第3話 掲示板

 部室棟の階段を下りながら古泉に聞いてみる。

「おまえじゃないのか」

「今回は違います」

 先月の文芸誌事件はこいつのシナリオだった。

 古泉はハルヒの逆鱗に触れるのにこれ以上ないっていう最適人材を校内で発掘し、多額の費用をかけて生徒会選挙に勝たせるまでして、ハルヒの「敵」を作り出したのだ。生徒会長が命じた文芸誌作成はシャミセンにとっての猫じゃらし以上にハルヒを過剰反応させた。


 だがハルヒを押さえる俺の身になってみろって。

 これ以上、生徒会長がらみのシナリオが走り出さないように、俺は少し先を降りる古泉の背中に向かって念じたが、テレパスならぬ我が身のこととて振り返るはずもない。

 実のところ俺が古泉に強く言えないのにはわけがある。

 先週の事件が解決したばかりだというのに、ここ二日ばかり古泉は疲労の色が隠せないでいる。またハルヒがらみで暗夜に赤い光芒こうぼうを引きながら飛翔しているのかと思うと俺も何となく声がかけづらい。


 ここは古泉の言葉を信じたとして、次なる容疑者として浮上するのは今日も窓際の自席でSF文庫を開いていた長門だ。

 振り返ってみれば、三月に入って発生した幽霊事件は、長門の仕込みだった可能性もある。ひょっとして、こいつら交代制でイベント発生させてるんじゃ……。

「その流れで行くと、次は朝比奈さんでしょうかね」

「体に負担がかかりすぎる。正直、勘弁して欲しいね」

「負担、ですか?」

 振り返った古泉が俺を見つめる。その期待のこもった目は何だ。またこいつの時間旅行熱が発症したか。

 なぜそんなにこだわるんだろう。非実在ツインズの片割れ“みちるさん”を鶴屋邸に預けたときも、しばらくつきまとわれたっけ。

 あのときは一緒に連れて行って欲しいとまで言いやがった。目標時刻への到着時、どんな様態ようたいで俺が目覚めるのか知らないと見える。

 ……というか、教えたくない。

「時間旅行については、先月のあなたと朝比奈さんの行動から、確信めいたものが僕にも生まれてきました」

 例の事件で判明したのは、『機関』が、俺と朝比奈さんの行動を逐一ちくいち監視していた、という事実だ。でなければあんなに早く新川さんと森さんが駆けつけたりするはずがない。

 古泉には夏の孤島事件以来、できるだけ隠し立てせずに話してはいる――もちろん自分の身を守るためだ――が、古泉は確証を得るまで証拠集めに時間がかかったんだろう。

 俺だって一年前なら、いきなりそんな話を聞かされたとしても信じなかったに違いないが。



 午後のぬるい陽がアスファルトの床を照らしている。

 部室棟の一角から聞こえる眠たげな吹奏楽部の練習音を聴きながら、俺と古泉は本校舎に足を向ける。

「おまえが時間旅行に執着する理由はよくわからん。目的は閉鎖空間の抑止のはずだろ?」

「確かに、涼宮さんの倦怠と激しい感情の変動が閉鎖空間の原因です。それを慰撫鎮圧いぶちんあつするのが僕たちの役割で、それは通常空間でも同じなのですが」

「打倒生徒会長の勢いで文芸誌も大成功したし、幽霊っぽいのも正体が判明した。少しくらい落ち着いてもいいんじゃないか」

「涼宮さんは興味を引くものがある一定の頻度で発生しないと退屈が始まる傾向があります。……つまり閉鎖空間です」

「その理屈だと期末テストとか本人が忙しい時期には発生しないのか?」

「ええ。宿題をあっという間に片付けた夏休みの後半とか、今頃の退屈な短縮授業は危険な時期といえますね」

 そうなると『機関』が企画運営して退屈にならないようにするんだな。お前らもご苦労なこった。

「いくつかの傍証から僕が勝手に想像しているのですが、現在、涼宮さんは何らかの焦りを感じているのではないか、という気がします」

 わからん。ハルヒはおよそ学業面で焦燥しょうそうに駆られたりはしない。現に期末テストは総合得点で学年二位――ちなみに一位は長門――だった。

「あと二週間あまりで僕たちは進級します。振り返ってこの一年、涼宮さんが望んだ真のミステリーや謎があったでしょうか」

 ほとんどの場合、ハルヒに事件を引き起こしたという自覚はなく、驚異が目の前に転がっていたとしてもあいつは見向きもしない。つまり……。

「また、これから派手にやらかしそうなのか」

「まだはっきりしませんが、その可能性はあるかと」



 正面玄関から本校舎に入って、一階の廊下を歩く。職員室まではすぐだ。

 もう部活の顧問でない限り教師も大半が帰宅しているころだ。当然、生徒も放課後はこんなところには来ない。

「生徒に周知するつもりなら、ここにもあるはずじゃないか」

 古泉は答えず、顎に手を当てて掲示板を注視している。やがてコルクボードの一角を指さして、

「ここにちょうどA4用紙ほどのスペースがあります」

「誰かが持ち去ったのか。依頼人か?」

「もしかすると不特定多数の生徒たちの目に触れさせるつもりはないのかもしれません、なにか別の意味があるのでは」

 よく解らん。依頼したいことがあればすぐに部室にやってくるはず……でもないか。半年以上立ってもってきたやつもいたし。

 古泉は掲示板の空きスペースを見ながらなにやら考えていたが、

「今日はこのまま下校します。急なバイトが入った、とでも涼宮さんにお伝えください」

「なんかわかったのか」

杞憂きゆうかも知れませんが、備えよ常にというのが『機関』のモットーでしてね。どんな些細ささいな現象でもどこに涼宮さんを起動させるトラップがあるか解りませんし」

 お前の『機関』はボーイスカウトかよ。

 古泉はちょっと笑った。

斥候せっこうという意味ではよく似ています。僕たちは涼宮さんの作り出す空間に侵入、索敵さくてき活動を行っていますから」

「貼ったやつを捕まえても、ハルヒの前に連れて行く気にはなれないな」

「涼宮さんの言っていた自作自演説もまだ消えたわけではありません。SOS団に関わりたいが直接接触できない。それで紙を貼りだして、自分はポスターを見た、と言って何らかの目的を秘めて接近してくる」

「つまり、きっかけを作るためか」

「深読みかも知れませんがね」

 古泉は軽く肩をすくめた。しかし、こいつのカンというか予測は時として妙な形で当たる傾向がある……。

 古泉は自分のカバンを取りに九組の教室に戻るとかで、階段に向かっている。

 俺は古泉に背を向けて部室へと戻ることにした。


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