第24話


 教室の開け放たれた窓から、暖かい日差しが入っている。

 穏やかな風が吹きていて、カーテンが凪の海のように揺れている。

 人の姿はなく、私一人だ。


 今日は金曜日——。

 ゲームであれば、私の好感度が上がる日……なんてことを、一年前はよく考えていたなあ。

 今は私も二年生になり、『先輩』と呼ばれるようになった。

 あと一年もすれば、『先輩』と呼ぶ人たちも卒業していなくなってしまう。


「……葵先輩も卒業かあ」


 明里先生は実習を終え、今では小学校の先生として頑張っているらしい。

 一度先輩の元に届いた手紙を見せて貰ったけれど、可愛い子ども達に囲まれて素敵な笑顔を見せていた。

 恩師のような先生になる、という夢は、もうほぼ叶ったも同然だ。


 紫織様は有名大学に進学し、学びながらも経営に携わっているようだ。

 偶然スーツ姿の紫織様を見かけたのだが、白のスーツがえげつなく似合っており、できる女! というオーラが凄まじくて私は泣いた。

 推しの進化が止まらない! 未来永劫推します!


 翠先輩は、今は陸上部のマネージャーをしている。

 気まずくなっていた幼馴染とも仲直りをして、何やらイイ感じらしい。

 あと、選手よりも足が速い&美しすぎるマネージャーとして他校でも有名らしく、よく写真を撮られている。

 その内に芸能人とかになっていそう……。


 茉白とは前よりも仲良くなり、家にも何度かお邪魔させて貰っている。

 友達を連れて来たのは初めて……と泣いているお母さんにつられて、私も泣いてしまい、茉白に呆れられたのはいい思い出だ。

 あんなに先輩のことを好きだった茉白だが、今では私の味方をして先輩に注意してくれることもある。

 大好きすぎるよ、茉白!


 神楽坂先輩だって、女の子を悲しませるようなことは一切しないようになったし、男子にも優しくできるようになった。

 かなり人間としてレベルアップしているのではないだろうか。

 英君とも、仲良し……というか、葵親分と舎弟英君という感じになっていて、私にはちょっとよく分からない……。


 とにかく、みんな進化をとげていて、本当にすごい。

 一番悪い意味で変わっていないのは私かも……?


「ふあ~~。それにしても、先輩遅いなあ」


 今日はネットカフェで、映画を見る約束をしている。

 楽しみにしているゾンビのホラー映画を早く見たいのに、何をしているのだろう。


「また、驚かせてやるんだから……」


 情けなく飛び跳ねる姿を想像すると、笑いが込み上げてくる。


 それにしても……良い天気だなあ。

 絶好のお昼寝日和ともいえる。

 ああ、気持ちいいなあ……寝ちゃう――。


 そう思った時には遅かった……おやすみ。




 ※




 ……寝てしまった……爆睡だ!


 あまり時間は経っていないような気がするが、瞼が重い……。

 ん? この心地良い感触はなんだろう――。

 髪を撫でられている……?

 先輩かな?

 意識ははっきりとしてきたが、なんとなく寝たふりを続けた。


 優しくて大きな手は、私の髪を梳き続けている。

 真ん中で分け、左右をそれぞれ束ねて……って――。


「……先輩、何をしているのでしょうか」

「…………っ!? き、黄衣……起きていたのか。こ、これはその……」

「ふんっ」

「ああっ!」


 器用に纏められたツインテールを、一気に両手で外した。

 油断も隙もない。


 先輩に告白され、それを断ってから一年——。

 私達の関係に変化はない。

 

 だが、先輩の化けの皮は少しはがれ、今では私をツインテールにしようとするストーカーのような変態に仕上がりつつある。


「黄衣、一生のお願いがあるんだ……」

「なんですか?」

「一度でいいから、またツインテール……」

「絶 対 嫌」

「そんな……可愛いのに……っ!」


 先輩は私から取り返したリボンを握って悲しんでいる……。

 そんなにツインテールが好きか!

 ツインテールなら誰でもいいのか!

 ツインテールじゃなきゃ私は可愛くないのか!

 失礼な奴だ、絶対ツインテールなんてしないからな!


