第11話

 『神楽坂葵』


 それが今の俺の名前だ。

 だが、子供の頃からそう呼ばれることに違和感があった。

 

 本当に、俺の名前か……?

 全然しっくりしない……俺の名前はもっと地味で……。


 返事をしてもいいのか迷う。

 どうしても躊躇してしまう……。


 それに、俺は自分に自信がなかった。

 鏡を見れば、我ながら整っていると思う容姿が映るのに、妙な心細さがあった。

 どれだけ周りからちやほやされても、何故こんな俺に好意を抱くのかと不安になった。

 本当にイケメンなのか?

 まわりの人間は俺を騙そうとしているのでは?

 疑心暗鬼にならずにはいられない。

 どうすれば胸を張って生きて行けるのか……。

 気持ちは楽になるのか……。

 人には理解して貰えない苦しみを抱えたまま、俺はなんとなく生きてきた。




 だが、高校二年生、春——。

 俺が抱え続けた疑問は、ある日唐突に解決した。


 そのきっかけは、進級直前の春休みにスマホを買い換えたことだった。

 前のものは壊れてしまいデータの引き継ぎもできない、完全に『新規』からのスタートだった。

 電話帳は当然ゼロ。

 基本機能しか入っていないはずのスマホの画面に、奇妙なアイコンを見つけたのだ。


「なんだこれ……花園学園?」


 金髪のツインテールの可愛い女の子が微笑んでいる絵の上に、そう書かれている。

 ゲームのアプリのように見えるが……誰がインストールしたのだろう?

 それとも、このスマホには最初から入っているアプリなのだろうか。

 不思議に思いながらもアプリを起動させてみた。


「やっぱり、このアプリはゲームだな……」


 しかもギャルゲー、女の子のイラストとプロフィールが次々と浮かんできて……あれ?


「…………あぐっ!!」


 急に頭がズキッと痛んだ。

 視界がぐらりと揺れる――。


 必至に痛みに耐えていると、不思議なことが起こった。


「なんだ、これ……」


 頭の中に、女の子のイラストや情報が、次々と浮かんでくるのだ。

 どのイラストも見覚えがある……デジャブ、というやつだろうか。

 いや、そんなものよりも、もっとはっきりとした……!


「うっ……治まった?」


 しばらく痛みで動けなかったが、段々と痛みも心も落ち着いてきた。


「どうなっているんだ? 何が起きている?」


 再び画面に目を向ける。

 このアプリを起動したと同時に頭が痛くなったが、もっとこのゲームを見てみたい……。

 嫌な予感なのか期待なのか分からないが、やらずにはいられなかった。

 わけの分からない焦燥を感じながら、たどたどしい指使いで画面を行き来させ、端から端まで目を通していく――。


「……まじか」


 すべてを読み終え、やっと理解した。


「俺はゲームの世界……ギャルゲーの世界に転生しているのか」


 頭の中を整理していたら、前世の冴えない、サ田舎オタクだった頃の記憶が蘇ってきた。


 このスマホに入っていたアプリ――ギャルゲーは、前世でプレイしたことのあるゲーム『花園学園』だった。


 主人公は神楽坂葵——。

 そう、今の俺だ。


「くくっ……ははは……」


 物心ついたときから感じていた違和感の理由が分かり、笑いが込み上げてきた。

 中身と外見の相違——それが原因だ。

 俺の意識や感覚は、前世の芋みたいなオタク時代のままだったのだ。

 だから、『イケメン』と呼ばれるような外見に戸惑っていたのだ。


 でも、もう俺は『生まれ変わった』と分かったから、戸惑うことはない。

 今の俺は『イケメン』なのだ。

 主人公だから、ちやほやされたっていいだろう?

 

 今まで持てなかった自信が、遅れを取り戻すかのように溢れ出てきた。

 俺はイケメンなんだ、女の子にモテるんだと思うようになり、女の子にも自信を持って話せるようなった。

 まだ照れる気持ちはあるけれど、人生が急に明るく、楽しくなった。

 ああ……転生って最高だな!!



