第9話 洋菓子店にて


 翌日。

 土曜日になった。ホワイトな日は火曜日で時間はあまりない。

 ハルヒに約束はしたものの、結局俺は一人で解決するのを降参した。

 そう、俺はホワイト・デーの返礼菓子作りに妹とミヨキチを徴用したのだ。

 ライブの約束したぐらいで交換条件と言えば悪いと思うが、なにしろ三十倍という物量が要求されているのだ。そこそこの作業量になるはずだ。

 ダメ元で古泉に連絡すると合流できるという。

 実のところ、手作り菓子の案件より、ここ数日古泉がなぜ休んでいたのかを聞きたい気持ちもあった。



 食材店は電車で三駅ほど先の街のショッピング・モールにあった。土曜日だけに結構な人出だった。

 食材だけではなく、店の一角に焼きたてのお菓子をチョイスできる喫茶コーナーがあったりして、かなり店は広かった。

 ありとあらゆる製菓用具と食材が陳列される中、妹は張り切って歩き回っている。

 業務用ホワイトチョコレートと茶色のチョコペン、それとクラッシュナッツにドライフルーツ……。自分の懐が痛まないものだから妹は棚とカゴを往復しつつ、ざくざくと投入を続ける。

 ミヨキチは遠慮がちにショーケースを眺めるだけだ。

「必要なものなら、気にしなくてもいいけど」

 そう俺が言うとミヨキチは軽く頭を下げて、店の奥の商品棚を見に行った。


 買い物は妹とミヨキチの二人に任せて、俺は気になっていた問いを古泉に放った。

「ここんとこ忙しいのか」

「昨年と比べれば、忙しいとは言えませんね」

 昨年って俺もハルヒも中学だろ。お前もな。

「中学生の頃の涼宮さんの心的風景は荒れ狂う砂嵐のようだった……という話は以前話しましたが」

 あれはクリスマスの頃だったような気もするが、その直後に超弩級ちょうどきゅうの出来事があったせいで、記憶がおぼろだ。

「まだ誰かと戦ってんのか」

「どちらかと言えば、防御ですかね」

 古泉は一見、興味ありげなそぶりでデコレーション用のチョコチップが入った袋をとりあげた。 

「涼宮さんをめぐる各組織の思惑はそれぞれですが、ただ一つの共通認識として、涼宮さんを“のまま”で受容しなければならないと考えています」

「よくわからん」

「つまり、この星のあらゆる複雑な条件の元で涼宮ハルヒ、という個体が生まれたのだと。たとえるならば、我々は涼宮ハルヒという希少な花が咲く小さな庭園にいるのです。そこでパワーショベルで土壌ごと花を強奪してはならない。対立組織のほとんどはそれを理解しています。だから、水面下で闘争を繰り広げているのです」

 どうりでハルヒには真実を告げてはいけないわけだ。

 そして俺や朝比奈さんも含めてハルヒを構成する諸条件を大きく変えてはいけないらしい。

「もし、そのルールを破ったらどうなる」

「通常は敵対している組織が一時的に協調して、逸脱者を殲滅せんめつ、ということも過去にはありました。めったにありませんけどね」

 古泉はチョコチップの袋を俺の持つカゴに静かに入れた。うすら笑みを浮かべてはいるが冗談めかしたところは少しもない。

「ですから、もし庭園に害虫が侵入すれば、農薬を散布したり、焼き払う代わりにその虫の天敵を放つのが最良の処置です。しかし突然、隕石があなたの頭上に落下する、といった事態では『機関』には当然手に負えません。別の立場、別の存在が干渉するでしょう。この庭園を守るために」

「するとお前たちには、協定みたいなもんがあるんだな?」

「それぞれのグレードに応じた戦い方がある、ということですよ」

 俺はまだよく理解できないでいたが、こいつがかなり弱い立場にいるのはうっすらとわかった。

 害虫がいなくなったら、天敵は用済みになる。



 妹が戻ってきた。

 きれいな贈答用の包装紙の束とグリーティング・カード、銀色のアラザンとかのデコレーションチップをまとめてカゴにいれた。瞬く間に俺の持っているカゴは幼稚園児が夢見るようなお菓子の満艦飾となった。ずっしりと重い。