「……まったくもう……そろそろいいんだけどなあ」

「黄衣?」

「……なんでもないです。行きましょう」


 何とは言わないが、自分で言ったことを少し後悔することもある。

 私は意地っ張りだけど、せっかちでもあるということを忘れていた。


 腹が立つ……今日はいつもより虐めてやろう。


「今日の映画はホラーだし、スプラッター要素があって刺激的ですよ」

「スプラッター!? きょ、今日はちょっと、俺から黄衣に大事な話があって……それは今度にして貰えないか?」

「そんなことを言って持ち越しにして、なかったことにしようとしても駄目ですよ」

「違うんだ、本当に話があるんだ! 流石にスプラッターを見ながらする話では……ムードどころじゃなくなるっていうか……」

「?」

「うーん……まあ……とにかく、行こうか」

「そうですね」


 先輩は何やら不満があるようだが、私はホラー映画を楽しみにしていたのでなるべく譲りたくない。

 ネカフェに行ってから戦おう。




 ※




 学校を出て、並んで歩きながら馴染みになったネットカフェを目指す。

 この景色も見慣れたが……。

 制服を着て一緒に歩けるのはあと一年だと思うと、少し寂しくなってきた。


「黄衣、手を繋いでもいい?」


 先輩も私と似たようなことを考えていたのか、そんなことを聞いてきた。


「聞かないで勝手にしてください」

「分かった」


 私の返事を聞いて、先輩は笑いながら手を繋いだ。

 こんなことが日常茶飯事なのに、付き合ってないのはおかしい……のかな?

 英君には「おかしい!」と全力で言われている。

 私も最近はおかしいのかな、と思うようになってきた。 


「あ、そのネックレス……。今日もつけてきてくれたんだね」

「毎日つけてますよ。知っているじゃないですか」

「そうなんだけどね。改めて考えると嬉しくて」


 制服の首元からちらりと見えるのは、去年先輩がくれた鍵をモチーフにしたネックレスだ。

 一度振り払って落としてしまい、先輩を悲しませてしまった、例のあのネックレスだ。


「もう絶対に振り払って落としたりしないので、安心してください」


 そう伝えると、先輩は嬉しそうににっこりと微笑んだ。

 私、この笑顔に弱いんだよなあ。




 ※




「こんにちは」

「あら、いらっしゃいませ~。今日も仲良しね~」


 ネットカフェのカウンターで私達を出迎えてくれたのは、顔なじみになったいつものお姉さんだ。

 お姉さんは密かに先輩のことを狙っていたそうで、先輩が初めて私を連れて来た時はがっかりしていた。

 でも、今は一回り年上の渋くてかっこいい彼氏と付き合っていて、いつも幸せそう。

 来年には結婚も控えているという。

 もう先輩のことは眼中に入らなくなったそうで、「年下は乳臭い」なんて言う始末だ。

 私としては、ちょっと安心している。


「きいたぁん。今日はDVDよね? ボックスもDVDも準備万端よ。はい」

「ありがとうございます」

「準備万端なのか……」


 お姉さんが渡してくれた、ホラー映画のパッケージを見た先輩が引いている。

 パッケージから血の赤が多い、ゾンビパニックホラーですが……。


「今日のは結構怖そうなんですけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃなくても見るんだろう?」

「……ふふっ、よくご存じですね」


 先輩が本気でつらそうだったら、無理には見ないけれど……。

 怖がっている先輩は面白いし可愛い。

 そんな先輩を見るのが、密かな私の楽しみだ。


「無理そうだったら、目を閉じるよ」

「先輩のおすすめも持って行きます?」

「いや、これでいいよ」


 ほぼ私が押し切る感じになってしまったが、見たかったホラーDVDを持って、私達はDVDを見る個室に向かった。


「あ、ここ……。最初に黄衣とゾンビ映画を見た時と同じ場所だ」


 狭い個室に入りながら、先輩が嬉しそうにそう言った。


「そうでしたっけ?」

「そうだよ。思い出の場所だし、よく覚えているから」


 そう言われて見ると、確かにそうだったかも?

 ぼやっと思い出しながら、ソファーに腰かける。

 