 そして、俺は高校生になった。

 このゲームの『ストーリーモード』が始まるのは、高校二年生の時——。

 きっと期待通りのことがこれから起こる。

 俺の胸はわくわくする気持ちでいっぱいになっていた。


 二年になるまでにアプリを隅々まで見ていたのだが、ゲームのデータは前世の俺がクリアした時と同じ、完全クリアしている状態だった。

 女の子の情報も全部確認できたし、ゲーム通りに行けば五股できるだろう。


 好感度だけはこれから始まることを指しているのか空っぽだったが、どうすればいいか、何をすればいいのか全て分かっているのだから楽勝だ。


 スタートは二年の始業式。

 準備万端で迎えた俺は、順調に攻略対象者と出会っていった。


 一人、また一人と見つけては近づき、ゲーム通りに仲良くなり……。

 イラストで見ていたキャラ達が生きている「人」として出会えて感動した。

 みんな可愛くて、とても魅力的だった。

 こんな可愛い人達と、簡単に仲良くなれるなんて最高だ!

 毎日可愛い女の子達と過ごす、天国にいるような生活を送りながら、俺は『本命』の登場を待った。


 そして、とうとう黄衣に出会った。

 黄衣はアイコンになっているくらい人気があったし、俺の推しキャラだった。

 やっぱりツインテールが可愛い……俺の黄衣たん!


 見かけてすぐに話し掛けたい、仲良くなりたい衝動に駆られたが……まだ話し掛けてはいけない。

『出会いのイベント』になるまでは、見るだけで我慢だ。

 他の攻略対象者との仲を進めつつ、黄衣との『出会いイベント』を待つ。

 それはつらい我慢の日々だった。


 黄衣の『始まりイベント』が他キャラより遅いのは、ユーザーがゲーム初日で辞めてしまわないように引っ張っているのだと前世の俺は思っていた。

 今はただの神様の嫌がらせにしか思えない。

 頼むから早くしてくれ! 待ちきれない……!


 イベントじゃない時に話し掛けたらどうなるのか試したくなったが、予定にないことをして攻略の予定が狂ってしまったら元も子もない。

 耐えた……遠目に眺めては近づきたい衝動を殺しつつ耐えた……。


 そして、とうとう待ちに待った日が訪れ……俺達は出会い、始まった。


「すごい……運命の羽だ! 噂は本当だったのね!」


 落ちてきた『運命の羽』を見て飛び跳ねる黄衣は本当に可愛かった。

 その場で抱きしめてしまいたかったけど……そうはいかない。

 ちゃんと予定通りに進めなければ……!


 黄衣は最優先で好感度を上げた。

 他のキャラ達も素敵だけれど、黄衣はやっぱり推しだし可愛い。

 好感度が上がる金曜日はもちろん、調整日の土日も黄衣と過ごすことが多かった。

 そしてパラメーターはMAXになり、告白を受けるところまで辿りついた。


 次の金曜日に告白されることは分かっていた。

 その日がとても待ち遠しかった。

 何度も好感度MAXの画面を眺めては、ニヤニヤと笑ってしまう――。


 だが、想定外のことが起こった。

 告白の途中で黄衣が何処かに行ってしまったのだ。

 こんなことはありえない……!

 おかしい……!

「俺も好きだよ」と答えて、抱きしめるはずだったのに……!

 何かのバグだろうか。

 そういえば告白の途中で、黄衣の動きが停止していた。

 ゲームの世界だから、バグが起こっているのか?


 バグは更に悪化した。

 黄衣の好感度がゼロに戻っていたのだ。

 そんな馬鹿な……ふざけるな!!

 絶対におかしい。

 でも、直るかもしれない。

 そう思い、黄衣と接触を続けているが……一向に直らない。


 何故だ!?

 他のキャラは順調なのに!

 何故思い通りにいかない!