 妹に続いてミヨキチは申し訳なさそうに、メレンゲ・ドールをいくつかいれた。

「とってもかわいらしくて、つい。ごめんなさい」

「遠慮しなくてもいいんですよ」

 と古泉が言った。

 それは友人の兄ポジションの俺の台詞せりふのはずなんだが。

 ま、こいつと俺の折半だから、これぐらいはいいか。ただ、結構な物量だから経費として全額『機関』に請求したらどうだ?

「『機関』の経理担当はなかなか手強い人物でしてね」

 古泉は微苦笑を浮かべながら言った。

 なぜか俺の頭に、あの森園生さんが二月のカーチェイス時に見せた表情がぽっと浮かんだので俺は素直に財布を開いた。あの人は怖いからな。



 家にもどって台所のテーブルに荷物を置いた。

 早速手分けして作業する。

 ベースのホワイトチョコを型抜きして、そこにチョコペンでメッセージ、のつもりだったが、それこそ楽に三十倍は作れるほど材料を買ってきたものだからそう簡単ではない。


 古泉がチョコを湯煎し、俺が平形バットに流し込み、氷水で冷やして型抜きする作業のそばで、ミヨキチの手でホワイトチョコが飾られていく。

 ミヨキチは丸く型抜きしたホワイトチョコに小さく文様をチョコペンで書いて、銀色に輝くアラザンを幾何学きかがく的な配置でデコレーションしていく。驚くべき器用さだ。

 つと目があった。ミヨキチは軽く笑みを返してまた作業に集中している。

 クッキングキャップをきちんとかぶって、真剣そのものと言った表情でデコレーションする姿はほほえましい。俺も古泉もミヨキチが衛生面の安全を懸命に訴えるものだから、調理用のエプロンをしている。

 妹も当初は遊び半分だったが、ミヨキチに感化されたのかやがて一心にチョコペンを握っている。

 古泉も心なしか、リラックスしている。このところ心労が重なってたみたいだし、たまにはいいんじゃないか……。


 特大の板チョコになにやらメッセージを書いていたらしいミヨキチがちょっとためらいがちに言った。

「あの、北高に行ってみてもいいですか?」

 何の話だろう。外見的には小柄な中学生に見えなくもないから、来年受験かと一瞬錯覚する。バカな。

「中学はたぶん東中学ですけど、高校は北高にしようと思ってるんです」

 ミヨキチはチョコペンを動かしながら、ちょっと軽い上目遣いでほほえんでいる。まだ早すぎるんじゃないか。四年以上先の話だろ。

「中に入ったりしないです。外から見るだけでも」

「なんで?」

「北高の制服、とっても可愛いから。学校も見てみたいです」

 なんだそりゃ。

 だいたい小学生ってそんなに先まで考えたりしないもんだろ。この頃の小学生は違うんだろうか。まさか、四年も先の高校の制服を着てコスプレでもするつもりなのか。長門じゃあるまいし……。

「あたしも行きたいな」

 包装紙をパリパリと包みから引き出しつつ妹も同調する。

 なんで俺が全力でハルヒに誤解されそうな状況を創出せねばならんのか。


 とりあえず、目的のお礼チョコは完成した。

「ミヨキチさんは僕が途中まで送っていきますから、ご安心を」

 と古泉が言い、二人は連れだって玄関を出ていった。

 俺と並んで玄関の外までお見送りした妹が言った。

「キョン君、お手紙届いてたよ」

「だれからだ」

「知らないひと-」

 妹は赤と青の縁取りの封筒を俺に渡して、台所に戻った。

 航空便だろうか。宛先は確かに俺だ。妹ももうすぐ六年生だから俺の名前のローマ字くらいは読めるらしい。


 俺は差出人の横文字を眺め……。

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