 初めてここで一緒にDVDを見た時は、狭くて肩が当たったことでドキドキしたっけ……。

 それが今では――。


「先輩、重いです」


 隣に座る先輩が、私の肩に頭を乗せている。


「怖いからこうしていたいんだ」

「肩が凝るのでやめてください」


 あの時と違うのは、スキンシップをするようになったというか、ベタベタされる。

 慣れてしまったので、もう平気……というわけではないのだが――。


「……先輩」


 映画をスタートして、怖いシーンが多くなってきたところで、先輩が自分の膝の上に私を乗せた。

 先輩の体を背もたれにするように倒れているので、全身で体重をかけるような形になっている。


「この態勢だと、重くないですか? 疲れません?」

「全然。黄衣のソファーになれて幸せだよ」

「きも」

「ふふ……」

「きもきも。あ、こら! ツインテにしないでください!」

「バレたか……」


 先輩は機嫌良さそうに笑っているが――。

 この態勢、私は緊張するし、落ち着かないのだけれど……。

 先輩も頑張ってホラーを見てくれているから、私も我慢しよう。


 しばらくすると、映画に集中してきて、段々気にならなくなってきた。


「先輩。やっぱろゾンビの頭を切り落とすなら、銃で撃つのはもったいないですよね。物資が限られているのだから、弾丸も少ないでしょうし……」

「そ、そうだね……。……全然ムードがよくならないんだけど、どうしよう」

「? 先輩……また見てなかったでしょう?」

「み、見てたよ……!」

「ほんとかなあ?」


 今日の先輩は、いつもより落ちついていない。

 ……トイレでも我慢しているのだろうか。

 そんなことを気にしている間に、DVDが終わった。


「怖かったあ……おもしろかった……!」


 ゾンビホラーは久しぶりだから、とても満喫した。

 狭い個室の電気をつけ、背伸びをしていると、先輩が私を膝の上からソファーの横に下ろした。


「足、しびれましたか?」

「そうじゃなくて……。黄衣、聞いて欲しいことがある」

「はい?」


 急に先輩が真剣な表情になったので、私もなんだか緊張してきた。

 いったい何の話なのでございましょうか……。


「君と初めてここに来たとき――。君の好みが分からなくて、ミルクティープレゼントしたのを覚えている?」

「もちろん。……あれ、私は結構嬉しかったですよ」


 そう言って微笑むと、先輩は嬉しそうな顔をしたが、すぐにキリッとした表情で訴えてきた。


「ありがとう。でも、俺はあの時のリベンジをしたいんだ!」


 先輩はそう言って、小さな箱を取り出した。

 それはどう見ても指輪の箱で――。


 緊張している様子の先輩から小箱を受け取り、パカッと開けると、想像通り指輪がでてきた。


「学生だし、あまり高価なものは買えなかったけれど……。一年前よりも、断然黄衣の好みは把握しているつもりだから自信はある! だから……その……。プレゼント……ご、ご査収ください……!」


 本当に先輩は緊張しているようで、あわあわしている。

 そんな様子が可愛いと思いつつ、指輪を手に取る。


 それは、シルバーの羽をモチーフにした指輪だった。

 私達が出会ったときに空から舞い落ちてきた運命の羽を思い出させるデザインだ。


「素敵……」

「本当!? つけてくれる!?」


 こくんと頷くと、先輩は右手の薬指につけてくれた。

 サイズもぴったりだ。

 わー……指輪だ……。

 とても素敵だし、大人になったようでドキドキする……。

 あ、なんだか幸せで泣きそう……。


「どう? 合格かな……って、ああ!!」

「…………っ!?」


 先輩の叫び声にビクッと肩が跳ねた。

 驚かせないでよ~!!


「しまった、順番がおかしかったかも……! まずは告白のリベンジをするべきだった! 黄衣……!」

「はい!」

「一年前、学校の屋上で告白したときから変わらず……いや、今はもっと黄衣が好きです! だから、俺と付き合ってください!」


 狭い個室に響く声で、先輩が再び告白をしてくれた。

 とてもイケメンなのに、告白は不器用だけれどまっすぐなもので――。


「ふふっ……」


 私は思わず笑ってしまった。


「ちょっとぐだぐだですね」

「ははっ……黄衣?」


 笑っている間に、自然と涙が零れていた。


「ど、どうした!? ごめん、きもかった!?」

「……嬉しい」

「え?」

「こんな私でよければ……お願いします。素敵な指輪、嬉しいです。……先輩、また告白してくれありがとう」

「黄衣……!」


 私の返事を聞いて、先輩が飛びついてきた。


「よかった……緊張した……ありがとう……」

「こちらこそ……。一年前、素直に受け入れなくてごめんなさい」


 やっと素直な気持ちを言えた。

 私が遠回りさせてしまったけれど、やっと……。


 狭い個室に中で、先輩と抱き合う。


 ああ……ついにギャルゲーの主人公に陥落してしまったなあ。

 私の負け――完全敗北だ。





 主人公と攻略対象者が結ばれたら、それは『システム』なのだろうか。

 『システム』とはなんなのだろうか。


 ――運命?

 ――必然?


「そんなことはどうでもいい。自分が幸せと感じていれば――」


『運命の羽』は、気がつかないうちに、全ての恋人達のもとに舞い降りているのかもしれない。

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