 ここはゲームの世界なんだろ!?


 バグの悪化は進み、あるはずのない邪魔まで入るようになった。

 いかにもモブな芋野郎が、俺の黄衣のまわりをうろつき始めたのだ。


 前世の俺にそっくりなところが、心底腹が立つ。

 自分が黄衣に相応しいか、ちゃんと考えてみろ!

 こんな奴に、黄衣をとられてたまるか!

 黄衣に相応しいのは過去の俺じゃない……『今の俺』だ。

 そのはずなのに……!!


 黄衣が頼ったのはあの芋男だった。


『……そんなんじゃ、誰もあなたのことを見なくなりますよ?』


 黄衣の言葉がずっと胸に刺さっている。


『そんなはずはない。おれは主人公なんだ!!』


 心の中ではすぐに言い返した。

 気にすることはない、そう思うのに……胸から抜けない。

 頭から離れない。


『あなたの言葉に、心がないことに気がついたからです』


 確かに、俺が彼女たちに伝えてきた言葉は、『選択肢』として出てきていたものだ。

 俺は文章を読んでいるだけ――。


 でもこれは、『心を動かせる言葉』じゃないのか?

 俺が必死に考えて絞り出した言葉よりも、皆に届くんじゃないのか?


 前世の俺の言葉は届かないことが多かった……。

 どんなに気持ちを込めても、勇気を振り絞って出した言葉も、無残に投げ捨てられた。

 いや、受け取って貰うことすらなかったかもしれない。

 俺が考える言葉に、意味はあるのだろうか。


『あなたは、本当に私を見てくれていましたか?』


 黄衣のことは誰よりも知っている。

 だって、情報に載っているから……。

 どのキャラクターより読み込んでいるから自信があった。

 でも……。


『私が金曜日以外、何をしていたかご存知ですか?』


 頭が真っ白になった。

 好感度が上がる日以外の情報は見ていなかった。

 確か金曜日以外の平日は学校で話し掛けると、買い物をして帰るだけで……。

 急いで画面を確認したが、答えて満足してくれそうな情報は見つからない。


 情報になければ記憶で……。

 そう思って記憶を掘り起こすが……何もでてこない!

 ……そうか。

 思い出せないんじゃない。

 見ていないから分からないんだ。

 学校に残っているのか、帰っているのかも分からない。


「そんな……」


 自分でも愕然とした。

 黄衣のことは何でも知っていると思っていたのに……。


 俺は黄衣のことを何だと思っていたのだろう。

 黄衣という存在は、スマホの中の情報が全てなのか?

 俺がいないところでは一言も話さない、同じところを無言でぐるぐる歩き回っているだけのゲームキャラクターのように思っていたのだろうか。


 ――怖くなった。


 黄衣がただのゲームキャラクターなら、この世界がただのゲームなら……俺はこの世界に一人だけだ。

 そんなはずはない。

 今の両親だってちゃんとした人間だ。

 だから黄衣や他の女の子達だって……。


 そう思うと、また怖くなった。

 俺は自分と同じ人間を、ゲームのキャラクターと思っていた?

 でもそれはスマホがあるから、こんなものがあるから……!


 どうすればいいか分からなくなってきた。

 ゲームなのか、現実なのか、考えても分からない。


『誰もあなたを見なくなりますよ』


 再び黄衣の言葉が浮かんだ。

 どうすればいいか、この世界がなんなのか分からないが、それでも『考えなきゃいけないこと』なのだろう。


 あと一つ、強く思ったことは……黄衣を知りたい。

 一人だけ思い通りにならないことに対する興味かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 黄衣を見ていたい。


 それに……黄衣の目に俺はどう映っているのか知りたい。

 知ってしまうのも怖いけれど今見ないふりをしたら、俺は『人間』じゃなくなってしまう気がした。

 考えることを止めたら、俺こそがただのゲームのキャラクターになってしまうかもしれない……そう思ったのだった。

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