が引き抜かれる。立ち上がろうと足に力を入れる。しかし地面を滑りまた尻餅をついてしまう。自分の上に影が落ちたのが判り、ウィニフレッドは目を瞑った。

「エナジィ・ボルト!」

 ウィニフレッドの頭を掠めるように、魔力の矢が妖魔に突き刺さる。

 魔法を放ったのはフォクツだった。しかしあまり効かなかったようだ。妖魔はフォクツの方を一瞥しただけですぐにウィニフレッドの方に向き直った。しかしその一瞬の隙をつくように、澄んだ詠唱が完成した。

「イグナイティッド・ジャベリン!」

 レティシアは朗々とした声で詠唱を完成させた。突き上げた腕の先に炎が出現する。炎は渦を巻くように収束し、すぐに四本の巨大な槍を形作った。そのうち二本を魔術師に、残りはウィニフレッドとアスコットの前の妖魔に飛ばした。

「グアッ!」

 炎の槍が目標に命中する。妖魔たちがくぐもった悲鳴を上げる。ウィニフレッドの前にいた一体は大剣を取り落とした。そして崩れ落ちるように片膝をつく。

「エリアル・セヴェンス!」

 その隙を見逃さずフィルは呪文を唱えた。鋭利な空気の刃が一直線に妖魔に向かう。イヴァキュエイティッド・カッタとは異なり刃は一本だけだ。その分範囲は狭いが威力は段違いに強い。魔法は狙い違わず妖魔の首を切り落とした。体液が噴水のように跳ね上がる。

「―――ッ!」

 続けざまの攻撃魔法に目の前の妖魔たちが気を取られたのをフローレンスは見逃さなかった。強く踏み出しながら逆袈裟に片方の妖魔を切り上げる。右足の付け根から左肩までを深く切り裂いた手応えがあった。踏み出した勢いのまま二歩目で妖魔の脇を抜きつつ左腕を切り落とす。もう一体の妖魔が慌てて打ち下ろしてきた剣は狙いが遠い。上体を反らしただけで躱し、一度距離をとる。再び力任せに打ちかかってくる剣を、高速で薙ぎ払い横から切り飛ばした。中程で切断された大剣を呆然と見つめる妖魔の胸に突きを入れ、そのまま左に捌いた。一瞬遅れて傷口から液体が噴き出した。

 レティシアの魔法が炸裂した瞬間をアスコットは見逃さなかった。炎の槍が妖魔の腹に突き刺さる。上体が崩れ下がった首を目掛けて飛びかかる。牙が太い血管を切り裂き、口の中に鉄錆の味が広がった。そのまま深く食いちぎる。

 妖魔がすべて倒れたのを確認して、剣を構えたままフローレンスは慎重に魔術師に近づいた。しかし彼もまったく反応を見せない。レティシアの炎の槍で肩と腹を刺し貫かれている。高温だったためかあまり出血は多くない。しかしすでに息絶えているのは明らかだった。フローレンスは向き直って小さく首を振った。

 学院の庭には先ほどまでの剣戟や怒号が嘘のように静まりかえっていた。フィルは構えていた杖を下ろして、集めていた魔力を解き放った。同時に緊張感も薄れていく。

「ウィニフレッド、大丈夫?」

 フィルは幼なじみに近寄った。彼女はまだ尻餅をついたまま荒い息を吐いている。手には折れた小剣の柄をまだ握っていた。

「う、うん……」

 ウィニフレッドはフィルを見上げて小さく頷く。前腕が切られて血が流れていて、かなり痛そうだった。

 フィルはウィニフレッドの隣にしゃがみ込んだ。傷を詳しく検分する。妖魔の大剣が掠めたようだった。ウィニフレッドの背負い袋から手巾を取りだして傷口を固く縛る。彼女は痛みに一度顔を顰めたがすぐに口元を緩めた。

「ありがと、助けてくれて! あの魔法が無かったらやられてたよ」

「俺だけの力じゃないよ」

 フィルはそう言って他の二人を見た。レティシアはアスコットに駆け寄って傷を調べている。フォクツは妖魔の死体を興味深そうに観察していた。

 ウィニフレッドの手を取って助け起こしてやる。一度ふらついたので、肩を支えてあげる。そうこうしているうちにレティシアとアスコットもやってくる。アスコットの怪我は大したことが無かったようだ。血も綺麗に拭き取られている。

「大丈夫でしたか?」

「はい! レティシアさんのおかげです。本当にありがとう!」

 そう言ってぴょこりとウィニフレッドは頭を下げた。

「今度は巻き込まないように気をつけたから……」

 レティシアは照れくさそうに頬を掻いた。

「おい」

 呼ぶ声に従って三人と一匹はフォクツに近づいた。フォクツとフローレンスが覗き込んでいるのは魔術師の死体だった。

「こいつが誰だか判るか?」

 フィルは首を横に振った。レティシアも隣から覗き込む。

「―――ッ」

 そして息を呑んだ。顔から血の気が引いている。深く息を吐いてから、小声で言った。

「……顔に見覚えがあります。たしか、私が最初に所属した研究室にいた学院生だと思います」

「ミニョレのところの奴か……」

 フォクツが顎をしゃくる。何事か考えているようだ。

「まあ、ミニョレはかなりの親学院長派だしな。学院長も若い頃は召喚魔術を専攻していたって話だし……」

「それよりも、問題はあっちの方じゃないかな」

 フィルは四つの死体を見遣った。

「まあ良い。考えるのは後だ。とりあえずこの場を離れよう」

 フォクツがそう指示を出す。四人は一斉に頷いた。

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