1. 銀狼の姫 -A Lady with silver eyes- (6)

「全員、これを見てくれ」

 ルサン近郊の銀狼の民の村だった。本来は私塾なのだろう、部屋には簡素な机が並べてあり前方には粗末な黒板があった。自分が通っていたトラムの村の私塾とそっくりで、フィルは少し懐かしくなった。

 フィルとレティシアは部屋の一番後ろの席に並んで座っていた。一番前の列にはウィニフレッドがちょこんと座っている。リルムとアスコットは建物の中に入ってきていない。部屋にいるのは全部で二十名ほどだろうか。見るからに屈強な肉体をしている者が多く、剣や槍など思い思いの武器を持っている。部族はばらばらだった。

 二人はルサンの街で募集していた討伐隊に応募してここに来た。近郊の村の周辺で妖魔が頻繁に現れ狩りや農作業に支障が出るとの訴えがなされたため、警邏から討伐隊が組まれたとのことだった。ウィニフレッドはその隊に組み込まれたそうだ。

 フィルはウィニフレッドに誘われ、報奨金目当てに参加を決めた。魔術学院では助手以上になれば給与が支給されるが、学院生の間は基本的に収入が無い。そのため実家が裕福で仕送りが充実していない限り、こういった副業をこなしながら研究をすることになる。

 フィルは横目でレティシアの方を見た。彼女がお金に困っているはずは無い。一体どうしてこんなところに来ているのか想像してはみるものの、適当な理由は思いつかなかった。

「今いる村がここだ。妖魔どもは村から北の森にいるらしい。数は不明。ただ目撃情報からすると、そんなに大勢はいないだろう」

 黒板の脇に立ったリーダーらしき男性が大声で説明を始める。金獅子の部族の大柄な男で、ウィニフレッドの直接の上司だという。皮鎧を身にまとい腰には大剣を吊している。その脇には村人らしい銀狼の民の若者が控えている。こちらは身なりから猟師だと知れた。

「森のほとんど中央に小さな洞窟があって、そこに棲み着いているんじゃないかって話だ。ま、実際に見て確認したわけじゃないらしいけどよ。と言っても、他に住めそうな場所も無いらしい」

 リーダーは黒板にぐりぐりとマークをつけた。元々乱雑だった地図が、いっそう読み取りにくくなる。

「そんなわけで、そこを強襲して全滅させるのが、俺らの仕事ってわけだ。道案内は村の猟師がしてくれるから迷う心配もないしな。何か質問がある奴はいるか?」

 リーダーが全員を見渡す。自信に満ちた言動だった。

「はい」

 レティシアが真っ直ぐに手を上げた。それを見てリーダーは訝しげに眉を寄せ、小馬鹿にするように言った。

「なんだい、魔術師の嬢ちゃん」

「妖魔の住処に攻め込むのはリスクが高いと思います。地形的に守りやすいですし、罠が仕掛けられている可能性もあります。相手の正確な数が判らない状況でその判断はいかがなものかと」

 物怖じする様子もなく、レティシアは堂々と意見を述べた。男は不機嫌そうな顔になった。ウィニフレッドが眉を寄せて振り向く。

「んじゃあ、どうしろって言うんだよ」

「誘き出します。知能の低い妖魔ばかりなのですよね? 挑発すれば出てくるでしょう。近くに川か崖で囲まれたような地形がありませんか? 二方向くらい」

「あ、あります」

 猟師の答えに、レティシアは小さく頷いた。

「ではそこに誘導しましょう。事前に待機させておいた別働隊に奇襲させて包囲すれば優位に戦えるはずです。そこで一網打尽にして、洞窟を調べるのはその後でも遅くないのでは?」

 室内にざわめきが満ち始める。戦士たちの半分ほどは振り返ってレティシアの方を見ていた。ウィニフレッドは隊長とレティシアに交互に見ている。

「……それはそうだけどよ。そこまでする必要があるのか? たかが妖魔くらい正面から簡単に打ち倒せるだろ」

「最も効率的で、被害を最小限に抑えられるやり方を選ぶべきです」

 レティシアが凜として言う。リーダーからの視線を真っ向から受け止め、薄く微笑む余裕すらあった。室内のざわめきが大きくなった。

「この遠征は何のために行われるのですか? これは剣闘士の戦いでも誇りを賭した一騎打ちでも、ましてや血に飢えた獣たちの争いでもないのです。村人が安心して生活するための、いわば命を守るための戦いです。明日の安全を守るため完膚無き勝利が必要です。そのためになら面倒でも最適な手段を模索するべきです!」

 数秒間、見つめ合った後、リーダーはため息混じりに手を振った。

「……ちっ。これだから頭でっかちの魔術師は。解ったよ。あんたの言うとおり」

 それからレティシアの隣に座っていたフィルの方に話を振った。

「そっちの坊主はどうだ? お前も魔術師だろ?」

「あ、はい……」

 フィルはぼんやりと頷いた。自分に振られるとは思っていなかった。黒板を見つめて、どう切り出すか考える。しかし上手い言い回しが浮かばず、率直に言うことになった。

「取り囲んで一網打尽にするのは止めた方が良いんじゃないかと思う」

「……ああん?」

「……フィル?」

 大男があっけにとられ、レティシアは訝しげにフィルの方を向いた。

「ちょ、ちょっと……」

 ウィニフレッドが思わず、という様子で声を上げる。しかしフィルは構わずに続けた。

「今回の目的は村の猟場の安全を取り戻すこと。全滅させる必要はない」

「いや、そんな妖魔なんかに情けをかけてどうすんだよ」

「情けなんかじゃない。逃げ場がないと思えば妖魔だって必死になって抵抗する。捕まれば殺されるのは向こうだって解ってる。文字通り必死に抵抗してくるだろうから倒すのも一苦労だ。逆に、あえて逃げ道を作ってやればそこに妖魔は殺到する。逃げるところを後ろから倒せば被害も少ない」

「でも、それでは本当に逃げ切ってしまう妖魔も出てしまうのでは?」

 レティシアが眉を顰めて訊いた。

「逃がしてやればいい。妖魔だって自然に湧いて出てくるわけじゃない。どこかからやってきたはずだ」

 フィルが目を向けると、猟師はこくこくと頷いた。

「あ、はい。森からさらに北には岩ばかりの荒野が広がっていて、そこには昔から妖魔が多く住んでいます。多分、そこから流れてきたんじゃないかと」

「命からがら荒野に逃がしてやる。妖魔だって知能が無いわけじゃない。この森に入ると痛い目に遭う、と群れの中で噂になるくらいの体験を持ち帰らせる。そうすれば今後、村の猟場が荒らされることは無くなる」

「なるほど。ただ追い払うだけじゃなくて、未来まで守ろうって言うんかい」リーダーは大きく二回頷いた。「面白いじゃねえか」

 リーダーは早速猟師と場所についての打ち合わせを始めた。すでに戦いが始まっているかのような高揚っぷりだった。

「フィル」

 レティシアが耳元で囁いた。小声だったが、少し興奮しているようだった。

「ごめん」

「なぜ謝るのです? 感心しました。私はそんな、後に残る影響までは思い至らなかった」

「いや、まあ」フィルは頭を掻いた。「こういう村にとって、猟場は死活問題だからね」

 フィルはレティシアの視線から逃れるように、相談を続けるリーダーの方に目を向けた。その傍で、ウィニフレッドがなぜか自慢気な顔でリーダーたちの相談を聞いていた。

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